復刻版 古川薫著「花冠の志士 久坂玄瑞」を読む。
幕末の乱世、尊王攘夷派志士の中心人物として短い人生を駆け抜けた久坂玄瑞。長州藩医の子として生まれ、黒船来航から間もなく家族を喪ない、攘夷の志に燃えた。松下村塾の双璧として高杉晋作と並び称され、来年の大河ドラマの主人公 「師・吉田松陰先生の妹 文」を妻とした。詩を愛し、武に生き、もののふとして散ったその生涯を描いた決定版。
家族を失い、攘夷の志に燃える玄瑞。
復刻版 古川薫著「花冠の志士 久坂玄瑞」を読む。
幕末の乱世、尊王攘夷派志士の中心人物として短い人生を駆け抜けた久坂玄瑞。長州藩医の子として生まれ、黒船来航から間もなく家族を喪ない、攘夷の志に燃えた。松下村塾の双璧として高杉晋作と並び称され、来年の大河ドラマの主人公 「師・吉田松陰先生の妹 文」を妻とした。詩を愛し、武に生き、もののふとして散ったその生涯を描いた決定版。
家族を失い、攘夷の志に燃える玄瑞。
防府からの帰り道美祢西ICで降りて吉田町にある「東行庵」に寄らせてもらいました。わが町下関市長府にある功山寺の末寺です。そして、ここには、高杉晋作のお墓、顕彰碑、奇兵隊のお墓があるのです。
風雲急を告げる幕末の長州藩。周防灘の漁師のせがれ直人は、父と巨大なホホジロ鮫を狩り、倒幕の吉兆として士分を許される。久坂玄瑞と交わり、尊皇攘夷の流れに加わっていく。高杉晋作を追いつめ、そして坂本龍馬、大村益次郎を斬殺。幕末最強の刺客、長州の切り札となった彼は、回天の動乱を駈けぬける!新政府で栄達した者たちが歴史の闇に葬った神代直人。その苛烈な生涯に肉迫した異色長篇。
幕末、長州・薩摩・土佐に各々、人斬りと異名をとる人物がいる。長州は、この小説の主人公である「神代直人(こうじろ)」、薩摩の後の桐野利秋こと中村半次郎、そして土佐には、岡田以蔵がいる。主人公 神代直人だが、大村益次郎を襲撃したというのは事実である。そこから、龍馬の犯人も彼であるという設定で小説は組み立てられる。私は、薩摩陰謀説の立場なのでそれはおいといて、小説としては非常に読み応えのある作品であった。久坂玄瑞に対する思い、高杉晋作へ対する嫉妬、山形狂介への侮蔑を交え、テロリストとして一途に駆け抜ける神代、そして味付けとして不思議な恋心も添える。長州人としては実に面白い小説であった。
昨年も当然書きましたが、今日は、高杉晋作(東行)の命日です。伊藤博文が揮毫した「高杉晋作顕彰碑」の碑文の話は以前にも書きました。あの「動けば雷電の・・・」くだりに話です。今日は、せっかくなので、全文をHomePageに掲載し晋作の冥福をお祈りすると共にその栄誉を長州人として讃えようと思います。さて元治3年、野山獄にて作詩したものに以下の七言絶句があります。
偸生決死任時宜
不患世人論是非
嘗在先師寄我語
回頭追思涙空垂
生を偸(ぬす)むも死を決するも時宜に任す
世人の是非を論ずるをうれえず
かつて先師のわれに寄するの語あり
頭をめぐらして追思すれば涙むなしく垂る
命を惜しむも死を決するも時にまかせ、世の人が是非を論ずることなど気にすべきではない。かつて先師(松陰先生)はそう諭(さと)された。思い巡らせれば今はただ涙が零れ落ちてくる。
これは、かつて高杉が松陰に対して「男子の死ぬべきところはどこか」という問いを発したことがあったのに対して、松陰先生が答えた言葉を指している。
「貴問に曰く、丈夫死すべき所如何。僕去冬巳来、死の一字大いに発明あり、李氏焚書(明の学者李卓吾の書)の功多し。其の説甚だ永く候へども約して云はば、死は好むべきに非ず、亦悪(にく)むべきに非ず、道盡き心安んずる、便(すなは)ち是死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。又一種大才略ある人辱(はじ)を忍びてことをなす、妙。又一種私欲なく私心なきもの生を偸(ぬす)むも妨げず。死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし。僕が所見にては生死は度外に措(お)きて唯だ言うべきを言ふのみ」
死ぬことで不朽の意義を見いだせるのならばいつ死んでもよいし、なお生き続けることによって大業を行う見込みがあるならば、生き永らえてその事を成すべきである。つまり人間というものは、生死を度外視して何かを成し遂げる心構えこそが大切なのだと言うのである。この死生観が、松陰先生その人の生涯を語るものとなり、危険を避けて逃避行や亡命を繰り返しながら、不朽の死と見定めたとき果敢に挙兵(功山寺決起)し、長州藩の討幕路線を確定させた晋作の生きざまに大きく影響したのである。
安倍晋三君が、臨時国会が召集される26日の衆参両院本会議で、第90代、57人目の首相に指名され、同日中に新内閣を発足させる見通しだ。山口県出身でなんと8人目の総理大臣である。東京都出身が同じ8人であるが、他の県に比べると圧倒的である。さすが長州藩である。あの鹿児島県ですらたった3人で、岩手県の4人よりも少ない。過去の7人は伊藤博文、山形有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作である。昭和40年代、まだ小学生だったころ故郷 山口県は、周りの県に比べて妙に道路がきれいだったなと記憶している。新幹線の駅もなにもない県の割には5つもある。さすが、宰相の県は違うなと思っていた。だからどうということはないのだが、お国自慢ではある。
にっぽんのナポレオンと言われた男がいる。日露戦争や太平洋戦争の時ではない。幕末から明治にかけ函館戦争・西南戦争などで活躍した「長州人:山田市之充」その人である。かの高杉晋作が後継者と任じたほどの名将である。また、小男であるところが、妙に近親感を覚える。
晩年は、法典整備に尽力し、皇典講究所(現国学院大学)、日本法律学校(現日本大学)の設立にも関わった。
秋山香乃「五稜郭を落とした男」という本がある。「用兵の妙、神の如し」と詠われた山田顕義の若き日々の戦いを、吉田松陰、高杉晋作や久坂玄瑞など、維新回転の原動力となった多彩な登場人物とともに描いた名作である。長州人には、とにかくたまらない作品です。司馬遼太郎先生は、なんだかんだ言っても「長州嫌いの薩摩好き」ですから、長州人の描き方がいまひとつだが(乃木大将は最大の犠牲者)、秋山さんは実に最高です。幕末物好きは是非読んでもらいたいです。
山口県萩市明倫小学校では、児童らにより毎朝「松陰先生のことば」が朗誦されている。
1年生(一学期)
今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人と成りにし 道を深めし
(今までは、親にすがり甘えていたが、 小学生となった今日からは、自分のことは自分でしよう)
2年生(一学期)
万巻の書を読むに あらざるよりは いずくんぞ 千秋の人たるをえん
(多くの本を読み勉強しなければ、どうして名を残すような立派な人になることができるでしょう、しっかり本を読みましょう)
3年生(一学期)
凡そ生まれて人たらば 宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
(人間として生まれて来た以上、動物と違うところがなくてはならない。・・・人間は道徳を知り行うことができる。道徳が行わなければ人間とは言えない。)
という風に6学年×3学期分=18 の言葉が朗誦されている。さすが明倫館の流れを汲む小学校である。一度、その様子を見てみたいものである。
『孫子』の中に、「兵は詐(さ)をもって立ち、利をもって動き、分合(ぶんごう)をもって変をなす者なり。疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきことは陰のごとく、動くことは雷の震うがごとく、郷を掠(かす)むるには衆を分ち、地を廓(ひろ)むるには利を分ち、権をかけて動く、先(ま)ず迂直(うちょく)の計を知る者は勝つ、此(こ)れ軍争の法なり」の句がある。ご存知、武田信玄の軍旗「風林火山」の元の言葉である。
たぶん、この言葉を連想して書いたのだろうか。故高杉晋作の碑文に伊藤博文が書いた文章の始まりは「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然として敢えて正視するものなし、これ我が東行高杉君に非ずや」である。この碑文には、晋作の人生の概略が結構細かに書かれているので実に面白い。長州人ならずとも高杉晋作をもっと知ろう。そう思う。
(写真:山口県下関市長府 功山寺)
司馬遼太郎の本に「世に棲む日日」というのがある。
私も世の親父サラリーマンと同様に司馬遼太郎が昔から大好きだ。「坂の上の雲」をはじめ、数々の本を読んだ。その中で、世の中でまず支持されるのは「竜馬がいく」であろうか。しかし、笑われるだろうが「竜馬がいく」だけは何故か読んでいない。竜馬が嫌いなわけではないが、今まで書店で何度も手にしながら結局買い求めずにいるのである。その理由は以下のとおりである。私が一番好きなのは、この「世に棲む日日」。たぶん、それ程知られていないかもしれないし、文学的評価はわからない。しかし、この本は、維新の主導的思想の原点に立った吉田松蔭と高杉晋作を描いているからである。
そうです私は、生粋の長州人なのです。
吉田松蔭の辞世の句は「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」である。 彼の遺言書である「留魂録」の冒頭に書かれていたのが上記の句です。この「留魂録」を受け取った飯田正伯が高杉晋作に宛てた手紙の中にこう書かれていました。
別紙留魂録を元書のまま差し送り候 間御一覧さるべく候。一言一句涙の種になりし候。
・・・と なるほどここから時代が動いた。
この本は、完成された思想家としての吉田松蔭ではなく、模索と蹉跌を重ね、打開を求めて行動し、焦心の中で問答する若者として、また詩人の激情を抑え切れぬまま、精神の純白を最後まで貫徹して、時代の前で自ら死を引き受けた青年として捉えています。松蔭の思想というものは、その死なくして語ることはできないでしょう。まさに注目すべきは、「死生観」であり、政治をする者が死と向き合う態度そのものです。時代と対決して生を剥奪される不条理との対峙であり、死と引き換えに思想の生を得るあり方なのだと思います。人を落涙させ、感動させ、人の心に残り、人を動かすとはどういうことなのだろうか。
それを考えさせてくれたのがこの一冊です。
松蔭がいなければ、明治維新は無かったでしょう。革命党派である松下村塾党の結束はなく、同志の屍を踏み越えて、革命の劫火の中に一身を突撃させる長州の怒涛のエネルギーは無かったのです。確かに長州藩閥が、それをシンボルとして神聖化して、やや誇張して政治利用している部分はあります。しかし、魂を留めて死んだ松蔭の事実は、自分の魂も同じように同志の心に留まることを若い長州志士たちに確信させたのが大きいのです。決死の覚悟が無ければ革命はできないと教えたのです。だからこそ松蔭先生は偉大なのだと思っています。まあ私が長州人だからなのですが・・・
この本はただし、私が一番好きな高杉晋作においては、今ひとつ希薄です。でも、それを知ったのは、高杉晋作をこの本でもっと知りたいと思った後からですからしょうがないですね。
・・・・・