2017年5月29日月曜日

ホールインワン 達成!!

将門公お詣りの絶大なる呪力により、昨日「ホールインワン」を達成いたしました。
お客様との接待ゴルフ。場所は「水海道ゴルフクラブ」です。


15番ホール 140y 8番アイアンでした。
池越え・バンカー越え。ストレートボールでピン手前に着地。
2バウンド後にコロコロ、カラン。
これです。
ホールインワン保険 50万 掛けておりました。今から記念品などを選ぶのが楽しみです。このあと、このボール、うっかり使用してました。ロストしなくて良かったぁ!
なにせ、16番以降、ダボ・ダボ・トリのメンタルの弱さを露呈していますから・・・
結局この日は、90というふがいない成績でしたが、別に構いません。
帰りは、ゆっくり慎重な運転を心がけ帰りました。

お礼に、都内の将門公由縁の首塚、神田神社、兜神社、鬼王神社、築土神社などを廻るつもりです。


2017年5月28日日曜日

坂東市 将門所縁の地巡り①

茨城県常総市にある「水海道ゴルフ倶楽部」にて今日はお客様とゴルフ。
少し早く出かけ、お隣 坂東市にて平将門公所縁の地を巡る。そしてこれがこの日の奇跡を呼び込むとは・・・。
最初に訪れたのは、「国玉神社」。平将門命をご祭神としてお祀りしている。


神紋は「九曜」紋




坂東市 将門所縁の地巡り②

国玉神社を後にして、すぐ近くに「島広山・石井営所跡」があります。石井営所は、名実ともに将門の政治、経済、軍事の拠点として賑わいましたが、天慶3年(940)、将門は藤原秀郷と平貞盛の連合軍と合戦して破れ、営所の建造物が焼き払われてしまいました。


石の表面には「島広山・石井営所跡」と刻まれています。

右側の副碑には、将門の事績と営所についての説明文が添えられています。

そして、将門公所縁の延命寺です。 延命寺は医王山金剛院と称し、真言宗豊山派に属している古刹で、別称として「島の薬師」と呼び親しまれてきました。
山門は四脚門の形式。室町時代の建築様式を遺した茅葺切妻造り、近郊に比類のない造形美を示し、大旦那であった相馬氏の将門に寄せる思いに誇りが感じられます。


山門を抜けて石造太鼓橋を渡ると、その先に寝殿造りを模した朱塗りの薬師堂があります。この堂内の厨子殿に奉安する薬師如来像は、行基作と言われている、将門の守り本尊と称する持護仏で、将門の死後に祀られたものと伝えられています。

続いて「石井の井戸」へ。
 将門と石井の井戸との関わりについては、「国王神社縁起演書」に記されています。
『将門が王城地を求めてこの地を見回っているうちに喉が渇いて水が欲しくなった。その時、どこからか老翁が現われ、大きな石の傍らに立っていた。翁はその大石を軽々と持ち上げて大地に投げつけると、そこから清らかな水が湧き出し、将門と従兵たちは喉を潤すことができた。
将門は不思議に思い、翁を召して「あなたはどのようなおかたなのでしょうか」と尋ねると、翁はかしこまって一首の歌を詠んだ。
 久方の光の末の景うつる 岩井を守る翁なりけり 
と唱じると姿を消してしまった。 将門はこの翁を祀るとともに、この大地に城郭を造ることに決めたのである。』と。



坂東市 将門所縁の地巡り③

一言神社です。
石井の井戸で登場した老翁:将門公が岩井の地で出会った老翁であり「石井を守る翁」がご祭神です。

平将門公が王城建設の土地を求めていた際、そこで出会った一人の老翁によって湧き出した湧水で喉を潤すことができたことから、将門公は感謝して老翁を祀ったことに始まるとされています。創建以来、将門公の守護神として篤い崇敬を集めていたそうです。


「富士見の馬場」です。
国の牛馬牧として39牧の名称が記録され、そのうちの18牧が兵部省管轄の官牧でした。下総国には馬牧4、牛牧1が数えられました。平将門の領内には大結牧と長洲牧があったことから、将門は官牧の牧司を兼ねていたのではないかといわれています。


そして、総合文化ホール「ベルフォーレ」の前にある「平将門公の像」です。

坂東市 将門所縁の地巡り④

西念寺です。もと天台宗の聖徳寺といわれていました。


県指定文化財の木造阿弥陀如来座像、市指定文化財の来迎図板碑などがあります。また、境内には、親鸞が猿島地方の教化の折に植えられた「親鸞お手植えの松」がありましたが、現在の松はその二世となります。

その松の近くに鐘楼があり、ここに釣られていた鐘には「泣き鐘」伝説があります。『その昔、平将門の率いる兵卒集団が、この寺の境内にあった釣鐘を持ち出して陣鐘にしました。ある日、兵卒のひとりが、この鐘をつき鳴らすと、不思議なことにその鐘が、「辺田村恋し、辺田村恋し」と泣くように響きわたり、兵卒たちは、気味悪がって士気が上がらない。将門は腹を立てて、寺へ返した。』と伝えられています。

最後は、将門公銅塚のある延命院へ。延命院は、新義真言宗に属し、神田山如意輪寺延命院といい、また篠越山延命院観音寺ともいいます。

境内にある不動堂の裏に円墳があり、この塚を将門山、または神田山と称しています。



胴塚の西側には、昭和50年に東京都大手町の将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆が建てられています。

 胴塚

首は藤原秀郷によって京都に送られ、東市にさらされたといわれています。
残された将門の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝えられています。この地は、相馬御厨の神領だったことからあばかれることなく、今におよんでいるといわれています。 その胴塚を抱くように大きなかやの木が立っています。

2017年5月21日日曜日

春日山神社お土産

春日山神社で自分にお土産。毘と龍の手ぬぐい。そして真ん中に上杉家家紋「竹に二羽飛び雀」。書斎への暖簾にしました。

2017年5月14日日曜日

京都ぶらり その1

京都のホテルの朝食は、本当に不思議な風景を生み出す。
ご覧の通り「かみさん」以外はすべて外国人(西洋人多し)。宿泊したホテルは、河原町三条を上がった「京都ロイヤルホテル&スパ」。何度か泊まっているが、モーニング、いつもこの風景なのです。皆さんもお試しを!!
さて、コンサートの時間まで私は京都を散策。かみさんは「ゲネプロ」へ。
まずは、ホテルからほど近いあの場所へ。
ホテルオークラ(旧京都ホテル)の西側の道(木屋町通)に幾松という割烹。
桂小五郎の愛人である芸者「幾松」が住み、桂小五郎の寓居跡として有形文化財となっています。
そして、その目の前にあるのが、「佐久間象山・大村益次郎 遭難の地之石碑」です。
右が佐久間象山、左が大村益次郎です。
この近くに、武市瑞山の寓居地もある。寄ってみた。

そして、ホテル・オークラ前にある「木戸孝允像」。

ホテルオークラは、「旧長州藩屋敷」なのである。

そこからバスで、河原町を少し北へ。「梨木神社」を参拝(神社ブログへ)
そして「蘆山寺」へ。こちらは桔梗が咲く<紫式部の旧屋敷>である。




非常におちつく庭であった。桔梗はまだ先らしい。残念。咲くと下の写真のようになる。
ネットより拝借 ↓