2009年2月14日土曜日

日本史の反逆者~私説・壬申の乱

Photo 井沢元彦「日本史の反逆者~私説・壬申の乱」を読む。



父を異にする二人の皇子、中大兄皇子と大海人皇子。両者の間の確執は、やがて、古代史上最大の争乱といわれる壬申の乱となって火を吹き上げた――。二人は何故そこまで憎み合わなければならなかったのか? 大海人皇子の妻・額田王はどうして中大兄皇子に娶られなければならなかったのか? 大海人皇子の実父はいったい何者であったのか? 数多くの謎を秘めた壬申の乱。その歴史の真相と、交錯する人間模様を、著者独自の視点から探り、リアルな筆致で描いた、新本格歴史小説!



奈良時代の書物 『扶桑略記』には、「一云 天皇駕馬 幸山階鄕 更無還御 永交山林 不知崩所 只以履沓落處爲其山陵 以往諸皇不知因果 恒事殺害」とある。「現在の山科への行幸の際、一人で遠出し、ついに帰ってこなかった。何処でお亡くなりになったのかわからない。そこには、沓(クツ)だけが残されていた。殺害されたのだ」というもの。確かに大津に都をつくった天智天皇の墓陵が山科にあるのは不可解なのだ。そして、その正面には「沓石」と呼ばれる約2×3mの平坦な切石がある。うーん、これが本書の元となっている。日本書紀でいう病死ではなかったのか。古代日本史を作りだした天武天皇とは? 



ところで、京都東山区にある「泉涌寺」は中世以来歴代の天皇家の菩提寺として名高いが、この「泉涌寺」の歴代天皇を祀る仏間「霊明殿」から、不思議なことに天武系の9人の天皇即ち、天武、持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳の位牌だけが除外されており、天智からいきなり光仁、桓武へと続いているそうである。これはどうしてなのか?



この時代は、とにかく、いくらでも想像を働かすことができて楽しい。是非 ご一読を!





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