ヨハン・クリスチャン・バッハは少年期のモーツァルトに最も影響を与えた作曲家だと言われている。ロンドンで新時代の予感に触れ衝撃を受けた。J.C.バッハは当代隋一の旋律法の大家である。(大バッハの末っ子)8歳のモーツァルトが彼に師事できたことは幸いであったといわれる。様々な旅によってこうして天才モーツァルトが育まれていったのだろうと思う。K333など、その影響を受けた曲は多くあるが、今日はまさに、J.C.バッハの曲を編曲した「3つのクラヴィーア協奏曲 K107」を紹介する。標題には「アマデーオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏により協奏曲に編曲されたジョヴァンニ(ヨハン)・バッハ氏の3曲のソナタ」(イタリア語)と書かれている。これら3曲の協奏曲は、ヨハン・クリスチャン・バッハの《クラヴサンまたはピアノフォルテのための6つのソナタ(メクレンブルク公エルンスト殿下に献呈)》(作品5)の第2番、第3番、第4番をほぼ忠実に協奏曲に編曲したものである。題名どおり3曲あるが、音は、1曲目(J.C.バッハのピアノソナタ作品5の2から)の2 Andante ト長調 2/4 をお聴きください。可愛らしさがたまらず好きです。kv107_no_1_in_d_2. Andante (クリック)。
2007年4月30日月曜日
ドクターラッペル
わが庭のクレマチス ドクターラッペルがもうじき満開です。バラの蕾も数えきれないほどに増えてきました。あと1週間くらいで、ハイブリットやイングリッシュローズも咲き始めるでしょう。去年の1番花は「宴」でしたが、今年はなんでしょう。現時点では判断がつきません。4年前に植えたヘデラは、中々伸びなかったのですが、今年は匍匐力がよく庭のアクセントになって感激です。現在芝生はまだチャ。やっぱり洋芝に張り替えようかなと考えています。ゴルフ場のグリーンのような鮮やかな緑に憧れますから。
2007年4月29日日曜日
留魂録 その8
五
七月九日、一通り大原公の事、鯖江要駕の事等申立てたり。初め意(オモ)へらく、是れ等の事、幕にも巳に諜知すべければ、明白に申立てたる方却つて宜しきなりと。巳にして逐一口を開きしに、幕にて一円知らざるに似たり。因つて意へらく、幕にて知らぬ所を強ひて申立て多人数に株連蔓延せば、善類を傷ふこと少なからず、毛を吹いて瘡を求むるに斎しと。是に於いて鯖江要撃の事も要諫とは云ひ替えたり。又京都往来諸友の姓名、連判諸士の姓名等成るべき丈けは隠して具白せず、是れ吾れ後起人の為めにする区々の婆心なり。而して幕裁果して吾れ一人を罰して、一人も他に連及なきは実に大慶と云ふべし。同士の諸友深く孝思せよ。
七月九日、一通り大原公の事、間部要撃策の事を申立てた。これらはすでに幕府側においても探知していることであろうから、こちらから明白に申立てたるべきとはじめのうちは思っていたのだ。そこで、逐一そのことを自供したのだが幕府は何も知らなかったようだ。幕府側が知らないことを強いて申立てて多くに人々に厄災を及ぼし、無関係の人々を傷つけることは、毛を吹いて傷口を見つける喩にも等しいと後で思い直した。だから間部要撃の件についても「要撃」を「要諫」と言い直した。また、京都に往来する諸友の姓名や間部要撃の時、連判状に署名した人々の姓名も隠して供述しなかった。これは、この後起ち上がるであろう人々のための私のささやかな老婆心であった。果たして幕府の採決は、私一人を罰して、他の人々には一切波及しなかった。実に慶ぶべきことであると思っている。
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毛を吹いて・・・とは「韓非子」大体篇にある。「毛を吹きて小疵を求めず、垢(あか)を洗いて知り難きを察せず」ことさら毛を吹き分けて隠れた小さい傷を見つけるようなことをせず、垢を洗い落として表に見えなかった色を知るようなことはしないの意味。
大原公とは、時の勤皇派公卿 大原重徳。松蔭先生は、大原公を長州に迎え入れ事を挙げようと、大原三位西下策を進めようとしたが失敗している。この時、京に行こうとしたのが、入江兄弟<九一(杉蔵)・和作>で、逮捕・投獄されている。
松蔭先生が間部詮勝の暗殺計画を立てたときに連判状に署名したのは、門下生17名といわれる。連判状は所在が不明で実際は明らかではないが、11名は判明している。入江杉蔵・品川弥次郎・岡部富太郎・佐久間忠三郎・有吉熊次郎・吉田栄太郎(稔麿)・時山直八・久保清太郎・増野徳民・福原又四郎・佐世八十郎(後の前原一誠)である。
さて、幕府が探知していないことを松陰先生が、自白しようとしたことが、死罪を決定付けることとなった。しかし、途中で口をつぐみ、同士の名を挙げなかった為に連座されるものが出なかったのは幸いである。
家の仕事
今日からGWの前半。残念ながら前後半とも予定ナシ。今日は、我が家の片付けに専念。まずは、2台の車の洗車。続いて靴箱の整理。いらない箱、履けなくなった子供の靴などを片付け、玄関ポーチを掃除。続いて、庭の和室側裏の雑草とり。バラの黒点がかった葉の整理と忙しい。そしてリビングの片付け。仕事は夜まで続く。我が家では、私以外4人はA型だが、誰一人片づけが出来ない。その上、多少強迫性がかっている私が、散らかっている部屋を我慢できずにいつも片付けるので、どうせパパがやると皆思っているから始末が悪い。いつも会社から帰って食卓に着く前にやることは片付けだ。そして今日のような日は、根本的に掃除。あ~すっきり。
2007年4月27日金曜日
溌剌~モーツァルトを語る 第20弾
第20弾は、「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調 K.373」といこう。この曲もアントーニオ・ブルネッティと結びついている。1781年の作品だ。ウィーンにある大司教の館での演奏会の為に用意され曲である。映画「アマデウス」でモーツァルトが登場するあの館だ。ちなみに映画で使われている「グラン・パルティータ」は、その3年後が初演だからこの時は、作曲はされていたが演奏はされていない。まあ映画だから許します。さて編成は、独奏ヴァイオリン、オーボエ、ホルン2、弦5で5分程の曲だ。実に溌剌として聴いていて心も明るくなる。独奏をフルートで演奏されることもしばしばだ。(そのときはニ長調で1音上げている。)出だしは、K465のアレグロの主題によく似ていてさわやかで甘酸っぱい。モーツァルトらしい1曲ではないだろうか。それでは、聴いて下さい。mozart_k.373 (Grumiaux)(クリック)。
2007年4月26日木曜日
高杉晋作顕彰碑
2007年4月24日火曜日
血涙
先週、札幌出張の移動時間を使って、兼ねてよりの「楊家将」続編である「血涙」を読んだ。運命に翻弄された男たちの叫びが戦場に砕け散る!闘うことでしか生きられない楊家の終わりを彩る壮絶な物語。ただあまりにも筋が読めてしまってちょっと残念であった。間を空けたのが失敗だったのだろう。多分、4冊一気に読むべきなのだろうと思う。しかし繊細な筆は、運命の過酷さに「誇り」を持って立ち向かう男たちの生き様を、中国北部の風景と共に鮮明に浮かびあがらせます。まさに男心を擽る物語ではないでしょうか。吹毛剣 、吸葉剣なんてでてくるので言葉だけでわくわくしてしまうのはガキな証拠でしょうか。さて、実は今困ったことになっている。文庫の「北方水滸伝」も読んでいるのだが、6巻まで一機に読んで、文庫はこのあと1ヶ月に1巻ずつ発刊されると気がついたのだ。1年カカル!! ショック!!
2007年4月22日日曜日
薔薇の季節スタート
毎年、もっこうバラから我が家のバラの季節はスタートする。暖冬のお陰で、いつもより1週間は早い気がするが、玄関前のもっこうバラがいよいよ満開です。昨日・今日とあいにくの強い風に煽られ可哀相。でも元気に咲き乱れている。隣に植えている紅花トキワマンサクモ今年はいつもより紅く綺麗に咲いてくれた。さあ、少しずつ庭のバラも蕾をつけ始めています。これからが本当の楽しみです。
オークヒルズカントリークラブ
千葉、大栄ICそばの「オークヒルズカントリークラブ」にてプレイ。ミドル、ロングで1つずつバーディーを獲るも、ミドルアイアンがどうも精彩を欠いた上、かなりの強風が吹き荒れ小柄な私はスィング時に何度も風にぶらされスコアメイクにはホトホト悩まされた。46・48の94といういつもながらの情けないスコアに終わる。コースは、メンテナンスもよく綺麗なホールも随所にある。少しドックレッグが多いものの中々楽しめるコースであった。東京から近いので、ビジターの料金は、流石にシーズンインだと高いが、我が家から35分だから良しとするか。
2007年4月17日火曜日
卓球???
2007年4月16日月曜日
2つ目のアダージョ~モーツァルトを語る 第19弾
第16弾にて「ヴァイオリン協奏曲 第5番 第二楽章 Adagio」を紹介した。実は、この第二楽章は、翌年1776年にもう一つ作曲されている。それが、第19弾「ヴァイオリンのための中間楽章アダージョ ホ長調 K261」である。もともと先の「イ長調協奏曲」は、ザルツブルク宮廷楽団の楽長であったアントーニオ・ブルネッティのために書かれたのだが、その中間楽章が、ブルネッティにはいささか荷が重いと、急拠新しくこのアダージョを仕上げて入れ替えたものではないか?と言われている。調は同じホ長調、テンポは2/4が4/4へ。オーボエがフルートへと変わっている。弱音器をつけたヴァイオリンと管楽器に先導されて独奏ヴァイオリンが同じ主題を奏して始まる。中間にロ短調の部分があるが、全体におだやかなホ長調の曲調が実に美しい。わずか8分程ですが、美しさに陶然とする時間が流れていきます。それでは、ちょっと珍しいですが、コンドラシン指揮(モスクワ響)レオニド・コーガン(Vn) 1969年のライブにてお聴きください。mozart_k.261(クリック)。
2007年4月14日土曜日
晋作 命日
昨年も当然書きましたが、今日は、高杉晋作(東行)の命日です。伊藤博文が揮毫した「高杉晋作顕彰碑」の碑文の話は以前にも書きました。あの「動けば雷電の・・・」くだりに話です。今日は、せっかくなので、全文をHomePageに掲載し晋作の冥福をお祈りすると共にその栄誉を長州人として讃えようと思います。さて元治3年、野山獄にて作詩したものに以下の七言絶句があります。
偸生決死任時宜
不患世人論是非
嘗在先師寄我語
回頭追思涙空垂
生を偸(ぬす)むも死を決するも時宜に任す
世人の是非を論ずるをうれえず
かつて先師のわれに寄するの語あり
頭をめぐらして追思すれば涙むなしく垂る
命を惜しむも死を決するも時にまかせ、世の人が是非を論ずることなど気にすべきではない。かつて先師(松陰先生)はそう諭(さと)された。思い巡らせれば今はただ涙が零れ落ちてくる。
これは、かつて高杉が松陰に対して「男子の死ぬべきところはどこか」という問いを発したことがあったのに対して、松陰先生が答えた言葉を指している。
「貴問に曰く、丈夫死すべき所如何。僕去冬巳来、死の一字大いに発明あり、李氏焚書(明の学者李卓吾の書)の功多し。其の説甚だ永く候へども約して云はば、死は好むべきに非ず、亦悪(にく)むべきに非ず、道盡き心安んずる、便(すなは)ち是死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。又一種大才略ある人辱(はじ)を忍びてことをなす、妙。又一種私欲なく私心なきもの生を偸(ぬす)むも妨げず。死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし。僕が所見にては生死は度外に措(お)きて唯だ言うべきを言ふのみ」
死ぬことで不朽の意義を見いだせるのならばいつ死んでもよいし、なお生き続けることによって大業を行う見込みがあるならば、生き永らえてその事を成すべきである。つまり人間というものは、生死を度外視して何かを成し遂げる心構えこそが大切なのだと言うのである。この死生観が、松陰先生その人の生涯を語るものとなり、危険を避けて逃避行や亡命を繰り返しながら、不朽の死と見定めたとき果敢に挙兵(功山寺決起)し、長州藩の討幕路線を確定させた晋作の生きざまに大きく影響したのである。
心を休め~モーツァルトを語る 第18弾
第18弾は、「ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K450」。なんと名曲揃いのピアノコンチェルトにもかかわらず、第1弾の「17番」、第4弾の「20番」、もっとも好きな「23番」以来の登場となった。1784年、28歳の時の作品だ。この年に、14番から19番までの6曲ものピアノコンチェルトを作曲している。15番は、映画「アマデウス」で第3楽章が使われている。ザルツブルグから出てきた父レオポルドと再会する前、市場をワイン片手に飲みながら闊歩するシーンに使われているのだ。20番台の円熟した名作群の始まりは、この15番からではないだろうか。シンホニックな調べの確立がなされている。モーツァルト自身もこの15番以降の6曲を「大協奏曲」として以前のコンチェルトと区別している。そしてピアニストとしては、16番とともに「どちらも汗びっしょりになる曲」だと父宛の手紙に書いている。1楽章、3楽章はなんて軽快にして楽しいのだろう。思わず心が沸き立ってくる。そして2楽章(11:08あたりから)のやすらぎのメロディー。静かに心を休めるには、この曲が最高だ。それでは、聴いてください。mozart_15_k.450 (クリック)
2007年4月9日月曜日
山吹
玄関側の山吹が満開となりました。庭の山吹は少し日陰なのでまだ五分咲きですが、段々と鮮やかな色を増やしてきています。関東地方は、桜が早くも葉桜となり始めて残念な休日です。今日は、ゴルフで、茨城の霞ヶ浦の北東にある「白帆カントリー倶楽部」へ出かけました。白帆カントリーは、フェアウェイも広く思い切りドライバーを飛ばせるコースですが、何せ距離が長いタフなコース。其の上、どのホールもしっかりとガードバンカーが。バンカーが苦手な上に、昨日の大雨で砂が重い。出だしは非常によかったが、段々と罠に嵌り、結局、45:51 96。もう二度と95以上は叩かないと胸に誓っていたのに、あっさり突破。まだまだです。修行が足りません。水戸時代のゴルフも師匠 M君も94と精彩を欠いていた。しかし天気にも恵まれ、楽しい一日でした。.
2007年4月7日土曜日
奇跡の始まり~モーツァルトを語る 第17弾
第9弾で、14歳の時の作品 弦楽四重奏曲「ローディー」を、第13弾で10歳の時の作品「教会ソナタ」を紹介したが、第17弾は、もっと前、8歳の時の作品「クラーヴァイアとヴァイオリンのためのソナタ」だ。K6~K9、K10~K15まで10曲ある。今日は後半6曲について語る。1764年の秋にロンドンで作曲され、翌年1765年1月18日の日付で英国王妃シャーロットへの献辞を添えて「作品III」として出版された。新全集ではチェロを含めた三重奏曲として分類されている。アインシュタインは、「この6曲がショーベルトやクリスチャン・バッハの影響を受けているものの、一曲ごとにますますモーツァルト自身を示している。モーツァルトは彼の仮のモデルをスプリングボードとして利用する。彼はいっそう高く飛び、いっそう遠くへ達する」と書いている。これらは、最近ではフルートとともに演奏されることが多い。正しくはK6~K9を「ヴァイオリン声部付クラヴサン・ソナタ」K10~K15を「ヴァイオリンまたはフルート声部付、チェロ助奏自由のクラヴサン・ソナタ」という。クラブサンとは、フランス語「CLAVECIN」で、英語で言うハープシコード、イタリア語でチェンバロのことだ。音は、K13の第2をお届けします。K14のカリヨン風も面白いし、K15のすでに円熟か?と思わせるメロディーも捨てがたいのですが、やはり8歳にして、心の底から語りかける哀愁のメロディーに惹かれたというこで、此の曲を選びました。それでは、グリュミオーのヴァイオリンで聴いてください。mozart_k.13 - 2 (クリック)
留魂録 その7
四
此の回の口書甚だ草々なり。七月九日一通り申立てる後、九月五日、十月五日、両度の呼出しも差たる鞠問もなくして、十月十六日に至り、口書読聞せありて、直ちに書判せよとの事なり。余が苦心せし墨使応接、航海雄略等の論、一も書載せず。唯だ数個所開港の事を程克く申し延べて、国力充実の後、御打払ひ然るべくなど、吾が心にも非ざる迂腐の論を書付けて口書とす。吾れ言ひて益なきを知る。故に敢へて云わず。不満の甚しきなり。甲寅(コウイン)の歳、航海一条の口書に比する時は雲泥の違と云ふべし。
評定所にて作成されたこのだびの供述書は誠に簡単なものである。七月九日に一通り申し立てた後、九月五日、十月五日両日の呼び出しの時も大した訊問はなく、十月十六日に至って、供述書の読み聞かせがあり、直ちに署名せよとのことであった。私が苦心したアメリカ使節との応接、航海雄略論などについては、一言も書かれておらず、ただ数箇所に開港のことを程好く申し述べて、国力が充実した後、外国を打払うのが良いなどと。私の心にもない愚にもないことを書き付けて、これを口述書としている。言っても詮無きこととわかったので、もうあえて抗議はしないことにした。甚だ不満である。安政元年(1854年)に、私がペリーの軍艦に乗り込み海外密航を企てて捕らえられた時の供述書に比べると雲泥の差でがあると云うべきであろう。
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松陰先生は、安政元年に渡航(下田踏海)に失敗し自首して調べられた時、供述書に自分の意見が事細かに書かれていたことを想い、今回のこの供述書には落胆するほかはなかった。自分が一番苦心をして述べたアメリカ使節との外交交渉や海外渡航の雄大な計画に関する考えは一つも書かれず、国力充実の後、打払うべきなど愚かで役に立たないことが口書とされた。先生の「航海雄略」のような主張は、当時の知識人において必ずしもめずらしいものではなかった。しかし松陰先生は、その「雄略」の主体を、天皇に求められたというところに特筆すべき点があった。松陰先生は、「皇国の皇国たる所以」を天皇の存在、さらには「天壌無窮の神勅」という固有性に求めることにより、日本が日本として独立することを根拠づけたのである。また「敵体」・「敵国」という儒学的概念を読み替えることで、天皇を対内・対外双方の主権が収斂する「元首」と位置づけ、国内外における政治主体の問題を解消し、日本を名実ともに「帝国」=独立国たらしむることを目指したのだ。
2007年4月5日木曜日
三寒四温
札幌より本日帰宅。札幌では、三日間とも雪が降っていた。こちらの日曜日の25度から、2度への急激な変化には驚かされる。しかし戻ってみると今日はこちらも寒い。先週末の陽気が嘘のようだ。しかしこうして三寒四温しながら本格的な春へ向かっていくのだろう。
さて今回は、2晩ともホッケを堪能してしまった。北海道のホッケは安くて大きくうまい!!本州で食べるホッケは「シマホッケ」といって真っ赤な偽物なのだそうだ。だから大味で不味いという印象がある。しかし北海道のホッケは「マホッケ」という。大きくても実に美味しい。いや大きいものほど脂がのって味がいいのだ。やっぱり羅臼産が一番いいらしい。まあ北の大地は何を食べても美味しいのだが。
2007年4月2日月曜日
娘の吹奏楽
2007年4月1日日曜日
美しきチェロのアダージョ
こんな穏やかな春の日には、柔らかなチェロの音が聴きたくなる。(もっとも寂しい秋の夕暮れもだが)春の日の似合う曲を選ばねば!!。ハイドン チェロ協奏曲1番2番の緩衝楽章 adagioはどうだろう。かくも美しきチェロの響きを耳にできる喜び。第1番が発見されたのなんと1961年。200年以上も眠っていた曲です。それでは、2曲ともお聴きください。1- 2.Adagio (クリック)2-2.Adagio(クリック) 。
名将 大谷刑部
南原幹雄「名将 大谷刑部」を読んだ。刑部は関が原の合戦で、石田三成との友誼により西軍方で孤軍奮闘したとして有名だ。しかし、人物像といえば、癩病くらいであまり知られていない。ただ友誼だけで男は闘えるのか。興味があったので手にした。すでに視力を失っての関が原での闘将ぶりは、幾度も目にするが、本書では刑部の仁将・知将ぶりに光を当てている点がおもしろい。そして常に、官僚として秀吉に仕え、秀吉に「100万の兵を率いさせたい」とまで言われた武将でありながら、一度も武勇を鳴らすことがなかった刑部が、散り際に選んだ一大決戦。みごとその闘将ぶりを世に知らしめ死んでゆく姿は圧巻だ。刑部の辞世の句は「契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも」である。約束したから先に死んでも後だとしても六道で待ち合わせようという意味。刑部らしい句である。ちなみに、刑部の娘は、かの真田雪村の正室である。