2015年3月29日日曜日
ミルフィーユゴルフクラブ
2015年3月21日土曜日
華、散りゆけど
時は慶長、大坂の陣。眼下には大地を埋め尽くさんばかりに徳川勢の旗幟がはためく。真田幸村は己の造った出丸に立ち、苛烈な戦場を見据えていた。身に纒うは朱一色の戦装束。狙うは家康の首級ただひとつ。武士に生まれし者の宿命、見事に命の華を咲かせ、武名の芳香を遺そうぞ―たったふたつの戦にすべてを賭けた、稀代の智将の壮烈な生きざまを、濃密かつ流麗な筆致で描ききる戦国歴史巨編。
「花は散りゆけど、その香は残る。されど、われらは死花に非ず!」―父・真田昌幸の言葉を胸に幸村 乾坤一擲の勝負。家康本陣への奇襲は、本書 前半に「布陣図」がありよく理解できた。武士としての「矜持」を貫いた男の最期は美しい。
2015年3月8日日曜日
会社のコンペ
昨日は、「江戸崎カントリークラブ」にて会社(部)のコンペでした。5組20名。寒い1日でした。晴れ男は、前々日からの旅行に使い果たしてしまい。今日は、少し雨。そんな中、前回同様の3位入賞です。ドライバーは不調でしたが、アイアンは結構よく、アプローチがうまく寄ってくれました。44:45=89、こちらの南コースで初の80台です。2月(94)のリベンジです。途中、苦手のバンカーやひっかけによる林打ち込みなど崩れる場面もありましたが、4・5・6番の池も無事通過。なんとか持ちこたえました。珍しくニアピンも一つ戴きました。満足!!
2015年3月7日土曜日
河津桜
河津町、念願の河津桜 間に合いました。先週後半に満開の情報、その上昨晩からの強風で心配されましたが、河津桜はもちが良い。感激の桜まつりでした。
河津川の両サイド、河津駅付近から約2kmにわたり「河津桜」が咲き誇っています。
ソメイヨシノよりも少し赤みが強い河津桜は、オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種です。
桜のトンネルも見事です。
川べりに降れる場所も幾つかあります。
沿道添いの民家の紅梅と河津桜の共演 |
2週間前に満開を迎えた河津桜原木も葉が出ていながらも、まだまだ綺麗でした。1955年に飯田勝美氏が静岡県賀茂郡河津町田中で原木を偶然発見したもの。当初、発見者の飯田氏の屋号から「小峰桜」と地元で言われてきたそうです。
この後、「河津の来宮神社」に参拝し、河津町をあとにいざ下田へ。
来宮神社(河津町)
来宮神社、別名 「杉桙別命神社」(こちらが正式か)に参拝。延喜式内社です。
鳥居の奥に河津桜。河津らしい風景です。こちらのご祭神は「杉桙別命」。伊豆地方には<来宮神社>が十数か所あるようだ。もともと「木野明神」をお祀りしており、まさしく木の神様。木の宮から「来宮」への展開だろう。杉桙別命をお祀りする神社も静岡県には他に2か所あるみたいです。
鳥居をくぐってすぐ左手に大きなクスノキ。まだまだ・・
拝殿右手にも巨大なクスノキ。まだまだ・・・
神紋は「五七の霧」紋でした。
出た!!本殿左に一番大きなクスノキ。国の天然記念物でもあるご神木です。
高さ24m幹回り15mあるそうです。本当にでかい!!!
本殿は覆屋に隠れていますが、一間社流造でした。
観光客が大勢の河津町ですが、こちらは人もまばら静かな境内でした。
白濱神社
伊豆最古の宮と言われている「白濱神社」に参拝です。正式名称 伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)。延喜式内社 名神大社です。
朱色の鳥居の奥に奇妙な木がいくつか見られます。
樹齢二千年の薬師の柏槙 |
樹齢千三百年という白龍の柏槙 |
こちらのご祭神は、「伊古奈比咩命」。三嶋大明神の后神です。
拝殿は、こんもりとした森に囲まれており、後ろに本殿を持ちません。実は、後方が10m程の丘になっており、その丘(火達山)に本殿があります。
拝殿左手より本殿へ。
こちらが本殿です。
三間社流造向拝付き総桧造りでした。
神紋は「三つ柏」紋。
こちらには、もう一つ見所があります。神社南側の駐車場から浜へ。
太平洋に向かって浜の鳥居が建っています。鳥居の先が「伊豆大島」です。
さてさて、三嶋大明神(事代主命)は今から2400年前、南方から黒潮に乗り、伊豆の地へ。そして富士の大神様のお許しをいただき、伊豆の土地を譲っていただいたのです。
当社ご祭神である「伊古奈比咩命」を后として迎え、白浜に宮を造り、さらに土地を広くする為に伊豆の沖合に島を造ります。見目・若宮・剣の御子は龍神・海神・雷神等の神々を集め島を造る事にしました。
最初の島は初島
2番目は神々が集まって相談する島の神津島
3番目が大きな島の大島
4番目が海の塩を盛って白く造った新島
5番目はお供の見目・若宮・剣の御子の家を造った三宅島
6番目が三嶋大明神の蔵を置くための御蔵島
7番目は沖の方に沖の島 (現:八丈島)
8番目は小さな島の小島 (現:八丈小島)
9番目に天狗の鼻の様な王鼻島 (現:青ヶ島)
そして最後に10番目の島の十島(現:利島)
を造りました。とさ
伊豆七島・・・十島ありました。
松蔭先生ゆかりの地 下田
松蔭先生ゆかりの地 下田へ到着です。
まずは、「玉泉寺」へ。
アメリカ総領事館となったお寺です。お寺の奥に「ハリス記念館」があります。
このすぐそばに「三島神社」があり、そこに松蔭先生の銅像があります。
かなり大きな立派な銅像でした。
ここから港へ向かいますが、松蔭先生が出航まで隠れていた「弁天島」(今は陸続き)があるのです。
島の入口に松蔭先生 七生説の碑と金子重輔君の顕彰碑が建っていました。
弁天島のすぐそばの柿崎郵便局では、粋なサービスがあります。消印が松蔭先生になっているのです。自分あてにハガキを買い出してみました。
もう届きました。これです↑
市街地へ向かい
「松蔭先生 宿泊先 岡村屋旅館(現:下田屋旅館)
松蔭先生が自首後に拘禁されていた「宝光院長命寺跡地」
松蔭先生が入獄していた「平滑獄跡」
を訪問しました。
このそばに<海鼠壁>を模した「下田開国博物館」があります。
最後に「ペリーロード」を散策です。
旧沢村邸 |
土佐屋(BAR) |
お昼時になったので、スマホで検索した伊豆急下田駅そばにある「とん亭」にてとんかつを食べました。わさびトンカツ定食があり、ヒレカツと一緒に頼みましたが、私はダメでした。
愈々今回の旅行も終盤です。
下田から約2-3km 稲生沢川を北へ上った所に「蓮台寺温泉」というのがあります。
こちらは、松蔭先生が疥癬(かいせん)という皮膚病の湯治の為に訪れた場所です。
数日間身を寄せた場所(医師であった村山行馬郎に匿われた)。
当時のままの姿を残しており、静岡県指定史跡「吉田松陰寓寄処」として公開されています。
松陰を匿った部屋や、松陰が使用した机や硯(すずり)なども展示されている必見の松陰スポット。 管理しているご婦人から下田での吉田松陰・金子重輔の足跡なども細かく解説していただきました。
こちらが湯治場 |
右:松蔭先生が使用した机・硯 |
こちらが、隠し二階で、松蔭先生たちが匿われていました。一枚目の写真をご覧ください平屋のように見えます。 |
以上で 下田訪問終了です。来てよかった。