2007年12月30日日曜日

呂蒙

Photo_2 「呉下の阿蒙」「括目」で有名な三国時代の呉の知将「呂蒙」を描いた本がまたまたPHP文庫からでた。読む。 呂蒙は、蜀好きの三国志ファンには痛い存在だ。かの関羽将軍を見事な計略で追い詰め討ち取った知将だからだ。呉の兵権は、周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜と受け継がれていくのだが、呂蒙は元々武勇の士であった。教養は全くといってよいほど無かった。しかし、孫権から教養の大切さを諭されて勉学に励んだ。これにより軍略も身に着けた。全くの庶民であったことからもその有能さがわかる。三国志演義では、関羽の亡霊により、全身の穴という穴から血を吹いて死んだとされているが、関羽討伐時に既に病魔に侵されていたのが真実らしい。彼は、陸遜を自分の後継に指名して病死する。私は、ここでも登場する甘寧が呉の将軍の中では好きだ。



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