郷に入りては郷に従え では全くないのだが、名古屋へ行って最近「信長」ものを読んでしまっている。「覇王の夢-津本陽」「信長の棺-加藤廣」と立て続けに新刊が発売されたので読んでみた。以前、津本ものは、日経新聞に連載されていた「下天は夢か」や「信長と信玄」などを読んだ。また池宮彰一郎(盗作で話題になった)の「本能寺」、秋山駿の「信長」上田滋の「本能寺の変」なども書棚に並んでいる。信長は言わずもがなであるが、確かに人を惹きつけるカリスマ性がある。誰もが先見性と実行力そこに惹かれるのであろう。そして強運。彼を前にして信玄・謙信悉く死に至る。まさに天運。また、彼が生きれいれば歴史は・・・と誰もが想いを馳せるから余計に魅力が増すのであろう。
「敦盛」
思へばこの世は常の住み家にあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
仏教では,人間の輪廻する世界は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道となっており,また天は、下から六欲天・色界・無色界に別れている。下天とは,その六欲天の最下位に属し、四天王とその一族が住み,この下天の一昼夜は人間界の五十年に当たり、住人の寿命は五百歳である。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」とは,下天に比較すれば,人間の一生など夢幻のように短いということである。