「桜を観に行こう」で始まった今回のもう一つの目玉「出羽三山神社」を目指します。
2014年5月5日月曜日
出羽三山神社(1)
約10km手前に大鳥居があります。
麓に「随神門」があり、ここから有名な「五重塔」まで15分、かみさんも歩きますが、下りの時間短縮とかみさんの「パス」の一声で、かみさんは上の駐車場まで車で向かい境内で合流することに。
「隋神門】が見えてきました。ここから一旦下ります。
暫く歩くと神橋と祓川・須賀の滝が見えてきました。神聖なる山上と俗世を分ける境界です。
そして、「爺杉」。その向こうに「五重塔」が・・・
杉の間から、その壮麗な姿を望むことができます。
そして正面に。
とにかく感動!!ちょうど山伏姿の団体案内の方に出くわしました。
横からも写真を撮りましたが、五重塔よりも高い杉に囲まれている姿が圧巻です。
ここで、かみさんと一旦お別れ。2446段の階段を1時間かけて境内を目指します。
早速、朝日に包まれた杉並木の階段が待ち受けます。
急な階段が3か所。ときより緩やかな坂にホッと一息。
中腹には、休憩ができるお茶屋もあります。
日頃のゴルフで鍛えているが流石に足が重い。
最後の難所「三の坂」。あと少し・・・
見えてきました。山頂下鳥居。
到着。かみさんと言えば、のんびりと駐車場横の喫茶で「コーヒーにアイスクリーム」で寛いでいました。
熊野大社(南陽市)
羽黒山を後にして、一気に南下。米沢に向かう途中にある南陽市の「熊野大社」に参拝。
参道の階段を上がると、千鳥破風に唐破風、両方の向拝をもつ茅葺屋根の見事な拝殿が。
千鳥破風の上には「鬼瓦」
神紋は「十四弁菊花心に三つ巴」紋。
こちらは、本殿裏側に三羽の兎が隠し彫りされています。「この三羽の兎を全て見つけるとお金に困らず、幸せになれる、願い事が叶う」と言い伝えられています。見つけたような気がしますが、確信が持てないです。
本殿は「一間社春日造」のようです。
熊野大社、見事な神社でした。
上杉神社
2泊3日最後の訪問地は、旧別格官幣社「上杉神社」です。明治9年、上杉謙信公、上杉鷹山公を祭神として、米沢城本丸跡に建立されました。
境内には、謙信公、景勝公と直江兼続、鷹山公の銅像があります。
本殿は、流造。神紋はもちろん「竹に雀」紋でした。
これにて、2014GWの「秋田・山形 桜を観に行こう&神社参拝の旅行」終了です。
福島駅でレンタカーを乗り捨て、ツバメにて東京駅へ。
満喫の3日間でした。
2014年5月4日日曜日
鳥海山大物忌神社(吹浦)
2014年5月3日土曜日
田沢湖
田沢湖・・・最大深度は423.4mで日本第一位(第二位は支笏湖、第三位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖です。湖面標高は249m。ここでのお目当ては「たつこ像」 。
若さと美しさを何とか保ちたいと願い、お告げ通り泉の水を飲み、いつの間にか龍に。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈めたという伝説があるそうです。
たつこ像のそばに「浮木神社」。湖面に張り出すように建っています。流れ着いた大木の浮木(流木)を祀っています。
そして、たつこ像から北側の湖面に朱の鳥居が美しい「御座石神社」があります。
こちらが事代主神・綿津見神ととともに「辰子姫神」をお祀りする神社です。
竜神「辰子姫像」も建てられていました。
田沢湖は、曇天にも関わらず、水がきれいでびっくりです。
唐松神社
秋田県大仙市協和に位置する待望の「唐松神社」に参拝。
参道の杉並木が暫く続く。圧巻。
樹齢300年樹高45mもの杉があるそうだ。
本宮のご祭神は、軻具突命 息氣長足姫命 豊宇氣姫命 高皇靈命 神皇靈命。
「物部文書」によると、唐松神社は、本来「韓服宮」という名前。三韓征伐後、つまり韓を征服した神功皇后の創建という意味。新羅征討に参加した、物部氏・膽咋連(いくいのむらじ)が、皇后の御腹帯を拝受し、当地に来て、月出野に、当社を創建した。
こちらの宮司は、なんと代々「物部氏」なのだそうだ。
朱の二の鳥居「台輪つき両部鳥居」をくぐると拝殿は、階段下に見える。下りの宮である。
神紋は「三つ柏」。
「下りの宮」は珍しい。本来の祭神である「饒速日命」が関係しているのは間違いない。あまりにも霊力が強いか、静かに鎮まってもらいた神だったのではないかと推察する。
そして当社は謎の「唐松山天日宮」をもつ。
天日宮のご祭神は、初代日ノ本の王というべき「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」。物部氏祖神である饒速日命は、鳥見山(鳥海山)の「潮の処」に天降った。その後、逆合川の地・日殿山(唐松岳)に「日の宮」を造営し、大神祖神・天御祖神・地御祖神を祀ったという。
3月に、同じく饒速日命の天降りし「磐船神社」を参拝したばかり。これは、嬉しい。
本殿は、池の中に作られた「ストーンサークル」の上に建つ。
なんとも不思議な光景。
しばし呆然と社殿を眺める。
隣の池にも玉鉾神の石碑が建っていた。
唐松神社の秋田物部家の家系図では、膽咋連(いくいのむらじ)を鼻祖とする。そして四代を省略して物部尾輿が記されている。尾輿の後継者は物部守屋だが、蘇我氏との戦いで有名な守屋の名はなぜか表に出た形で記載されず、守屋の子、つまり尾輿には孫の那加世(なかよ)が秋田物部家の祖・初代として扱われている。蘇我氏に敗れた物部氏の東北へのがれ、こうした饒速日命の伝説が生きずいていると考えると実に興味深い。やはり神社探訪はやめられない。
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