2012年6月23日土曜日

嶽神 上・下

1_22_3長谷川卓著「嶽神 上・下」を読む。嶽神(がくじん)とは――?山の者たちの集団の中から、数年から数十年にひとり、時としてとてつもなく知力と技に長けた者が出ることがある。その心根はあくまでも清く、出会った者は皆、その心に打たれるという。山の者たちはそうした男を≪嶽神≫と呼んでいる。

[E:book]山の者の集団から追放されて<ひとり渡り>をする多十に、滅亡目前の武田唯一の嫡流・若千代の幼い命が託された。莫大な武田の御遺金(ごいきん)のありかを探るべく遣わされた真田、伊賀の忍者集団と、圧倒的な劣勢の中で血みどろの死闘を繰り広げる多十たち。仲間を信じ、知恵をしぼって辛くも生き延びている多十一行に、服部半蔵から最強の刺客たちが放たれる。妖術をあやつり、もはや復讐の鬼と化した殺人集団に対して、勝機はあるのか? 御遺金のありかは? 男たちの生き様と熱い絆を描き、最後の最後まで気が抜けない時代伝奇小説の名作、圧巻の大団円!




英国太平記

Photo_2小林正典著「英国太平記」を読む。
「栄光のためでなく、富のためでなく、名誉のためでもない。ただ自由のためにのみ我々は戦う」。のちにアメリカ独立、フランス革命の礎となったその宣言は、隣の強国イングランドに迫害されながらも粘り強く戦いぬいたスコットランドの名もなき人々の魂の叫びだった。中世英国を描ききった一大歴史叙事詩。

今から700年前の1286年から1329年の40年余りのスコットランドを舞台とした戦乱の時代。当時の英国は1つの国ではなく、イングランド、スコットランドに分かれ、それぞれに王家を戴きながらも、実質的には有力な諸侯が領地を治めていた。そして、事故でスコットランド王アレクサンダー三世が亡くなってしまう。王の血を引くのは、ノルウェー王に嫁いだ娘が生んだ3歳の幼女のみ。これが物語の始まり。

国力に勝る南のイングランドが、当時別国だった北のスコットランドの併合を企てたが、スコットランドが激しく抵抗したためである。野心家で政策と計略に長けたイングランドの王、エドワード一世は、大ブリテン島の統一、さらにはフランス征服を虎視眈々と狙っていた。一方、時代の流れに押し流されながらも、幾多の悲運を乗り越えて人間的に成長を遂げ、ついにはスコットランドの王として祖国を独立に導くことになるロバート・ブルース。本書は、対照的な二人の王の生涯を縦糸に据え、横糸に両国間の戦場での数々の死闘、フランス等を巻き込んだ国際政治の権謀術数、苛酷な時代を懸命に行き抜いた人々などを克明に描いた歴史物語である。


雲奔る

Photo藤澤周平著「雲奔る」を読む。
安井息軒の三計塾きっての俊才、米沢藩士・雲井龍雄。幕末の動乱期に、討薩ひとすじに生きた二十七歳の短く激しい悲劇の志士の生涯を描く力作長篇!である。
雲井龍雄(小島龍三郎)は米沢藩の下級藩士である。雲井龍雄は暴動を起こした郷民を沈静化するために屋代郷警備にあたっていた。それは、以前から米沢藩の財政は逼迫していたことから端を発した暴動であった。この頃、龍雄は江戸に行きたいと思っていた。自分の学問を深めるためである。だが、可能性はほとんどなかった。だが、そんな龍雄に江戸詰めの命令が出た。龍雄は三計塾の安井息軒のもとに通うことになった。三計塾で龍雄は短期間に頭角を現わした。安井息軒の講義は龍雄を刺激し、同時に時勢に対する洞察力をはぐくんでいった。息軒の三計塾を巣立っていった者の中には、長州の桂小五郎、広沢兵助、品川弥二郎らがいる。龍雄は三計塾で塾頭を務めるまでになっていた。だが、龍雄は任期が終わり米沢に戻った。
時代は激動を迎えていた。龍雄は江戸での生活の間、特に三計塾で諸藩の探索方の人間を何人も見てきた。時代の流れを読み誤らないために、藩に必要なのは探索方である。そう信じて龍雄は上書、歎願を繰り返した。それが、世子の目にとまり、龍雄は探索方に就任した。
京に上洛した龍雄は三計塾の人脈を出来る限り活用することにした。龍雄は遠山翠という変名を使って本格的に活動に入っていった。ここに幕末の志士雲井龍雄が誕生したのだった。

明治維新最大の鍵は、反目しあっていた薩長がなぜ同盟するに至ったかにある。通説として坂本竜馬が仲介したことになっているが、近年はその背景にグラバーら兵器導入を企図する外国勢力の暗躍があったことが指摘されるようになってきた。龍雄はその中にあって、吉田松陰以来の長州の良心に薩摩の不義を訴え、薩長離間を図ろうとした。長州軍先鋒を務める三計塾同門の親友時山直八宛てに送った、薩長西軍に抗する奥羽越列藩同盟の大義表明ともいえる龍雄の「討薩檄」は古今檄文中の白眉とされる。

「薩賊、多年譎詐万端、上は天幕を暴蔑し、下は列侯を欺罔し、内は百姓の怨嗟を致し、外は万国の笑侮を取る。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。・・・・・是に於て、敢て成敗利鈍を問わず、奮って此義挙を唱う。」

 しかし龍雄の意図に反して米沢藩は同盟を離脱、その後まもなく他の奥羽越列藩もことごとく降伏、奥羽戦争は終結することになる。龍雄は戦争責任者としてしばらく米沢で謹慎の身となるが、その人望と影響力の大きさから新政府の集議院寄宿生(議員)に登用される。しかし志に反する場に留まることを潔しとせず憤然辞職。その後新政府に不満を持ちかつ生活にも困窮するかつての同志、旧盟の者のための「帰順部局点検所」を設置。その下には八千人が集まったという。しかしこのことが反政府挙兵の企みと解されるところとなり、米沢へ護送蟄居。三ヵ月後には逮捕となって東京への檻送となる。そして明治三年十二月二十八日、明治政府によって斬首、首は小塚原に晒された。二十七歳だった。


2012年6月19日火曜日

父の日

昨日、今年就職した長男・長女から父の日のプレゼントもらいました。
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2012年6月18日月曜日

島穴神社

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ゴルフコンペの前に神社を2つ参拝。まずは「島穴神社」。延喜式内社である。
ご祭神は、風の神といわれている「志那都比古尊」および「倭比売尊」である。

紀記神話によれば、景行天皇40年、日本武尊の東征の際に走水の海で暴風雨に遭い、妃の弟橘姫の犠牲によって上総に上陸することができた。社伝では、そのとき弟橘姫が大和国の龍田大社の神に、無事に上総まで航行させてくれるのなら風鎮めの神を祀ると祈ったので、日本武尊は弟橘姫命の遺志に従いこの地に志那都比古尊を祀ったと伝える。日本武尊の歿後、日本武尊の父の景行天皇は日本武尊東征の縁の地を歴訪し、当社に日本武尊命・倭比売尊を合祀した。
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すぐ近くの姉埼神社も同じ由緒を持っており、当社の御祭神と姉埼神社の御祭神・支那斗弁命〔しなのとべのみこと〕は夫婦神とされる。
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神紋は「五七の桐」のようです。千葉湾岸の由緒ある神社の多くは「五七の桐」紋みたいです。
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本殿は流造です。
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境内には写真の天神社を始め多くの末社が祀られておりました。
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朝まだ早かったので灯籠には灯がついていました。



飽富神社(あきとみ)

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続いて「飽富神社」に参拝・こちらも延喜式内社である。
ご祭神は、倉稻魂命。社伝によると創建は綏靖2元年で天皇の兄・神八井耳命が創建したと伝えている。
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拝殿は入母屋造り。
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龍の彫刻が美しい。
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本殿は流造ですが、拝殿と繋がっており権現造りとなっていました。こちらも神紋は「五七の桐」です。




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ご神木が凛々しく朝の境内を引き締めておりました。


第5回高校同期会ゴルフコンペ

2012061756golf01久しぶりの同期会ゴルフ。レイクウッド大多喜CC。なかなかおもしろいレイアウトで楽しめます。10時半スタートのお陰で雨もすっかりやみ、晴れ間も出て逆に蒸し暑いくらい。先輩3名、後輩2名を加えての5組のパーティー。しかし、ドライバーイップスのせいで、相変わらず右100mへのティーショットの繰り返し。47:45と冴えず。しかしハンディに恵まれて準優勝。ニアピン・バーディー賞もいただきました。満足満足。




2012年6月16日土曜日

百合が・・・

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今年も百合が咲き始めました。あいにくの雨ですが三色とも綺麗に咲いてくれてます。



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2012年6月10日日曜日

天地明察 上・下

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冲方 丁著「天地明察 上・下」読破。(2009年作品)
[E:book]徳川四代将軍家綱の治世、ある「プロジェクト」が立ちあがる。即ち、日本独自の暦を作り上げること。当時使われていた暦・宣明暦は正確さを失い、ずれが生じ始めていた。改暦の実行者として選ばれたのは渋川春海。碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。彼と「天」との壮絶な勝負が今、幕開く――。「この国の老いた暦を斬ってくれぬか」会津藩藩主にして将軍家綱の後見人、保科正之から春海に告げられた重き言葉。武家と公家、士と農、そして天と地を強靭な絆で結ぶこの改暦事業は、文治国家として日本が変革を遂げる象徴でもあった。改暦の「総大将」に任じられた春海だが、ここから想像を絶する苦闘の道が始まることになる――。
碁打ちにして暦法家・渋川春海の20年に亘る奮闘・挫折・喜び、そして恋!!・・・・・

映画も決まっているみたいなのであわてて読みました。人が傾ける情熱の美しさと、託されていく想いの美しさに、思わず拍手!!



2012年6月3日日曜日

ドライバーイップス

どうやらドライバーイップスになってしまったようだ。練習場でも素振りでもまったく普通に打てるのだが、本番になると左足への体重移動が全くデキず、手だけが周り大きく左への引掛けの連発。アイアンもユーティリティーも問題なし。ドライバーとスプーンだけだ。五十肩の影響で、飛ばなくなったのでドライバーを変えたりした。飛ばしたいという思いが強すぎたのだろうか。お陰でこのところ90-99を行ったり来たり。スコアにならない。無残。


風渡る

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葉室麟著「風渡る」を読む。
[E:book]田官兵衛とジョアンを通して見る変革の時 時勢を見抜く目を持った軍師・黒田官兵衛と、折々に官兵衛にかかわりながらキリシタンとして誠実に生きたジョアンの交流を、さわやかに描く著者渾身の歴史長篇。

戦国時代に翻弄られたキリシタンの物語だけに絞ればよかったか。黒田官兵衛の描き方、本能寺の変の策謀、ジョアンとの関係などもうひとつ違和感があった。焦点がぼやけてしまったか。葉室麟は、全くのフィクションの時代物の方はおもしろかったような。


2012年6月2日土曜日

狂王ヘロデ

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曽野綾子著「狂王ヘロデ」を読む。
[E:book]ヘロデ大王。ローマ帝国の庇護の下でユダヤの王となり、都市・神殿・水道などの土木事業や経済を発展させる一方、異常な猜疑心から妻子や縁者、貴族や祭司を次々と謀殺。宮殿は権謀術数の渦に呑まれてゆく。キリスト生誕にまつわるベツレヘムの赤子殺しなど、強圧的な政治を敷いた王の姿を、数奇で劇的な生涯を緻密に描き、人間の欲望と悪の本質を問う。

唖の竪琴弾きの少年の視点から語られる。口が利けない(その上、耳も聞こえず文盲だと思われていた)彼ゆえに、王も心を開くことができたのである。洞穴で生まれたことから「穴」と名づけられたその少年の眼を通して、私たち読者はヘロデ王の素顔の苦しみや悲しみを知ることになる。見事に構成された物語。映像を見るがごとく伝わってきます。この文章力には完敗です。