2010年8月29日日曜日

一夢庵風流記

Photo隆慶一郎著「一夢庵風流記」を読む。[E:book]戦国末期、天下の傾奇者(かぶきもの)として知られる男がいた。派手な格好と異様な振る舞いで人を驚かすのを愉しむ男、名は前田慶次郎という。巨躯巨漢で、一度合戦になるや、朱色の長槍を振り回し、敵陣に一人斬り込んでいく剛毅ないくさ人であり、当代一流の風流人でもあった。そして何より、自由を愛するさすらい人でもあった。故あって、妻子を置き旅に出た男の奔放苛烈な生き方を描く時代長編。作者が「慶次郎」を真の男としてみており、滅びの美学を見出したところがおもしろい。そして、それは、底根国に去る素戔嗚尊に求めるくだりがまずは、ひきつけられた。書記に云う「辛苦(たしな)みつつ降りき」。素戔嗚尊の後ろ姿が見たのか。爽快感の残る小説でおすすめです。





2010年8月28日土曜日

ベルリン飛行指令

Photo佐々木譲/著「ベルリン飛行指令」を読む。[E:book]ドイツが入手した日本の最新鋭戦闘機のデータは、まさに驚愕に価した。対イギリス空中戦で苦戦を強いられるドイツ。そこでヒトラーは、ゼロファイターに目を付けた。ドイツは三国同盟の約定規定から、ゼロのベルリンへの輸送を日本軍に依頼する。ほどなく二人の札つきパイロットに極秘指令が下る。ゼロ戦を駆ってベルリンへ飛べ―日米関係が風雲急を告げる昭和十五年、英国情報網をかいくぐって銀翼が乱気流を切り進む…。先日読んだ、「エトロフ発緊急電」に繋がる人物も登場する前作ものだ。主人公 安藤大尉の『戦闘機乗り』としての心意気がたまらなく男としていい。選択された飛行コースは、横須賀、高雄、ハノイ、ダッカ北方のシラジガンジ、インド西部ラジャ スタン州のカマ二パル、イランバンダルアバス北方の日本の石油会社が管理する基地、 バグダッド北東のイラク陸軍基地、トルコ、イタリア、ベルリンというルートである。 しかし途中にインドを中心として英国軍、その英国から逃れようとするイラン、イラク 。いかにしてベルリンまで2人はたどりつくのか?はたまた・・・・。安藤は言う「「私は蛮行と愚行のど ちらかを選べと言われたら、ためらうことなく愚行をえらびます。」日本軍の絢町に対する痛烈な批判がそこにはある。

2010年8月21日土曜日

安徳天皇漂海記・廃帝綺譚

PhotoPhoto_2宇月原清明著「安徳天皇漂海記」「廃帝綺譚」を読む。前者は、壇ノ浦の合戦で入水した安徳天皇。伝説の幼帝が、鎌倉の若き詩人王・源実朝の前に、神器とともにその姿を現した。空前の繁栄を誇る大元帝国の都で、巡遣使マルコ・ポーロは、ジパングの驚くべき物語をクビライに語り始める。時を超え、海を越えて紡がれる幻想の一大叙事詩。第19回山本周五郎賞受賞作。後者は、時空をこえ、廃されし帝王に残されたものとは―帝国の崩壊、栄華の終焉。衰え、敗れ、滅び、流される時、そこにはただ神の欠片だけがあった。

安徳天皇、源実朝、南宋の幼帝、マルコ・ポーロ、クビライ・カーン、後鳥羽上皇、鴨長明などなど…また古事記、日本書紀、吾妻鏡、平家物語、東方見聞録、金槐和歌集・・・南宋崩壊・蒙古襲来。多くの人物といくつもの文献や事件を見事に1つのファンタジーに仕上げた腕前、構想力はさすがとしか言いようがない。真床追衾(まことおうふすま)、塩乾珠(しおふるたま)と塩盈珠(しおみつたま)。古代史ファンにはたまらないおもしろさ。祟り といえば、崇徳天皇・道真・将門が定番で「安徳天皇」などは想いもしない。そこの着眼がすばらしい。小生、下関生まれで幾度となく、関門海峡をみて育ち、赤間神宮にも参拝しているが、運命と悲哀としてしかとらえたことしかなく、おそれいりました。滅びの美学を堪能あれ。



2010年8月12日木曜日

玉作湯神社

さて旅行の最終日。まずは玉造温泉のそばにある式内社「玉作湯神社」からスタート。
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御祭神は出雲玉作の祖である櫛明玉神。出雲玉作部は、阿波の忌部氏の流れで安房国と同族だと思われる。神紋はめずらしいもので「丸玉菅玉勾玉」という。写真↓
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触って祈れば願いが叶うと言われる願い石があることでも有名らしい。
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佐太神社

今回の旅行でどうしても参拝したかったのがこの出雲國二ノ宮「佐太神社」。
玉造から一度、宍道湖東面を通り抜け松江市の北に向かう。
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神名備の朝日山を背に東面する姿は、勇壮かつ厳粛。ご祭神は、佐太大神。そして御本殿三社に十二柱の神々を御祀りしている。各本殿毎に神紋をもつ。
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正殿は「地紙」紋・・・佐太御子大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・事解男命・速玉男命
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北殿は「輪違い」紋・・・天照大神・瓊々杵尊
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南殿は「二重亀甲」紋・・・素盞鳴尊・秘説四座
もともとは、佐太大神のみだったと言われている。ご祭神も時代によって替えられているようだ。ご朱印をもらう時に、権禰宜さんに「社紋」もあるのか尋ねると「十五本骨檜扇」紋ということだった。
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しかし、3つ並ぶ大社造りは、見るものを圧倒する。南殿の入口が、珍しく左につけられていたので、尋ねると日本でここ以外にないとのことで、当時の宮大工の「美的感覚」ではないでしょうかという答えであった。なるほど。しかしそれだけの理由だろうか?宿題にしておこう。当社では、出雲大社の後を受け継ぎ「神在祭」が行われる。(11/20夜~11/25夜)さて「佐太大神」は現在では「猿田毘古大神」と定義されているが、最後にそれだけは、ありえないということを書いておきたい。

このあと再度、松江市内のもどり、お盆のお供え物を各実家に送るため「彩雲堂」という和菓子店へ。松江は、金沢に次ぐ和菓子の盛んな町らしい。(松江藩七代藩主 松平出羽守治郷 不昧公が茶道を極めたことから始まっているとのこと)。ここで抹茶と和菓子(代表的な若草という和菓子)を頂く。おいしい!!






賣布神社

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松江市内にある「賣布神社」を参拝。ご祭神は「速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)」で、めったにお目にかかれない神社ではないだろうか。速秋津比賣神は、祝詞『大祓詞』の中・・・・・大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す開都比賣と言ふ神・・・・・にでてくる神様で水門を守る神様です。ここでは、松江新大橋のたもとに鎮座していました。神紋は「二重亀甲に花角」紋のようです。剣がありません。社号の「めふ」とは海藻や草木の豊かに生い茂る所ということらしいです。~ご由緒より
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31このあと島根県立美術館に立ち寄り、砂浜の兎の写真をパチリ。2番目の兎を優しくなでると願いがかなう?というご利益が。

八重垣神社・神魂神社

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南へくだり、まずは最近、縁結びでとりわけ若い女性に人気の「八重垣神社」へむかう。さすがに大勢のカップルや若い女性が多い。宝物殿で、素戔嗚、稲田姫の壁画を拝観。とりあえず鏡の池も寄ってみた。
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こちらにも日本最初の和歌の石碑が見られた。
ご祭神は、もちろん素盞嗚尊 櫛稻田姫命。神紋は「二重亀甲に剣花角」。
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そして、日本最古の大社造りをもつ「神魂かもす神社」へ
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ご祭神は「伊弉冊大神 」神紋は「二重亀甲に有」。有は、神在月の十月を顕す。
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さすがに荘厳なおもむき。参拝者は残念ながら誰もいない。寂れてはいるが堂々とした本殿に思わず声を失う。国宝です。写真のように屋根の上の千木が水平に切られているのが女千木です。伊弉冊大神が祭神ですから。出雲大社の大国主は、参拝者から見て右すなわち西を向いているのは有名ですが、こちら神魂神社の伊弉冊は、逆に左を向いて鎮座しています。本殿は東面していますから、北をむいて鎮座しているということです。なぜ?
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当然ながら、本殿内部の壁画はみれないのだが、感無量!!

出雲大社の本殿の天井絵「八雲」は、実際は、7つしかない。この神魂神社の天井絵は「九雲」。出雲大社から神魂神社へ1つが飛んでいったという話もある。それは眉唾だろう。たぶん易経による九こそ究極の数字だからだろう。もともと「八」というのは、分かれるという字で縁起はよくない。出雲には「八」がつきものだ。それは、天孫側が出雲を忌み嫌われるよう仕組んだものだと考えている。




真名井・六所・揖夜神社

ここから駆け足で、神社を廻る。このあたりを昔意宇の地と呼んでいたが、そこに意宇六社がある。神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社がそれだ。すでに昨日、熊野を参拝。そして午前中に八重垣・神魂を参拝。残すは三つ。まずは、真名井神社へ。
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ご祭神は、伊弉諾尊 天津彦根命。天津彦根命とは、アマテラスとスサノヲの二神が天の真名井で誓約(うけい)をしたとき、アマテラスの髪や右手と左手に巻いた玉の緒をスサノヲが受け取り、かみ砕いてはき出した息の霧から現れた神様である。『出雲風土記』は宍道湖を囲むように4つの神奈備山の存在を記録している。その一つが現在の茶臼山であり、残りが仏経山、大船山、そして朝日山である。真名井神社は、出雲国・国庁跡付近に広がる、のどかな田園風景の中、茶臼山を神名備として鎮座している。神紋は「亀甲に有」。
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こちらも大社造りだが、祭神は正面を向いて鎮座しているとのことです。
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次に向かったのは、六所神社。細い道を探しながら進むが、一度通り過ぎてしまった。ご祭神は伊邪那岐命 天照皇大神 月夜見命 伊邪那美命 素盞鳴尊命 大己貴命と勢ぞろい。出雲国庁跡のすぐそばにある。出雲国総社だ。しかし残念なことにかなり寂れている。神紋はこちらも「亀甲に有」。
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社伝によると、当社は元、佐久佐神社といい、式内社・佐久佐神社であるという。よって、かつての主祭神は青幡佐久佐彦命であったという。
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本殿、右奥に「佐九佐社」の石碑があった。

さて六社最後の参拝先は「揖夜神社」
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こちらも古びているが、かなりの規模の神社だった。本殿は、みごとに囲われていたが脇から拝することができた。
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かなりりっぱな大社造りだ。こちらも女千木である。ご祭神は、伊弉冉命 大己貴命 少彦名命 事代主命の四神。黄泉比良坂とされている入口がこの神社の近くにあるのだが、残念ながら寄ることはできなかった。神紋は「二重亀甲に剣花角」だ。写真の本殿手前に見えるのが、境内社・韓國伊太氐神社でこれも式内社である。スサノオノミコトとイタケルノミコトの2神を祀っている。これにて六社参りは終了。ここから、足立美術館へと足を延ばすことに。

足立美術館

足立美術館は、島根訪問者のかなりの方が訪れるだろう。日本一の日本式庭園をもつ美術館だ。43
借景の庭はそれは感動ものだった。紅葉の季節に是非また訪れたいものだ。
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館内にも東山魁夷、林義雄などかなりのコレクションが楽しめます。

能義神社・美保神社

神社めぐりもあとニ社を残すのみとなりました。まずは、足立美術館から2-3kmの「能義神社」へ。
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御祭神は、天照大神の第二子、天穂日命。出雲国造八十三代の御孫千家宮が親しく参拝され、御祖神の御神威を奉載されています。神紋はこちらも「二重亀甲に剣花角」。出雲の国には、四つの大神が存在したと言われています。 その四大神とは「所造天下大神(大国主神)」 「熊野大神」 「佐太大神」 「野城大神」の四神です。これにて、四大神をお祭りする神社もすべて廻ることができました。 
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最後の参拝先「美保神社」へ。
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台風が近付いており、帰りの飛行機を心配しながらの参拝となりました。風が少し強くなってきており、時折小雨も。
ご祭神は、三穂津姫命・事代主神です。そして神紋は「二重亀甲に三の字」。しかしこれはどうらや社紋の様である。
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ニ棟並んだ本殿をみると三穂津姫命の神紋は「二重亀甲に渦雲」
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事代主神の神紋は「二重亀甲に三つ巴」の様です。
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来るまで知らなかった。それにしても見事な社殿(比翼大社造り)でした。

これにて、島根20社めぐりは終了です。飛行機搭乗まで少し時間があるので、境港の水木しげる記念館によってきました。金沢在住の時に家族でいった時には記念館はまだありませんでした。なんとか台風の影響もなく無事帰宅です。最後に空港でカレーそばを食べたのですが、おいしかった。そしてなんと蕎麦屋とは思えないBGM。すべてモーツァルトの曲。それも有名どころのレクイエム・魔笛序曲だけでなく、フルート協奏曲第4番1楽章、バイオリン協奏曲第5番第3楽章、フルートとハープシコードの協奏曲第1楽章、バイオリンとビオラのための協奏曲第3楽章と多彩な選曲。参りました。



2010年8月11日水曜日

旧大社駅

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3日目に最初は「旧大社駅」から。(写真は、旧大社駅と構内を覗くかみさん。)
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大社線廃止に伴い1990年4月1日に廃止となった。まだ、9時前なので駅構内にははいれなかった。神社様式を取り入れた格調ある純日本風の木造建築だ。さすが出雲!!
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ここから遠くに「出雲大社」の大鳥居がかすかに見えた。

日御碕神社

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「稲佐の浜」↑を通り、曲がりくねった海岸線を暫く進むと忽然と朱の神殿が目に入る。
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「日御碕神社」だ。ここには宮が2つある。神の宮に素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日沈宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしている。
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神の宮には、日本総本宮の文字が。よし。上の宮に「素戔嗚」下の宮に「天照」を祀る佇まいが惚れぼれする。しかし、千木をみると男神と女神が逆になっている。何故か?ご朱印をもらう時に尋ねるも明確な答えはもらえなかった。
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本殿は、徳川三代将軍家光公の命で再建されたもので、出雲には珍しい「権現造り」となっている。ご神紋は「三つ柏」。天照大神は、もとは、近くの経島(ふみしま)の上に祀られていたらしい。
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出雲大社

出雲大社には、境外にもたくさんの社(末社)がある。その内の3つをまずは参拝。
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写真↑は仮宮と呼ばれる「上の宮」。ご祭神は、素戔嗚尊。何故、素戔嗚。いわくがありそうだ。とにかくまず神在祭で全国からお集まりになられた八百万の神々は、この「上の宮」を会場にして様々な会議である「神議り(かむはかり)」を行うのだ。はずせない。次に「下の宮」写真↓
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ご祭神は「天照大神」。そして写真↓「大歳社」ご祭神は大歳神。大歳神は、素戔嗚の子、ニギハヤヒとも言われている。
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さていよいよ出雲大社へ。
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大鳥居
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一の鳥居
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松林の参道と続き、本殿へ。しかし残念。平成の大遷宮のため本殿は修復中で拝せない。わかっていたがやはり残念。特に、出雲大社の隠れご神体とも言える、本殿後方にある素戔嗚尊を祀る素鵞社も拝せなかったのは、口惜しい。また来るぞ!!神々がお入りになる十九社(写真↓)をとおり、素鵞社の仮の遥拝所(写真↓)にて参拝。
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もちろん仮の拝殿も参拝。しかしやはり注連縄はりっぱだ。
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出雲大社のご神紋は「二重亀甲に剣花角」。