2014年2月9日日曜日

武田家滅亡

Photo


既読 「北天蒼星」の流れで、同じく伊東潤著「武田家滅亡」を読む。



[E:book]





信玄亡きあと屈指の大国を受け継いだ武田勝頼は、内憂外患を抱えていた。近隣諸国からの脅威に加え、財政逼迫や家臣との対立も勝頼の孤立を深めてゆく。こうした状況のもと、同盟国・北条家から嫁いだ桂姫は、勝頼の苦悩に触れて武田・北条両家の絆たらんとするが…。信玄をも上回る武人の才に恵まれながら悲劇の主人公となった勝頼の後半生を、歴史小説界に現れた破格の才能が活写する本格歴史長編。





人は城と言っていた信玄であるが、それはまた信玄あってのものだったのか。本書では、なるべくして滅亡していった状態が非常によくわかります。




::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::








山梨新報 4月6日朝刊書評欄(単行本版)
“健気に散った桂姫” 



伊東潤氏の小説「武田家滅亡」
 「桂姫」、それは歴史小説「武田家滅亡」の主役である勝頼夫人・北条氏への、作者伊東潤氏のネーミングである。信玄の側室で勝代の母諏訪御料人に新田次郎が小説「武田信玄」の中で湖衣姫と名づけ、井上靖の小説「風林火山」では由布姫と呼ばれていると同じように(作者注 : 「桂姫」とは、戒名桂林院殿から取られています)。
 小説は、天正五(1577)年1月、桂姫が、上杉謙信の養子となって越後へいった北条三郎(後の上杉景虎)への想いを断ち切って、甲斐の武田勝頼に輿入れするため、相模小田原を発った日から始まる。それは武田・北条同盟のあかしであった。
 その2年前の「長篠の合戦」の大敗以来、暗い戦雲が覆う甲斐国で、勝頼とともに必死に運命を切り開こうと、姫は健気に生きる。だが、天正十年(1582)2月、織田・徳川氏ばかりか、姫の実家・北条氏まで轡(くつわ)を揃えて甲斐国に攻め込むに及んで、武田氏の滅亡は必至となった。
 その時、姫は、武田八幡に「敬って申す祈願の事」で始まる長文の願文を捧げた。
しかし、運命は好転せず、新府城を落ちた勝頼と桂姫は天目山麓の田野の里で滅亡する。
よく知られた滅亡史だが、桂姫の存在によって哀切な読み物となり、文芸評論家縄田一男氏に「これほどの作家が今までどこに隠れていたのか」と言わせている。 


0 件のコメント:

コメントを投稿