2013年1月26日土曜日

己惚れの記

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中路啓太著「己惚れの記」を読む。



[E:book]




その男はどうしようもなく己惚れていた。武士が滅びようとする天保の改革期、主君水野忠邦の理想を実現するためには、愚か者と揶揄されても己の信じる道を貫くしかないからだ。特異な生い立ちのやくざ者や血に飢えた剣客たち、欲に憑かれた大奥女中らの思惑も交錯し、忠と義の物語は一気に加速していく。







そもそも忠義とは何か?その一つの答えが「己惚れ」です。



主君なら自分の行動を察してくれる、理解してくれる。


自分なら主君の気持ちを理解した上で最善の行動がとれる。君主の間違った考えや行動も正してみせる。


なんとも凄い想いです。




自分さえも犠牲にしてまで行動する。それこそが武士の生き様であると。




新・雨月 上・中・下

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船戸与一著「新・雨月 上・中・下」三巻完読。





[E:book]




西軍・長州藩の間諜・物部春介は修験僧に扮していた。木戸孝允から新発田藩での一揆使嗾の命を受け、成功。次に武器商人スネル兄弟経営の商館を潰すため新潟にむかった。長岡の元博徒・布袋の寅蔵は、家老の河井継之助に信服して組を解散。以降、継之助のために動いている。会津藩政務担当家老・梶原平馬は奥羽越列藩同盟結成を機に、北方政権樹立を夢みる。慶応四年、生き残りをかけた各藩の思惑と、時代の流れのなかで、うごめき死にゆく者たち。







一千ページを超えるこの大河小説は、歴史の表舞台にはあらわれにくい藩士や間諜(かんちょう)ら無名者たちを思い切り動かして、幕末の英雄たちの奸計(かんけい)や謀略のありさまをあばきだし、各藩の離反や裏切り、殺戮(さつりく)戦の構造をあざやかに浮かびあがらせる。







会津戊辰戦争の歴史は、従来、会津藩士とその家族たちの義に殉じる凄絶な悲劇や敗者として歩んだ過酷な運命が強調されがちだが、この小説は一味違った。





恭順などしていなかった「会津」をちゃんと理解して小説にしているし、「会津」が如何に時代をわかっていなかったか、わかろうとしなかったかということも正しく理解して書いている点はお見事。






時勢。戦略・戦術。改革 何もなされずに、士魂に執着したが上の有様がよくわかります。そして「会津士魂」などという言葉の裏に潜む、農民・町民蔑視の姿勢もまた、さまざまな悲劇を起こしていくのです。






また、長州憎しが未だに残る会津だが、会津との戦いに長州軍はほとんどいなかったこともちゃんと書いている。りっぱです。










2013年1月20日日曜日

山河果てるとも

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伊東潤著「山河果てるとも~天正伊賀悲運録」を読む。



[E:book]戦国時代の伊賀国は、六十六家もの土豪(国衆)が共存する「五百年乱不行地」であった。むろん、些細な土地争いはあったが、それも「惣」という評定機関により合理的に解決していた。まさに伊賀国は、土豪たちにとっての理想郷であった。しかし、信長が「天下布武」の旗印の下、伊勢・伊賀に食指を伸ばし始めたことにより、彼らの平和は破られることになる。
 


風雲急を告げる伊賀国に二十歳前後の四人の若者がいた。彼らの家は伊賀六十六家に属する豪族の子弟たちであった。平和な日々、彼らはともに田畑を耕し、猪を追い、夢や理想を語り合った。彼らは伊賀の地をこよなく愛し、祖父や父と同様にこの地で生き、そして、この地で死んでいくものとばかり思っていた。しかし、天下の情勢は彼らの運命を変えていく。
 


当時、隣国伊勢はすでに織田家の手中にあり、国主には信長次男の信雄が据えられていた。信雄は他の兄弟と比べて見劣りし、信長から最も軽視されていた。そのため、何か大きな戦果を挙げて、信長の寵を得ようとしていた。そこに付け込んだのが、僧侶出身の佞臣滝川三郎兵衛であった。彼は策を弄し、伊賀国衆を戦闘に駆り立てようとしていた。
 


かくして、「五百年乱不行地」伊賀国を舞台に、血で血を洗う抗争の火蓋が切って落とされた!












以前、和田竜「忍びの国」も天正伊賀の滅亡を描いた小説でした。そちらは伊賀の人々を「忍び」として描いた痛快小説でした。








本書は、伊賀の長年住み続ける、足跡はもとより、家名さえ残らぬ国衆たちの生きた証を描いています。忍者に象徴される超人ではなく、等身大の人間としての伊賀国衆の実像が見えてきます。織田信長という一人の男が起こした時代の大波は、伊賀を飲み込みました。若者たちは、外部からもたらされたこの大波にいかに対処するかという難題を押し付けられ、ある者は徹底抗戦し、ある者は妥協点を探り、また、ある者は進んで大波に身を委ねることになります。そうした若者たちの物語です。 お薦めです。


2013年1月15日火曜日

けっこうな雪

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昼前から降りだした雪が止まりません。千葉でこんなに降るのはいつ以来でしょうか?





庭の金宝樹の枝が、雪に押されてかなり下がって来ました。
























Img_1318玄関側もかなり・・・・


ママと娘の車「ミラココア」も完全に雪をかぶってます。




明日の朝が心配です。


2013年1月13日日曜日

新ナポレオン奇譚

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G.K.チェスタトン著「新ナポレオン奇譚」を読む。





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1904年に発表されたチェスタトンのデビュー長編小説、初の文庫化。





1984年、ロンドン。人々は民主主義を捨て、籤引きで専制君主を選ぶようになっていた―選ばれた国王は「古き中世都市の誇りを復活」させるべく、市ごとに城壁を築き、衛兵を配備。国王の思いつきに人々は嫌々ながら従う。だが、誇りを胸に故郷の土地買収に武力で抵抗する男が現れ、ロンドンは戦場と化す…幻想的なユーモアの中に人間の本質をえぐり出す傑作。








民主主義をやめ、官僚の中からくじ引きによって専制君主を選ぶことになった理由が、“民衆は皆愚かだから、誰がやっても同じだ”というところがすごいです。



世の中は進歩し、より良い方向へ向かうという考え方が一般的だった20世紀初頭の西欧諸国の人々に対する皮肉でしょう。






2013年1月12日土曜日

瑤泉院

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湯原裕光著「瑤泉院~忠臣蔵の首謀者 浅野阿久利」を読む。



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浅野内匠頭夫人、阿久利。内匠頭の切腹後、落飾して瑤泉院と号したこの女性こそが、大石内蔵助を陰で支え、赤穂四十七士の吉良邸討入りの絵図を描いていた―。阿久利と内蔵助の淡い交情、幕閣最高権力者・柳沢吉保との知恵を尽くした探り合い。後に「美貌御前」と称された才色兼備のヒロインを軸に、膨大な資料を縦横無尽に駆使して誕生した、静かな感動溢れる出色の忠臣蔵小説。





本作品は、実に秀逸です。幾つか忠臣蔵ものを読んでいますが、謎の多い忠臣蔵で、事実とフィンクションを組み合わせていながらも違和感なく見事に説得力をもって仕上げています。TVドラマ化もされたようですね。阿久利と内蔵助の淡い交情は余計でした。






泉岳寺を訪れることがあっても、吉良邸跡を訪れる人は滅多に居ないでしょう。両国に本所松坂公園というのがあります。公園というよりここが吉良邸跡です。海鼠壁の塀に囲まれた小さなスペースで残っています。


Img_1304_2行ってみた。




吉良上野之助の「みしるし洗いの井戸」もありました。










2013年1月7日月曜日

八重の桜 と アテルイ伝

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いよいよ大河ドラマ「八重の桜」が始まりました。同志社大学卒業生としては、非常に楽しみではありますが、


心配なのは、年末年始によく放送される民放の「白虎隊」に見られるような、歪められた「会津観光史学」に基づく演出が、やはりここでもなされるのではないかということです。








あの司馬なにがし や 早乙女なにがし、星なにがし といった作家の虚偽・捏造や不調査・不勉強、勘違いによる誤った歴史の創作に準じてしまう可能性はないか?




観光のために捏造され続けた恨み文化の観光のための観光による創作を真に受けてNHKまでもが、「東北および福島」ということで演出してしまうのではないか?






十分ありそうです。


その点で不愉快になり見るのを止めてしまうかもしれません。




数年前、龍馬伝も「吉田松陰先生」のあまりにも軽薄な描き方に呆れて見るのを止めましたから。今年もそうなるかもしれません。








さて時を同じくしてBSで放送される高橋克彦の名著による「アテルイ伝」4回物は楽しみです。


これを大河にしてもいいくらいです。


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2013年1月6日日曜日

入間カントリークラブ

今年の初打ちは、埼玉の「入間カントリークラブ」。8時42分スタートでしたが、グリーンはまだ「カチカチ」状態。なにせ気温はマイナス3度。「グリーンに直接乗せてはいけない」という、違うゲームのような展開。そして今日はなんと朝だけでなく、気温が上がらずほぼ最後までこのようなグリーンでの戦いとなりました。



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前半(IN)は、アプローチとパットが冴え渡り41。最後のロングは7mの下りを読んでバーディーでの締めくくりということ無し。


しかし後半(OUT)はドライバーイップスがどんどんひどくなり全くいいところなしの49でした。




終わってみればまさかの90。80台はかたい思っていたのに・・・トホホ。




このコースはアップダウンが結構きつく、INは特に狭いです。




それにしてもドライバーイップスまだまだ完治ならずにはショックは大きい。


高麗神社

今日は、埼玉県入間にてゴルフ。早く出かけて6時45分「高麗神社」に参拝。



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668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。主祭神である「高麗若光(ジャッコウ)」は、朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている。



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神門の扁額には「高句麗神社」の文字がみえる。高麗とは「コウライ」ではなく「コウクリ」ということがわかる。



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神紋は「鶴の丸」紋でした。鎌倉の鶴岡八幡宮と同じです。



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拝殿と本殿は何造りかちょっとわかりませんでした。



神社右手の山道があったので登ってゆき奥宮らしき場所にも参拝してきました。



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少しずつ朝日が当たり始めてきました。



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2013年1月5日土曜日

靖國参拝そして築土神社へ

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今年も靖國神社参拝して参りました。

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長州人としては、拝殿左奥にある「招魂社」も忘れずに参拝しております。





九段に来たで、「築土神社」にも参拝です。 Img_1298a




神紋は「三つ巴紋」「九曜紋」のようですが、平将門に因んだ繋ぎ馬(つなぎうま)の紋も使用されます。




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現在のご祭神は、天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)ですが、言わずと知れた「平将門公」をお祀りしている神社です。平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものも、かつては当社内に安置されていたといわれ、多くの将門所縁の社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていました。



2013年1月3日木曜日

初詣

ゴルフ練習へでかけ帰りに1人で地元の神社 「子安神社」へ初詣に行きました。



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2013年 我が家の健康と幸せを祈願させて頂きました。