諸葛亮孔明が好んで口ずさんでいたとされる楽府詩である。
歩 出 斉 城 門 (歩みて斉の城門を出れば)
遥 望 蕩 陰 里 (遥か蕩陰の里を望む)
里 中 有 三 墳 (里中に三墳あり)
累 累 正 相 似 (累々として正に相い似たり)
問 是 誰 家 墓 (問う 是れ たれの墓ぞと)
田 疆 古 冶 子 (田疆と古冶子なり)
力 能 排 南 山 (力は能く南山を排し)
文 能 絶 地 紀 (文は能く地紀を絶つ)
一 朝 被 讒 言 (一朝にして 讒言を被り)
二 桃 殺 三 士 (二桃もて三士を殺す)
誰 能 為 此 謀 (誰か能く 此の謀を為すや)
国 相 斉 晏 子 (国相なる斉の晏子なり)
孔明は、草櫨にあって斉の名宰相「晏子」のように社稷を尊び天下国家の経営に参与したい思いがあったのであろう。さてこの「晏子」を知ったのは、10年くらい前である。宮城谷昌光の「晏子」という本である。司馬遷が御者にまでなりたいと言った程の名宰相である。それまでは、名宰相といえば「倉禀実ちて礼節を知り、衣食足って栄辱を知る」の名言で知られる管仲ぐらいであったが、三国志と宮城谷氏のおかげでいろいろ勉強したものである。この時期は、確か静岡に住んでいたはずだが、「重耳」「孟嘗君」などを長いなあと思いながらよく読んだものである。中国の歴史は本当にタメになるしおもしろい。昨年の4月に日露戦争の舞台である「旅順」「瀋陽」を訪問したが、これもまた言葉にしがたい感動を覚えたものである。まだまだ行きたい場所は数多くあるが 、今の日中関係ではそれもままならない。なんとも歯がゆいものである。