今日は、あの東京大空襲の日である。 1945年 3/9未明から3/10にかけ米軍は、B29の低空飛行による焼夷弾攻撃を実施した。「低空進入」と呼ばれる飛行法が初めて大規模に実戦導入された。この飛行法ではまず、先行するパス・ファインダー機(投下誘導機)によって超低空からエレクトロン焼夷弾が投弾された。その閃光は、攻撃区域を後続する本隊に伝える役割を果たした。その本隊の爆撃機編隊も通常より低空で侵入した上、発火点によって囲まれた領域に向けて集束焼夷弾E46を集中的に投弾した。当初の投下予定地域ではなかった荒川(当時は荒川放水路)周辺やその外側の足立区や葛飾区、江戸川区の一部にまで焼夷弾の実際の投下範囲が広げられたことにより、被害が一層拡大した。これは、早い段階で大火災が発生した投下予定地域の上空では、火災に伴う強風が生じたため、低空での操縦が困難になったためでもあった。
この作戦を実施したのが、カーチス・E・ルメイという少将だ。「鬼畜ルメイ」・「皆殺しのルメイ」だ。彼はのちに「もし、我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた。」と語っている。
実は日本は、昭和39年こんなヤツに、航空自衛隊創設時の戦術指導に対する功績により、政府より勲一等旭日大綬章を授与している。バカか!ふざけるな!!だ。さすがに天皇が直接渡すことは無かったらしいが、こんなことをやっている国だ。
日本は矜持を、戦争に負けた時に失くしていたのかもしれない。寂しい限りだ。
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