2009年12月30日水曜日

今年のマイブーム

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今年の趣味の第一は、「日本古代史を探る」ということでした。今年読破し紹介できていなかった本を纏めて撮影しておいた。今年足しげく通った神社参拝も、この古代史の謎に迫るための一環だ。しかし、思うにこれほど古代の歴史が明らかでない国もめずらしい。文字をもたなかったということは悲しい。まあそのおかげで、あーでもないこうでもないと思いを巡らせることができるのは最高だ。このマイブームは暫く続きそうだ。



2009年12月26日土曜日

のだめカンタービレ最終章前編

Photo会議のため久しぶりに東京へ。自宅へ戻る。今日は、かみさんと映画鑑賞。我が家は、大の「のだめ」ファン。奈津子は、千秋ファン。かみさんもテレビドラマの時にエキストラに応募して出演したほどだ。(画面には登場しなかったが)。ということで「のだめ・・」の映画を。クラシックファンには結構たのしめるものだ。映画館の大音響は。



2009年12月23日水曜日

忘年会

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宮崎に来て2年半、昨夜はたぶん宮崎では最後になるであろう仕事仲間との忘年会(一足早いX’masParty)だった。デジカメでしっかり皆を収めておいた。お楽しみの仮装は例年より少なかったが、今年も楽しい一夜を過ごした。写真は、恒例のひねくれプーさんや親方によるそのまま大仏など・・・・。二次会も当然盛り上がりました。とさ





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2009年12月19日土曜日

宮崎の神社

今年、宮崎の有名どころの神社は参拝できた。宮崎の神社の特徴は、当然、天孫族をお祀りする神社が他の地域よりも圧倒的に多いことである。たぶん、これ程、天孫系を祀る県は他にはない。これは、勿論日向神話によるとことが多い。



さて、今年参拝した宮崎県の神社を御祭神ごとに紹介してみよう。
イザナギ・イザナミ・・・江田神社・小戸神社(宮崎市)・くしふる神社・二神神社(高千穂町)・霧島東神社(高原町)



アマテラス・・・天岩戸神社<東本宮>(高千穂町)・大御神社(日向市)・榎原神社(南郷町)・神柱宮(都城市)・加江田神社(清滝町)



ニニギノミコト・・・東霧島神社(高崎町)・霧島岑神社(小林市)



ヒコホホデミ・・・青島神社(宮崎市)・串間神社(串間市)・矢的原神社(宮崎市)



ウガヤフキアエズ・・・鵜戸神宮(日南市)



カムヤマトイワレヒコ・・・宮崎神宮(宮崎市)・皇宮神社(宮崎市)狭野神社(高原町)・駒宮神社(日南市)・立磐神社(日向市)。佐野原神社(宮崎市)・皇子原神社(高原町)



ミケイリノミコト・・・高千穂神社



コノハナヤクヤヒメ・・・都萬神社(西都市)・木花神社(宮崎市)



イワナガヒメ・・・銀鏡神社(西都市)



タマヨリヒメ・・・宮浦神社(日南市)



アヒラツヒメ・・・吾平津神社(日南市)



サルタヒコ・・・荒立神社(高千穂町)野島神社(宮崎市)



ヤマトタケル・・・白鳥神社(えびの市)



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その他



住吉三神・・・住吉神社(宮崎市)・御崎神社(串間市)



応仁天皇・・・宮崎八幡宮(宮崎市)・今山八幡宮(延岡市)







オオナムチ・・・都農神社(都農町)・霞神社(高原町)



スサノオ・・・祇園神社(日南市)



2009年12月14日月曜日

2012

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映画「2012」を観た。昨日から「ワンーピース」が上演されている為、シネマは親子連れでごった返していた。「2012」は2012年12月21日、人類は滅亡するというマヤの暦をもとに「インデペンデンス・デイ」「デイ・アフター・トゥモロー」「紀元前1万年」といった数々のSF超大作を生み出した ローランド・エメリッヒ監督が書き下ろした新作パニック映画だ。



この手のハリウッド映画にありがちな、とって付けた家族愛とアメリカ特有のアメリカ至上主義は、おいといて画像はここまでCGは進化しているのかと感心させられるものだった。やはりこの手の映画の迫力を感じるには映画館に限る。



2009年12月12日土曜日

神々の乱心

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松本清張の遺作にして未完の小説「神々の乱心」を何気に手に取り読んだ。



昭和8年。東京近郊。梅広町の「月辰会研究所」から出てきたところを尋問された若い女官が自殺した。自責の念と不審から「月辰会研究所」をマークする特高課第一係長・吉屋謙介。やがて渡良瀬遊水池から、2つの死体が……。自殺した女官の兄から、月に北斗七星の紋章が入った通行証を見せられた華族の次男坊・萩園泰之。「『く』の字文様の半月形の鏡」とは何か? 事件の背後に見え隠れする十数年前の「大連阿片事件」の影。「月辰会研究所」の謎を追って、物語は大正時代の満洲へ遡る。





2009年12月7日月曜日

水戸会

004今年も、水戸時代の同僚が東京・名古屋・大阪から宮崎へ駆けつけてくれた。金曜日に、M君、土曜の朝にI氏、夕方にN氏。



さてゴルフのパートナーには、相性がある。ある人がいるとどうしても調子が出なくなったり、スコアが纏まらなくなったり、難しい所、運がない所へボールがいったりするのだ。私にとってそれが、I氏だ。昨年もI氏とのゴルフの後、ゴルフの調子が完全に崩れている。今年もやはりそうだった。土曜日の練習ラウンド、愛和リゾートゴルフクラブでのこと。I氏は、飛行機の関係で、午後からのハーフでのラウンド。彼のいない前半は、ショットも絶好調42でターン。しかし午後から同伴すると、50をたたく。やはり疫病神だ。



さて、土曜の夜は、「さぐろ」という店で宮崎牛のしゃぶしゃぶを堪能してもらい、日曜は、本番のフェニックスカントリーでプレー。全員が超高速グリーンに悩まされることに。コースは、日南・住吉を廻ることに。くだんのI氏は、ことごとくフェニックスの罠に陥り、かつ得意のドライバー(距離は出ないがまっすぐいく)も絶不調。116をたたき落胆して名古屋へ。かくいう私も、相性の悪さは変わらず。ティーショットが駄目。途中、I氏に後ろを向いて見ないようにしてもらってからは、いいボールがでるようになったので不思議だ。(きっと普段は、私が打つときに呪いでもかけているのだろうか?) しかし、時既に遅し。93のラウンドとなった。飛ばし屋のN氏は、ボールがどこへ行くかわからない。時より見せる300ヤード超えは、2度ばかり。あとはほとんど林に消えていった。M君は、昔に比べると腕は衰えたがしっかり89と80台をキープ。流石だ。なんとっても午後スタートホールからの、金・ダイヤモンド・ダイヤモンドには参りました。いずれにしても皆が楽しんで帰っていったのは良かった。これからも何年も付き合ってゆくだろう同僚です。



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<写真は、名物ホール 住吉4番>                   





2009年11月23日月曜日

志賀海神社

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雨がそぼ降る福岡へ神社参拝へ出かけた。まず向かったのは志賀島に鎮座する安曇族の社であり海神の総本山とも言うべき「志賀海神社」。ご祭神は、仲津綿津神・底津綿津見神・表津綿津見神のワダツミ三神。志賀海神社では、4月と11月の祭礼(山誉め祭)で、いにしえより以下の神楽歌を歌うらしい。



君が代<だい>は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳<せんざい>という 花こそ 咲いたる 沖の御津<おんづ>の汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで 今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良<いそら>が崎に 鯛釣るおきな



そう。君が代の歌詞。君が代は、古今和歌集からとられたと言われていますが、実は源流はここ筑紫にあるらしい。まず「千代」は、福岡市の中心部に「千代」という地名があり、八千代は博多湾を指し、「さざれ石」は、福岡県西部の糸島郡に「細石(さざれいし)神社」。「苔のむす・・」は、同じ糸島郡の桜谷神社に「苔牟須売神(コケムスメノカミ)」。と・・・



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拝殿は、厳かな雰囲気を醸し出していたい。神紋は「三つ巴」のようだ。志賀島の東の高台にあるため、拝殿の右(東)に遥拝所が設けられていたい。



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たぶん、ここから日の出を拝みつつ、船の無事をいにしえより祈願していたのであろう。



竈門(かまど)神社 下宮

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大宰府の鬼門(北東)、宝満山に鎮座する「竈門神社」を参拝。名神大社にして、旧官幣小社。ちょうど紅葉に色づいて美しかった。ご祭神は、玉依姫。神武天皇の母君だ。そのためか神紋は山桜。しかし「竈門」という名称が引っかかる。竈の神といえば、大年神・奥津彦神・奥津媛神(三宝荒神)。やはり、もとは出雲系ではないだろうか。





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境内は紅葉満開で、何故か心が洗われるようだった。



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2009年11月22日日曜日

ダンロップフェニックス

勿論、我々も遼君目当てでしたが、会社の後輩とダンロップフェニックストーナメントの観戦に出かけました。朝8時到着ですが、すでに大勢のギャラリーが来ています。現在の遼君人気のすごさが分かりました。約7割は、遼君について回っているようです。最終組は可哀そうです。3日目とはいえ、20名程度のギャラリーだったでしょうか。



かく言う我々も1番を観戦した後、遼君を目指して、5番ホールで待機。トレーニングで逞しくなったと言われていましたが、実際見ると、体は絞れていて、スマートかつ可愛い。おばさんを中心とした女性ファンにモテルはずです。それに引き替え、同伴のアイルランドの新鋭ローリー君は22歳にもかかわらず、かなりのメタボ。とても22歳には見えませんでした。この日は、宮崎とは思えないほどの寒さ。(翌日日曜日は雨も降りもっと寒かったようです)しかし、ローリー君は半袖。寒くないのか?さて遼君ですが、ドライバーの調子が今一つで、一進一退のゴルフのようでしたが、18番です。見せてくれました。(観覧席で見ていたのですが)2打目、昨年入れたバンカーから出すだけ。3打目、220ヤードを見事に3オン、そして8mの難しい下りのラインを沈めて、バーディーフィニッシュ。さすが18番で魅せるプレーヤーです。



昼食は、地元のこだわりのとんこつラーメンでおなじみの「ラーメンマン」のチャーシューメンと、合間には、こちらも地元で有名な尾崎牛のハンバーガーを頬張りました。半日を充分満喫しました。



当然ながらカメラ禁止なので、記事だけとなりました。あしからず。



来週は、LPGA女子のリコーカップが宮崎カントリーで開催されますが、東京へ帰省の予定です。こちらは、2年前に観戦したのでパスです。



2009年11月16日月曜日

宮崎八幡宮

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宮崎の自宅から歩いて5分の場所だが、近すぎて逆に中々参拝できなかった。今日、理容室へ行く前に図らずも参拝。さすが15日だけあって七五三の参拝者が多くいた。勿論、八幡宮なので、ご祭神は、誉田別尊(ほんだわけのみこと:応仁天皇)足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと:仲哀天皇)息長帯姫尊(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)である。このように、比売大神のかわりに、仲哀天皇を祀っている八幡宮もけっこうあるので覚えておきたい。そして、唯一この神社に祀られているのが「橘大神」である。祝詞の言霊を思い出していただきたい。・・・・筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にに御禊祓ひ給ひし時に生れ坐る・・・・。ここに登場する「橘」を大神として祀る。ちなみに、小戸に・・・小戸神社、阿波岐原に江田神社。そして、宮崎の橘通りの近くにあるこの八幡宮があり、「橘大神」が祀られているのだ。しかし、その正体は不明らしい。禊に登場する橘で、小戸(小門)から海へ通じることから推察すると、もろもろの禍事・罪・穢れを川(この場合大淀川)から海へ流す「祓戸の神のお一人瀬織津比売神ではないだろうか。



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ご神紋は、八幡宮なので、「三つ巴」だが、ちゃんと一緒に「丸に橘紋」(2つ目の神紋)も配されていた。ちなみに小戸神社も「丸に橘」がご神紋である。



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2009年11月15日日曜日

宮城谷 三国志3・4

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文庫本3・4巻。やっと出たのですぐに完読。1・2巻では、後巻衰亡にいたる、外戚・宦官の醜い攻防を中心に黄巾の乱勃発の事由を歴史書の如く展開しおり、これは中々、先へは進まないと思っていたが、3・4巻の展開は意外と速かった。表紙にあるように、曹操の挙兵と青洲支配、劉備の徐州支配と呂布との攻めぎ合いへと進んでゆく。勿論、董卓の専横、袁紹・袁術・孫堅なども軒並み登場。愈々本丸へ入ってきたかという感じだ。勿論あっというまに読み終えた。またしばらく待たねばならない。宮城谷氏が、皇甫嵩を惜しんでいるところが垣間見えるが、やはり鋭い洞察だと思う。劉備の扱いが少ないので、演義ファンには向かないような気がします。



2009年11月10日火曜日

櫛田神社

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福岡の「櫛田神社」へ参拝。博多の総鎮守として博多区上川端に鎮座し、地元の人からは「お櫛田さん」と称され親しまれている。博多祇園山笠の神社でもある。



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思っていたより小さな境内であった。しかし、山笠は見事なものだった。



さて、ここで面白いのは、ご神紋である。ご祭神に合わせて3つある。



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中殿に大幡主命(おおはたぬしのみこと)、左殿に天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、右殿に素盞鳴命(すさのおのみこと)、を祀る。 右 五瓜に唐花→素盞嗚 はわかる。しかし、他の二つはどうも合わない。左 山桜→天照大神 は納得がいかない。山桜紋で天照大神を祀る神社はない。社伝によると、757年松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられるところからくるらしい。しかし、天照大神を左殿におく主祭神としては、甚だ格違いのような気がする。佐賀の櫛田宮の櫛稲田姫を勧請されたという説があるらしいが、その方がしっくりする。北陸には、櫛田神社の名で、素盞嗚・クシナダヒメを祀る神社がいくつかある。なにより主殿の神紋が、三つ亀甲に五三桐 という出雲系の神紋だというのも大幡主神に?だ。伊勢には、天櫛玉命という神=伊勢津彦という神がいたが、こちらかもしれない(私見)。また、スサノオ・クシナダヒメを配祀していることからみると櫛甕玉饒速日尊が主祭神なのかも・・・・(私見)しかし実におもしろい。



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龍馬暗殺者伝

Photo 加野厚志著「龍馬暗殺者伝」を読む。



風雲急を告げる幕末の長州藩。周防灘の漁師のせがれ直人は、父と巨大なホホジロ鮫を狩り、倒幕の吉兆として士分を許される。久坂玄瑞と交わり、尊皇攘夷の流れに加わっていく。高杉晋作を追いつめ、そして坂本龍馬、大村益次郎を斬殺。幕末最強の刺客、長州の切り札となった彼は、回天の動乱を駈けぬける!新政府で栄達した者たちが歴史の闇に葬った神代直人。その苛烈な生涯に肉迫した異色長篇。



幕末、長州・薩摩・土佐に各々、人斬りと異名をとる人物がいる。長州は、この小説の主人公である「神代直人(こうじろ)」、薩摩の後の桐野利秋こと中村半次郎、そして土佐には、岡田以蔵がいる。主人公 神代直人だが、大村益次郎を襲撃したというのは事実である。そこから、龍馬の犯人も彼であるという設定で小説は組み立てられる。私は、薩摩陰謀説の立場なのでそれはおいといて、小説としては非常に読み応えのある作品であった。久坂玄瑞に対する思い、高杉晋作へ対する嫉妬、山形狂介への侮蔑を交え、テロリストとして一途に駆け抜ける神代、そして味付けとして不思議な恋心も添える。長州人としては実に面白い小説であった。





2009年11月8日日曜日

榎原神社(よわら)

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今日は、ひたすら南を目指し、まずは榎原神社へ。ご祭神は、天照大神。鳥居は珍しく「両部鳥居」である。・・・(明神鳥居の足元に、前後合計4本の控柱をもつ)また、楼門(上の写真奥:木造二階建て、高さは約11メートル、横幅約7メートル、奥行きは約4メートル)と鐘楼(下の写真)を境内にもつ実に絢爛な神社であった。



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さほど広くない境内ではあるが、朱色の拝殿・本殿は実に美しい。ご神紋は、八重菊ではなく飫肥藩伊藤家の表家紋「九曜紋」と裏家紋「庵木瓜」の両方を惜しげもなくを配していた。それも珍しいことだ。かなりのパトロンであったのだろう。



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さて、ここからは、串間神社を参拝した後、都井岬をめざす。



都井岬と御崎神社

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宮崎 最南端「都井岬」。ここは野生の馬で有名。そして、絶壁に祀られる「御崎神社」がある。ご祭神は「住吉三神」。



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美しい海の側の断崖絶壁にその祠はある。(写真をクリックして拡大してご覧ください)



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ソテツの間から見える青い海に感激。(これが冬の海とは、さすが南国!!)



2009年11月1日日曜日

京成バラ園

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今日は、絶好の行楽日和につき、久しぶりに「京成バラ園」へ秋バラの鑑賞へでかけた。バラは満開。バラ園一面の色とりどりが眩しいくらいだ。バラ苗を買いたくなったが、ここはグッとこらえた。やはり単身赴任では、木バラの育成は無理だ。今はもう、「つるバラ」だけになってしまったのだから。かわりに、チューリップ・グラジオラスの球根を購入。今年はこれで我慢しよう。



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2009年10月27日火曜日

韓国宇豆峯神社

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カーナビのない車で、なおかつ地図もなし、パソコンで見たマップを記憶をたよりに捜すがなかなか見つからない。とにかく韓国岳の方向だということと、鳥居をたよりに20分うろうろ。ありました。ご祭神は「五十猛命」。式内社でたぶん五十猛をお祀りする最南端の神社のはずだ。
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ちょっと寂れた感じが悲しい。子供たちがおにごっこをして遊んでいたのがすくいだ。豊前から辛島氏すなわち新羅系の人たちが祀ったものであろう。ご神紋は「五七の桐」のようだ。
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2009年10月26日月曜日

新田神社

朝6時に、温泉でくつろぎ、久しぶりのごはん・みそしるの朝飯を頂き、7時半にホテルを後にした。向かうは、川内市にある旧国幣中社にして現・別表神社「新田神社」。薩摩の国一之宮だ。先月参拝した、枚聞神社と薩摩の国には一之宮が二つある。004



ご祭神は、天津彦彦火瓊瓊杵尊。神紋は十六八重菊。しかし、以前は八幡宮であったらしい。新田神社は、神亀山という小さな山の上に鎮座している。そして、神社の奥には「可愛山稜(エノ)」という、ニニギノミコトの御陵がある。社殿までは、思ったよりも多くの階段を登っていかなくてはいけない。しんど・・・



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枚聞神社と同様の拝殿の前に勅使殿のある鹿児島地方独特の建築様式で、社殿全体は、左右の末社が回廊で結ばれており、中央は、勅使殿ー舞殿ー拝殿ー本殿と並んでいるのだ。さながら「山」の形となっているようだ。左は、武内神社、右は四所宮。四所宮には、彦火火出見命 玉依姫命 彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊 豐玉姫命が祀られている。勅使殿の彫刻は見事なものであった。



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さて上の写真が「可愛山陵」である。神社の社務所前を通り、50mほど裏手を歩くと到着する。そばには樟の大樹が聳えている。勿論、宮内庁管理です。



これで、九州の一之宮はあらかた参拝することができた。<残りは、肥前の與止日女(よどひめ)神社、そして行く機会のないであろう壱岐対馬の2神社>



神柱宮

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宮崎への帰路、途中に都城に鎮座する別表神社「神柱宮」に立ち寄り参拝。大鳥居は、25mの高さを持ち、現在第6位の高さを誇る。ご祭神は、伊勢神宮内宮・外宮と同じく天照皇大神と豊受姫大神であり、島津荘(しまずのしょう)の開拓のために大宰府より移住した平季基が、万寿3年(1026年)、天照大神の神託を受けて伊勢神宮より勧請したのに始まると伝えられる。神紋は、「五七の桐」のようだ。いたるところに配されていた。



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*雑学~大鳥居高さランキング



1、熊野本宮大社(大斎原) 33.9M



2、大神神社           32.2M



3、弥彦神社          30.16M



4、最上稲荷          27.5M



5、鹿嶋神社(兵庫;高砂)  26M



6、靖国神社・神柱宮     25M



8、古峯神社          24.622M



9、平安神宮・豊国神社    24.2M





2009年10月25日日曜日

ゴルフと温泉

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今週は、同業者の交流会で、霧島ゴルフクラブにてミニコンペ。宮崎市内より車で1時間半かけ、別荘と温泉の町’霧島’へ。鹿児島の名門「霧島ゴルフクラブ」で2度目のプレー。曇り空だが、遠くには微かに桜島を望む。特にこの日は、ドライバーもアイアンも好調ではなかったが、大崩れするホールもなく、チャンスでは確実にパーを拾うことができ、44:44=88でプレー。これで10月は、3連続で80台をマーク。おまけにベスグロもいただいた。プレー後は、近くの霧島国際ホテルに宿泊。到着後そのまま大浴場へ。やはり温泉は最高だ。蒸し風呂、茶風呂などを堪能。夜は、ささやかな食事会。十分、休暇を楽しんだ。



2009年10月19日月曜日

神々の遺品

Photo 今野敏著「神々の遺品」を読む。



アメリカで超常現象研究チーム『セクションO』が忽然と姿を消し、日本では著名なUFOライターが殺された。事件の鍵を握るのは、オーパーツと呼ばれる摩訶不思議な太古の文明の足跡だった。神話、宗教、古代遺跡…。宇宙と人類の歴史を紐解く、超伝奇ミステリーの黄金傑作。



2009年10月18日日曜日

フェニックス 2度目

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今日は、フェニックスカントリーにて地元のコンペ(21名)に参加。日南ー住吉コースを廻る。日南では、チップインが2つも決まる(1つはバーディー)という幸運に恵まれ、他のアプローチもうまくゆき、11パットの42だった。後半は、既に男子プロツアー「ダンロップ・フェニックス」に備えラフを深くし始めている住吉。案の定、出だし,サービスホールの(パー5)にもかかわらず、ラフを渡り歩き、ダボ発進。前半よかったアプローチもグリーン周りのラフが手ごわく寄らずに、グリーンも早く、苦戦で3パットが3つ。しかし、ドライバーが結構飛んでくれたおかげで、何とか46であがることができた。フェニックスでは2度目の80台。惜しくも1打差でベスグロは逃し、順位も4位(ボギーが多く、ダブルペリアに不利でした)だったが、快晴の上、清清しい気温で、美しいフェニックスでのラウンドに大満足であった。2週間前のハイビスカスでも42:42の84が出ており、このところいい感じだが、いつもこれが長続きしないのは知っている。残念ながらゴルフは本当にみずものなのだ。



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(写真は、メンバーのロッカールーム。優勝者のプレートが、第1回から各ロッカーに付けられているのだが、これは2005年優勝のT.Woodsのロッカー。タイガーは、2回優勝しているので、もう一つプレートがついたロッカーがある。)