2015年8月17日月曜日

実家 下関


今年も親父の墓参りで夏休みに実家に戻りました。




今年も新下関駅には「ふく」のお出迎えが・・・



 

 

 


13日下関入りですが、ちょうど地元の「忌宮神社」(長門国二宮)の祭り{数方庭祭}をやっていたので観に出かけました。

 




祭りの最終日なのでかなりの人手です。




2本をつなぎ合わせて作られた大幟と呼ばれる長さ20~30mの竹を担ぐ男達の勇壮な「幟舞い」と、「切篭」と呼ばれる燈篭を付けた七夕飾りを持つ女達の上品で美しい行列が、境内の鬼石と呼ばれる石を周る珍しい祭りで、天下の奇祭として有名です。


山口県無形民俗文化財に指定されています。



 



40年ぶりに来ました。中学生頃まで、よく夜店目当てに来たものです。








 


仲哀天皇7年、新羅の塵輪(じんりん)の扇動で熊襲が豊浦宮を襲撃したが、仲哀天皇自ら弓矢を取って塵輪を討ち、熊襲を撃退した。戦勝を祝い、塵輪の屍体を囲んで踊ったのが数方庭の起源のようです。






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14日は、墓参り。妹も宇部から来ました。墓参りを終え、食事は、川棚温泉の瓦そば「たかせ」へ。

しかし、お盆休み9号線は、角島へ向かう観光客で大渋滞。当然、「たかせ」も2時間待ち。

諦めて、新下関駅近くのユメシティ店へ。こちらは15分ほどで入れました。








名物「瓦そば」と「うなめし」(名古屋のひつまぶし)を美味しく戴きました。




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15日、お袋の17年乗っている三菱ランサーを借りて、英彦山へ1人で参拝。


戻ってきて、壇ノ浦に立ち寄りました。

 


壇ノ浦といえば「源平最後の合戦場」であり安徳帝ご入水の場所です。その石碑が公園に建っていました。

 

















































源氏の大将「源義経」、平氏の大将「平知盛」の銅像が一緒に建てられております。



そして、幕末 日本国で唯一「攘夷」を決行した長州藩の砲台もこちらにありました。








現在、その時の長州砲(80斤加農砲=カノンホウ)のレプリカが設置されています。私の小さい頃はありませんでした。こちら、みもすそ川公園は、下関の観光の一翼を担ってくれています。




潮の流れの速い関門海峡。鳴門海峡に次いで2番目とされています。


潮の流れに乗った船は異常に速く、逆はトロトロ。


写真は、潮流に逆らって玄界灘側に向かっている貨物船です。


非常に遅いです。それを観ているのも楽しいです。



 

 

 

 


2015年8月16日日曜日

英彦山豊前坊高住神社





英彦山登頂に際し、実家の下関市を5時20分に出発。英彦山豊前坊高住神社にまず参拝。

こちらのご祭神は、豊日別命(豊日別国魂神)。

豊前坊天狗神としても有名で、欲深く奢りに狂った人には天狗を飛ばせて子供をさらったり、家に火をつけたりして慈悲の鉄槌を下し、心正しく信仰する人には家来の八天狗をはじめ統べての天狗を集めて願いを遂げさせ、其の身を守ると伝えられてきました。英彦山豊前坊天狗は九州の天狗群の棟梁格と云われています。






石の台輪鳥居を潜り、階段の参道。





右手には、境内を流れる滝沢は津野・赤村を経て京都平野を潤し、周防灘へとそそぐ今川の源流であり、生活に欠かせぬ水の源が。“今川水源獅子の口”から流れる湧水は、霊峰から湧き出づる御神水です。




朝の参道には、まだ灯篭の灯がともっていました。奥にひときわ大きなご神木の杉が見えてきます。




天狗杉です。




本殿は、後ろの洞窟にすっぽりと包まれています。




拝殿の額には「豊前坊」と書かれていました。ご神紋は、英彦山神宮と同じ「鷹の丸に二引き」紋でした。趣のあるいい神社でした。

 



英彦山神宮

英彦山神宮です。過酷な登頂記録となります。普段ゴルフでしか歩かない「おっさん」には堪えました。ブログをご覧になり、「英彦山」に登る方の為に詳しくつづりたいと思います。

まず、英彦山神宮はご祭神は「天忍穂耳尊」。伊佐奈伎尊・伊佐奈美尊を配祀しています。英彦山は、北岳・中岳・南岳の三峰からなり、中央にある中岳の山頂に本社である「上宮」があり、英彦山全域に摂末社が点在しています。










まず、佐賀藩主鍋島勝茂の寄進し、勅額、霊元天皇の宸筆による「英彦山」の文字が美しい「銅の鳥居」から出発です。8時スタート。

まずは、石畳の登りの参道がしばらく続きます。





朝の光を浴びて無心で歩きます。










途中、石鳥居が現れます。左手に「別所駐車場」というのがあり、そこからの方がここまでは近いようです。「観光案内図」がありますので、みてください。⇒案内図









 


ここから石畳は階段へと変わります。このあたりでもう汗びっしょり。しかし、第一の目的地「奉幣殿」が見えてきました。(8時20分)







 


朱色の奉幣殿と境内です。こけら葺き・入母屋造りです。社務所にて先に御朱印を戴きました。




ご神紋は「鷹の丸に二引」紋です。


鷹の羽ということは、菊池家と関係があるのでしょうか?


わかりません。




天の水分神(龍神)様を祀っています。ここでご神水を戴きました。



 


いよいよ、上宮を目指します。ルートは、奉幣殿⇒下宮⇒中津宮⇒産霊神社⇒上宮 という、中岳山頂に真直ぐ登っていくコースです。茅の輪のついた鳥居を潜り、いざ出発。(8時45分)




岩の階段らしきものが続きます。思ったより急です。






奉幣殿を見下ろす。




下津宮。御祭神は、須佐之男命、神武天皇、大国主命です。約10分で到着です。

 




滑りそうな岩場が続きます。






そして鎖場






さらに階段が・・・


さすがに空気は綺麗で涼しい。


しかし汗だく。





まだ、600mです。これをあと1700m続けるのか?(すなわちこのルートは2300mの登り)





途中、落石でしょうか、大きな岩もゴロゴロ。






やっと「中津宮」に到着です。御祭神は、市杵嶋姫命、多紀理姫命、多岐津姫命の宗像三神。


ここで、ひといき。奉幣殿より1300m、あと1000mです。約40分かかりました。








中津宮を過ぎると、巨木の杉が目を見張ります。


神域感を味わいながら少し張りを覚えた足を前に進めていきます。




過酷な山道はさらに続きます。






枝が削がれたような杉の木がこのあたりから目立ちます?






「下乗」の文字が。「関銭の跡(下乗)」だそうです。いわゆる通行料ですね。身分の高い人でもここで乗物を降り、徒歩で参拝せねばなりません。




産霊神社(行者堂)に到着。御祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、玉依姫(たまよりひめ)、
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)です。





こちらは、少し広場のような場所になっていてベンチもあります。


当然ここでもひといき。上宮まで、あと400mです。




木の鳥居を潜り、最後の気力を試すが如く延々と石段が続きます。






樹林はもうありません。






周りの景色も大きく変わり青空が迎えてくれています。




上宮到着です。こちらに、御祭神は、天忍穂耳命。配神として伊邪那岐命・伊邪那美命がお祀りされています。ここへ登って来なければ、英彦山神宮のご祭神に手を合わすことができないのです。






拝殿・本殿は覆屋に覆われています。雨・風から守るためだと推測します。






本殿は流造のようです。三間社です。






山頂には広場があり、「英彦山山頂の碑」が1200mを刻んでいます。


9時40分。


登山素人に私にはもう十分です。


できれば、ここから何か乗り物で下してもらいたい気分。

 


しかし、ここから地獄の下山がスタートします。


ルートは、上宮⇒南岳⇒大南神社⇒鬼杉⇒玉屋神社⇒奉幣殿の南側ルートです。


せっかくなので「鬼杉」が見たかったのです。


まさか、下りなのに何度も上り下りが繰り返されるとは、露ほど知らず・・・・・




10時下山開始です。少し靄がかかっていますが、


素晴らしい山並みが登って来た者たちの心を和ませます。

 








南岳へ上る途中に「上宮」が見えてきます。望遠で撮影。凛々しいの一言。



 


南岳の祠(彦山大権現)です。ここで休憩されているご夫婦がいました。




下りは過酷です。鎖場が体力を奪っていきます。




でも景色は最高。




材木石です。鬼が残した材木が石になったのだという伝説が残っているようです。


不思議な岩でした。




悪路はさらに続く。






大南神社到着。断崖の洞窟に埋もれるように建っています。


ご祭神は、天火明命(あめのほあかりのみこと)です。こちらは末社です。




神社先の断崖に不動明王像があるらしいのですが、無理でしょう。とても行けません。




さらに下っていき「鬼杉」を目指します。



ありました。「鬼杉」です。ひっそりとした沢に立つその存在感に暫し目を奪われます。



高さ38m、周囲12.4、m、推定樹齢1200年の大杉です。

これでも、先が少し折れているようで、本当はもっと高かったそうです。



11時40分。南岳より1100m。1時間40分かかりました。




牛窟と書かれています。こうした洞窟が幾つもあるようです。

 


さて、ここからこのルート最後の摂社「玉屋神社」を目指し「奉幣殿」へ戻るわけですが、もうすぐだ。と勘違いしていました。なんとここから「奉幣殿」まで3300m。今、下りてきた3倍の距離。


しかも、ただ下りだけでなく、岩場の登り、木の根を伝いながらの登りが繰り返されます。


両足の太腿が「ツル」こと3度。その都度、暗い山道で岩にしがみつき立ち尽くす。肉離れでなくて良かった。「玉屋神社」がすぐ先に見えているのに、15分間動けない。誰だ!登ろうとしたのは!!


はい、私です。後悔先に立たず。でもやめる事が出来ない。











「玉屋神社」です。鬼杉から1700m。こちらも洞窟に埋もれています。



御祭神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、猿田彦大神です。法蓮上人が約1300年前に修行した窟に神社が建てられたそうです。




ここで休憩。傷んだ太腿をマッサージ。ペットボトルの水を3本リュックに入れてきましたが、


2本半をここまでで飲みました。「奉幣殿」まであと1600m。残り半分をとっておきました。


ここから写真がありませんが、どうやら「玉屋神社」は「奉幣殿」より下にあるようで、登りの方が多いのです。写真がないのは、もうそんな余裕がないからです。ここから、「奉幣殿」まで、2人の登山者に出会いましたが、その時だけ笑顔で「こんにちわ」。あとは顔をしかめながらの歩行でした。




「奉幣殿」が見えてきました。この時の喜びは忘れません。思わず「よっしゃあ」


でも少し望遠で撮影しているので、あと400mです。




「奉幣殿」到着13じ45分。なんと下りは4時間近くもかかりました。


境内で記念に「お札」を戴きました。




ここから、「銅の鳥居」まで、再び階段を・・・


でもそんな体力も気力もありません。








「銅の鳥居」と「奉幣殿」を結ぶスロープカーで下山しました。

 


これにて「英彦山神宮登頂記録」は終了で、読んで戴いた方有難うございます。


また、今後行かれる方、参考にしてください。