2008年10月30日木曜日

霧島岑神社

Kirisimamine1 Kirisimamine2 小林市へ出かけた帰りに5分程、神社にお参りに。



霧島六社権現の一つ「霧島岑神社」へ。御祭神は(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、彦火火出見尊、豊玉姫、鵜草葺不合尊、玉依姫)。参道の入り口に仁王像が立つ。そこから、長い階段を登ったところに境内がある。静かな境内へ入り口の、高く高く聳える杉は印象的だ。



現在の岑神社は、夷守(ひなもり)神社合併されたもので、霧島六社権現とは、霧島神宮・東霧島神社・狭野神社・霧島東神社・霧島岑神社の5つということになる。たぶん、高千穂峰そのものがご神体であったのだろう。



また、仁王像の仁王とは、金剛力士のことである。それは「金剛杵(こんごうしょ)(古代インドの武器を元にした密教の法具。あらゆる煩悩を打ち砕く象徴)を持つもの」の意味であります。2体は、金剛杵を持ち口を開いた阿形像(あぎょうぞう)と、口を閉じ宝棒を持つ吽形像(うんぎょうぞう)です。「阿吽の呼吸」とよく言われますが、阿は「あ」で言葉の始まり、吽の「ん」で言葉の最後で、の始まりと究極とを象徴しているそうです。勉強にになります。



2008年10月26日日曜日

晋作 蒼き烈日

Photo_4秋山香乃「晋作 蒼き烈日」を読む。



蹉跌と苦悩、矜持と自負からくる驕り、未来への切実な希望と理想。拭い去れない私欲も含め、長州きっての一代の英雄にして風雲児。、今日、日本があるのは彼のおかげといっていい男「高杉晋作」の人間という人間を見事に描いた、感動の巨編である。





久坂玄瑞との大儀で結ばれた友情、山田市之允への心の触れ合いと揺ぎ無い信頼。長州好きにはたまらないシーンの数々。その「山田市之允」がたぶん大好きでしょうがない作者は、必ずや高杉を描くと思っていたので、待ちに待った作品だ。



しかし本書で、目を引いたのは、妻「雅」への晋作の思いが、かくも多く描かれているところだった。他の作品では全くありえない。下関の芸者「おのう」と「雅」がでくわすシーンは、女流作家がなしえる深き哀愁であろうか。そんな晋作の歴史では見れない部分にまでこだわる作家の人間の描き方が気に入った。



「長薩同盟」へ流れる場面。裏切りとしたたかさを併せ持ち、幾多の辛酸を舐めさせられた、「狡猾にしてたただただ権力へ固執する薩摩」と敢えて日本の明日のために手を結ぶんだ、熱き晋作の赤心が見事に描かれています。



『僕が倒れても君たちがいる』松蔭の遺言ともいえる言葉。『君たちが僕の志を継いでくれる』あまりにも信頼に満ちた言葉である。あの信頼があったからこそ、どんなに膝をつくような出来事があっても、塾生たちは立ち上がることができた。決して困難に背を向けることなかった。常に前進し続けたその結果が再生した長州なのだ。



長州人ならずとも是非ご一読を!



秋山香乃 万歳!!



2008年10月25日土曜日

ざくろのしゃぶしゃぶ

Photo_5宮崎の牛しゃぶ店「ざくろ」へ会社の連中と。



一人前ずつ皿に盛られた、肉全体がピンク色に見えるほど見事な霜降りの肉は美しい(写真)。極く薄くスライスした宮崎牛ロースをさっと熱湯にくぐらせて口の中に放り込むと、肉の甘みが優しく舌を包む。酸味を抑えた特製のポン酢も肉の旨みを引き立てる。実に贅沢なしゃぶしゃぶ。



ふた皿目は、黒豚のしゃぶしゃぶ。こちらも抜群においしい。値段もリーズナブルなので、よく会社の連中と食べにいく。個室で掘りごたつになっているので、足も楽で嬉しい。また、会社や自宅からも近いのが嬉しい。



2008年10月19日日曜日

白起

Photo 塚本青史「白起」を読む。



中国 戦国時代髄一の猛将にして軍神 白起を中心に、戦国時代の複雑な合従連衡の繰り返しがこの一冊でわかる。



秦の昭王14年、白起は韓・魏を攻めて伊闕で戦い、首を取ること24万。翌年、魏を攻めて61城を奪う。昭王20年、楚を攻めて都城の郢(エイ)を落とし、夷陵を焼き払い、東方の竟陵に達する。秦は楚から奪った郢に南郡を置き、白起は昇進して武安君と称せられる。昭王34年、魏を攻めて華陽を落とし、将軍芒卯を敗走せしめ、韓・魏・趙の将をとらえ、首を切ること13万。趙の将軍賈偃と戦って、黄河で2万の兵を溺死させる。昭王の43年、韓の徑城を攻め、首をとること5万。そして4年後、長平の戦いでの敗兵40万の穴埋め。



白起は戦場において卓犖(たくらく)としており、当代随一の名将であるが、上司である時の宰相・魏冉の私行に手を貸しつづけたという倫理の欠如が、生涯の瑕瑾(かきん)であり、その名が後世において暉映(きえい)を失ったともいえよう。しかし、范雎が白起の手柄に嫉妬せず、白起に邯鄲を攻めさせていたら、戦国時代はもっと早くに終っていたかもしれない。



本書には、故事成語は自然と織り込まれている。鶏鳴狗盗・完璧・漁夫の利。刎頚の交わりなどなど。また、隠し味としての「墨家」の登場もある。非常におもしろい本であった。



是非一読を。



2008年10月13日月曜日

子産

1 2_2 宮城谷昌光「子産」を読む。春秋時代の弱小国・鄭の国の執政として善政に勤め、かの孔子が私淑し、その死に涙した仁愛と礼を重んじた人であった。子産が宰相になって 5年すると 国に盗賊がいなくなり、道に落ちているいるものを誰も拾わず、3年天候不順でも飢えるものがなかったと 「韓非子」にある。時代に並ぶもの無き政治家であったようだ。



子産の目は憂色に染まる。君主の時代が終わり、大夫たちが主権を争う春秋時代のなかば、中原の小国・鄭は晋と楚という2大国の間で向背をくりかえしていた。いまや民は疲弊し、国は誇りを失おうとしている。乱世の戦場にあざやかな武徳をしめす名将・子国の嫡子に生まれ、この時代最上の知識人となる子産は、信義なき自国の悲哀をみつめながら波蘭の人生へと踏みだしてゆくのである。謀叛に巻きこまれ、父 子国は果てる。3年の長きにわたり喪に服した子産はその後、苛烈なる改革者にして情意あふれる恵人として、人を活かす礼とは何かを極め、鄭と運命をともにしていく。



時代を超えることばをもった最初の人・子産とその時代を、比類なき風格と凛然たる文体で描く、宮城谷文学の傑作長編である!



孔子は敬愛する政治家として子産を『論語』公治長篇で次のようにいっている。
 



「かれは,次の四点において君子の資質を備えていた。
 一,行動は慎重であった。
 二,上級者に対する敬意を忘れなかった。
 三,人民に恩恵を施した。
 四,人民を不当な使役にかりたてなかった。」と。



是非ご一読を。





2008年10月5日日曜日

楽毅



1_3  宮城谷昌光著「楽毅 1~4巻」を読み終える。かの諸葛亮孔明が憧れたという中山国と燕の名将だ。若かりし頃「人が見事に生きるのはなんと難しいことか」と述べる楽毅であるが、その人生は、見事の一言に尽きる。小国 中山国を最後まで戦い抜いて守ろうとした。弱燕とまで言われた燕に迎えられ、斉への復讐に大望を抱く昭王を支え、軍制の改革や外交のあらゆる手段を用い、楽毅は燕と趙・魏・韓・秦の連合を実現し、その連合軍の指揮官となり見事 5年にて斉の七十余城を下し、ほぼすべての郡県を燕の領土に加えた。



本書には、楽毅が一番に尊敬してやまない孟嘗君。「先ず隗より始めよ」で有名な郭隗も登場する。楽毅は、法においては、孫子を学び、孫子をもって戦場へ望み、生き方においては、呉の伍子胥を見習う。筋を通した上で、自分の与えられた境遇で最大限の努力をする生き方はさすがである。



正しきマネジメントという意味でも参考になり、かなりおもしろい小説であった。



是非ご一読を!