コーラスバカの奥さんは、京都へ歌いに出かけました。こんなことならGOLFバカは、昨年同様、ジュンクラッシックへ出かければ好かった。ガクッ!!ということで今日は、朝から和室前の庭の改造に着手します。芝生と雑草とグレコマでかなり荒れてきたので、芝生を抜き取り、バークチップ(下の写真)を撒くことにしました。枕木のステップを囲むように。昼から雨なので急がねば・・・。まあ2日はかかるかな。落ち着いた雰囲気が出せれば最高です。完成したら、画像Upします。
2006年4月30日日曜日
バークチップ
2006年4月24日月曜日
血だらけ
今日は、つるバラの枝の整理をした。もう血だらけである。しかし毎年ながら、この時期の植物の伸びはすごい。1日であっという間の様変わりである。そろそろ害虫たちもお出ましである。今年は、自宅にいるので目いっぱい退治したい。2006Rose Gallery立ち上げまであとわずか。
さて、最近のGOLFであるが、ドライバーが絶不調に陥っている。そこで思い切ってスィングの変更に取り組んでいる。開眼・閉眼の繰り返しであるが、ゴルフバカも当分やめられそうにない今日この頃である。スィング改造に成功したらまた報告したい。それまでは、スコア自慢はお休みである。
2006年4月15日土曜日
2006年3月19日日曜日
松陰先生のことば
山口県萩市明倫小学校では、児童らにより毎朝「松陰先生のことば」が朗誦されている。
1年生(一学期)
今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人と成りにし 道を深めし
(今までは、親にすがり甘えていたが、 小学生となった今日からは、自分のことは自分でしよう)
2年生(一学期)
万巻の書を読むに あらざるよりは いずくんぞ 千秋の人たるをえん
(多くの本を読み勉強しなければ、どうして名を残すような立派な人になることができるでしょう、しっかり本を読みましょう)
3年生(一学期)
凡そ生まれて人たらば 宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
(人間として生まれて来た以上、動物と違うところがなくてはならない。・・・人間は道徳を知り行うことができる。道徳が行わなければ人間とは言えない。)
という風に6学年×3学期分=18 の言葉が朗誦されている。さすが明倫館の流れを汲む小学校である。一度、その様子を見てみたいものである。
2006年3月18日土曜日
春の嵐
おとといの春の嵐はすさまじかった。夜中に思わず起きだしてしまいました。千葉県は32.6mの最大瞬間風速を記録したとNEWSで言ってました。今日は、暖かく春を感じる一日です。早速、庭の花をUPしました。バラの芽も続々と出てきています。これからの季節が楽しみです。
2006年3月6日月曜日
2006年3月5日日曜日
尾形大作
宴席などでよく歌う歌に尾形大作の「吉田松陰」というのがある。【敬天愛人 青春グラフティー】というアルバムの1番目の曲である。
さて、敬天愛人という言葉は、西郷隆盛が、好んで使い揮毫していた言葉である。
「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」
(現代訳)「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。」
(西郷南洲顕彰会発行・南洲翁遺訓より抜粋)
西郷隆盛は、仁愛の人として有名であるが、この言葉から西郷隆盛の自己修養のための指針と、信仰的とも言える天命への自覚というものが窺い知ることができる。
一つ薀蓄を言えば、この言葉を、社是としているのが、稲盛和夫氏の「京セラ」である。
少し(かなり)横道に逸れたが、薩摩人を語るほど興味を持って書籍を読んでいないので本題に移りたい。言い忘れてが、よく日本史で坂本龍馬の功績の一つに「薩長同盟」の成立が言われているが、「長薩同盟」というべきではないかと私は思っている。おっと、また横道に逸れてしまった。
星野哲郎氏が書いた歌詞は以下のとおりである。
吉田松陰
歌手名:尾形大作
作詞:星野哲郎
作曲:浜口庫之助
時と命の 全てを賭けた
吉田松陰 憂国の
夢草莽に 果つるとも
松の雫は 久坂に宿り
花は桂の 枝に咲く
口で言うより 行うことが
志士の志士たる 誇りなら
かくごの罪の 踏海忌(とうかいき)
下田港の 弁天島の
波も讃える 男意気
何も持たない 若者たちの
無欲無限の 赤心が
日本の明日を 創るのだ
松下村塾(しょうかそんじゅく) 長州魂
いまも生きてる 萩の町
一番の歌詞に「松蔭」「久坂玄瑞」「桂小五郎」の名をそれとなく入れているのがプロの作詞家らしい。しかし、一番すきなのは、やはり三番の歌詞である。別に私は「右」ではないことを断っておくが、長州人として是非今後もカラオケでは歌っていきたい。
2006年2月25日土曜日
モーツァルト お気に入りベスト5
モーツァルトの作品からお気に入りを選ぶのは至難の技だが、現在の自分のベスト5を挙げるとすると以下のようになる。
① ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488
② 弦楽三重奏のためのディヴェルトメント 変ホ長調 K563
③ ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 k364
④ 交響曲第29番 イ長調 K201
⑤ クラリネット五重奏曲 イ長調 K581
以上だ。あっ イ長調と変ホ長調だけだ。これもおもしろい。
2006年2月13日月曜日
成田山新勝寺
2006年2月10日金曜日
電車通勤
会社まで約1時間かけての通勤。往復2時間。この時間が非常に貴重だ。単身赴任時代は、歩いて通ったりしていたのですぐに会社についたが、今は「本」を読む時間となっている。朝早いせいか、爆睡している人や朝から漫画を読んでいる若いサラリーマンは、ナンとも情けない。ご愁傷さまである。こちらはおかけで今は、2日で1冊のペースで本が読める。まあ 毎度偏ったジャンルではあるが、満員電車で揺られながらの読書は今の楽しみの一つである。
2006年1月28日土曜日
2006年1月23日月曜日
雪
先週 札幌に出かけて雪は見飽きたのに、東京も大雪。おかげで昨日のゴルフは中止。千葉の「きみさらずカントリークラブ」でプレイの予定であった。10年ぶりくらいのエントリーで、リンクス風のホール、名物のアイランドグリーンのショートホールなど楽しみにしていたのに甚だ残念である。予想以上に継続的に降り10cmは積もっただろうか。今日は、朝から玄関前の雪かきに精を出す。庭のバラもすっかり雪に覆われてしまって寒そうである。
2006年1月15日日曜日
京成ローズガーデンへ
2006年1月8日日曜日
動けば雷電の如く発すれば風雨の如し
『孫子』の中に、「兵は詐(さ)をもって立ち、利をもって動き、分合(ぶんごう)をもって変をなす者なり。疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如く、知りがたきことは陰のごとく、動くことは雷の震うがごとく、郷を掠(かす)むるには衆を分ち、地を廓(ひろ)むるには利を分ち、権をかけて動く、先(ま)ず迂直(うちょく)の計を知る者は勝つ、此(こ)れ軍争の法なり」の句がある。ご存知、武田信玄の軍旗「風林火山」の元の言葉である。
たぶん、この言葉を連想して書いたのだろうか。故高杉晋作の碑文に伊藤博文が書いた文章の始まりは「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然として敢えて正視するものなし、これ我が東行高杉君に非ずや」である。この碑文には、晋作の人生の概略が結構細かに書かれているので実に面白い。長州人ならずとも高杉晋作をもっと知ろう。そう思う。
(写真:山口県下関市長府 功山寺)
2006年初打ち
2006年の初打ちは、茨城県の霞ヶ浦CCでスタートした。東関東自動車道 潮来ICから45分のはずが、手前5kmまで、周りは真っ白の積雪、道路はノロノロ運転の上、スリップ事故が2件。おかげでスタート時間15分前に到着。朝の素振り(練習)もできず、IN 10番 最初のティーショットはOB。ガクッ!!その後も随所にGOODショットはあるものの、凍ったグリーンに弾かれ散々な前半でIN=50で終わる。冬場のゴルフは何が起こるかわからない。昼食後の後半は、グリーンも元に戻りOUT=41の、トータル=91で初打ちを終える。パーを7つ獲るが、すべるグリーンを読みきれず3パットの嵐。結局、昨年と同じスコアでのスタートとなった。写真にある名物ホールの18Hミドルホールは、見事なティーショット(250Y)をするものの2打目8Iでのセカンドは、ONすると凍ったグリーンに弾かれ池ポチャすると判断。手前ギリギリを狙うが無常にもそのまま池ポチャ。またしても攻略できず残念。しかし、今年は何となくレベルアップできそうな予感がする。(開眼36回閉眼36回)
2005年12月31日土曜日
2005年12月29日木曜日
札幌
2005年12月18日日曜日
ゴルフ練習
久しぶりにゴルフ練習場へ。11/23以来である。そういえば、11/23は、1ラウンドで初めて2バーディーを獲り、スコア85で、自己ベストまであと1つという絶好調であった。筋肉というのは、不思議なものでその時の感覚は全く記憶していない。どうやっていいショットを打ったのか全く覚えがないのだ。来週、久しぶりに水戸の仲間とラウンドするが、ちょっと心配である。
2005年12月12日月曜日
単身赴任解除
明日より東京に勤務することになった。ということで、たった5ヶ月という早い名古屋の生活を終え、本日、自宅へ。単身赴任生活は4年半で、とりあえずピリオド。家を建てて初めて家からの通勤が始まる。それにしても、まさに驚天動地の2週間であった。