2014年12月27日土曜日

恒例 第九の演奏会

Daiku




本日は、NHK交響楽団による「第九」をNHKホールに聴きに行きました。


合唱団は、「国立音楽大学」の学生。よく声が出ていました。


演奏は、ノンヴィブラート奏法にて淡々と進んでいきます。席は、招待券を戴いたのでS席2階ど真ん中。とてもいい場所でした。非常に高速の第九でしたが、チェロ・コンバス軍団良かったです。


2014年12月20日土曜日

サンクトゥス 上・下

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サイモン・トイン著「サンクトゥス 上・下」を読む。


[E:book]




トルコ南部の都市ルインにそびえる城塞―世界最古の巡礼地“シタデル”。ある日、その頂から一人の修道士が奇妙な姿で身を投げた。遺体に刻まれた生々しい傷跡。さらに体内から謎の携帯番号と不可解な暗号が発見される。ルイン警察は、捜査線上に浮かびあがったアメリカ人女性記者リヴとの接触を図るが、時を同じくして、城塞側も、彼女の捕縛と、修道士の遺体奪還を画策していた―世界50カ国で翻訳決定の大型宗教ミステリー。







冬姫

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葉室麟著「冬姫」を読む。


[E:book]




織田信長の二女、冬。その器量の良さ故に、父親に格別に遇され、周囲の女たちの嫉妬に翻弄される。戦国の世では、男は戦を行い、熾烈に覇権を争い、女は武器を持たずに、心の刃を研ぎすまし、苛烈な“女いくさ”を仕掛けあう。その渦中にあって、冬は父への敬慕の念と、名将の夫・蒲生氏郷へのひたむきな愛情を胸に、乱世を生き抜いてゆく。自ら運命を切り開いた女性の数奇な生涯を辿る歴史長編。





信長の娘は、実子で10人、養女で3人いると言われています。


その中で、長女「五徳」は、言わずと知れた家康の長男「信康」に嫁いでいます。そしてこの小説にも登場。主人公は、次女 冬姫。蒲生氏郷に嫁いだ美女と言われています。


氏郷死後に、秀吉は側室に望みますが拒否!!そのため息子・秀行を会津92万石から下野・宇都宮18万石へ減転封したという逸話もあります。


そんな「冬姫」の一生を描いております。


葉室氏は、やっぱり実際の歴史上に残る歴史物は今一つですね。


まあ、お市・茶々の扱いは面白いです。


2014年12月14日日曜日

コンペ

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本日は、茨城「江戸崎カントリークラブ」にて会社の部署のコンペ(16名)でした。
このところの調子に悪さが功を奏し、ダブルぺリアに丁度いいスコアで3位 明太子セットをゲット。幹事として何気に3位に大好物の明太子選んでおきました。大成功!!



2014年11月29日土曜日

ヴァレンヌ逃亡

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中野京子著「ヴァレンヌ逃亡」を読む。




[E:book]フランス革命の転換点となった有名な逃亡事件はなぜ失敗したか。


愛のため命がけで計画を練ったフェルゼン、狂おしいほどに優柔不断なルイ16世、「贅沢と傲慢」の女王アントワネットの真実。


嫉妬、楽観、逡巡。濃密な人間ドラマと追いつ追われつ迫真の攻防戦24時間の再現は、息も継げない第一級の面白さ!中野京子の傑作エンタテインメント。






サスペンスドラマのような臨場感あふれる筆ぶりに感銘。解っていても、「何を無駄な」「急げ!馬鹿者」「待っとけよ」となります。


またルイ16世の、どうしようもなさが、上手く表現できています。




2014年11月24日月曜日

養老渓谷


今日は、高校同期会ゴルフコンペ~「レイクウッド大多喜カントリークラブ」にディフェンディングチャンピオンとして参加。しかし、相変わらずこのところの突然のドライバーイップスはおさまらず。NEWアイアンで少しは最近のゴルフよりましでしたが、大けがホールを乱発。スコアにならず。うーん、ここから、4週連続予定が入っているのだが、しばらくゴルフの記事は書けそうにない状態。復活の道は遠い・・・・・



さて、コンペは9時集合だったので、少し早く出かけ、「養老渓谷」に紅葉を観にいきました。

 




朝靄で景色は少し霞気味。


でも綺麗。








朝、7時にもかかわらず、同じく紅葉を楽しむ人がかなりいました。


例年、昼頃は大渋滞になるようです。「養老大滝」に撮影。












滝巡りをしながら4km程歩くつもりでしたが、あいにく土砂崩れがあったようで遊歩道は途中で行き止まり。展望台へと向かいました。





 



 


霧が「養老渓谷」に立ち込め、幻想的な眺めでした。


「早起きは三文の得」ですね。

 



2014年11月18日火曜日

隠された帝 天智天皇暗殺事件

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井沢元彦著「隠された帝」を読む。



[E:book]




大化改新の立役者天智天皇は、弟天武天皇によって暗殺された!



壬申の乱後、正当に皇位を継いだ天武―それが歴史の定説である。


だが、史書『扶桑略記』には“天皇行方不明”と記している。


『日本書紀』に遅れること四百年、史料として無視されてきた。しかし、もし正史が暗殺者による自己正当化のための書としたら…。


歴史の中枢を揺るがす衝撃の歴史推理。




天智は暗殺されたと言う仮説を立て、それをいろいろな資料から読み解いていくと言う作業がなされています。さらに、天智天皇と天武天皇は兄弟では無く、しかも、天武天皇が年上であり、暗殺の首謀者が天武天皇だったと言う結論をだし、その裏には、唐と新羅の思惑も絡んでいるという話になっていきます。
日本史最大の謎「壬申の乱」にまつわるこうしたテーマは、やはり興味深いですね。



2014年11月17日月曜日

花冠の志士 久坂玄瑞

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復刻版 古川薫著「花冠の志士 久坂玄瑞」を読む。



[E:book]




幕末の乱世、尊王攘夷派志士の中心人物として短い人生を駆け抜けた久坂玄瑞。長州藩医の子として生まれ、黒船来航から間もなく家族を喪ない、攘夷の志に燃えた。松下村塾の双璧として高杉晋作と並び称され、来年の大河ドラマの主人公 「師・吉田松陰先生の妹 文」を妻とした。詩を愛し、武に生き、もののふとして散ったその生涯を描いた決定版。









家族を失い、攘夷の志に燃える玄瑞。



松陰先生の妹を妻とし、詩を愛したその姿には哀愁すら感じます。


武に生きなければ風流人となれたかもしれないと思うと悲しいものがあります。


わずか25年で散る命には、久坂が好んで詩に詠んだと言う桜の花がよく似合う。


武士として、尊王を貫いたその生き様は美しく、そして儚い。


悲劇の武士というべき生き方に、ただただ胸を打たれずにはいられません。


2014年11月16日日曜日

NEW IRON

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新しいアイアンを7年ぶりに購入。現在使用中のドライバー「ロケットボール」のメーカーであるTaylorMadeのSLDRアイアン。このところいいところのないアイアン。道具頼みである。


かなりグースのきつい今のcallawayのアイアンでのひっかけがひどく、思い切っての勝負。


どうか吉と出ますように!!


2014年11月9日日曜日

宮城谷昌光著「三国志 第11巻」

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宮城谷昌光著「三国志 第11巻」完読。 あと一冊となりました。最終巻は、来年5月らしい。





[E:book]




諸葛亮、五丈原に薨ず。宮城谷三国志、いよいよ佳境へ!

諸葛亮亡き後、魏延と楊儀が対立。蜀は衰退を始める。魏でも皇帝・曹叡が急死し政権運営を巡って混乱が起こる。時代は新たな局面へ。







「麒麟も老いては駑馬にも劣る」三国王朝の創始者の一人、孫権の老害が甚だしい。そうした、孫権の老いとともに呉の没落が始まる。



司馬懿が老いてなお知恵を巡らせていたのと比較して落差が大きい。その司馬懿を最後として、英雄は姿を消してゆく。




いよいよ、最終巻で三国時代も終わりを告げる。


2014年11月8日土曜日

石原莞爾 マッカーサーが一番怖れた日本人

Photo_2 「石原莞爾~マッカーサーが一番恐れた日本人」を読む。



[E:book]




稀代の軍略家として知られる石原莞爾将軍。



帝國陸軍の異端児だった関東軍作戦参謀は、満州攻略の作戦を立案しこれを遂行した。


本書は貴重な史料や関係者へのインタビューを基に、
石原莞爾の最晩年ともいえる東京裁判酒田法廷の模様を紹介し、天才・石原莞爾の思想を炙り出したもの。


現代日本に石原在れば……と考えずにはいられない。






2014年11月3日月曜日

恒例 水戸会

今年も恒例「水戸会」開催しました。



1日目は、7名参加のゴルフ(オールドオーチャード)と夜の懇親会。



2日目は、8名参加でまたゴルフ(富士カントリー笠間)。



1日目は、残念ながら、昼からは小雨が降り続き「晴れ男」返上となりました。




2日目、いい天気に恵まれました。I氏、M君からお土産のチーズケーキ戴きました。




2人とも 「とある」理由の罰なのですが・・・





 


1日目 ゴルフのみ参加のイクメンパパのS君。絶品トマトとほうれん草づくりに精を出す鉾田のカリスマO君。その豪打は破格。330ヤード男、大阪より駆け付けてくれました金剛力士ことG君の飛ばし屋3人と回りました。




今年もこの位置でパシャリ。オールドオーチャードはいつ来ても綺麗です。

 


夜は、水戸駅前で16名での食事会でした。




食事会幹事の花の独身39歳 クライスラーのジープが眩しいTY君

前出の金剛力士 昨晩は土浦泊まり、今晩も一人別ホテル 怪しい・・・G君

当時の親分 相変わらずの紳士ぶり ひろし君

ジムから駆け付けた永遠の少女 マキさん




この夏より神戸からさいたまへ転勤また遊ぶ機会が増えました M君

今年もやっぱり「やらかし」てくれました 那覇より駆け付けた I氏






最長老 ドンと言われた男 水戸会の重鎮 N氏

食事会のみ参加でした 妻かおり がいまだに怖い 流山在住 S君

何となく全部ほんとに聞こえてしまう語り口調の天才 晋作君

今年も来てくれました水戸支店の守り神 キーちゃん






只今 二人目妊娠中にも来てくれました まみさん

今や立派な二児のママ ちーくん

また飲んでますね いつも豪快 かなちゃん
その美貌なのにナゼ(・・? ひとり?のダーシマ



あれぇ・・・イケメン 谷川 が何故か写っていない。




ここにはいました 一番右端 大津から今年も参加の T君



 

 


1年ぶりの再会ですが、大いに盛り上がりました。

 


2日目のゴルフ。




霧の中でスタートです










ドン・長尾氏



お疲れ様でした。



 

 


2014年10月28日火曜日

久しぶりの同志社大学



 


今回の京都旅行の目的は、上記演奏会に かみさんが参加することでした。私もOBですが、練習不足でパス。というより、どうしても「新しい歌」が気に入らなかったというのが本音。


ということで、前日から、演奏会まで神社巡りで楽しんだわけです。








前日の夕飯は、木屋町にある「豆水楼」さんで、豆腐料理を堪能しました。湯豆腐の桶がイキで気に入りました。


当日は、久しぶりに「同志社大学」のキャンパスへ。当然30年経っているわけですから、大きく変わり綺麗に。でも変わらない物もありました。




新島襄 良心の碑

「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」

 







有終館


当初「書籍館」と呼ばれた同志社最初の図書館。D.C.グリーンの設計により1887年11月に竣工したレンガ造の建物。図書館の役目を終えた際に、時の海老名弾正第8代同志社総長が「有終館」と名付けました。1979年5月に重要文化財に指定されています。






クラーク記念館
B.W.クラーク夫妻の寄付によって建てられ、1894年1月30日に開館。当初は「クラーク神学館」として、神学教育と研究に利用されていましたが、現在の神学館の完成に伴い「クラーク記念館」と改名された。R.ゼールの設計によるレンガ造で、エントランス上部の欄間には、"Byron-Stone Clarke Memorial Hall"と刻まれており、夫妻の夭折した息子を今も讃えています。本館にキリスト教文化センターがあり、教室のほか、クラーク・チャペルも備わっています。1979年5月に重要文化財に指定されています。




彰栄館
アメリカン・ボードの寄付によりD.C.グリーンが設計した建物で、1884年に竣工。
レンガ造の洋風な外観に対して、内部の間仕切壁や小屋組など、構造形式は純和風になっています。塔屋は鐘塔と時計塔を兼ねており、毎朝の礼拝を告げる鐘の音は、明治以来、同志社中学校が岩倉キャンパスに移転するまで、司鐘生と呼ばれる中学校の生徒が担当していました。
1979年5月に重要文化財に指定されています。
 


在校は 1979-1983年。 ラグビーは一番強かった時代です。昨年の「八重さん」で有名になりましたが、久しぶりに思い出しました。

 




 

 


2014年10月27日月曜日

下御霊神社






2日目は、「下御霊神社」よりスタート。

大同二年(809)、不運の内に亡くなった
伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子の霊を慰めるため
承和六年(八三九)に仁明天皇によって創建されたという。

現在は、八所御霊(吉備大臣:吉備聖霊  崇道天皇:桓武天皇皇太子早良親王  伊豫親王:桓武天皇皇子、贈一品  藤原大夫人:伊豫親王御母、贈従二位藤原吉子命  藤原大夫:藤原廣嗣命  橘大夫:贈従四位下橘逸勢命  文大夫:文屋宮田麻呂命  火雷天神:菅原道真)をお祀りしている。




 



すなわち、平安時代に冤罪を被り亡くなられた貴人の方々の怨霊を御霊(ごりょう)として、お祀りしている神社なのです。
疫病災厄を退散し、朝廷と都をお守りする神社として崇敬されてきました。





神紋は「花沢瀉(はなおもだか)に水」という紋です。



 

 

 



京都御苑内 厳島神社





京都御所を取り囲む「京都御苑」の中には、いくつかの神社があります。南東部の旧九條家邸内の拾翠池の傍に「厳島神社」があります。

ここに、京都三珍鳥居の一つ「唐破風鳥居」を撮影に来ました。

京都三珍鳥居は、太秦にある蚕の社境内の三鳥居(みつどりい:三柱鳥居みはしらとりい)、ここ京都御苑の厳島神社の鳥居、北野天満宮の伴氏社の鳥居です。

あとで、北野天満宮の伴氏社も撮影に行きます。





島木と笠木が唐破風の形をしています。大阪生駒にある石切剣箭神社の大鳥居も確か「唐破風の鳥居」だった気がします。










護王神社

 





 


別格官幣社「護王神社」を参拝。蛤御門を出て、すぐ南側にあります。

ご祭神は、「和気清麻呂」公とその姉「和気広虫姫」です。




和気清麻呂と姉の広虫は、宇佐八幡宮神託事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守りました。孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(1851年)、和気清麻呂に護王大明神の神号と正一位という最高位の神階を授けた。明治7年(1874年)、護王善神堂を神社として護王神社に改称し、現在の場所に。





こちらの境内は、とにかく「イノシシ」だらけ。


和気清麻呂が宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から「いのしし神社」の俗称をもちます。



京都では、足腰の神様として広く親しまれている神社のようです。









神紋は「対い四つ藤」紋です。