中路啓太著「己惚れの記」を読む。
その男はどうしようもなく己惚れていた。武士が滅びようとする天保の改革期、主君水野忠邦の理想を実現するためには、愚か者と揶揄されても己の信じる道を貫くしかないからだ。特異な生い立ちのやくざ者や血に飢えた剣客たち、欲に憑かれた大奥女中らの思惑も交錯し、忠と義の物語は一気に加速していく。
そもそも忠義とは何か?その一つの答えが「己惚れ」です。
中路啓太著「己惚れの記」を読む。
その男はどうしようもなく己惚れていた。武士が滅びようとする天保の改革期、主君水野忠邦の理想を実現するためには、愚か者と揶揄されても己の信じる道を貫くしかないからだ。特異な生い立ちのやくざ者や血に飢えた剣客たち、欲に憑かれた大奥女中らの思惑も交錯し、忠と義の物語は一気に加速していく。
そもそも忠義とは何か?その一つの答えが「己惚れ」です。
船戸与一著「新・雨月 上・中・下」三巻完読。
西軍・長州藩の間諜・物部春介は修験僧に扮していた。木戸孝允から新発田藩での一揆使嗾の命を受け、成功。次に武器商人スネル兄弟経営の商館を潰すため新潟にむかった。長岡の元博徒・布袋の寅蔵は、家老の河井継之助に信服して組を解散。以降、継之助のために動いている。会津藩政務担当家老・梶原平馬は奥羽越列藩同盟結成を機に、北方政権樹立を夢みる。慶応四年、生き残りをかけた各藩の思惑と、時代の流れのなかで、うごめき死にゆく者たち。
一千ページを超えるこの大河小説は、歴史の表舞台にはあらわれにくい藩士や間諜(かんちょう)ら無名者たちを思い切り動かして、幕末の英雄たちの奸計(かんけい)や謀略のありさまをあばきだし、各藩の離反や裏切り、殺戮(さつりく)戦の構造をあざやかに浮かびあがらせる。
会津戊辰戦争の歴史は、従来、会津藩士とその家族たちの義に殉じる凄絶な悲劇や敗者として歩んだ過酷な運命が強調されがちだが、この小説は一味違った。
伊東潤著「山河果てるとも~天正伊賀悲運録」を読む。
昼前から降りだした雪が止まりません。千葉でこんなに降るのはいつ以来でしょうか?
G.K.チェスタトン著「新ナポレオン奇譚」を読む。
1904年に発表されたチェスタトンのデビュー長編小説、初の文庫化。
民主主義をやめ、官僚の中からくじ引きによって専制君主を選ぶことになった理由が、“民衆は皆愚かだから、誰がやっても同じだ”というところがすごいです。
湯原裕光著「瑤泉院~忠臣蔵の首謀者 浅野阿久利」を読む。
浅野内匠頭夫人、阿久利。内匠頭の切腹後、落飾して瑤泉院と号したこの女性こそが、大石内蔵助を陰で支え、赤穂四十七士の吉良邸討入りの絵図を描いていた―。阿久利と内蔵助の淡い交情、幕閣最高権力者・柳沢吉保との知恵を尽くした探り合い。後に「美貌御前」と称された才色兼備のヒロインを軸に、膨大な資料を縦横無尽に駆使して誕生した、静かな感動溢れる出色の忠臣蔵小説。
今年の初打ちは、埼玉の「入間カントリークラブ」。8時42分スタートでしたが、グリーンはまだ「カチカチ」状態。なにせ気温はマイナス3度。「グリーンに直接乗せてはいけない」という、違うゲームのような展開。そして今日はなんと朝だけでなく、気温が上がらずほぼ最後までこのようなグリーンでの戦いとなりました。
今日は、埼玉県入間にてゴルフ。早く出かけて6時45分「高麗神社」に参拝。
668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。主祭神である「高麗若光(ジャッコウ)」は、朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている。
神門の扁額には「高句麗神社」の文字がみえる。高麗とは「コウライ」ではなく「コウクリ」ということがわかる。
神紋は「鶴の丸」紋でした。鎌倉の鶴岡八幡宮と同じです。
拝殿と本殿は何造りかちょっとわかりませんでした。
神社右手の山道があったので登ってゆき奥宮らしき場所にも参拝してきました。
少しずつ朝日が当たり始めてきました。
長州人としては、拝殿左奥にある「招魂社」も忘れずに参拝しております。
現在のご祭神は、天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)ですが、言わずと知れた「平将門公」をお祀りしている神社です。平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものも、かつては当社内に安置されていたといわれ、多くの将門所縁の社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていました。