2008年9月29日月曜日

同期会

昨日は久しぶりに「同期会」を開催。入社年次から「ゴッパチ(58)会」と名づけた。日頃は日本中別れて仕事をしている。まずは、ゴルフコンペ。場所は、高低差もなく池が美しい茨城 霞ヶ浦カントリークラブ。13名でのプレーだ。その日は土浦で1泊。夜は桜町で存分に飲み騒いだ。やはり立場は色々だが、同期で一緒に過ごすのは楽しい。また、開催を誓ってそれぞれの地へ別れた。



2008年9月23日火曜日

天草へ

旅行最後の目的地「天草五橋」を見に出かける。(といっても今朝そう決めたのだが)天草の地は、松島に非常に似ていた。かなりきつい山の上にある展望台で見事な眺めを見ることができました。(クリックして拡大すると五橋全部が見えます)



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↑(遠く霞んでいるのが、雲仙普賢岳)



途中、天草四郎メモリアルホールというところへ寄りました。



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宮崎へ戻る途中、最後にコスモスで有名な「生駒高原」に寄りましたが、まだ、コスモスが咲いておらず残念でした。2日間 620kmの旅でした。



葉祥明阿蘇高原絵本美術館

Photo_4 「葉祥明阿蘇高原絵本美術館」を訪れる。絵本作家だ。とても色使いがすばらしく、心が和む。個人的には、黄色を使った作品が好きだ。かみさんは、大ファンで、鎌倉の美術館へも行ったらしい。高原らしく、庭も広く絵本の中に入ったような感じでした。



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阿蘇

阿蘇の火口へ。20年前にも家族へ来たのだが、エメラルドグリーンの火口がほとんど記憶にない。記憶とは当てにならないものだ。それともその日は噴煙が多くて火口が見えなかったのだろうか?





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草千里付近では、バスや車を邪魔するお馬たちに遭遇。



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そして米塚の写真。



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これは、草千里下の草原にある可愛い小山。小さな火口丘の跡。標高は954mであるが山下から頂上までは約100m程度しかない。頂上には直径約100m、深さ20m程度の火口跡が「くぼみ」として残っているらしい。この山には伝説がある。健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、収穫した米を積み上げてできたという伝説だ。頂上のくぼみは、命(みこと)が貧しい人達に米を分け与えた名残だと言われています。



さて阿蘇には、日本一長い名前の駅があるので寄ってみた。「南阿蘇水の生まれるさと白水高原駅」がそれだ。



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トロッコ列車も通る可愛い駅であった。





 









2008年9月22日月曜日

白川水源と垂玉温泉山口旅館

熊本の高森町へ入る。まず絶景といわれる月廻り公園へ向かうが、あいにくの雲で 阿蘇 根子岳はすっかり雲の中(下の写真)。残念。



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目指すは、白川水源。



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さすがに水量がちがう。そして美しいまでの透明さ。水の生まれる里と言われるだけある。



宿泊は、「垂玉温泉山口旅館」。秘湯だ。お風呂は、大浴場、かじかの湯(半露天)、家族風呂、混浴露天風呂と色々あった。



Photo 夜遅く少し離れた露天風呂へいったが、すぐ側に「金龍の滝」があり、趣きも最高であった。お湯も肌に優しい感じの温泉だ。



Hpを紹介しておく。 



垂玉温泉山口旅館(クリック)







雨の高千穂

土曜の夜から「かみさん」が宮崎へ遊びに来ている。この日は、時間が遅かったので夕食は、お好み焼きで済ませ、いつも仲良くさせてもらっている、BAR「NIGO」で12時近くまでお酒&カラオケで楽しむ。



今日は、高千穂へ向かう。朝は大変良い天気であったが高千穂へ近づくあたりから雲行きが怪しい。まずは、天岩戸神社へ。その頃には、なんとどしゃぶり。





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もちろん、天照大神を祀る神社で、参拝者は、社殿で 大鏡にお祈りするのだが、実は御神体は、拝殿の後方の対岸にある洞窟(天岩戸)  で、実は天岩戸を拝んでいるわけだ。そこから前回は行けなかった天の安原へいくが、濡れ鼠状態となる。



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上の写真の左側に「仰慕窟」(ぎょうぼがいわや)という間口30m・奥行き25m
 の大きな洞窟があり中に鳥居と社があるのだが、恐れ多くて写真は撮らなかった。



天岩戸神社をあとにして「真名井の滝」のある高千穂峡へ。今日は意外と観光客が多いが残念ながら突然の大雨でボートは中止。写真だけはきっちりと収めた。



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最後に、高千穂神社へ。



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この頃から、雨も上がり日差しが戻り始めていた。高千穂神社の御祭神は多く



高千穂皇神 天津彦火瓊々杵尊・木花開耶姫命、彦火火出見尊・豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊・玉依姫命
 
十社大明神 三毛入野命・鵜目姫命、大郎命・二郎命・三郎命・畝見命・照野命・大戸命・霊社命・浅良部命



となっている。



境内には、第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石が置かれていた。



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「道のえき」でやっと遅い昼食。「ちゃんどん」というチャンポンの具のうどんを食べる。延岡駅で食べたことがある。この地方の名物だろうか?あとで調べてみよう。そして いよいよ阿蘇へ。  つづく・・・

 





2008年9月15日月曜日

自己ベスト

Photo 今日は、「ハイビスカスゴルフクラブ」にてプレー。昨日もゴルフの予定だったが、二日酔いがひどく起きれずパス。そのおかげで、体調はすこぶる良い。台風が近づいているが、何とか雨は降らず、逆に暑くなくゴルフ日和。やりました。スコアは、40:42=82。5年ぶりに自己ベスト2打更新。同伴競技者も皆巧い人ばかり(78,82,86)で、いい緊張感でプレーできたおかげです。OUTは、ドライバーも調子よくパターも決まる。バーディー1つ。後半は、+7でベスト更新できる。3ホール終って、パープレー。しかし中盤3ホールで+4。プレッシャーと疲れから、体が止まりドライバー、アイアンとも精彩をかく。しかし16番ショートでパーがとれたのが大きかった。17番アプローチをトップして2個目のダボを叩くも、最終ロングを何とかパーでおさめて+6。待望の自己ベスト更新。



大満足!!



2008年9月14日日曜日

NIFTYの野郎!!

ココログより音楽カテゴリーのみ引越しです。ココログでは、最近アップロードのサイズ制限があり継続が困難となりました。何度もアマデウスでお楽しみください。

沙中の回廊

1_2 2 宮城谷昌光「沙中の回廊」を読む。春秋戦後時代、晋の文公(重耳)の車右から宰相にまでなった士会を主人公とした話である。士会は法律を司る家に生まれ、教養を大切にする一家にあって、武道にすぐれた精悍な青年に育つ。そして勇猛と誠実な人柄から軍人として一歩一歩出世していくのだ。その兵略は右に出るものはなく、戦って負けない。徳と礼を重んじる市会の軸が全くずれない生き様は「才徳」という言葉がぴったりだろう。



さて本書には、様々な警句(アフォリズム)が含まれている。そして春秋の五覇といわれる晋の文公、秦の穆公、楚の荘王の3王が登場する、わくわくする時代でもある。「三舎を避ける」「鼎の軽重を問う」「鳴かず飛ばず」などの格言も物語を彩る。弗(ふつ)という、士会の最初の家臣であり、後に家宰となる人物の洞察力、士会を引き上げた宰相先軫の生き様も見事であった。是非ご一読を!



2008年9月7日日曜日

秋の気配~モーツァルトを語る 第58弾

Violonまだ、暑いが秋の気配は朝晩に感じられるようになってきました。



秋の日のヴィオロンのためいきの・・ベルレーヌの詩ではないが、そんな夜に、ヴァイオリンソナタを聴く。第58弾は「ヴァイオリン・ソナタ第42番 イ長調 k526」から第二楽章アンダンテ(ちなみにこの楽章はニ長調)。



赤ワインでも飲みながらと言いたいところだが、カフェゼリーを食べながらだ。そう家では一滴も酒を口にしないからしょうがない。8分音符の独特な第一主題は繰り返し奏され、バロックのシャコンヌ的な雰囲気を醸し出している。第二主題はイ短調で幽玄的な印象です。



それでは、聴いてください。mozart_42_k.526 - ii. Andante(Grumiaux) (クリック)



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2008年9月5日金曜日

星雲はるかに

Photo_3 Photo_4 宮城谷昌光著「青雲はるかに」を読む。



秦の名宰相范雎の半生を綴った物語。



范雎をまず説明しておこう。苦労して学問を身につけ、密かに大望を抱きつつ、諸国を巡っていたが,魏の中大夫須賈(シュカ)に仕えた。やがて須賈が魏王の使者として斉に派遣されたとき随員となる。斉王は范雎の弁舌の才を聞き,范雎に金品を贈った。ところが,范雎がこれを断ったにもかかわらず,帰国後,須賈は折衝の失敗原因を范雎が斉に通じていたからである,と報告した。范雎は魏の宰相魏斉から鞭打たれ,簀巻きにされて厠にほうり込まれた。九死に一生を得た范雎がその復讐に燃える。後年、名も張禄(チョウロク)と改めて秦に入り,昭王に仕えた。ここで范雎は,“遠交近攻の策”を昭王に説き,昭王の心をつかむ。そして前266年,宰相となり,応に封ぜられ応侯となるのだ。



宮城谷の小説は、不思議な薬売り吟尼との出会いから物語は始まる。



范雎は雲をみあげた。雲のかたちが階段のようなのである。その階段を目でのぼってゆくと、深縹色の天である。・・・これが本書の布石であろうか。



そして謎の女性原声との出会い、鄭安平との友情。秦にはいるまでの話は、ドラマチックでドキドキさせられる。本人はストイックなのに、なぜか美女にに惚れられる。しかも、絶世の美女や気だての良い女性にばかり。このあたりが、少しうざいかも。



范雎が有名なのは、やはり鄭安平を推挙して秦の将軍にし、財産を投げ打って自分を助けてくれた人に礼をして回ったことだろうか。「一飯の徳も必ず償い、睚眦(がいさい。ひとにらみすること)の怨みも必ず報ゆ」である。



名句もところどころに散りばめられ、さすが宮城谷氏と思わせた。是非ご一読を!



しかし、将軍白起がやはり最も興味深い人物となった。



2008年9月1日月曜日

落日の王子 蘇我入鹿

Photo Photo_2 黒岩重吾著「落日の王子 蘇我入鹿」を読む。



山背大兄皇子(聖徳太子の子)以下の上宮王家一族を滅ぼしたのち、大化の改新と知られる「乙巳(きのとみ)のクーデター」を舞台とした歴史小説だ。教科書で、日本史史上でも一級の悪者として描かれている蘇我入鹿の知識人としての姿、男としての姿を女帝皇極天皇との恋愛も含めて描いているのが、おもしろかった。また、皇極天皇と入鹿は情を通じており、子をなしたという説に基づく小説であった。入鹿は実はそんな名前ではない。鞍作大郎というのが本当らしい。青少年期は僧・旻に学問堂で学んだ秀才だったと言われている。



さて物語は、政治的支配者たる皇帝と祭祀の支配者たる大王の権威を併せもつ座に登ろうとする入鹿。その危険を察し、影で大王家自らの絶対的中央集権を築き上げようとする鎌足。その裏には、蘇我本宗家を斃して政界に乗り出そうとする野望も見え隠れする。そして短気で思慮、分別に欠ける入鹿は、鎌足が張り巡らした罠にかかり誅殺される。入鹿は時代を見てはいたけれど、人を見ていなかった。 是非ご一読を!



しかし この時代の謎は多い。乙巳(きのとみ)のクーデターとは、本当はどうだったのか未だに真実はわからない。