2008年12月21日日曜日

地球が静止する日



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暇な日曜日、キアヌ・リーブス主演「地球が静止する日」を観にいってしまった。



任務遂行のため、ロボットの“ゴート”を従えて地球に降り立った人間型異星人“クラトゥ”。政府や科学者たちが謎の解明に奔走する中、ある女性と義理の息子は、クラトゥの任務に巻き込まれていく。そして二人は“地球史上最大の危機”が、今まさに訪れていることに気付く…。



言わずとしれた人間文明の発展のもたらす地球崩壊へのアフォリズムがテーマだ。「地球を救うために、人類を滅ぼしにきた。」衝撃的なこの言葉で我々に警告を与える。内容はこの後鑑賞される方のために書かないが、それにしても予告編というものはすごい。実際はそれ程良くないし、説得力もなかったが、予告編では見てみようかという気にさせられた。悔しい!



一つだけ強く感じたのは、この手の映画に必ず見られる米国の「米国至上主義」という傲慢さだった。



さあ、今日は、サッカデーだ。クラブワールドカップ3位決定戦・決勝の2試合、十分楽しもう!!



奔流

Photo 田中芳樹「奔流」を読む。



時は六世紀初頭、南北朝時代。、中国史上、屈指の血戦「鐘離(しょうり)の戦い」を中心に、若き天才将軍「陳慶之」の戦いぶりとその陰に散った男装の麗人との悲恋を描く歴史スペクタクルの傑作。日本ではあまり紹介されることのない中国の歴史上のエピソードを発掘であろう。後漢滅亡後、隋の天下統一までの間、様々な国が勃興していく中から北朝の「北魏」と南朝の「梁」の激突を描き、「戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず落とす」とまで言われた天才将軍「陳慶之」。その他、仙人のような知将や、巌のような猛将、女好きの勇将やら、どんくさい名将に、妖艶な女将まで、各種取り揃えた将軍たちの鮮やかな描写が読みどころだ。ラブストーリーは付けたし。



陳慶之はこの物語の後年、わずか七千騎の兵で北朝の首都である洛陽を陥落させている程の天才なのだ。白袍隊という騎馬隊を率いて数々の戦場で活躍し、死ぬまで不敗だったというのだから、その凄さは右に出るものはない。是非ご一読を!



2008年12月14日日曜日

ブログ閲覧復帰

しばらくトップページから、ブログに入るとブログが閲覧出来ない状態となっておりましたが、やっと作業をする時間ができ、本日データの再構築とブログパーツの非表示により復帰いたしました。よろしくお願いします。



また、姉妹ブログ「何度もアマデウス」も第62弾を久しぶりに更新しました。そちらもどうぞ!



2008年12月12日金曜日

アレクサンダーの暗号

Photo_2 ウィル・アダムス著「アレクサンダーの暗号」を読む。アレクサンダーの墓は2300年たった今もまだ発見されていない。



本書は、アレクサンダー大王の墓と遺体の在処をめぐる時空を超えた歴史サスペンスである。物語は、紀元前318年のプロローグに始まり、一気に現代へ。



異端の考古学者ノックスは、伝説のアレクサンダー大王の失われた財宝をエジプトで探しつづけている。あるとき、地中海沿岸のアレクサンドリアで地下墓地の遺跡が発見された。最深部には謎めいた古代文字の碑文があり、その暗号を言語学者ガイユが解読したとき、2300年前のおそるべき陰謀があきらかに……!本当の王の墓は、今もどこかに存在するのか?莫大な財宝の匂いをかぎつけた組織の魔手が、ノックスとガイユの身に迫る。
ふたりは命を賭けて、この大いなる謎の正体に挑んでゆくが……。





2008年12月8日月曜日

同支店会?

今週は、水戸時代に一緒に課長として働いていた、N氏、I氏、M君が宮崎へ。目的は焼酎と地鶏と、そしてゴルフ。ゴルフは、青島ゴルフ倶楽部とフェニックスカントリーのトーナメントコースを選択。夜は地鶏や焼酎で。久しぶりの思い出話に時間を忘れて語り合った。皆単身赴任で、いつも仲良くしてしたこともあり(今も皆単身赴任だが)、話はつきない。ゴルフは、残念ながら、N氏が身内の不幸で2日目は断念。I氏の帰りの飛行機の関係でフェニックスでは、17番で打ち切りという残念な結果となったが、仲のよい仲間と楽しい時間を過ごした。面白いもので、昔の仲間とゴルフをすると、スコアも昔に逆戻り、ひどいスコアとなった。もう二度とやらないぞ!といいつつ、今度は年明け関東でやることにした。また、楽しみが増えた。



2008年11月30日日曜日

シェエラザード

Photo_2 Photo_3  浅田次郎「シェエラザード」を読む。



シエエラザードとは、アラビアの千夜一夜物語を語る王女の名前。暴君シャリアール王は、毎晩処女を迎えては、翌朝かならず殺すということを3年も続けていた。才色兼備の女性シェラザードは、進んで王妃となり、シャリアール王におもしろい話を聞かせた。 王は、次第にシェラザードが語る話に引き込まれていき、その話の続きが聞きたいばかりに、彼女を殺すのを1日1日と延期していく。そのうち、王は恐ろしい考えを捨て、2人は幸せな生活を送るようになった。というもの。何故、この小説にこの題名がついたのか、読み始めてわからなかった。P163 やっとわかった。リムスキー・コルサコフ作曲交響詩「シェラザード」。(読んだらわかります。)美しい曲です。



さて、この小説は、昭和20年4月、国際法上の安全保障を約束されていたにも関わらず。米潜水艦クィーンフィッシュに沈められた「阿波丸」の悲劇を題材に作られたものである。



昭和二十年、嵐の台湾沖で、二千三百人の命と膨大な量の金塊を積んだまま沈んだ弥勒丸。その引き揚げ話を持ち込まれた者たちが、次々と不審な死を遂げていく―。いったいこの船の本当の正体は何なのか。それを追求するために喪われた恋人たちの、過去を辿る冒険が始まった。日本人の尊厳を問う感動巨編。その豪華客船が使われた目的は驚くべきものだった。さて本当の目的は何なのか。そして引き上げを依頼してきた謎の中国人の正体は。冒険小説でありながら、誇りを持って美しく生きることの意味を考えさせられる本書あった。ぜひご一読を。



2008年11月24日月曜日

結婚式

Chapel_out 今日、宮崎へ転勤してから4度目の結婚式(新婦側)へ参列した。主賓の挨拶も同じく4度目となる。相手方の新郎が千葉に住んでいるため、幸い自宅の近く(車で10分)で行われるという好運に恵まれた。披露宴と呼ばずウェディング・パーティー。非常に明るく和やかで良いパーティーであった。



チャペルの結婚式から参列したのだが、驚くことが一つあった。パーティーの最後に映し出された映像に、わずか2時間あまり前に行われた式やフラワーシャワーの模様が見事に編集され登場したのだ。その映像カットも巧みで思わずうなってしまった。時代はどんどん進歩し、こんな形に演出されるとは、あっぱれとしか言いようがない。



2008年11月22日土曜日

日本でいちばん長い日

Photo 半藤利一の「日本でいちばん長い日」を読む。前に読んだ、「日輪の遺産」により、S20.8.15に何が起こったかを書いたこの本がどうしても読みたくなったのだ。映画にもなり話題となったらしい。昔からいつか読むつもりでいたが、とうとう こんにちに至った。昭和20年8月14日正午から24時間の内に起きた出来事を、埋もれていた資料をもとに再現した完全なノンフィクションだ。如何にして終戦がなったか、またそこに多くの葛藤が存在したかがわかる。



「今日の日本および日本人にとって、いちばん大切なものは”平衡感覚”によって復元力を身につけることではないかと思う。内外情勢の変化によって、右に左に、大きくゆれるということは、やむをえない。ただ、適当な時期に平衡をとり戻すことができるか、できないかによって、民族の、あるいは個人の運命がきまるのではあるまいか」と昭和40年に大宅荘一氏は書いている。その言葉は、いつの時代も、そう今でも間違いなく言えることではないか。



2008年11月14日金曜日

日輪の遺産

Photo 浅田次郎「日輪の遺産」を読む。



帝国陸軍がマッカーサーより奪い、終戦直前に隠したという時価200兆円の財宝。老人が遺(のこ)した手帳に隠された驚くべき真実が、50年たった今、明らかにされようとしている。



この紹介文を見た時、アドベンチャー風の推理物だと思っていた。まさか涙する小説であったとは・・・・



マレーの虎「山下奉文将軍」の財宝伝説を題材に、終戦時の真実の愛国心、真の教育者の姿がそこに描かれている。軍人としての使命と人間としての倫理の狭間で揺れ動く心。当時と現代(10年位前)を織り交ぜて進む物語に思わず吸い込まれていった。最後まで読んで、そこにあった真実の「遺産」とは何であるかを考えさせられた。是非ご一読を!



日教組の方々は特にといいたい。



2008年11月10日月曜日

ブーリン家の姉妹



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「ブーリン家の姉妹」を観に行く。ローマ・カトリック教会と決別しイングランド国教会を創設することとなったヘンリー8世には、6人の王妃がいたが、その中でも後のエリザベス1世の母親アン・ブーリンとその妹メアリーの悲しい一生を描いた映画である。アン・ブーリンは、ドニゼッティのオペラ「アンナ・ボナーレ」にもなっている。



姉妹の父トーマス・ブーリン卿は一族繁栄のために才気あふれる美しい娘アンを国王ヘンリー8世の愛人に差し出すことを目論む。ところが、王の心を捉えたのはアンの妹で凡庸だが気立ての良いメアリーだった。一家は宮中に移り住み、メアリーは王の子を身籠る。一方、妹に栄誉を奪われたアンは一時フランスへ追放されるが、やがて呼び戻され、大胆にも王妃の座を狙って策略を巡らすのだ。結婚していないメアリーの息子は単なる庶子ということになるのだ。しかし、世継ぎとなる男子を産まなければ価値を認められない。・・・・



最後は、ブーリン姉妹の最後は如何に? 



2時間はあっという間に過ぎる、メロドラマ風であるがナタリー・ポートマン(アン・ブーリン役)の目力は圧巻。この時代の貴族社会の裏側を見せる悲劇の物語。おもしろかった。



2008年11月8日土曜日

地球の反対側から

Photo 昨日は、早く帰宅したため、21時にはソファーで寝てしまった。おかげで3時に目が覚める。何気に、モーツァルト関連のサイトをネットサーフィンしていて、ブラジルのセバスチャン(Sebastião)と知り合う。彼は、膨大なモーツァルト楽曲コレクター。すぐに話がはずんだ。とはいえ、共に苦手の英語をはさんでの応答。一回一回に時間がかかる。でも楽しい。セバスチャンもグリューミオのヴァイオリンに魅せられているらしい。こちらは早朝、ブラジルは夕方。彼はすでにリタイヤしており悠々自適の生活。羨ましい限りだ。親交の証にメールでブラジル国旗の画像を送ってくれた。Sebastião Obrigado!



2008年11月3日月曜日

初の30台そしてイーグルも

本日は、「UMKカントリー倶楽部」にてプレー。このところ不調だったドライバーが、嘘のように好調。少し短めに握ったのが功を奏したのだろう。3番ミドル、8番ロングでバーディー。前半OUTは見事2オーバーの38。人生初の30台でした。やりました。とうとう開眼したかと思っていたのもつかの間、後半は、プッシュアウト気味のボールが多く、ボギー、ダボが続く。しかし最終par5、8アイアンでの3打目、トップ気味にでたボールが、花道を見事にかけ上がりナイスオン。これはまたバーディーチャンスと近寄っていくと、なんとピンとカップの縁に挟まれているではないか。記念にキャディーさんに入れてもらうとした矢先、コロン。イーグル達成。華麗なショットではなく、ミスショットでのラッキーショットだが、イーグルはイーグルだ。万歳!!結局、不調のINは46で、ベストの更新はならず84。しかし実に気分の良いゴルフであった。



2008年11月2日日曜日

映画「レッドクリフ partⅠ」



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本日、初日上映の「レッドクリフ partⅠ」を早速観にいった。ファーストデイなので1000円。これはラッキーでした。上映時間 2時間25分、あっという間に終った。うーん正直、娯楽映画だから、こうするしかないかという印象で、三国志としては、今ひとつだが「小喬」がすごく綺麗だったので許そう。



PartⅠでは、肝心の赤壁の戦いの前までしか描かれていない。それならば、新野での孔明の本当の計略や、当陽の長坂の橋での張飛の名場面は欲しかったところだ。



クライマックスの九官八卦の陣(八門金鎖の陣)は、魏の曹仁の策で、孔明の前に劉備の軍師をしていた徐庶が破るというシーンで登場するということを書いておきたい。決して孔明の計略ではないのだ。しかし、映画の戦闘シーンとしてはおもしろかった。



関羽・張飛は、いかにもというキャスティングで最高でした。



映画では、曹操が「小喬」を奪うために呉に攻め込むという描き方をしているが、曹操はそんなチンケな男ではないことも付け加えておく。江東の二喬と謳われた、孫策の妻「大喬」と周瑜の妻「小喬」を曹操が共に侍らせたいと孔明が周瑜に語った(策略)ことに、周瑜が大いに怒り決戦を決意したというのが演義の話だ。そもそも、この二喬は、孫策軍の江南・江東平定の時に敵方から奪って妻にしたのであるから、お互い様で本当は怒って仕方ないことだが・・・・。それから、赤壁での対峙で、曹操軍が、間じかに見えるが、近すぎやしませんかぁ。赤壁あたりの川幅は、3~4キロいや昔は5キロはあったらしいのだか・・・。



などと、ぶつぶつ言いながら、来春のPartⅡも間違いなく観ることになるだろう。





2008年11月1日土曜日

平将門

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高橋直樹「黎明の武者 平将門」を読む。



「都への租税は不要。坂東の富は坂東の発展のために使うべきなのだ。」圧倒的武力をもって平将門は立ち上がる。



坂東に武者だけの国を造ろうとした小次郎将門の壮絶な生き様を見事に描いた作品であった。またこれは、将門に立ちはだかる幼馴染「平貞盛」との闘いでもあった。



非常にスピード感のある小説です。登場するキャラクターも面白い。是非ご一読を!



2008年10月30日木曜日

霧島岑神社

Kirisimamine1 Kirisimamine2 小林市へ出かけた帰りに5分程、神社にお参りに。



霧島六社権現の一つ「霧島岑神社」へ。御祭神は(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、彦火火出見尊、豊玉姫、鵜草葺不合尊、玉依姫)。参道の入り口に仁王像が立つ。そこから、長い階段を登ったところに境内がある。静かな境内へ入り口の、高く高く聳える杉は印象的だ。



現在の岑神社は、夷守(ひなもり)神社合併されたもので、霧島六社権現とは、霧島神宮・東霧島神社・狭野神社・霧島東神社・霧島岑神社の5つということになる。たぶん、高千穂峰そのものがご神体であったのだろう。



また、仁王像の仁王とは、金剛力士のことである。それは「金剛杵(こんごうしょ)(古代インドの武器を元にした密教の法具。あらゆる煩悩を打ち砕く象徴)を持つもの」の意味であります。2体は、金剛杵を持ち口を開いた阿形像(あぎょうぞう)と、口を閉じ宝棒を持つ吽形像(うんぎょうぞう)です。「阿吽の呼吸」とよく言われますが、阿は「あ」で言葉の始まり、吽の「ん」で言葉の最後で、の始まりと究極とを象徴しているそうです。勉強にになります。



2008年10月26日日曜日

晋作 蒼き烈日

Photo_4秋山香乃「晋作 蒼き烈日」を読む。



蹉跌と苦悩、矜持と自負からくる驕り、未来への切実な希望と理想。拭い去れない私欲も含め、長州きっての一代の英雄にして風雲児。、今日、日本があるのは彼のおかげといっていい男「高杉晋作」の人間という人間を見事に描いた、感動の巨編である。





久坂玄瑞との大儀で結ばれた友情、山田市之允への心の触れ合いと揺ぎ無い信頼。長州好きにはたまらないシーンの数々。その「山田市之允」がたぶん大好きでしょうがない作者は、必ずや高杉を描くと思っていたので、待ちに待った作品だ。



しかし本書で、目を引いたのは、妻「雅」への晋作の思いが、かくも多く描かれているところだった。他の作品では全くありえない。下関の芸者「おのう」と「雅」がでくわすシーンは、女流作家がなしえる深き哀愁であろうか。そんな晋作の歴史では見れない部分にまでこだわる作家の人間の描き方が気に入った。



「長薩同盟」へ流れる場面。裏切りとしたたかさを併せ持ち、幾多の辛酸を舐めさせられた、「狡猾にしてたただただ権力へ固執する薩摩」と敢えて日本の明日のために手を結ぶんだ、熱き晋作の赤心が見事に描かれています。



『僕が倒れても君たちがいる』松蔭の遺言ともいえる言葉。『君たちが僕の志を継いでくれる』あまりにも信頼に満ちた言葉である。あの信頼があったからこそ、どんなに膝をつくような出来事があっても、塾生たちは立ち上がることができた。決して困難に背を向けることなかった。常に前進し続けたその結果が再生した長州なのだ。



長州人ならずとも是非ご一読を!



秋山香乃 万歳!!



2008年10月25日土曜日

ざくろのしゃぶしゃぶ

Photo_5宮崎の牛しゃぶ店「ざくろ」へ会社の連中と。



一人前ずつ皿に盛られた、肉全体がピンク色に見えるほど見事な霜降りの肉は美しい(写真)。極く薄くスライスした宮崎牛ロースをさっと熱湯にくぐらせて口の中に放り込むと、肉の甘みが優しく舌を包む。酸味を抑えた特製のポン酢も肉の旨みを引き立てる。実に贅沢なしゃぶしゃぶ。



ふた皿目は、黒豚のしゃぶしゃぶ。こちらも抜群においしい。値段もリーズナブルなので、よく会社の連中と食べにいく。個室で掘りごたつになっているので、足も楽で嬉しい。また、会社や自宅からも近いのが嬉しい。



2008年10月19日日曜日

白起

Photo 塚本青史「白起」を読む。



中国 戦国時代髄一の猛将にして軍神 白起を中心に、戦国時代の複雑な合従連衡の繰り返しがこの一冊でわかる。



秦の昭王14年、白起は韓・魏を攻めて伊闕で戦い、首を取ること24万。翌年、魏を攻めて61城を奪う。昭王20年、楚を攻めて都城の郢(エイ)を落とし、夷陵を焼き払い、東方の竟陵に達する。秦は楚から奪った郢に南郡を置き、白起は昇進して武安君と称せられる。昭王34年、魏を攻めて華陽を落とし、将軍芒卯を敗走せしめ、韓・魏・趙の将をとらえ、首を切ること13万。趙の将軍賈偃と戦って、黄河で2万の兵を溺死させる。昭王の43年、韓の徑城を攻め、首をとること5万。そして4年後、長平の戦いでの敗兵40万の穴埋め。



白起は戦場において卓犖(たくらく)としており、当代随一の名将であるが、上司である時の宰相・魏冉の私行に手を貸しつづけたという倫理の欠如が、生涯の瑕瑾(かきん)であり、その名が後世において暉映(きえい)を失ったともいえよう。しかし、范雎が白起の手柄に嫉妬せず、白起に邯鄲を攻めさせていたら、戦国時代はもっと早くに終っていたかもしれない。



本書には、故事成語は自然と織り込まれている。鶏鳴狗盗・完璧・漁夫の利。刎頚の交わりなどなど。また、隠し味としての「墨家」の登場もある。非常におもしろい本であった。



是非一読を。



2008年10月13日月曜日

子産

1 2_2 宮城谷昌光「子産」を読む。春秋時代の弱小国・鄭の国の執政として善政に勤め、かの孔子が私淑し、その死に涙した仁愛と礼を重んじた人であった。子産が宰相になって 5年すると 国に盗賊がいなくなり、道に落ちているいるものを誰も拾わず、3年天候不順でも飢えるものがなかったと 「韓非子」にある。時代に並ぶもの無き政治家であったようだ。



子産の目は憂色に染まる。君主の時代が終わり、大夫たちが主権を争う春秋時代のなかば、中原の小国・鄭は晋と楚という2大国の間で向背をくりかえしていた。いまや民は疲弊し、国は誇りを失おうとしている。乱世の戦場にあざやかな武徳をしめす名将・子国の嫡子に生まれ、この時代最上の知識人となる子産は、信義なき自国の悲哀をみつめながら波蘭の人生へと踏みだしてゆくのである。謀叛に巻きこまれ、父 子国は果てる。3年の長きにわたり喪に服した子産はその後、苛烈なる改革者にして情意あふれる恵人として、人を活かす礼とは何かを極め、鄭と運命をともにしていく。



時代を超えることばをもった最初の人・子産とその時代を、比類なき風格と凛然たる文体で描く、宮城谷文学の傑作長編である!



孔子は敬愛する政治家として子産を『論語』公治長篇で次のようにいっている。
 



「かれは,次の四点において君子の資質を備えていた。
 一,行動は慎重であった。
 二,上級者に対する敬意を忘れなかった。
 三,人民に恩恵を施した。
 四,人民を不当な使役にかりたてなかった。」と。



是非ご一読を。





2008年10月5日日曜日

楽毅



1_3  宮城谷昌光著「楽毅 1~4巻」を読み終える。かの諸葛亮孔明が憧れたという中山国と燕の名将だ。若かりし頃「人が見事に生きるのはなんと難しいことか」と述べる楽毅であるが、その人生は、見事の一言に尽きる。小国 中山国を最後まで戦い抜いて守ろうとした。弱燕とまで言われた燕に迎えられ、斉への復讐に大望を抱く昭王を支え、軍制の改革や外交のあらゆる手段を用い、楽毅は燕と趙・魏・韓・秦の連合を実現し、その連合軍の指揮官となり見事 5年にて斉の七十余城を下し、ほぼすべての郡県を燕の領土に加えた。



本書には、楽毅が一番に尊敬してやまない孟嘗君。「先ず隗より始めよ」で有名な郭隗も登場する。楽毅は、法においては、孫子を学び、孫子をもって戦場へ望み、生き方においては、呉の伍子胥を見習う。筋を通した上で、自分の与えられた境遇で最大限の努力をする生き方はさすがである。



正しきマネジメントという意味でも参考になり、かなりおもしろい小説であった。



是非ご一読を!



2008年9月29日月曜日

同期会

昨日は久しぶりに「同期会」を開催。入社年次から「ゴッパチ(58)会」と名づけた。日頃は日本中別れて仕事をしている。まずは、ゴルフコンペ。場所は、高低差もなく池が美しい茨城 霞ヶ浦カントリークラブ。13名でのプレーだ。その日は土浦で1泊。夜は桜町で存分に飲み騒いだ。やはり立場は色々だが、同期で一緒に過ごすのは楽しい。また、開催を誓ってそれぞれの地へ別れた。



2008年9月23日火曜日

天草へ

旅行最後の目的地「天草五橋」を見に出かける。(といっても今朝そう決めたのだが)天草の地は、松島に非常に似ていた。かなりきつい山の上にある展望台で見事な眺めを見ることができました。(クリックして拡大すると五橋全部が見えます)



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↑(遠く霞んでいるのが、雲仙普賢岳)



途中、天草四郎メモリアルホールというところへ寄りました。



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宮崎へ戻る途中、最後にコスモスで有名な「生駒高原」に寄りましたが、まだ、コスモスが咲いておらず残念でした。2日間 620kmの旅でした。



葉祥明阿蘇高原絵本美術館

Photo_4 「葉祥明阿蘇高原絵本美術館」を訪れる。絵本作家だ。とても色使いがすばらしく、心が和む。個人的には、黄色を使った作品が好きだ。かみさんは、大ファンで、鎌倉の美術館へも行ったらしい。高原らしく、庭も広く絵本の中に入ったような感じでした。



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阿蘇

阿蘇の火口へ。20年前にも家族へ来たのだが、エメラルドグリーンの火口がほとんど記憶にない。記憶とは当てにならないものだ。それともその日は噴煙が多くて火口が見えなかったのだろうか?





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草千里付近では、バスや車を邪魔するお馬たちに遭遇。



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そして米塚の写真。



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これは、草千里下の草原にある可愛い小山。小さな火口丘の跡。標高は954mであるが山下から頂上までは約100m程度しかない。頂上には直径約100m、深さ20m程度の火口跡が「くぼみ」として残っているらしい。この山には伝説がある。健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、収穫した米を積み上げてできたという伝説だ。頂上のくぼみは、命(みこと)が貧しい人達に米を分け与えた名残だと言われています。



さて阿蘇には、日本一長い名前の駅があるので寄ってみた。「南阿蘇水の生まれるさと白水高原駅」がそれだ。



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トロッコ列車も通る可愛い駅であった。





 









2008年9月22日月曜日

白川水源と垂玉温泉山口旅館

熊本の高森町へ入る。まず絶景といわれる月廻り公園へ向かうが、あいにくの雲で 阿蘇 根子岳はすっかり雲の中(下の写真)。残念。



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目指すは、白川水源。



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さすがに水量がちがう。そして美しいまでの透明さ。水の生まれる里と言われるだけある。



宿泊は、「垂玉温泉山口旅館」。秘湯だ。お風呂は、大浴場、かじかの湯(半露天)、家族風呂、混浴露天風呂と色々あった。



Photo 夜遅く少し離れた露天風呂へいったが、すぐ側に「金龍の滝」があり、趣きも最高であった。お湯も肌に優しい感じの温泉だ。



Hpを紹介しておく。 



垂玉温泉山口旅館(クリック)







雨の高千穂

土曜の夜から「かみさん」が宮崎へ遊びに来ている。この日は、時間が遅かったので夕食は、お好み焼きで済ませ、いつも仲良くさせてもらっている、BAR「NIGO」で12時近くまでお酒&カラオケで楽しむ。



今日は、高千穂へ向かう。朝は大変良い天気であったが高千穂へ近づくあたりから雲行きが怪しい。まずは、天岩戸神社へ。その頃には、なんとどしゃぶり。





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もちろん、天照大神を祀る神社で、参拝者は、社殿で 大鏡にお祈りするのだが、実は御神体は、拝殿の後方の対岸にある洞窟(天岩戸)  で、実は天岩戸を拝んでいるわけだ。そこから前回は行けなかった天の安原へいくが、濡れ鼠状態となる。



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上の写真の左側に「仰慕窟」(ぎょうぼがいわや)という間口30m・奥行き25m
 の大きな洞窟があり中に鳥居と社があるのだが、恐れ多くて写真は撮らなかった。



天岩戸神社をあとにして「真名井の滝」のある高千穂峡へ。今日は意外と観光客が多いが残念ながら突然の大雨でボートは中止。写真だけはきっちりと収めた。



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最後に、高千穂神社へ。



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この頃から、雨も上がり日差しが戻り始めていた。高千穂神社の御祭神は多く



高千穂皇神 天津彦火瓊々杵尊・木花開耶姫命、彦火火出見尊・豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊・玉依姫命
 
十社大明神 三毛入野命・鵜目姫命、大郎命・二郎命・三郎命・畝見命・照野命・大戸命・霊社命・浅良部命



となっている。



境内には、第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石が置かれていた。



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「道のえき」でやっと遅い昼食。「ちゃんどん」というチャンポンの具のうどんを食べる。延岡駅で食べたことがある。この地方の名物だろうか?あとで調べてみよう。そして いよいよ阿蘇へ。  つづく・・・

 





2008年9月15日月曜日

自己ベスト

Photo 今日は、「ハイビスカスゴルフクラブ」にてプレー。昨日もゴルフの予定だったが、二日酔いがひどく起きれずパス。そのおかげで、体調はすこぶる良い。台風が近づいているが、何とか雨は降らず、逆に暑くなくゴルフ日和。やりました。スコアは、40:42=82。5年ぶりに自己ベスト2打更新。同伴競技者も皆巧い人ばかり(78,82,86)で、いい緊張感でプレーできたおかげです。OUTは、ドライバーも調子よくパターも決まる。バーディー1つ。後半は、+7でベスト更新できる。3ホール終って、パープレー。しかし中盤3ホールで+4。プレッシャーと疲れから、体が止まりドライバー、アイアンとも精彩をかく。しかし16番ショートでパーがとれたのが大きかった。17番アプローチをトップして2個目のダボを叩くも、最終ロングを何とかパーでおさめて+6。待望の自己ベスト更新。



大満足!!



2008年9月14日日曜日

NIFTYの野郎!!

ココログより音楽カテゴリーのみ引越しです。ココログでは、最近アップロードのサイズ制限があり継続が困難となりました。何度もアマデウスでお楽しみください。

沙中の回廊

1_2 2 宮城谷昌光「沙中の回廊」を読む。春秋戦後時代、晋の文公(重耳)の車右から宰相にまでなった士会を主人公とした話である。士会は法律を司る家に生まれ、教養を大切にする一家にあって、武道にすぐれた精悍な青年に育つ。そして勇猛と誠実な人柄から軍人として一歩一歩出世していくのだ。その兵略は右に出るものはなく、戦って負けない。徳と礼を重んじる市会の軸が全くずれない生き様は「才徳」という言葉がぴったりだろう。



さて本書には、様々な警句(アフォリズム)が含まれている。そして春秋の五覇といわれる晋の文公、秦の穆公、楚の荘王の3王が登場する、わくわくする時代でもある。「三舎を避ける」「鼎の軽重を問う」「鳴かず飛ばず」などの格言も物語を彩る。弗(ふつ)という、士会の最初の家臣であり、後に家宰となる人物の洞察力、士会を引き上げた宰相先軫の生き様も見事であった。是非ご一読を!



2008年9月7日日曜日

秋の気配~モーツァルトを語る 第58弾

Violonまだ、暑いが秋の気配は朝晩に感じられるようになってきました。



秋の日のヴィオロンのためいきの・・ベルレーヌの詩ではないが、そんな夜に、ヴァイオリンソナタを聴く。第58弾は「ヴァイオリン・ソナタ第42番 イ長調 k526」から第二楽章アンダンテ(ちなみにこの楽章はニ長調)。



赤ワインでも飲みながらと言いたいところだが、カフェゼリーを食べながらだ。そう家では一滴も酒を口にしないからしょうがない。8分音符の独特な第一主題は繰り返し奏され、バロックのシャコンヌ的な雰囲気を醸し出している。第二主題はイ短調で幽玄的な印象です。



それでは、聴いてください。mozart_42_k.526 - ii. Andante(Grumiaux) (クリック)



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2008年9月5日金曜日

星雲はるかに

Photo_3 Photo_4 宮城谷昌光著「青雲はるかに」を読む。



秦の名宰相范雎の半生を綴った物語。



范雎をまず説明しておこう。苦労して学問を身につけ、密かに大望を抱きつつ、諸国を巡っていたが,魏の中大夫須賈(シュカ)に仕えた。やがて須賈が魏王の使者として斉に派遣されたとき随員となる。斉王は范雎の弁舌の才を聞き,范雎に金品を贈った。ところが,范雎がこれを断ったにもかかわらず,帰国後,須賈は折衝の失敗原因を范雎が斉に通じていたからである,と報告した。范雎は魏の宰相魏斉から鞭打たれ,簀巻きにされて厠にほうり込まれた。九死に一生を得た范雎がその復讐に燃える。後年、名も張禄(チョウロク)と改めて秦に入り,昭王に仕えた。ここで范雎は,“遠交近攻の策”を昭王に説き,昭王の心をつかむ。そして前266年,宰相となり,応に封ぜられ応侯となるのだ。



宮城谷の小説は、不思議な薬売り吟尼との出会いから物語は始まる。



范雎は雲をみあげた。雲のかたちが階段のようなのである。その階段を目でのぼってゆくと、深縹色の天である。・・・これが本書の布石であろうか。



そして謎の女性原声との出会い、鄭安平との友情。秦にはいるまでの話は、ドラマチックでドキドキさせられる。本人はストイックなのに、なぜか美女にに惚れられる。しかも、絶世の美女や気だての良い女性にばかり。このあたりが、少しうざいかも。



范雎が有名なのは、やはり鄭安平を推挙して秦の将軍にし、財産を投げ打って自分を助けてくれた人に礼をして回ったことだろうか。「一飯の徳も必ず償い、睚眦(がいさい。ひとにらみすること)の怨みも必ず報ゆ」である。



名句もところどころに散りばめられ、さすが宮城谷氏と思わせた。是非ご一読を!



しかし、将軍白起がやはり最も興味深い人物となった。



2008年9月1日月曜日

落日の王子 蘇我入鹿

Photo Photo_2 黒岩重吾著「落日の王子 蘇我入鹿」を読む。



山背大兄皇子(聖徳太子の子)以下の上宮王家一族を滅ぼしたのち、大化の改新と知られる「乙巳(きのとみ)のクーデター」を舞台とした歴史小説だ。教科書で、日本史史上でも一級の悪者として描かれている蘇我入鹿の知識人としての姿、男としての姿を女帝皇極天皇との恋愛も含めて描いているのが、おもしろかった。また、皇極天皇と入鹿は情を通じており、子をなしたという説に基づく小説であった。入鹿は実はそんな名前ではない。鞍作大郎というのが本当らしい。青少年期は僧・旻に学問堂で学んだ秀才だったと言われている。



さて物語は、政治的支配者たる皇帝と祭祀の支配者たる大王の権威を併せもつ座に登ろうとする入鹿。その危険を察し、影で大王家自らの絶対的中央集権を築き上げようとする鎌足。その裏には、蘇我本宗家を斃して政界に乗り出そうとする野望も見え隠れする。そして短気で思慮、分別に欠ける入鹿は、鎌足が張り巡らした罠にかかり誅殺される。入鹿は時代を見てはいたけれど、人を見ていなかった。 是非ご一読を!



しかし この時代の謎は多い。乙巳(きのとみ)のクーデターとは、本当はどうだったのか未だに真実はわからない。