2006年12月3日日曜日

説着曹操 曹操就到

説着曹操 曹操就到<シュオチャツァオツァオ、ツァオツァオチウタオ> 曹操の話をすれば曹操が来る。 中国では、「噂をすれば影」をこのように言う。たぶん、曹操は各地に諜者をはなち、情報収集に余念がなかったのだ。徳川家康が伊賀忍者を使って情報収集していたのと同じであろう。昔も今も情報を制するものは・・・である。さて我々が目にする曹操はどうしても悪役だ。劉備や孔明、関羽が圧倒的に人気が高い。日本では、三国志といえば、吉川英治や横山光輝の影響をほとんどの者がうけているからだろう。しかし理由はそれだけではない。曹操が悪役になったにはちゃんと他に理由がある。曹操は、孔子の子孫の孔融を一族もろとも処刑した事や儒教そのものをないがしろにしたからである。陳寿や裴松之も儒者であり、羅貫中も儒者。三国志演義は、当然にして儒教的プロパガンダの脚色がなされている。中国と儒教はやはり切っても切り離せない。その為に曹操は少し悪役でいてほしかったのではないだろうか。織田信長はよく曹操の生まれ変わりといわれるが、実は曹操のこの儒教価値観の破壊と信長の仏教価値観の破壊というものが新しい世を創造するのに必要なのだという考えが非常に似ていたからではないかと思う。それに供に人材の登用に余念がなった。こうして二人を比べてみるのも面白い。でもそんなことをしていると、説着曹操 曹操就到かも・・・・



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