2011年1月31日月曜日

氷川神社

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今日は、天気もいいので大宮の氷川神社参拝に出かけた。自宅から車で飛ばして1時間。意外に近かった。言わずと知れた武蔵一之宮。日本の王「素戔嗚尊」を祀る名神大社。氷川とは、出雲肥河(斐伊川)から来ており、出雲大社からの勧請による。出雲大社が、本当は誰を祀っていたかそのことからもわかる。参道を進むと、神橋の向こうに美しい楼門が見えてくる。



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本殿は、流造。ご神紋は「八雲紋」。



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そして、境内の右端に「門客人(まろうど)神社」がある。現在のご祭神は「足摩乳命・手摩乳命」となっているが、この二神(稲田姫の親)が「門客人」であるはずがない。元々、この神社は、関東より北に土着していた「アラバマキ荒脛神」を祀っていたらしい。そして、元の神様を「門客人」として祀っているのだ。



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大宮氷川神社(男体社)は、大宮の見沼原に鎮座しているのだが、その南東に「中山神社(簸王子社)」「氷川女体神社(女体社)」のニ社がある。この三社を総称して、氷川神社ともいう。この三社は、一直線でむすばれており、その先に「浅間山」がある。冬至の線だ。そして「氷川神社」は、さらに筑波山-富士山の交差点でもある。すばらしい。



「中山神社」「氷川女体神社」にも参拝した。



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中山神社の鳥居の額束には「氷川神社」とある。こちらは、大己貴を祀っている。



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末社には、ちゃんと「荒脛神社」が。



そして「氷川女体神社」。こちらも現在、武蔵一之宮となっている。



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相当に荒れた感じだが、鳥居は、ご祭神「稲田姫」らしく真っ赤だ。こちらの賽銭箱には見事な「八雲紋」があったのでパチリ。



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調神社(つきじんじゃ)

ウサギ年にちなんで、「調神社」にも参拝。まずは、狛犬ならぬ「狛兎」が迎えてくれる。



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そして手水舎も「うさぎ」。大きすぎて怖い。



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ご祭神は、天照皇大神、豊受気姫命、素戔嗚尊の三柱。地元では「つきのみやさま」と呼ばれている。調とは、租庸調の「調」で元々は、朝廷への貢物{調}の倉庫群があり、そのために、当社には出入りの邪魔になるという事で「鳥居」がないのが特徴だ。神紋は「十六弁菊に三つ巴」紋という贅沢な紋であった。



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拝殿にも、兎の彫刻があり、境内の池にも兎。まさに兎づくしの神社であった。



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2011年1月30日日曜日

品川神社・荏原神社

品川駅より少し南に鎮座する、「北の天王社」「南の天王社」と呼ばれた「品川神社」と「荏原神社」を参拝。
品川神社は、安房国の洲崎神社から天比理乃咩命を勧請して祀られており、現在では「東京十社」の一つである。
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鳥居がおもしろい。左右の柱に龍が巻きついているというめずらしいもの。
ご神紋は、「三つ葉葵」紋。徳川家の庇護がうかがわれる。
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そして「荏原神社」。境内入口のご神木の緋寒桜がまず目を引く。1月だと言うのに綺麗に満開。
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そしてなんといっても拝殿の庇の左右からの龍。
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当社は、丹生川上神社より高龍神(龍神)を勧請し、長元2年(1029年)神明宮、宝治元年(1274年)京都八坂神社より牛頭天王を勧請、古より品川の龍神さまと呼ばれているのだ。

都内は「式内社」はないが良い神社がたくさんあるようです。




妻恋神社

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神田明神と湯島天神の間に小さな神社「嬬恋神社」がある。ご祭神は、日本武尊とその妻 弟橘媛命。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、三浦半島から房総半島へ渡る際、大暴風に遭い、妃の弟橘姫がその身を海に投げ込んで海神を鎮め、尊の一行を救ったという伝説がある。途中、尊が湯島に滞在して郷民は尊の妃を慕われる心を憐れんで、尊と妃を祀ったといわれる由緒ある神社だ。 



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ご神紋は、たいへん珍しく「檜扇(ひおうぎ)に御の字」紋。境内手前には、妻恋稲荷と呼ばれる稲荷神社もあった。



2011年1月22日土曜日

産霊山秘録

Photo半村良著「産霊山むすびのやま秘録」を読む。
[E:book]戦国時代正親町天皇の勅令により、ある裏の一族が戦乱の世を治めるために動き出す。それは高天ヶ原に最初に現われた三柱の神の一柱『高皇産霊神』を祖と仰ぎ、日本各地に点在する霊場『産霊山(ムスビノヤマ)』を探索する一族。そして彼らは古くは天皇家よりも高位に位置したと言われ、時代が下るにつれ特異な能力をして御所の忍として活動する。彼らの悲願こそは、日ノ本のどこかにあるという生きとし生けるものの願いを叶える最高の産霊山『芯の山』を見つけることであった。その名を『ヒ一族』。織田信長の時代。彼らは、明智光秀・藤堂高虎・天海・猿飛佐助となり、世の中を動かす。そして時代は移り坂本龍馬も一族として登場。さらに太平洋戦争時代にも。まさに伝奇SF小説。あっというまに読み終える。

��龍馬の生地「才谷」には、坂本五郎太郎の墓というのがあり、これは明智秀満の子が隠れ住み「坂本」と名乗ったという所からきています。明智家の家紋も龍馬の家紋も確かに「桔梗紋」ではあります。そして二人のエニシは、和歌にも残っていました。

明智光秀 「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ」
坂本龍馬 「世の人はわれを何とも云はばいへ わがなすことは我のみぞ知る」  おもしろい。



2011年1月16日日曜日

えびす聖子

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高橋克彦著「えびす聖子(みこ)」を読む。作者の「龍の柩」と重ね合わせながら、古事記のオオクニヌニノミコトの話を土台に作れた作品であった。大国主命が遭った因幡の白兎は龍一族に属するエイリアンだとしている。大国主命は龍一族の助けを借りて出雲を治めるわけだが、言い方を換えれば龍一族は大国主命によって一族の力の復権を果たしたということになる。そしてこの白兎は少名畏古那神でもあることを小説中では展開させている。一気に読みました。




初打ち

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今日は、会社の同僚と初打ち。場所は、「セントレジャーGC市原」。自宅から30分と近い。寒さを気にしていたが思ったよりも暖かい日でよかった。コースは、フェアウェイも広く平坦で綺麗なコースであった。相変わらずの五十肩で、ドライバーは、200がやっと何とか前半は、44で回るが後半ミドルで8をたたいて万事休す。47でトータル91のいつものスコアで終わる。肩との闘いはしばらく続きそうだ。



2011年1月9日日曜日

亀有香取神社

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亀有にある香取神社を参拝。御覧の通り、狛犬ならぬ狛亀が参拝者を迎えてくれる。ご祭神はもちろん、経津主命。漫画「コチカメ」にも登場する神社で、両さんの銅像も建っている。



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本殿は、美しい流造であった。





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2011年1月8日土曜日

荒蝦夷/まほろばの疾風



Photo_2 Photo_3  熊谷達也著「荒蝦夷」「まほろばの疾風」2冊、まさしく疾風のごとく読み終える。この2冊には、伊治呰麻呂(イジノアザマロ)がともに登場するが、かなり違ったキャラクターとして描かれているのがおもしろい。高橋克彦の「火怨」との対比でアテルイを見るのもなかなか味なものである。書いた順は逆だが、時代としては、「荒蝦夷」が先となる。



[E:book] 8世紀の陸奥国。大和朝廷に敢然と牙をむいたひとりの荒蝦夷がいた。その名は呰麻呂。彼はいったい何を守り、何のために闘ったのか。新直木賞作家・熊谷達也が、蝦夷の英雄・阿弖流為と坂上田村麻呂の戦いに先立って蜂起した服わざる者たちの大いなる神話的世界を描く、待望の古代東北歴史ロマン。



そして「まほろばの疾風(かぜ)」へつづく。



[E:book] 同じく8世紀末、東北には、大和朝廷に服従しない誇り高い人々がいた。かれら蝦夷は農耕のために土地に縛られるのではなく、森の恵みを受け大自然と共生しながら自由に暮らしていた。だが、その平和も大和軍の侵攻によって破られる。そして、一人の男が蝦夷の独立を賭け、強大な侵略者に敢然と戦いを挑んだ。彼の名はアテルイ。北の森を疾風のように駆け抜けた英雄の生涯を描く壮大な叙事詩。



熊谷氏のアテルイは英雄然と描くのではなく、人間味のある一人の弱い男として書いているのがこれまた新鮮だ。またモレをアテルイの懐刀ではなく、いち村を統率する大巫女で、女性として描いているのもおもしろい。とにかく両者の蝦夷のありようは全く違ったので高橋の名作に感動したにもかかわらず、素直に本書も受け入れられたのだろう。是非ご一読を!



2011年1月5日水曜日

靖国神社

二度目の靖国参拝。本日は、初めて靖国神社にて昇殿参拝をしてまいりました。ご本殿に入らせていただくという貴重な体験です。靖国の本殿は、「神明造り」でしたが、正面に珍しく庇があり驚きました。千木・鰹木は、外削ぎ・奇数7本で男神形式でした。ご神紋の「菊に桜」は、お賽銭のところにしかなく、建物はすべて「十六八重菊」のようです。おみくじには、「菊に桜」紋がついておりました。



Yasukuni



撮影できなかったので、靖国WEBより掲載



やはり日本人なら、知覧と靖国神社へはいかないと。それは「右」とかそんなのではなく。失われた日本人の精神とか矜持を知るため、命の尊さを知るために。

2011年1月3日月曜日

主を七人替え候

Photo_2 小松哲史著「主を七人替え候」を読む。



[E:book]近江国に名もない土豪の子として生まれ、禄高わずか八〇石から三二万石の大大名へと破格の出世をとげた藤堂高虎。その間浅井長政から始まり、織田、豊臣秀長、秀吉、そして最後は天下の徳川将軍家へと七人も主を替えて仕えた「城づくり大名」。誰も人を信じない男・家康の肝をつかみ、乱世にも治世にも生き残る智恵と覚悟を描いた傑作戦国小説。



箱根駅伝を見ながら一気に読み終えました。ちょっとこの本は、知識のインプットと暇つぶしでした。



2011年1月2日日曜日

新年

Fujigennsou 2011年。あけましておめでとうございます。



早いもので今年は、長男が2度目の歳男。そして4月には銀婚式です。月日の過ぎゆくのは早いもので、齢(ヨワイ)五十を超え未だ「天命を知らず」ただ、徒に生を貪るだけの日々でしょうか。白髪も増え始め、五十肩の痛みを知るのみであります。しかし、どうか今年は良い年でありますように・・・さっそく近所の検見川神社に初詣に行ってまいりました。小さな神社ですが人出はかなりのものでした。「開運の扇」を購入し、玄関に飾りました。今年の干支は「辛卯かのとう」です。陰陽五行では「金」性の「陰」に当たります。まず「辛」は、「辛い」であり、草木が枯れて新たな世代が生まれようとする状態を表しているそうです。「卯」は、茂るという意味で、草木が地面を覆うさまを表しているそうです。そういう意味では、2012年へ向けての準備の歳と言えるのではないでしょうか。我慢・我慢。



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