2010年5月31日月曜日

美術館巡り

Boston


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今日は、六本木に「ボストン美術館展(六本木ヒルズ)」と「オルセー美術館展(新国立美術館)」の掛け持ち鑑賞に、かみさんと出かけた。実は、六本木ヒルズに行くのは恥ずかしながら初めて。そもそも六本木自体が久しぶりであった。ともに印象派前後の展覧会で人出は多かったが満足して廻れた。一番印象に残ったのは、オルセーのゴッホの「星降る夜」でした。たぶん、これが一番人気でしょう。



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(本物は、深さが全然違います。あしからず)



オルセーは、大学4年の時に、かみさんとパリに行ったときに見に行ったので、もう30年近く前ですが、なん作品かは覚えがありました。



帰る前に、乃木神社へ参拝し(長州人としてやはり)、東京ミッドタウンで「スイーツ」。お茶とチョコレートケーキで二人で3000円弱。たか~[E:annoy]



さて昨日は、昔買っていたクリムトの「接吻」という絵の額縁が壊れてたので、3週間前に北習志野のアルバというお店で作ってもらっていたものを取りに行ったところだった。実はその時買った絵の値段よりもこの↓額縁の方が高いのだが。うーん ちょっと贅沢!![E:despair]



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そんなわけで今週末は、美術づくしのホリデーとなりました。



2010年5月30日日曜日

千葉 二宮神社

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船橋市にある千葉の式内社「二宮神社」に参拝。下總國千葉郡ニ座のうちの一つに 「寒川神社」とあるのが、この「二宮神社」だろう。千葉市内にも同名の「寒川神社」があるのですが、こちらの二宮神社の方が有力のようです。ご祭神は、速須佐之男命。稻田比賣命 大國主命を配する。
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神紋は「亀甲に七曜紋」。千葉氏の影響だろう。(千葉県内の神社は、千葉氏に加護を受けていた関係から千葉氏の家紋「月星紋」を神紋としている神社が多いのである。月星紋は、千葉氏の妙見信仰の顕れ)



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社殿は、銅板葺の権現造り。彫刻も見事なものだった。



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金宝樹

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今年は、「金宝樹」の花が見事に咲いてくれた。赤いふわふわは、実は「ちかちか」です。マキバブラシノキというのが本当の名前で、オーストラリアの原産です。元は、1mくらいで購入したのですが、今や5mはゆうに。









2010年5月24日月曜日

千葉 寒川神社

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千葉市 「寒川神社」に参拝。千葉郡 ニ座 式内社かとも言われている神社だ。(「寒川神社」は船橋市の「二宮神社」とも言われている)ご祭神は、寒川比古命 寒川比賣命。天照大御神を配祀する。
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ご神紋は、二つ。裏紋は千葉氏の家紋「月星紋」そして、写真にある珍し紋だ。「八稜鏡ハチリョウキョウ紋」。八稜鏡とは、八咫鏡を図案化したもの。
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千木・鰹木をみると、現在では天照大御神を第一としているようだ。

千木・・・屋根の両端で交叉させた木。通常、祭神が男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神の社は内削ぎ(水平に削る)にしている。



鰹木・・・屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた木である。鰹木の数は、奇数は陽数・偶数は陰数とされ、それぞれ男神・女神の見分けができる。





千葉 蘇我比咩神社

式内社 千葉郡 ニ座の一つ「蘇我比咩神社」を参拝。
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非常に小さな神社であった。ご祭神は、蘇我比咩大神 。後に天照大神、応神天皇などを配祀。
<蘇我比咩神社
御縁起

今から壱阡五百年位前里人の守り神として祭られており、その後第十二代景行天皇の皇子であらせられた日本武尊命が東国地方の夷達を統一すべく、弟橘姫を始め
多数の家来をつれて軍船に乗り千葉沖にさしかかったところ、風浪が強くなり船が沈没の危険にあった時、弟橘姫は竜神の怒りを静めんと我が身を海中に沈め、
この時一緒に同道して来た五人の比咩等も共に海中に身を投じた。
その内の一人蘇我大臣の娘はこの下の海辺に打ち上げられ、里人の手厚い看護により蘇生することが出来、都に帰ることが出来た。この里人の行為に深く感激
し、第十五代応神天皇の特別の命により、蘇我氏がこの周辺の国造として仁政をつかさどった。代々蘇我氏は「比咩神社」「春日明神」を守護神としており、当地に両大神の分霊を受けづきて神社を建立した。 とある。

神紋は「五七の桐」のようだ。東京湾そばにある千葉の式内社三社
「蘇我比咩、姉埼、飫富」はみな「五七の桐」を神紋としているのは偶然ではないだろう。
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拝殿はかなり小さなものであった。
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2010年5月23日日曜日

陸行水行

Photo_4松本清張「陸行水行」を読む。67pの短編だが、氏の代表作といえる。陸行水行の題は、魏志倭人伝に記されれている帯方郡から邪馬壹国への所要日数を 『水行十日、陸行一月』とあるところからきている。耶馬台国はどこにあったか。朝鮮半島から耶馬台国に至るルートに魅せられて、古代人の道を辿ろうと思い立った2人はどうなったか? 推理小説風だが、氏が邪馬台国の位置を現在の大分(九州説)との考えを小説にしてものといえる。その、説明が登場人物の松山から来たという不思議な人物を通して解説されているのだ。



実はその舞台となった大分県の安心院(アジム)妻垣神社は、昨年の夏にどうしても行っておこうと私も訪問した場所だ。氏の風景の説明と行った時の情景を比べながら読んだが、何十年もたっているが少しも変わっていないことに驚いた。



今や邪馬台国は「近畿説」が有力とされているが、私もあくまで、やはり九州ではないかと信じている。



妻垣神社のブログ



2010年5月22日土曜日

2010 つるバラ 競演

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羽衣
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アンジェラとアイスバーグ
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レオナルド・ダ・ヴィンチ



大学 同窓会

今日は、大学時代のクラブの同窓会が新宿で行われた。総勢13名。私が1回生の時の、同級、私のかみさん、そして2.3.4回生達。テナー2名、ベース7名ソプラノ1名、アルト3名。うーん、バランスはよくない。東京近辺に在住の方々と本当に久しぶりに再会し昔話に話が弾んだ。しかし、すでに30年近くたつのに、それほど皆が変わっていないのには驚いた。それぞれ父になり母になりしているが、跡形もなく変わっている人は一人もいない。不思議だった。そして当時の関係のままいられる空間。お店では、最後に「同志社カレッジソング」を歌ったが、かなり顰蹙ものだった。お店の人に丁寧にご遠慮くださいと。そりゃあそうだ。合唱。それも大学は関西だし。次回は歌える個室でと決めて皆家路についた。



2010年5月17日月曜日

2度目の30台

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久しぶりに関東にもどったおかげで、大学時代のクラブ(合唱団)の先輩達にゴルフに誘ってもらった。場所は、「霞南ゴルフ倶楽部」。このところ、当然練習もせずに廻ってるので、期待はしていなかった。案の定、前半はかろうじて40台の49。パー1つと奮わず、OBまであって撃沈。しかし、後半は別人。バーディー1つのパー5つ、ボギー3つで気が付いたら38の2オーバー。ハーフ2度目の30台、自己ベストタイ記録となった。特に何がよかったわけではないが、3月以来の80台もおまけについてきたので大満足。これからも時々誘ってくれるみたいで、楽しみが1つ増えました。



2010年5月15日土曜日

つるバラ 開花

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つるバラが咲き始めました。「羽衣」は今年も綺麗です。
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ピエールも少しずつ咲いてきていますが、今年は少しカップが小さめ。やはり4月の寒さが原因だろうか。それもと肥料が足りなかったのか?
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竜の柩(全6巻)

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高橋克彦のファンタジー小説「竜の柩」全6巻完読。津軽の竜神伝説を経て、シュメールの文化への繋がりを求めて物語はどんどん展開してゆく。『古事記』『日本書紀』や風土記に残る寓話や神話を読み解き、独自の論理的考察で、仮説を実証し真実に辿り着く。龍=ロケット、神=エイリアン。4巻まではよかったが5.6巻はいらない気がした。まあしかし読み応えのある本でした。



2010年5月9日日曜日

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Iphone
東京へ戻ってきて、3月の終わりに携帯を替えた。「iphone」に。いや~アプリケーションが東京では頗る便利だ。電車の乗り換え、出発時刻までの時間、渋滞情報、喫煙MAP、近くのレストラン、トイレ、カフェ、本屋探し。スケジュール管理、メモ、ナビ等々 使い勝手が良い。しかも無料アプリだけでも色々ある。思い切って替えて良かった。もちろんipodも容量十分で、好きなクラシックもガンガン詰め込める。これは正解でした。



2010年5月5日水曜日

今日の庭から

クレマチスが咲き始めました。チューリップに間に合いました。
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ツルバラの蕾もかなり大きく膨らんできてます。
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あと2週間くらいで満開でしょうか。楽しみです。



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いざ鎌倉

今日は、奥さんと「鎌倉」へ出かけた。総武線・横須賀線直通 逗子行きで乗り換えなしで1時間30分。稲毛よりグリーンに乗るが、津田沼ですでに満員。皆どこへ行くんだ!!横浜まで来ても誰一人降りない。まさか・・・そう殆どが鎌倉下車。そして駅に降りて更に驚愕。人 人 人。さすがGW。参りました。



さて、本日のコースは、鶴岡八幡宮→鎌倉宮と旧国幣・官幣中社を参拝し、苔の階段と十一面観音像で有名な杉本寺→竹林で名を馳せる報国寺。鎌倉駅に戻って、日蓮が立正安国論を書いたと言われる安国論寺→そして最後は鎌倉の苔寺といわれている妙法寺。
5時間コースで散策を楽しんだ。AND 疲れた。なんと18353歩(万歩計にて)の旅でした。



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↑杉本寺の苔の階段(上から)



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↑報国寺の竹林



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↑安国論寺



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↑鶴岡八幡宮内 牡丹園



 



鶴岡八幡宮

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相模国一之宮にして旧国幣中社「鶴岡八幡宮」を参拝。壮麗な神門(楼門)と拝殿に目を奪われた。朱、金、緑などに彩られた装飾が実に美しい。



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そして至る所に数々の「三つ巴」紋。



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さすが、源氏のお膝元です。



さて境内には、頼朝公をお祀りする「白旗神社」もありました。



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クリック(拡大)してご覧ください。神紋は「笹竜胆」紋です。おかしいですね。清和源氏の嫡流が村上源氏の笹竜胆紋を使用したはずがないのですが、後世になってごちゃ混ぜになったのでしょうね。まあ、鎌倉市自体の紋章も「笹竜胆」なくらいですから、しょうがないでしょうか。そして、良く見てください手前の賽銭箱の紋「ニ引き両」紋です。これは、足利家の家紋です。当然かかわりがあったのでしょう。それとも八幡太郎義家がお上から「五七の桐」紋を賜り使用したと同時に「ニ引き両」紋も掲げていたという説があるので、ひょっとしたそちらから来ているのかもしれませんね。まあ深くは考えない様にしましょうか。



鎌倉宮

北方謙三の時代小説 南北朝シリーズを読んだ時から是非訪れたかった「鎌倉宮」を参拝。
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ご祭神が「大塔宮(おおとうのみや) 護良親王(もりながしんのう)」だからです。
ご由緒を記載しておきます。

護良親王(もりながしんのう)は延慶(えんぎょう)元年(1308年)に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の皇子としてご誕生になりました。6歳の時に京都の三千院(さんぜんいん)にお入りになりますが、11歳で比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)に入室し、尊雲法親王(そんうんほっしん
のう)と呼ばれ、天台座主(てんだいざす)となられます。当時、鎌倉幕府の専横な政治に、父帝の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は国家の荒廃を憂えられ、親王と共に元弘(げんこう)元年(1331年)6月、比叡
山にて討幕の挙兵をする手筈でした。しかし、この計画は幕府の知るところとなり天皇は捕らえられ、隠岐(おき)に配流(はいる)となります。親王は還俗(げんぞく)して、名を護良(もりなが)と改め、天皇の代わりとなって楠木正成(くすのきまさしげ)らと、幾多の苦戦にも屈せず機知を持った戦
で大群を吉野城や千早城に引きつけました。この間にも親王の討幕を促した令旨(りょうじ)に各地の武士が次々と挙兵し、中でも足利尊氏(あしかがたかうじ)、赤松則村(あかまつのりむら)らが六波
羅探題(ろくはらたんだい)を落とし、また新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府は北条一族と共に滅びます。後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は京都に還御(かんぎょ)され、親王はこの功により兵部卿(ひょうぶきょう)・征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となら
れます。しかし尊氏は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)を欲し、諸国の武士へ自らが武家の棟梁であることを誇示した為、親王は尊氏による幕府擁立を危惧し、兵を
集めます。ところが、逆に高氏の奸策(かんさく)に遭い捕らえられ、鎌倉
東光寺(とうこうじ)の土牢(つちろう)に幽閉されます。建武(けんむ)元年(1334年)の11月15日の事です。建武2年(1335年)7月23日
残党を集め鎌倉に攻め入った北条時行(ほうじょうときゆき)の軍に破れた尊氏の弟、足利直義(あしかがただよし)は逃れる際に、家臣
淵辺義博(ふちべのよしひろ)へ親王暗殺を命じました。義博の凶刃に対して、親王は9ヶ月をも幽閉された御身では戦う事も出きず、御年わずか28歳という若さでその苦闘の生涯を薨(こう)じられました。明治2年2月、明治天皇は建武中興に尽くされ、非業の最期を遂げられた護良親王(もりながしんのう)に対して、遥かに想いを馳せられ、親王の御遺志を高く
称え、永久に伝えることを強く望まれました。親王終焉の地、東光寺跡に神社造営のご勅命を発せられて、御自ら宮号を「鎌倉宮(かまくらぐう)」と名づけられました。なお、明治6年4月16日、明治天皇は初めて鎌倉宮に行幸遊ばされました。お休みになられた行在所は現在、宝物殿・儀式殿となっております。



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緑に包まれた静かな宮です。(といっても今日は人が多いのですが)
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↑写真 左奥が幽閉されていた「土牢」
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藤棚も綺麗でした。



2010年5月4日火曜日

映画「オーケストラ」

映画「オーケストラ」奥さんと娘と3人で見てきました。2時間10分が、あっという間でした。うーん、最後の演奏は確かに圧巻です。そして、ソリスト役のメラニー・ロランが綺麗で・・・
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物語は、かつてボリショイ交響楽団の天才指揮者だったアンドレが(今はさえない劇場清掃員として働いている)ある日パリのシャトレ劇場から、出演できなくなった楽団
の代わりの出演依頼FAXを偶然目にし、とんでもないアイデアを考える。クビになったかつての楽団仲間を集めて偽のオーケストラを結成し、ボリショ
イ交響楽団代表としてパリに乗り込もうというのだ。
・・・このとんでもない計画の真の目的が判明した時、あたたかい感動が押し寄せる。
クラシックファンの方、是非おすすめです。
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2010年5月3日月曜日

姉崎神社

ゴルフ帰りに、近くの「姉崎神社」を参拝。
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延喜式式内社の一つ。(上総国には、4つしかない)日本武尊が東征の折、走水の海で暴風雨に遭い、后の弟橘姫がその身を海中に投じた事によって、無事上総国へ着くことができた。この弟橘姫を偲び、風の神
��志那斗辨命・シナトベノミコト)を祀ったのが起源であり、後に、景行天皇が日本武尊を、このあたりを支配していた上海上国造(かみつうなかみのくにのみやっこ)の忍立化多
比命(おしたてけたひのみこと)が天兒屋根命、塞三柱神、大雀命を合祀したらしい。*志那斗辨命は、日本書紀に出てくる風の神である。
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ご神紋」は、「五七の桐」だろう。いたるところに配されていた。静かで趣のある神社だ。北側に神門があるが、これがまた立派な門だった。
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さすが式内社だ。



水戸会ゴルフ

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恒例となったGWでの水戸会ゴルフ。三度目の立野クラシックGC。しかし学習能力のないI氏は渋滞で遅刻。おかげで、8:12スタートが9:30スタートに。何度来ても遅刻するI氏には、いつも悩まさせる。その上相性も悪いときている。やはり、2連発OBや滅多に出ないシャンクなどで撃沈。96という情けないスコアで終了。次回は、遅刻しないでくれ!!



2010年5月1日土曜日

春の庭

今年は、チューリップからスタートです。君子蘭も綺麗に咲いてくれました。
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そして、玄関側は「モッコウバラ」が自転車置場の屋根を作ってくれるほど大きく成長し見事に咲いてくれました。
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やっと関東にも我が庭にも春が来ました。