2006年12月25日月曜日

Wii 到着

10月末に次男:こうちゃんの誕生日プレゼントに予約した任天堂「Wii」が今日届いた。クリスマスに間に合った恰好だ。さっそくコントローラーを振り回し、先に購入していた「Wii sport」のボクシングゲームに夢中になっていた。しまいには、半袖で汗をかきながら奮闘。明日の朝には、サンタから新しい「ゲームソフト」が届いているであろう。サンタのプレゼントは何かな???



2006年12月18日月曜日

冬もアマデウス - モーツァルトを語る 第6弾

1756au3_1 第六弾は、弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K.465「不協和音」。第三弾の「春」に続き、ハイドンセットからです。この曲の特徴は、題名にあるように「不協和音」から始まる。そしてそれは、2分あまりの序奏の(出だしの22小節の和音効果)だけである。低音のチェロに始まり、ビオラ、第2バイオリン、第1バイオリンと少しずつ遅れながら入ってゆくのだが、その音が、「ド」「嬰ソ(ソの半音上)」「変ミ(ミの半音下)」「ラ」となっており、「嬰ソ」と「ラ」は半音違いしかないわけで、調和していない濁った響きになる。連結すべき2個の和音の構成音のうちに半音階的関係を成す2音が含まれる場合には,それらの2音を同一声部で処理しなければならないという規則がある。(それに反することを「対斜」というが)この禁を破ったのだからたまらない。これがこの曲が「不協和音」と呼ばれる所以である。しかし、現代に生きる我々にはそれは、さほど奇異に感じない音なのだ。ロマン派・現代音楽を経て、こういう音があるとわかっているからだ。しかしモーツァルトの生きた18世紀では理解されなかったであろうと想像する。ハイドンに献呈された中にこれがあるのは、ハイドンならこの斬新さがわかってくれると思ったのではないだろうか。さて、その不協和音部分はおいといて、それに続くアレグロの主題の快活さはなんだろう。いつもの秩序を取り戻した響きに満ちた音のシャワー。陽の光が燦々と降り注ぐ大地にいるのような気分にさせてくれる。形も色も距離も極めて明確な音楽とはこのことか。それでは、k.465- 1.Adagio.mp3 (クリック)をお聴きください。 コメントお待ちしてます。



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2006年12月11日月曜日

孔子伝

Photo_3 漢学者である白川静氏が書いた「孔子伝」を読む。哲人孔子の実物大の姿を描いており、人間孔子の姿を見ることができた。儒から生まれた孔子の生き様がよくわかった。漢学者らしく、金文や甲骨文を解読し、文献から再現される当時の社会環境を背景として、孔子の出自と思想形成の過程を、推察しているのも興味深い。また論語の中のどの文章が生の孔子の発言であり、どの部分に後世の儒者による脚色が加わっているか、説得力のある解析が行われておもしろかった。





孔子はシャーマン(原儒)の出自であること。ほとんど政治的な活躍はできなかったこと。孔子の影(ダーク)ともいえるよく人相が似ていた陽虎というライバルがいたこと。放浪は、政治改革への参画をもくろみながら、好機を求めた孔子教団の長であったこと。など違った孔子像がそこにあり、画期的だ。孔子は理想を追ってそれを実現しようとするが、ことごとく失敗して挫折と放浪をを重ねる。孔子自身は、神秘主義者たることを欲しなかった人であった。そしてみずから光背を負うことを欲しなかった人であった。つねに弟子たちとともに行動し、弟子たちの目の前に自己の全てをさらけ出しながら、「これ丘なり」[論語・述而]というをはばからぬ人であったのだ。



第1章 東西南北の人(伝記について;聖人ののち ほか);第2章 儒の源流(伝統について;大儒と小儒 ほか);第3章 孔子の立場(体制について;群不逞の徒 ほか);第4章 儒教の批判者(批判について;ギルド的集団 ほか);第5章 『論語』について(文体論;儒家八流 ほか)



是非、ご一読を。



2006年12月4日月曜日

クリスマス・ヴァージョン

Xmas_07 この時期になると周りの家がクリスマス・イルミネーションに。年々派手になっていく家もある。わが家はいつもと変わらず。しょうがないので季節に合わせブログのテンプレートを「クリスマス・ヴァージョン」に変更してみた。少し読みにくいか?内容ともそぐわないか? 画像クリックしてネ。



2006年12月3日日曜日

説着曹操 曹操就到

説着曹操 曹操就到<シュオチャツァオツァオ、ツァオツァオチウタオ> 曹操の話をすれば曹操が来る。 中国では、「噂をすれば影」をこのように言う。たぶん、曹操は各地に諜者をはなち、情報収集に余念がなかったのだ。徳川家康が伊賀忍者を使って情報収集していたのと同じであろう。昔も今も情報を制するものは・・・である。さて我々が目にする曹操はどうしても悪役だ。劉備や孔明、関羽が圧倒的に人気が高い。日本では、三国志といえば、吉川英治や横山光輝の影響をほとんどの者がうけているからだろう。しかし理由はそれだけではない。曹操が悪役になったにはちゃんと他に理由がある。曹操は、孔子の子孫の孔融を一族もろとも処刑した事や儒教そのものをないがしろにしたからである。陳寿や裴松之も儒者であり、羅貫中も儒者。三国志演義は、当然にして儒教的プロパガンダの脚色がなされている。中国と儒教はやはり切っても切り離せない。その為に曹操は少し悪役でいてほしかったのではないだろうか。織田信長はよく曹操の生まれ変わりといわれるが、実は曹操のこの儒教価値観の破壊と信長の仏教価値観の破壊というものが新しい世を創造するのに必要なのだという考えが非常に似ていたからではないかと思う。それに供に人材の登用に余念がなった。こうして二人を比べてみるのも面白い。でもそんなことをしていると、説着曹操 曹操就到かも・・・・



2006年12月2日土曜日

すっかり冬~札幌イルミネーション

S_i_1 約2ヶ月ぶりに札幌へ出張に出かけました。気温は、-3~3度とすっかり寒く、雪も積もるほど、町は、イルミネーションがほどこされ白い雪にさえ幻想的な雰囲気。やっぱり、夏も冬も北海道はいいです。