2009年2月20日金曜日

鹿児島へ

仕事で鹿児島へ。1年8ヶ月も宮崎にいながら始めての鹿児島だ。少し時間が空いたので、西郷隆盛のお墓へ。少し高台にあるので、桜島が目の前に見えるが、あいにくの雨模様でうっすらとしか。残念。



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   <南州墓地と南州神社>



ここ南州墓地には西南戦争に敗れた薩軍2023名もの将兵が南州公とともに眠っています。



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天気の良い日に是非また訪れたいものです。









2009年2月19日木曜日

テンプル騎士団の古文書

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中世の騎士たちが、現代のメトロポリタン美術館を襲撃した! 彼らが奪った暗号機は、中世最強の騎士団が遺した秘宝を探り出すものだった。・・・・・・



テンプル騎士団とは、1118年にフランスのシャンパーニュの貴族、ユーグ・ド・バイアンらが創立した宗教団体である。テンプル騎士団は中世西欧の三大騎士団の一つであり、正式名を『キリストの貧しき騎士修道会とソロモンの神殿』という。彼らは、11世紀から13世紀にかけて行われた十字軍遠征で活躍した。先の広がった赤い十字架を縫いつけた白い外套をまとい、聖地エルサレムへ赴く巡礼者たちを異教徒たちから守ったのだ。



謎に満ちたテンプル騎士団を題材にした物語は多い。9人の騎士はソロモン宮殿で何を発見し隠したのか?そして教会は何を秘めたのか? なかなか面白かった。この手の物語が吾ながら本当に好きだ。



2009年2月14日土曜日

日本史の反逆者~私説・壬申の乱

Photo 井沢元彦「日本史の反逆者~私説・壬申の乱」を読む。



父を異にする二人の皇子、中大兄皇子と大海人皇子。両者の間の確執は、やがて、古代史上最大の争乱といわれる壬申の乱となって火を吹き上げた――。二人は何故そこまで憎み合わなければならなかったのか? 大海人皇子の妻・額田王はどうして中大兄皇子に娶られなければならなかったのか? 大海人皇子の実父はいったい何者であったのか? 数多くの謎を秘めた壬申の乱。その歴史の真相と、交錯する人間模様を、著者独自の視点から探り、リアルな筆致で描いた、新本格歴史小説!



奈良時代の書物 『扶桑略記』には、「一云 天皇駕馬 幸山階鄕 更無還御 永交山林 不知崩所 只以履沓落處爲其山陵 以往諸皇不知因果 恒事殺害」とある。「現在の山科への行幸の際、一人で遠出し、ついに帰ってこなかった。何処でお亡くなりになったのかわからない。そこには、沓(クツ)だけが残されていた。殺害されたのだ」というもの。確かに大津に都をつくった天智天皇の墓陵が山科にあるのは不可解なのだ。そして、その正面には「沓石」と呼ばれる約2×3mの平坦な切石がある。うーん、これが本書の元となっている。日本書紀でいう病死ではなかったのか。古代日本史を作りだした天武天皇とは? 



ところで、京都東山区にある「泉涌寺」は中世以来歴代の天皇家の菩提寺として名高いが、この「泉涌寺」の歴代天皇を祀る仏間「霊明殿」から、不思議なことに天武系の9人の天皇即ち、天武、持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳の位牌だけが除外されており、天智からいきなり光仁、桓武へと続いているそうである。これはどうしてなのか?



この時代は、とにかく、いくらでも想像を働かすことができて楽しい。是非 ご一読を!





2009年2月10日火曜日

宇納間地蔵

Photo_2 外まわりで、宮崎の中北部にある美郷町へ。車で約3時間。アポイントの時間まで30分あったので、「宇納間地蔵」へ参拝。全長寺というお寺で山頂にある。写真にある仁王像の門からなんと365段もの長い石段の上に(鉄城山山頂)宇納間地蔵は祀られている。山を降りたときは、膝がガクガクしていた。



宇納間地蔵尊は、名僧行基菩薩の手による一刀三礼の霊佛ともいわれている。その霊佛を、平安朝の末期、天台の僧・正岸僧都が諸国行脚の際日向路を訪れ、宇納間村市木の里に一寺を建立、地蔵菩薩をご本尊として祀られたのが由来らしい。宇納間地蔵大祭はかなり盛大らしいが、それにしても、随分と山奥だ。本当に宮崎県は広い!



2009年2月9日月曜日

広島といえば

Photo 金・土曜と広島へ会議で出張した。夜は、皆で「牡蠣料理」で会食。その後、二次会は三々五々となったが、せっかく広島へ来たのだからと、徳山のS氏と二人で、<お好み村>へ。お好み焼き屋が25軒もあるビルだ。最初に目指したお店はすでに閉店していたので、タクシーの運転手が言っていた店に向かおうとしたが、偶然エレベーターに乗り合わせた老夫婦に「どちらがお勧めですか?」と尋ねたところ「源蔵」という店を教えてくれた。3階へまた戻り、その店へ。大正解!うまい!!店の壁には、有名人の写真がいっぱい。ジャイアンツ時代の松井や佐々木をはじめプロ野球選手、ゴン中山・北澤などのサッカー選手などなど。この写真も十分楽しめる。しかし、やはり食い過ぎだな。



2009年2月8日日曜日

運命

Photo_3 田中芳樹「運命」を読む。本章は、明治の文豪 幸田露伴の原作を下に書かれている。この名作は、・・・世おのづから数といふもの有りや。 有りといへば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり・・・で始まる名文として有名だ。





1398年、明の太祖洪武帝が崩御したあと、22歳の建文帝が即位した。心やさしく、気弱な若き皇帝の地位をかためんとする側近たちは、実力のある皇帝の叔父たちを追いつめる。やがて、叔父のひとり燕王(後の永楽帝)がおこす「靖難(せいなん)の役」。中国悠久の歴史の中で、皇帝の座をめぐり、甥と叔父との激烈な戦いがはじまる。





短いが、かなりおもしろかった。是非ご一読を!