2012年7月29日日曜日

爆撃聖徳太子

Photo_2町井登志夫著「爆撃 聖徳太子」を読む。
[E:book]隣国を次々に従え、世界帝国への道をひた走る隋帝国。その矛先は琉球、そして朝鮮半島へと向けられた。倭国に攻めてくるのも時間の問題……。この危機に敢然と立ち向かったのが、厩戸皇子、のちの聖徳太子である。遣隋使となった小野妹子をはじめ、周囲の人びとを巻き込んだ聖徳太子の戦いの行く末は!?
「なぜ隋の煬帝を怒らせる国書を送ったのか」「“聡耳”と言われた理由」「その後半生に政治的空白期があるのはなぜか」「黒駒伝説の真実とは」――聖徳太子をめぐる数々の謎を解き明かしながら、東アジアを舞台に壮大なスケールで描かれる、衝撃の古代史小説。

おもしろフィンクション物。


斗宿星

Photo塚本青史著「斗宿星」を読む。
[E:book]紀元前五〇〇年、南方では、呉越と楚の勢力が均衡し、中原では、晋を中心に宋、陳、魯などが、権謀術数の前哨戦を繰り返す時代。それは、孔子ら儒者が新興宗教さながらに諸国を巡り歩く時代でもあった。春秋五覇として台頭した斉の桓侯・姜小白の末裔が、その勢いを失いつつあった時、斉の中で、貧農たちを救い善政を敷く、大夫の名が噂される。その大夫こそが、のちに下剋上の戦国を制し、田氏斉を築くことになる田乞、田常、後世に田釐子、田成子と呼ばれる父子だった―。気鋭が描く長篇歴史小説。
ちなみに、「斗宿星」とは、二十八宿の一つで、北方玄武七宿の第一宿。距星はいて座φ星。田家の宿星とされた。

スポットライトをあてた田乞・田常の時代は、かなりの重要な人物が同時期にいたことがわかる。呉王 夫差、越王 句践や伍子胥。斉の晏子。そしてなんといっても孔子・陽虎。しかし孔子の扱いはすごい。田乞・田常および斉からの見方なので、ちょっと普通では考えられない人物眼です。そこは注目点です。





炎天下の歩きゴルフ

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今日は、大学の先輩お二人と3名にて「八千代ゴルフクラブ」にてプレー。
ここは自宅から30分と近く最高のロケーション。しかし気温は35度と強烈な暑さ。
なんとか最後までプレーできれば御の字か。しかもここは歩きでのプレーなのです。50代には相当きつい。
まさに傘をさしながらの体力勝負といったところでしょう。

イップスのドライバーは、やはり左への体重移動ができす、体を支えきれずに手だけがまわりボールはダックフックして左へ左へ。うーん全く治っていない。
しかし、イップス対策で挑んでいる左一軸打法も少しずつタイミングを掴みかけている。まだ少しでも右に体重移動すると駄目みたいだ。しかし、きっちり左体重だけでテイクバック出来た時は、綺麗なドローが何度か生まれていた。
これを続けるしか無いな。

今日の前半のハイライトはなんといっても冴えまくりのパットでした。面白いように入ってくれました。
アイアン・ユーティリティーもまずまず。おかげで今年のハーフベストの40。

お昼は、気分よく美味しい冷やし担々麺をいただくことができました。

期待した後半、10Hミドルでいきなりバーディー発進。14Hまで来てまだ2オーバー。これは自己ベスト更新(自己ベスト81)もありえるか?

しかし体力・精神力はここが限界でした。

脚はガタガタ、イップスはひどくなるで、その後3ホールは、トリ・ダボ・ダブルパーと散々。
最終ホールはパーを拾うものの、結局後半は47。
なんとか80台でプレーできたものの悔しさの残る1日でした。



2012年7月22日日曜日

7月の庭

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夏の庭は、「ムクゲ」。今日は雨の後で枝がかなり重さで垂れ下がってしまいました。




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「ホスタ」は異様に大きくなって見事な花を咲かせてくれてます。

2012年7月21日土曜日

愛憎の王冠 上・下 / 宮廷の愛人 上・下

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ブーリン家の姉妹シリーズ「愛憎の王冠 上・下」「宮廷の愛人 上・下」を読む。
「愛憎の王冠」は、6人もの妻を娶ったイングランド国王ヘンリー8世亡き後、王位を継いだエドワード6世が病弱だったゆえ、水面下では継承者争いが勃発。最初の王妃キャサリン・オブ・アンゴラの娘メアリー(メアリー1世)<のちにブラディ・メアリーと謳われた>と、二番目の王妃で悪名高きアン・ブーリンの娘エリザベス(エリザベス1世)を中心とした醜い争いに、ダドリーをはじめとする貴族らが激しく絡む。女王に道化として仕えたハンナの目を通して語られる裏切りと愛憎の物語。
本書の魅力は、スペインの異端審問所の手を逃れてイングランドにたどり着いた、改宗ユダヤ教徒の娘で、予言能力を持つ少女ハンナという架空の人物を登場させ、彼女の目を通して進展してゆく物語を読者が展開されるというところだ。
メアリー=カトリック、エリザベス=プロテスタント、ハンナ=ユダヤという構成になる。また女性と生き方についてもこの構成が生きてくる。チューダー王朝物語は、ドロドロしていて面白い。この時代からパパラッチが幅を聞かせていたと考えのも楽しい。

1_22_4シリーズ3作目の「宮廷の偉人」は、まさに不倫の物語。
アン・ブーリンの娘エリザベスが念願のイングランド女王に即位する。国の安定を求めて国内外の権力者との結婚を進言する国務長官ウィリアム・セシルをよそに、エリザベスは幼なじみで国賊の汚名を被るロバート・ダドリーに夢中だった。ダドリーもまた、貞淑な妻エイミーをないがしろにし、宮廷に入り浸る。恐ろしいほど激しい人間関係を描いた、史実に基づく壮絶な物語。
しかし、ここまで書いて大丈夫というほどのエリザベスの醜態ぶりが延々と続く。イングランドにゴールデン・エイジをもたらした偉大な女王の若き恋する弱き女性の姿は読み物としては一見。週刊誌を読む感覚で。エリザベスの偉業の立役者としてのウィリアム・セシルの存在が大きいことがよくわかる。ヒヤヒヤ感でお読みください。



2012年7月16日月曜日

テルマエ・ロマエ

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封切りからかなり立ちましたが映画「テルマエロマエ」を観てきました。しかし連休でもあり満席でした。さすが50億突破作品。キャスティングの妙とはこの作品のことですね。濃い顔見事に集めてます。素直に笑い、楽しめました。
時代背景は、受験の世界史と、塩野七生の「ローマ人の物語」を思い出しました。
ローマ皇帝ハドリヤヌス(市村正規)。五賢帝時代の3人目の皇帝。ローマ皇帝で、初めてヒゲを生やした人間でもあります。市村さんさすがの存在感でした。


2012年7月15日日曜日

鬼道の女王 卑弥呼 上・下

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黒岩重吾著「鬼道の女王 卑弥呼 上・下」を読む。結構前から読みたくて書店を探していたが、ブックオフで偶然見つけた。
[E:book]「鬼道に事え、能く衆を惑わす」。日本古代史の永遠の謎、女王ヒミコの生涯を描く壮大な歴史ロマン。後漢時代、中国沿岸部の倭人集団の首長ミコトは、幼い娘ヒメミコの予言と宣託に導かれて海を渡り、乱世の倭国に帰還した。成長して神託を受け巫女王となったヒミコは、その卓越した判断力と超能力によって、倭国の統一に乗り出す。というもの。

卑弥呼はもともと中国の杭州湾付近に移り住んだ倭人集団の長の娘という考え方で物語は進む。そして再び吸収に戻り「邪馬台国」を治める。後漢時代の新興宗教をうけついだであろうという発想からこの書き出しが決まったようだ。おもしろい。また、ヒミコの永遠の恋人であるミチゴメに去勢の手術をさせるが、魏志倭人伝に「唯男子一人有りて飲食を給し、辞を伝えて居処に出入りす」とあることから、神聖なる女王の居処を同じにするのは、宦官でなくてはならないと考えたようである。さすがである。

物語としても面白く、また歴史としてもこうであった気にさせる深い洞察に感服です。



2012年7月8日日曜日

大脱走 - 裏切りの姫

Photo_2長篠の合戦から七年、滅亡の淵に立つ武田家。主君勝頼に忠誠を誓う馬廻り・前島平蔵は、親族衆筆頭である穴山信君の徳川方への寝返りを察知し、甲府の穴山屋敷を取り囲む。屋敷のなかでは、信君の妻・千鶴、嫡男・勝千代らが、脱出の機会を窺っていた。実力派作家がスケール豊かに描く、戦国小説の新境地。



太閤暗殺

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お拾(後の秀頼)が生まれ、秀吉は甥の秀次が邪魔になる。秀吉の変心に危機感を抱く秀次の側近は、天下を騒がす大盗賊・石川五右衛門に秀吉暗殺を依頼する。請け負った五右衛門が目指すは秀吉が居を構える伏見城。迎え撃つのは奉行・石田三成と京都所司代・前田玄以。知力と武力が激突する死闘を制するのは…。正史にはない歴史の裏側が、密室トリックや鮮やかな結末で光彩を放つ。日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作にして「おすすめ文庫王国・時代小説部門」第1位に輝く歴史時代ミステリーの傑作。



イップス脱せず

Course_17th会社の同僚と「成田フェアフィールドGC」にてプレー。イップス気味のドライバーは、左一軸打法により改善を目指すも未だ完治せず。前半は何とか持ちこたえ、アプローチ、パターに救われ41で回るも、後半はイップスが酷く、こらえ切れず49。結局トータル90。そう簡単にイップスが治るわけがないか。苦難の道は続きそうだ。



2012年7月1日日曜日

蔵の街 川越へ

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今日は、久しぶりにかみさんが土曜何もないということで、「蔵の街 川越」までドライブ。
まず、「川越城 本丸本殿」へ。川越城本丸御殿が築かれたのは江戸時代の嘉永元年(1848)、松平斉典(なりつね)が城主のときでした。当初の本丸御殿は16棟あり、総建坪1,025坪(3,888平方メートル)に及ぶ広大なものでしたが、明治維新後次第に解体されていきました。現在は玄関と大広間、移築復元された家老詰所が残されています。このすぐそばに、童謡「とうりゃんせ」の発祥の地とされる「三芳野神社」があります。のちほど紹介。
川越といえば、「蔵」。
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札の辻から仲町まで、昔ながらの街並みが続きます。平成11年12月には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年1月には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。
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遅いお昼を済ませて、お土産に「まめ屋」で豆を買いました。
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シンボルの時の鐘。思ったより高かったです。
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「菓子屋横丁」という一角では、芋のお菓子、飴など色々のお菓子が並び散歩には持って来いです。
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手頃なドライブとなりました。



三芳野神社

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「とうりゃんせ」の発祥の神社「三芳野神社」を参拝。大宮の氷川神社を勧請したとも、京都の北野神社を勧請したともいわれているが定かではない。後者から「とうりゃんせ」の天神様となっているのだろう。川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれた。城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしなければならなかった。また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と唄われるようになり、それが伝わっていったものと思われる。

主祭神は、素盞男尊・奇稲田姫命である。

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神紋は「三つ巴」のようです。本殿の屋根に紋が見えます。本殿は権現造りですね。
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社紋は「大聖寺梅鉢紋」のようです。天神様にごだわっているのでしょう。


川越氷川神社

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今日の目的地「川越氷川神社」を参拝。大鳥居の扁額は、勝海舟による。
もちろん、主祭神は、素戔嗚尊・奇稲田姫命・大巳貴命・脚摩乳命・手摩乳命。
欽明天皇二(540)年九月十五日鎮座、武蔵国造が大宮氷川神社より分祀、奉斎したという。のち室町時代の長禄元(1457)年、川越城の築城にあたった太田道灌は篤く当社を崇敬し川越城の守護神とした。小田原北条氏滅亡後に関東を支配した徳川家康は重臣を川越城主として江戸北方の守りにつかせ、以後代々の城主が川越総鎮守として崇敬してきたという。
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入母屋造銅板葺向拝付の拝殿は均整のとれて美しい。
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本殿は、写真をちゃんと撮れる場所がありませんでした。
神紋は、「八雲」
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そして境内末社に何故か「柿本人麻呂神社」が。子孫である綾部家が戦国時代にこちらに移り住んだ 時に勧請されたそうです。
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