本日、53歳を迎えました。やはり。1年は早いものです。かみさんからは、セーターを、なっちゃんからは、マフラーを戴きました。そして、自分へのプレゼントは、アイリスオーヤマの「スチームクリーナー」」↓
2013年11月25日月曜日
2013年11月23日土曜日
この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」門田隆将著を読む。
[E:book]第19回山本七平賞受賞作、待望の文庫化! 「台湾」と「台湾海峡」は誰によって守られ、なぜ今も存在しているのか。本書は、その謎に挑み、「義」のために生きた一人の日本人と、国境を越えてそれを支えた人たちの姿を「現代」に蘇らせたスクープ歴史ノンフィクション。
傍らには、「俺の骨を拾え」と言われて随行を命じられた通訳が一人。この時、蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党との「国共内戦」が、まさに決着を迎えようとしていた。共産軍の攻勢によって、大陸から撤退し、いよいよ金門島まで追い込まれた蒋介石。根本は蒋介石を助けるために「密航」を敢行したのである。
「義には義をもって返す」。根本には、終戦時、蒋介石に言葉では表せぬほどの恩義があった。その恩義とは一体、何だったのか。
密航の途中、座礁や船の故障で、九死に一生を得ながら、根本は台湾に辿り着く。感激した蒋介石から根本は「林保源」という中国名を与えられ、金門島に赴く。そして、次々に作戦を立案し、押し寄せる共産軍に立ち向かった――。
解説は、歴史研究家の秦郁彦氏。知られざる現代史の真実が今、紐解かれる。
2013年11月16日土曜日
宮城谷三国志 9巻
またまた、一年ぶりに発刊されました宮城谷昌光著「三国志 9巻」読破。どうらや10巻で終わりそうです。
[E:book]後世に名高い「出師の表」を書き、孔明は魏を征伐すべく軍を発する。しかし先鋒を任せた馬謖は兵法には精通しているが実戦経験に乏しく、惨敗を喫す。未だ成熟をみない国の法を重んじ、涙を流しながら馬謖を誅す孔明。一方、尊号を王から皇帝に改めた孫権は、早期の天下平定を目指し遼東の公孫淵と手を結ぼうと使者を送るが…。
2013年11月11日月曜日
映画「清須会議」
2013年11月10日日曜日
ホウライカントリー倶楽部
2013年11月8日金曜日
史記 武帝紀4
北方健三著「史記 武帝紀4」読み終えました。
前漢の中国。匈奴より河南を奪還し、さらに西域へ勢力を伸ばそうと目論む武帝・劉徹は、その矢先に雀去病を突然の病で失う。喪失感から、心に闇を抱える劉徹。一方、そんな天子の下、若き才が芽吹く。泰山封禅に参列できず憤死した父の遺志を継ぐ司馬遷。名将・李広の孫にして、大将軍の衛青がその才を認めるほどの逞しい成長を見せる李陵。そして、李陵の友・蘇武は文官となり、劉徹より賜りし短剣を胸に匈奴へ向かう―。北方版『史記』、激動の第四巻。
2013年11月4日月曜日
横須賀 軍艦三笠
今日は一人で横須賀にドライブでした。
走水神社
走水神社は、景行天皇40年(110年)、日本武尊が東征の途上、当地から浦賀水道を渡る際、自分の冠を村人に与え、村人がこの冠を石櫃へ納め土中に埋めて社を建てたのが始まりと伝えられます。上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めました。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めた。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になり走水神社境内へ移され、明治42年(1909年)に合祀されました。
弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因み、航海の安全を祈念して建立された「舵の碑」が境内にありました。
東叶神社・叶神社・西叶神社
養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建されました。
その由縁は、文覚上人が源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177〜1180)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。 ~ 御由緒より
東叶神社の左手を進んで、かなりの階段を上っていくと「本社」があります。これは疲れました。
その左手に勝海舟が咸臨丸出航前に、当地で断食修行をしたと伝えられる記念碑がありました。