昨年植えたグラハム・トーマスも鮮やかな黄色で、心が和みます。この季節は庭に出るのが本当に楽しみです。アンティーク・タッチのバラ「レオナルド・ダ・ヴィンチ」も多くの花をつけてくれました。
2007年5月27日日曜日
洗練~モーツァルトを語る 第24弾
第24弾は、大司教の館のターフェルムジーク(食卓音楽)として作曲された6曲(K213、240、252=240a、253、270、289=271g)の作品の中で第5番目の曲である「ディヴェルトメント 第14番 変ロ長調 K.270」をとりあげる。オーボエ2、ホルン2、ファゴット2という簡単な編成。管楽器のみでモーツァルトほど洗練された音楽を作り上げた人はいないだろう。センスの格を感じる。自筆楽譜には、〈アマデーオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルトの6声のディヴェルティメント第5番 1771年1月〉と書かれている。4楽章編成の15分弱の曲です。第1楽章はアレグロ・モルト。ファゴットの8分音符の上でオーボエが軽やかにメロディーを歌い上げるところがお気に入りです。それではお聴きください。mozart_14_k.270.mp3(クリック)。
留魂録 その9
六
要諫一条に付き、事遂げざる時は鯖候と刺違へて死し、警衛の者要蔽する時は切払ふべきとの事、実に吾が云はざる所なり。然るに三奉行強ひて書載して誣服せしめんとす。誣服は吾れ肯へて受けんや。是を以て十六日書判の席に臨みて、石谷・池田の両奉行と大いに争弁す。吾れ肯へて一死を惜しまんや。両奉行の権詐に伏せざるなり。是れより先き九月五日、十月五日両度の吟味に、吟味役まで具さに申立てるに、死を決して要諫す、必ずしも刺違へ・切払ひ等の策あるに非ず。吟味役具さに是れを諾して、而も且つ口書に書載するは権詐に非ずや。然れども事已に爰(ここ)に至れば、刺違へ・切払ひの両事を受けざるは却って激烈を欠き、同志の諸友亦惜しむなるべし。吾れと雖も亦惜しまざるに非ず、然れども反復是れを思へば、成仁の一死、区々一言の得失に非ず。今日義卿奸権の為めに死す、天地神明照艦上にあり、何惜しむことかあらん。
間部「要諫」についてであるが、諫言が取り上げられない時は、間部と刺し違えて死に、護衛の者がこれを防ごうとすれば切り払うつもりであったと、私は絶対に言ってはいない。ところが、三奉行は、強いてそれを記述し、私を罪に陥れようとしていた。このような無実の罪にどうして服することが出来ようか。そこで、私は16日、供述書に署名する席上において、石谷・池田の両奉行と大いに論争をおこなった。私は、死を惜しんでいるのではない。両奉行の権力をたのんでの詐術にどうしても服したくはなかったのである。これより先、9月5日、10月5日の両日の取調べの際、吟味役につぶさに申立てた。死を覚悟して要諫するつもりであり、必ずしも刺し違え、切り払うなどは考えていなかったのだと。吟味役は「よくわかった」と答えたにもかかわらず、供述書には「要撃」と書き込んでいる。これも権力による詐術に他ならないではないか。だが、子とはもうすでにここまできた。刺し違え、切り払いのことを私があくまで否定したのでは、かえって激烈さを欠き、同志の諸友も惜しいと思われるであろう。自分もまた惜しいと思わないわけではない。しかしながら、繰り返しこれを考えると、志士が仁のために死ぬにあたっては、とるに足らぬ言葉の得失など問題ではない。今日、私は権力に奸計によって殺されるのである。神々は明らかに照覧されているのだから、死を惜しむところではないであろう。
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間部要撃策の弁解をしている。萩で計画したときは暗殺であった。ところが幕府には「要諫(ようかん)」と述べている。だから間部と刺し違えるとか、切り払うとかは言っていない。無実であるのに罪を犯したと白状させようとするがどうして進んで受けられようか。16日に署名し花押を書くとき論争し、幕吏のごまかしには屈服しなかった。その後の取調べでも申し立てたが、刺し違えや切り払いを受けないのは却って激烈を欠く事になると、考え直す。
死して君親にそむかず
悠々天地の事
鑑照明神にあり
2007年5月24日木曜日
破軍の星
北方謙三「破軍の星」も読み終えた。最近、とにかく北方歴史物にはまっている自分がいる。ハードボイルド小説家だけあって、とにかく「男」が魅力的なのだ。そこがいい。この小説の主人公は、「北畠顕家」。南北朝の動乱期、わずか16歳で奥州制圧を成し遂げた顕家。逆臣・足利尊氏討伐をめざし、疾風のごとく京へのぼる。勝利・勝利・勝利そして敗北。負けるとわかっていて戦いに身を投じる猛き貴公子の生涯を描いている。顕家は実は風林火山の旗を信玄よりも先に掲げた人物でもあります。日本史史上最も美しくカッコいい武将(公家だが)ではないだろうか。なじみの薄いこの時代を知る上でも、とにかく、かなりお勧めの1冊です。 歴史家に網野善彦という網野史観を唱えた人がいます。簡単にいうと、日本史が定住農耕民中心の記述に偏っているのに対して、それに隠れた様々な漂白民の世界があることを主張したものです。そのあたりを匂わせる一族を登場させているのも見逃せません。絶対にこの小説を元に大河ドラマをやってほしい気がする。
さて、破軍星とは、北斗七星の杓の柄の最初の星をいう。中国では、この方角に軍を進めると必ず破れるという伝説があった。また破軍星は「将軍」をさします。ちなみに榎本武揚が艦長を務めた江戸幕府所有の軍艦「開陽丸」の開陽とは、北斗七星の杓の柄の2番目の星のことで、「将軍」を側で護り従うところからこの名がついたようです。
野望・覇者
戦国時代ものを久しぶりに手にした。井沢元彦「野望 上下」「覇者 上下」全4冊。前者が、信玄と勘助、後者は、信長・勝頼。逆説の日本史シリーズの作者の小説ということ、今 大河で風林火山をやってるので、思わず手が伸びたが、あっというまに4冊読み終えた。「野望」を読んでいて、何故、日本史史上かくも有名でありながら、時代になんら意味をなさなかった「川中島の戦い」が行なわれたか、この歳にして始めてわかった。そういう意味で、上杉謙信という男はかなり興味深い。「覇者」は信長中心だが、武田を滅ぼす信長という一面に絞られておりおもしろい。そして何より秀吉・光秀はそっちのけというのだから珍しい。一貫して武将の器量ということに焦点をあてた筆ぶりであったように思える。是非お読みください。1冊ずつが分厚いのでお気をつけて。
2007年5月23日水曜日
ニドム
前の土曜日1年ぶりに「ニドムクラシック」にてGOLF。会社のコンペ。当日は霧雨。前々日より大雨のためグリーンは、水しぶきを上げてボールが転がるという最悪のコンディション。3パットの嵐で49:48=98という今シーズン最低のスコアで終わる。順位も4位というまたまた何の賞品もない順位。(この日はやはりみなスコアには苦労したみたい)。しかし相変わらずニドムの森は美しく白樺や時折見える池や川は大自然を満喫できるすばらしいゴルフ場であった。また行きたい。今度は良い天気の時に。それはそうと風呂場で眼鏡を忘れ、慌てて戻ったが見つからず。眼鏡なんてとってどうするの?ガックリ。さっそくPaul Stuartの眼鏡を購入。25,000円 痛い出費だ。
2007年5月22日火曜日
2007年5月13日日曜日
シャルロット
イングリッシュ・ローズの「シャルロット」がやっと開花しはじめました。淡いクリーム色で香りもさわやか。最初は小さく開くと見事なカップ咲きになります。今年は、花が一斉ではないのが残念。パットオースチンもまだ少し、ヘリテージは全くという具合。毎年感じるが、バラはやっぱり難しい。
2007年5月12日土曜日
疾走しないト短調~モーツァルトを語る 第23弾
第23弾は、「疾走しない悲しみのト短調群」と勝手に名付けている曲達の中の1曲「Mozart - ヴァイオリンソナタ 第36番 K.380の第二楽章」を紹介する。K.380自体の調性は、変ホ長調だかこの第二楽章は、ト短調 4/3 アンダンテ・コン・モートである。短調のモーツァルトが、モーツァルトという途方もない天才の一面である事実は誰も否定できない。明るく晴れやかで春風のように心地よいセレナードやディヴェルトメントにも、感情のこまやかさが小さな波のように幾つも幾つも訪れ、心を洗い戯れてくるピアノコンチェルトの緩徐楽章にも、不思議と現れるモーツァルト的悲哀の音たちは、それはそれで堪らなく美しく大好きだが、こうして第一音から投げかけてくる短調の悲しみのメロディーは心にぐさっとくる。たぶんモーツァルトがそうした一面を知らず知らずのうちに耐え切れず漏らしているからではないかと思えてならない。それではお聴きください。mozart_36_k.380 - 2(クリック)
ゴルフシューズ
2007年5月5日土曜日
ダヴィンチ展
東京国立博物館 レオナルド・ダ・ヴィンチ展にかみさんと出かけました。メインは「受胎告知」。というか絵画はこれ1枚だけ。上野駅周辺は人・人・人でうんざり。当然、絵を見るまでに40分も並んで、絵を見れたのはたったの1~2分。ウフィツィ美術館の門外不出の作品で、1940年以降館外に出たことがないのだから仕方がない。思ったよりも小さな絵で驚いた。そういえば、大学時代にルーブルで見た「モナリザ」も意外に小さいのでびっくりしたことがあったな。「受胎告知」では、マリアは本を読んでいるか、糸を紡いでいるらしいが、ダヴィンチの絵では本を読んでいる。その本の文字までも正確に描いているからすごい。象徴である白百合は、天使ガブリエルの顔の前にひっそりとあった。うーん、それにしても部屋を暗くしすぎじゃあないだろうか(不満不満)。その他の展示物は、「ウィトルウィウス的人体:人体均衡図」の解説などもあったが、展示の意図がはっきりしない感じの並べ方であった。絵が1枚きりなので科学者としてダヴィンチをことさらアピールしたかったのだろうが。帰りに西郷隆盛の銅像を初めて見た。こんなところにあったのか。顔が異様にでかい。ダヴィンチの黄金率での人体図を見ただけに余計にそう思う。この後東京駅に出て、オープンしたての新丸ビルによったが、ここも人・人・人で、とても上に行く気すらおこらず、そのまま帰宅してきた。買ったばかりの靴で久しぶりに歩いてもう足が降参です。
2007年5月4日金曜日
疾走の始まり~モーツァルトを語る 第22弾
第22弾は、久々の弦楽四重奏曲の登場。ミラノ四重奏曲の5番目の作品「弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 K.159」です。緩・急・急という楽章構成を持つ特徴的な作品です。いわゆるディヴェルトメント風ですね。第一楽章はアンダンテというゆったりとしたテンポで始まり柔らかく温かみのある音色です。何故か9小節目まで第1ヴァイオリンが登場しない。そしてこの9小節目の第2ヴァイオリンとヴィオラのシンコペーションは「らしい」としか言いようがない。さて、この曲の肝は、なんといっても第2楽章(5分30秒から)でしょう。モーツァルトにとって始めての短調でのソナタ・アレグロ。まさに疾風怒濤的傑作といえよう。かの「疾走するかなしみ」は原点はここにあるような気がする。調性は宿命のト短調。ひたむきに駆け抜けるという言葉がぴったりくるだろうか。それでは聴いてください。。mozart_06_k.159(クリック)。