2006年6月19日月曜日

八陣図(石兵八陣)

Img379三国志の話。 
東呉の大都督陸遜(りくそん)が大いに蜀の軍を負かした後、尚も追撃の手を緩めず魚腹浦(ぎょふくほ)という所まで来ると、河の砂州に石を積み上げた陣地が見えてきた。人っ子一人いないのに中に何故か殺気が漲っている。兵を率いてその中に進入したが、ただ怪石が剣の様に高く聳え、土と砂が山の如く積み上げられているだけ。やがて、万の太鼓を一度に鳴らした様な音と共にその土砂が波を打って崩れだしてきた。慌てて兵を引こうにも退路も閉ざされてしまう。いぶかり、途方にくれている時、何処からともなく一人の老人が現れ、陸遜達を導き助け出し一命を取り止める。この不思議さに老人に尋ねると「ここは諸葛孔明の手による八陣の図という石陣である。全部で八つの門があり、毎日毎日変化させているので十万の兵の攻撃にも耐えられる」との事。陸遜は驚き、「一年も前からこのような仕掛けをしていた孔明はまさに伏臥せる龍である。私はとうてい彼には及ばない・・・」と嘆き兵をひくのであった。すでに三国志も後半のところであるが、孔明の逸話としてはおもしろい。ところでかの高名な詩人杜甫はちなんで「八陣の図」という詩歌を詠んでいる。                                



功 蓋 三 分 国 (功は三分の国を蓋い)
名 成 八 陣 図 (名は八陣の図に成る)
江 流 石 不 転 (江は流るるも石は転せず)
遺 恨 失 呑 呉 (遺恨なり呉を呑むを失せしこと)



杜甫も孔明の人格と才能に思わず詠わずにはいられなかったのであろう。





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