2015年12月25日金曜日

来年のカレンダー


来年のカレンダー。日本橋ある「おいでませ山口館」にて購入。


表紙は、「吉田松蔭自賛肖像考」と呼ばれるもので、肖像画(掛け軸)に松蔭先生自ら「賛」を書いたものである。


「賛」とは、画に題して画面中に書く詩・歌・文のことである。 





三分 盧を出づ、諸葛 已んぬるかな、
一身 洛に入る、賈彪 安くに在りや。 


心は貫高を師とするも、而も素より立つる名無く、
志は魯連を仰ぐも、 遂に難を釈くの才に乏し。
読書 功無し、 朴學三十年、
滅賊 計を失す、 猛気二十一回。 


人は狂頑と譏り、 郷党 衆く容れず、
見は家國に許し、死生 吾久しく斉うせり。 


至誠にして動かざるは、古より未だ之れ有らず、
古人 及び難きも、聖賢 敢へて追陪せん。 


��訳> 


これを解釈すると、
天下三分の計を図り草廬から出仕したという、


諸葛孔明はもはやこの世になく、党禁を訴えるため、一身で都に入ったという、あの賈彪は何処にいるというのか。


私の心はあの壮士の貫高を師としているが、元来世間に立てる程の名声は無く、私の志は斉の魯仲連を尊敬しているが、結局は難事を解決する才に乏しい。


読書もその効果がなく、学問に従って三十年になりながら、外夷を滅ぼそうとの企ても失敗した。勇猛心を二十一回振り起そうとしたのに。


世の人は私を頑固者と非難して、邑人は多く私を受け容れてくれないが、吾が命は國家に捧げており、死ぬにしろ、生きるにしろ忠誠を尽くす心にかわりはない。


至誠を尽くせば心を動かさない者は、古来一人もいないと、孟子は言ったが、諸葛孔明などの俊傑ほどには及ばないまでも、聖賢が求めたものを精一杯追慕したい。 





その後ろに「跋」という贈る相手を想定した<贈り言葉>が続く。
現在7枚(①吉田家本②杉家本③品川家本④岡部家本⑤中谷家本⑥久坂家本⑦福川家本)の肖像自賛考が残されているが、「跋」をみると このカレンダーの表紙は、④岡部家本 であろう。
門下生 岡部富太郎に与えたものである。
などと一人ではしゃいでいるクリスマスイブである。


















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