2008年1月28日月曜日

シューベルト 弦楽三重奏曲

今日は、昼寝をしてしまったので、今頃目がさえている。目が冴えついでにコーヒーをいっぱい。「シューベルト 弦楽三重奏曲第2番 DV581」を聴きながら夜を過ごす。演奏はグリュミオートリオ。モーツァルトを尊敬していたシューベルトだけあって、時より鮮烈なシューベルト独特の暗さは覗かせるものの、どことなくモーツァルト風で好きな曲だ。第三楽章の主題などは、まさにアマデウス。そして、その向こうのハイドンも覗かせる。それにしてもこの曲は、やはり夜が似合う。



それでは、schubert_2_dv581 (クリック)





にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←こちらもクリックお願いします。



2008年1月27日日曜日

疲れを癒す ~モーツァルトを語る 第41弾

今週は、仕事や飲み会などでかなりお疲れモード。にもかかわらず今日もゴルフ。そんな疲れを癒してくれる曲を聴きたい。第41弾は、「ヴァイオリン・ソナタ第30番 ニ長調 K306」の中から第二楽章 アンダンテ・カンタービレ。6曲のマンハイムソナタ (K301~306)と呼ばれる作品の最後を飾るものだ。大好きなK304はすでに紹介した。K304同様にパリに移動してから完成した曲だ。軽やかにピアノが跳ねる第一楽章と打って変わって、第二楽章はまさに子守唄のような囁きをもつ。それでは聴いてください。それでは、サッカー(日本代表 チリ戦)が始まるまで、私はおやすみ。



k.306 - 2 (クリック)





にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←こちらもクリックお願いします。



ゴルフコンペ

今日は、地元のゴルフコンペ(3組)。7時集合と朝は早い。まだ暗い中、車を走らす。場所は、宮崎レイクサイドゴルフクラブ。実は、明日もここでコンペだ。スコア(93)は納得いかなかったが、準優勝。賞品は、宮崎牛ヒレステーキ。千葉へ帰るときに合わせて送ってもらおう。これで宮崎のコンペでは、3連続で準優勝だ。あと一打が届かない。HDCが減るばかりで・・・。明日はもう少し頑張りたい。



2008年1月21日月曜日

聖骸布血盟

Photo Photo_2 聖骸布血盟(上)(下)を読んだ。



聖骸布とはキリスト教でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布のことである。1983年にサヴォイ家からローマ教皇に所有権が引き渡され、以降はトリノ大司教によって管理されている。現在は一般に向けて常時公開されてはおらず、最近ではカトリック教会の大聖年にあたる2000年に一般公開された。次回の一般公開予定は2025年である。



キリストの聖骸布が保管される、トリノ大聖堂で火災が発生。焼跡から発見されたのは、“舌のない男”の焼死体だった。その2年前同じ聖堂で逮捕された窃盗犯にもやはり舌がなく、指紋もすべて焼かれていた。美術品特捜部部長マルコは、二つの事件の関連を疑い捜査に乗りだす。だがこれは、やがて世界を震撼させる恐ろしい陰謀劇の序章にすぎなかった……。



元々、キリストに纏わるミステリー物は結構好きだ。そういえば、「トリノの聖骸布」に付着しているキリストの血液を分析すると、AB型らしい。(小生もAB型)。まあ関係ないが。さて、この聖骸布には奇跡を起こす力があるという伝説がある。その為、中世以降、ヨーロッパ諸国では聖骸布を占有するための争奪戦が何度となく起こっている。その過程で登場してくるのが、聖地エルサレムを奪還し、キリスト教国を打ち立てたという、あの伝説のテンプル騎士団だ。ソロモン神殿跡に本拠地を定め、イスラム教への理解も深く、西欧に初めて近代的な金融機構を導入したとされるテンプル騎士団だが、その実体は謎に満ちており、多くの伝説が残されている。本書では、テンプル騎士団の謎とされる部分と聖骸布の謎を、ある程度まで史実と重ね合わせながら、筆者は大胆な推理でその謎を解き明かしていくというものだ。興味がある方はどうぞ。



2008年1月14日月曜日

波王の秋

Photo北方謙三「波王の秋」を読んだ。時代は南北朝。肥前の浜辺に一人の男が泳ぎついた。密使・竜知勝だった。済州島のナミノオオ水軍は、元と高麗の二重支配から逃れ独立を目指しおり、上松浦党水軍は第3の元寇を未然に防ぎ海を守っていた。竜知勝を通じて済州島のナミノオオは、上松浦党水軍に手を結ぼうと持ちかける。やがて両軍の後押しで、波王水軍が旗揚げされた。若き上松浦党の後継・小四郎を大将として。海を祖国を護らねばならない。熱き思いを胸に秘め、小四郎が立ちあがる。敵は、強大な元朝。海を埋め尽くす大船団へ、必殺「胡蝶の陣」を操り決死の覚悟で挑む。南朝も北朝もない。海に生きる男たちは、陸の領地争いなどには興味を持たず、自分たちを生かしてくれる海を恐れつつ愛してやまない。



「死ぬ時。いまがそうだ、と思った。闘いきった。生ききったということだ。」



継ぐということと、紡いでいくということ。その刹那と恒久の価値が、自分の使命を果たすべき秋(とき)に見出せればよい。決して日本史には登場しない海の男の闘いとロマン。一気に読んでしまいました。



2008年1月10日木曜日

目井津 道の駅

Photo_2



今日は朝から日南・南郷方面へ出かけた。ランチは「目井津 道の駅」 。まぐろ尽くし丼(1580円)を注文。あら汁の味噌汁が付いていた。目井津港は、マグロとカツオで有名な港。さすがに新鮮でおいしかった。11時30分頃に店に入ったが、食べ終えて出る頃には、店の前は行列が出来ていてる。いつもそうらしい。土日などは1時間待ちもあるとか。次回来るときは、もう一つの名物「かつおめし」を食べてみよう。



2008年1月7日月曜日

隠れト短調 ~モーツァルトを語る 第40弾

第40弾は「ヴァイオリンソナタ第35番 ト長調 K379」。



「これを書いているのは夜の11時ですが、今日ぼくたちは、発表会を催しました。そこでぼくの曲が三曲演奏されました。もちろん新作です。ブルネッティのための協奏曲に属するロンドと、(ぼくがピアノを弾く)ヴァイオリン伴奏つきのソナタ、--これは昨夜11時から12時までに作曲したのですが、一応仕上げてしまうために、ブルネッティのための伴奏の部分だけを書いて、自分のパートは頭に入れておきました。」 柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」岩波文庫 p.243より



第一楽章はアレグロの前に長いアダージョをもつ珍しい作品です。このアダージョは、始め疲れをいっぺんに癒してくれる。優しく眠りにつかせてくれる子守唄のようなのだ。でも34小節目から何故か少し胸が痛む。悲しみへ向かう胸騒ぎだろうか。そう これこそアレグロへの布石。そして、ここから疾走するアレグロが始まる。もちろん調性は、ト短調。隠れていた調性は私の胸を突如として貫く。第二楽章は、変奏曲。こちらも、テーマのアンダンティーノ・カンタービレは一度聴くと忘れられないメロディー。そして変奏曲はV4とピチカートの入るV5がお気に入りだ。



それでは、お聴きください。



mozart_35_k.379-1. Pires. Dumay (クリック)



mozart_35_k.379-2. Pires. Dumay (クリック)



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←こちらもクリックお願いします。



2008年1月6日日曜日

陸遜

Isbn4569661467_2 「呂蒙」に引き続き「陸遜~太佐 順(PHP文庫)」を読んだ。蜀の諸葛孔明、魏の司馬仲達と並び称されたのが呉の陸遜だ。呂蒙に見込まれ、関羽を油断させ、不意打ちを食らわす段になってからめざましい働きをするようになった。関羽の復讐戦を挑んできた劉備に対し、孫権から迎撃軍の指揮官に任じられた陸遜は、持久戦に持ち込む。(夷陵の戦い)対峙すること約半年。はやる自軍の武将を抑えて、補給線が伸びきったところを火攻めにした呉軍は大勝利を収め、陸遜はこの戦いで名実ともに大将軍となる。やがて丞相まで昇りつめ、まさに位人臣を極めた、最期は不遇だった。呉の後継者争いに巻き込まれ、孫権から流罪を言い渡されたことから悲痛のうちに憤死するのである。本書は、孫権・呂蒙によって見出され、孫権の命によって人生の幕を閉じた陸遜の波乱に満ちた生涯を描いた歴史小説である。当ブログで一番の検索ワード「石兵八陣」に登場するのが、この陸遜だが、本書には残念ながらこの記述は無い。呂蒙などもそうだが、とかく呉を中心にすえた三国志物では、蜀の人物は軽視されるからだ。



2008年1月4日金曜日

宮崎へ

今日、再び宮崎へ。夕方に戻るつもりが、結局家には誰もいないので、2時の飛行機に変更。通常と逆の経路のため空いていた。宮崎空港は東京や大阪へ戻る人でいっぱいだった。宮崎はさすがに暖かい。九州は年末から積雪だったようだが、宮崎には無縁だ。さあ明日は仕事始め。昼からは、会社のみんなで宮崎神宮へ参拝後、新年会の予定。



2008年1月2日水曜日

初詣

Photo あけましておめでとうございます。かみさんと坊主2人は、午後から三重のかみさんの実家へ帰省。受験生の奈津子とパパはお留守番。早速、亀戸天神へ学業祈願へ。長男達彦の高校受験からお世話になっている。奈津子の高校受験、達彦の大学受験、弘季の中学受験。いずれも上手くいってるので、霊験あらたかだ。車で首都高をひとっ走り、20分で錦糸町へ。上手いことパーキングも近くで発見。しかし、さすが元旦は込んでいる。参道入り口まで200mの列。お参りまで約1時間。それから、祈願所でさらに30分。無事お払いもしてもらい、たこ焼きを買って帰宅。考えると元旦に初詣に出かけたのは久しぶりかもしれない。



2007年12月31日月曜日

ほめたたえよ ~ モーツァルトを語る 第39弾

Photo 第39弾は、「ヴェスペレ「証聖者の盛儀晩課」 Vesperae Solennes de Confessore ハ長調」から第4曲・第5曲をお届けする。ヴェスペレとは、カトリック教会で信徒が集うミサの他に、聖職者が行なう1日8回の聖務日課の内、日没時に行われる祈り(晩課)のことで、宗教音楽の歴史上ミサに次ぐものだ。「ヴェスペレ」の歌詞はラテン語だが,ミサ通常文ではなく,旧約聖書からのいくつかの詩篇(psalms)に加え,最後に新約「ルカ福音書」からの聖母マリアによる賛歌「マニフィカト」に作曲するという形式が決まっていた。 以下がその6曲である。



第1曲 ディクシト。(主は言われる) ハ長調 



第2曲 コンフィテボル。(主をほめまつる) 変ホ長調



第3曲 ベアートゥス・ヴィル。(幸いなるかな ) ト長調



第4曲 ラウダーテ・プエリ。(ほめたたえよ) ニ短調



第5曲 ラウダーテ・ドミヌム。(主をほめたたえよ) ヘ長調



第6曲 マニフィカト。(吾が魂は主をあがめ) ハ長調 



全ての章は、次の歌詞で終わる。



Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto.   



父と子と聖霊に栄光あれ。
Sicut erat in principio, et nunc, et semper,   



始めにありしごとく,いまも いつも,
et saecula saeculorum. Amen.   



世々限りなく。アーメン。



さて第4曲の減七度歩行の主題にもとづくフーガは、聴くものを虜にする。そしてK387の第4楽章で見せたポリフォニーとホモフォニーの結合はここにも見られる。第5曲のソプラノソロは、上質のアリアのようだ。また合唱のメロディーはこの上なき優しさに包まれており、最後のAmenはまさに天上の音楽と感じるのは私だけだろうか。



アルフレッド・アインシュタイン「モーツァルトのこのような楽曲を知らない者は、モーツァルトを知る者とは言えない。」



それでは聴いて下さい。



mozart_k.339 4. Laudate Pueri.mp3 (クリック)



mozart_k.339 5. Laudate Dominum.mp3 (クリック)



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←こちらもクリックお願いします。



Mozart_ 46 Symphonies

年末で、昨日自宅へ。今年は、暦の関係で6日間も正月休みがある。ラッキー。今日は当然の大掃除。合間に久しぶりにitunesを開いて、暫く見ているといい物を発見!!



ベルリンフィル・カール・ベーム /Mozart 46Symphonies」



なんと丸ごとダウンロード1,500円。もちろん早速、購入。非常に得した気分。



46編は、1番・4番~36番・38番~47番・55番・旧ランバッハ+新ランバッハ(レオポルド作)。



レビューによると昔は、32、000円もしていたらしい。



2007年12月30日日曜日

呂蒙

Photo_2 「呉下の阿蒙」「括目」で有名な三国時代の呉の知将「呂蒙」を描いた本がまたまたPHP文庫からでた。読む。 呂蒙は、蜀好きの三国志ファンには痛い存在だ。かの関羽将軍を見事な計略で追い詰め討ち取った知将だからだ。呉の兵権は、周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜と受け継がれていくのだが、呂蒙は元々武勇の士であった。教養は全くといってよいほど無かった。しかし、孫権から教養の大切さを諭されて勉学に励んだ。これにより軍略も身に着けた。全くの庶民であったことからもその有能さがわかる。三国志演義では、関羽の亡霊により、全身の穴という穴から血を吹いて死んだとされているが、関羽討伐時に既に病魔に侵されていたのが真実らしい。彼は、陸遜を自分の後継に指名して病死する。私は、ここでも登場する甘寧が呉の将軍の中では好きだ。



2007年12月24日月曜日

ナショナル・トレジャー~リンカーン暗殺者の日記

2_2



映画「ナショナルトレジャー~リンカーン暗殺者の日記」を観に出かけた。謎解きアドベンチャー物は結構好きだ。一作目も観たが正直、一作目の方がよかったような気がする。確かにおもしろかったが、たぶん謎解きのテンポが速すぎて、一緒に考える時間がなく、ドキドキ感が少なかったからではないかと思う。そもそも2作目の予定はなかったらしい。とりあえず、今から日曜洋画劇場でもう一度第1作目をみるとしよう。それにしても、アビゲイル役のダイアン・クルーガーは、知的な美人だ。「トロイ」を見たときからファンだ。



Photo_2



さて、この映画の配役の名前は、第1作目のキーワードにあわせて決められていることがわかる。1作目は、合衆国独立宣言書が鍵となってるのだが、その起草に参加したのは、ベンジャミン・フランクリン(100$紙幣に肖像)やジョン・アダムス(第2代大統領)だが、主役のベン・ゲイツのフルネームは、ベンジャミン・フランクリン・ゲイツ、そしてアビゲイルは、ジョン・アダムスの妻の名前だからだ。ちなみに、アビゲイルの元は、旧約聖書に登場する、ナバルの妻にしてダビデの妻「アビガイル」。~男の名はナバルで、妻の名はアビガイルと言った。妻は聡明で美しかったが、夫は頑固で行状が悪かった。~旧約聖書 『サムエル記上』25章3節。、まさに知的美女か。そしてダビデ→ソロモン→テンプル騎士団というわけだ。考えすぎか??







2007年12月23日日曜日

空に舞う蝶 ~ モーツァルトを語る 第38弾

Photo



第38弾は、「フルート四重奏曲第1番 ニ長調 K285」。以前にも何度か書いたが、フルートはモーツァルトが嫌いで、我慢のならない楽器だったそうだ。でも本当だろうか。モーツァルトのフルートの曲はどれもすばらしいのだ。このフルート四重奏曲、フルート協奏曲K314、フルートとハープのための協奏曲K299、魔笛での主役級の使い方などなど。とてもいやいやで作り上げたなんて思えない。



さてK285だが、優しく頬をなでる風のように爽やかなアレグロの出だしに、思わず空を見上げたくなるのは私だけだろうか。喜びを素直に表現したくなるメロディー。でもモーツァルトは、喜びはいつまでも続かないと教える。短調への移行、でもまた長調へ。喜びと切なさで揺れ動く心を表わしたような展開。第二楽章、ロ短調のアダージョは、えもいえぬ美しさだ。アンリ・ゲオンは「蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので、紺碧の空に溶けてしまう。」と書いているが、聴いていてその映像が浮かんできそうだ。ピチカートに支えられ{紙で作られた蝶}が空へ消えてゆく。これはフルートでしかなしえない映像だと思う。



それでは、聴いてください。



1allegro_quartet_k.285, in D (クリック)



2_adagio_quartet_k.285, in D (クリック)





にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←こちらもクリックお願いします。



2007年12月21日金曜日

珍妃の井戸

Photo 浅田次郎「珍妃の井戸」を読み終えた。芥川龍之介の小説に「藪の中」というのがある。ご存知、黒澤明監督の「羅生門」の下敷きとなった小説だ。「藪の中」というの言葉は、この小説から今では真相がはっきりしない事を表現する言葉として残っている。さて「藪の中」では検非遺使に問われたる木こりをはじめ死霊も含め7人の証言者が登場し、殺人事件の経緯を話すが、皆言い分が食い違っており、結局のところ真相は有耶無耶のままという物語だ。「珍妃の井戸」は、まさにこの芥川のミステリー構成を模して作られている。証言者7人までもが同数である。



列強諸国に蹂躙され荒廃した清朝末期。かの西太后の命により井戸に放り込まれたとされる光諸帝の寵妃「珍妃」。彼女は、真に一体誰れに殺されたのか?食い違う証言の数々。登場人物は歴史上の有名人。どれも説得力がありおもしろい。しかし真相は・・・・・。





2007年12月15日土曜日

二人のガスコン

1 2 3_2













佐藤賢一「二人のガスコン 上中下」読み終える。ガスコンとは、フランス南西部・ピレネー山麓一帯のガスコーニュ地方出身者のことを言うらしい。ここに登場する二人のガスコンとは、一人はアレクサンドル・デュマの『三銃士』をはじめとする<ダルタニャン物語>の主人公であるシャルル・ダルタニャン。いま一人はエドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の主人公として名を残すシラノ・ドゥ・ベルジュラックである。この冒険フィクション活劇は、「ダルタニャン物語」第一部『三銃士』と第二部『二十年後』のちょうど真ん中に辺りを時代背景にしている。そして、第三部『ブラジュロンヌ子爵』に登場するかの鉄仮面のエピソードも盛り込んだ長編物語だ。「三銃士」「シラノ・・」を読んでいないと少し面白みにかけるかもしれない。フランスでも最も文学的英雄として人気のある二人を登場させ展開してゆく活劇は痛快この上ない。この二人、確かに調べると同時代に存在していたらしいが、二つの物語をうまく絡めながら、二代作品のその後の二人の生き様、心の襞を描いている点がまた面白さを増している。



かの栄光の銃士隊が解散され数年後、ダルタニャンは大宰相リシュリュー枢機卿の後継者マザラン枢機卿の密偵として、鬱々とした日々を送っている。正義感に燃える若き銃士の姿はもうそこにはない。フランス中に馳せたその勇名も、今ではイタリア人宰相「マザラン犬」と嘲られるばかり。粛々と任務を果たしていくダルタニャン。しかし心はすっかり荒みきっていた。しかし戦場視察から舞い戻ったダルタニャンは、怪傑マザランから奇妙な指令を受ける。かつてダルタニャンら国王付き銃士隊とことあるごとに反目し合っていた宰相付き銃士隊を率い、数年前に前線で没していたフランソワ・ドゥ・カヴォワの遺児・マリーを監視せよ、というのだ。反骨の文人にして哲学者剣士シラノ・ドゥ・ベルジュラックを相棒に迎え、互いにお互いの今の姿を罵りあいながら謎の使命を遂行していくさなか、二人はフランスの王位継承をめぐる壮大な陰謀の事実に気づく。・・・・・・さあ結末はいかに。





2007年12月10日月曜日

日南のモアイ

Dscf1223



Dscf1229_2



今日は、かみさんと日南海岸へでかけた。朝方は雲が多かったが、昼過ぎから青空も出てきた。まずは、青島へ。実は私も初めてだ。神社へお参りにゆき、お土産に「ねずみの土鈴」を買った。来年は子年。そして年男だ。そのあとモアイ像が海に向かって立ち並ぶ「サンメッセ日南」へ。まさに太平洋一望。高台へ立つと地球が丸いのがわかる。イースター島から世界で唯一完全復刻を許された<モアイ像>がおもしろい。そして「鵜戸神宮」へ。鵜戸神宮は日本神話に語られる山幸彦・海幸彦の伝説の舞台となった場所として知られる。神武天皇の父である鵜葺屋葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を祭っている。



Udojingu06 Udojingu07ここで有名なのは「運玉投げ」だ。磯辺の奇岩群亀の形をした亀石の背の部分には注連縄で囲まれた桝形の窪みがあり、それをめがけて「運玉」を投げ入れ、見事に中に入れば願い事が叶うという 「運玉」は5個ワンセット(100円)で購入し、男性は左手で、女性は右手で、願い事をしながら桝形をめがけて投げる。やってみた。「なっちゃん大学見事合格しますように!」みごと窪みへ。よし、合格お墨付きだ。



最後は、苔むした城壁に磨り減った石段、槍の刃先にも似た飫肥杉の林が古都その情緒をかなでる飫肥城へ。飫肥はもと5万1千八十石の城下町だ。街づくりも洒落ていて、商人通りは白壁と格子、瓦屋根に代表される日本建築の美を表現で統一されている。わき道には、鯉の放流も。中々風情があってよかった。



Obis02 Obis13





2007年12月9日日曜日

680Km



Dscf1215_2  遠くは、佐賀の武雄まで、かみさんを迎えに。片道3時間半、340Km。コーラスの賛助出演で遠路はるばる千葉からご苦労なことです。(たった20分の出番なのに)おかげで宮崎からこちらもはるばる迎えに。九州が広いということをわかってない。大変なお疲れものである。朝10時過ぎにでて宮崎に戻ってきたのは、夜の21時過ぎ。680Kmのドライブ(東京から青森までの距離に匹敵)だ。さあやっと飯にありつける。ということで夕食は、ニシタチにある「りょう」という焼肉屋さん。こちらに来て何度か食べに行っている。カウンター10席ほどの小さなお店だが、店長こだわりの肉は絶品だ。美味い食べ方もその場で指南してくれる。というより 焼いてくれたりもする。ロース、はらみなどその日の一番いいものを出してもらった。さすがにうまい!!かみさんも、かなりの満足。サラダとして出たダイコンもまたうまい。最後は玉子スープでしめた。お疲れの一日であった。



2007年12月3日月曜日

心模様 ~ モーツァルトを語る 第37弾

第37弾は、「ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K491」を選んだ。24番は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンと、2管編成の近代オーケストラの 木管楽器を勢ぞろいさせた唯一の協奏曲である。また20番とこの24番だけが、27曲あるピアノコンチェルトでは短調である。第一楽章の半階音のユニゾンから早くも聴き手の心を不安にさせる。減七度の跳躍音程は我々を深い闇の淵に連れて行く。そして、ピアノが鳴る。なんと悲しい音であろう。この悲しみはいつまで引きずるのだろうか。絶望への坂道を何度も降りてゆく。第2主題の長調を迎えてもわずかな光しか見出せない。見せ掛けの明るさ。そんな慰めなき長調の中、フルートがまた我々を闇に連れ戻す。そこには蠢くピアノのアルペジオ。そしてクライマックスのカデンツァ。暗闇の中で魂だけが揺さぶられてゆく。生への不安・恐怖・あきらめ。生きる答えを見出せないまま終末を迎える。第二楽章は、優しい朝の目覚めのようなメロディーから始まる。平行調の変ホ長調だ。そこには優しい光がある。しかし、フルートとオーボエとファゴットが登場すると再びハ短調へ戻り、まだ心から安らげないことを知る。でも光のほうへ少しずつでも歩いてゆきたい。ピアノがすこしづつそう囁く。そして木管楽器がすべて登場した時に始めて闇はすべて消え去る。第三楽章は再びハ短調。しかしそこには決然とした心が溢れ出る。第一楽章の闇の中での心の迷いを消し去る意志がそこには聴こえてくる。確信を告げる変イ長調のクラリネットの登場。しかしピアノは、まだ迷いを拭いきれない。しかし伸びやかな旋律を木管達が奏でた時に強く生きてゆこうとするは意志は明確になる。でも今から続く生は決して平坦な道ではない。そういってこの曲は終る。すさまじい心の葛藤と叫びを感じずにはおれない。



それでは聴いてください。内田光子でおおくりします。



_k.491(クリック)





にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←こちらもクリックお願いします。