2007年5月27日日曜日

留魂録 その9



要諫一条に付き、事遂げざる時は鯖候と刺違へて死し、警衛の者要蔽する時は切払ふべきとの事、実に吾が云はざる所なり。然るに三奉行強ひて書載して誣服せしめんとす。誣服は吾れ肯へて受けんや。是を以て十六日書判の席に臨みて、石谷・池田の両奉行と大いに争弁す。吾れ肯へて一死を惜しまんや。両奉行の権詐に伏せざるなり。是れより先き九月五日、十月五日両度の吟味に、吟味役まで具さに申立てるに、死を決して要諫す、必ずしも刺違へ・切払ひ等の策あるに非ず。吟味役具さに是れを諾して、而も且つ口書に書載するは権詐に非ずや。然れども事已に爰(ここ)に至れば、刺違へ・切払ひの両事を受けざるは却って激烈を欠き、同志の諸友亦惜しむなるべし。吾れと雖も亦惜しまざるに非ず、然れども反復是れを思へば、成仁の一死、区々一言の得失に非ず。今日義卿奸権の為めに死す、天地神明照艦上にあり、何惜しむことかあらん。



間部「要諫」についてであるが、諫言が取り上げられない時は、間部と刺し違えて死に、護衛の者がこれを防ごうとすれば切り払うつもりであったと、私は絶対に言ってはいない。ところが、三奉行は、強いてそれを記述し、私を罪に陥れようとしていた。このような無実の罪にどうして服することが出来ようか。そこで、私は16日、供述書に署名する席上において、石谷・池田の両奉行と大いに論争をおこなった。私は、死を惜しんでいるのではない。両奉行の権力をたのんでの詐術にどうしても服したくはなかったのである。これより先、9月5日、10月5日の両日の取調べの際、吟味役につぶさに申立てた。死を覚悟して要諫するつもりであり、必ずしも刺し違え、切り払うなどは考えていなかったのだと。吟味役は「よくわかった」と答えたにもかかわらず、供述書には「要撃」と書き込んでいる。これも権力による詐術に他ならないではないか。だが、子とはもうすでにここまできた。刺し違え、切り払いのことを私があくまで否定したのでは、かえって激烈さを欠き、同志の諸友も惜しいと思われるであろう。自分もまた惜しいと思わないわけではない。しかしながら、繰り返しこれを考えると、志士が仁のために死ぬにあたっては、とるに足らぬ言葉の得失など問題ではない。今日、私は権力に奸計によって殺されるのである。神々は明らかに照覧されているのだから、死を惜しむところではないであろう。



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間部要撃策の弁解をしている。萩で計画したときは暗殺であった。ところが幕府には「要諫(ようかん)」と述べている。だから間部と刺し違えるとか、切り払うとかは言っていない。無実であるのに罪を犯したと白状させようとするがどうして進んで受けられようか。16日に署名し花押を書くとき論争し、幕吏のごまかしには屈服しなかった。その後の取調べでも申し立てたが、刺し違えや切り払いを受けないのは却って激烈を欠く事になると、考え直す。



身を犠牲にしても仁をなす。正義を貫き通したい。


「今日、義卿(松陰)、奸権のために死す 天地神明 照鑑(しょうかん)上にあり 何惜しむことあらん」 ここに松陰先生の気持がよく出ていると思う。これが死に臨んでの




吾今国のために死す
死して君親にそむかず
悠々天地の事
鑑照明神にあり


という辞世の詩につながるのである。


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