宮崎では宮崎神宮大祭「神武さま」が昨日、今日と開催されている。神武さまは年に一度宮崎神宮にお参りできない遠くの人のところへ出かけて行かれる神事から始まった五穀豊穣を祝うお祭りです。宮崎神宮は、神武天皇(神日本磐余彦尊:かむやまといはれひこのすめらみこと)を主祭神とし、相殿には左に御父君鵜葦草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、右に御母君玉依姫命(たまよりひめのみこと)が祭られている。宮崎神宮は、むかし、神武天皇宮または神武天皇社と言われていたので、地元では今でも親しみをこめて「神武さま」と呼ばれているそうなのだ。昼間は、御神幸行列があるが、残念ながら両日ともGOLFが入っているので見学できないが、夜に橘通りのデパート「山形屋」からJR宮崎駅までの通り(高千穂通り)が歩行者天国となり、「神武さま広場」が開かれ、宮崎の伝統行事、伝統芸能等を中心にいろいろな催しが開催されるので出かけた。太鼓や、神楽、踊り、神輿などを見学した。こういうものは、暇な単身赴任者には慰めになります。神楽は、ゆっくり時間がたつようで見入ってしまいました。是非、本場でも見てみたいものです。
2007年10月28日日曜日
留魂録 その11
八
今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。蓋し彼の禾稼を見るに春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆其の歳功の成る悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未だ曾て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然とも義卿の身を以て云へは是亦秀実の時なり何そ必しも哀まん。何となれは人事は定りなし禾稼の必す四時を経る如きに非す。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十百は自ら五十百の四時あり。十歳を以て短とするは蟪蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり。百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せすとす義卿三十四時已備亦秀亦実其秕たると。其粟たると吾か知る所に非す。若し同志の士其微衷を憐み継紹の人あらは乃ち後来の種子未た絶えす自ら禾稼の有年に恥さるなり同志其是を考思せよ。
今日、私が死を目前にして平安な心境でいるのは春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。つまり、農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋・冬になると農民たちは、その年の労働による収穫を喜び、酒を造り、甘酒を造って、村々には歓声があふれるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終ったことを悲しむ者がいるということを聞いたことがない。私は、三十歳で人生を終ろうとしている。未だ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えた時なのである。哀しむべきでないかもしれない。なぜなら、人の寿命には定めがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではない。しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずからの四季がある。十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが、単なる籾殻なのか、成熟した粟の実であるのかは私の知るところではない。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという者がいるなら、それは蒔かれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい。
この章が「留魂録」の白眉をなす箇所であろう。儒教者である松蔭先生は、死への恐怖を思いながらも、神にも仏にもすがることがなかった。ひたすら、知力と意志力で死を克服しようとする姿がこの章に現れている。死を決した中で、四季の循環に悟りを開く。己のつけた実は、きっと同志が受け継いでくれると信じて、己の死を静かに受け入れる姿が現れている。まさに松蔭先生の文章は一字一字が涙であり、一言一言が血である。こうして「留魂録」は松蔭先生を師と仰ぐ幕末の志士達に{バイブル}として作用し、“明治維新”という自分達の手で勝ち取った新時代を構築し、新しい日本を主導したのである。
さて、本日は松蔭先生の命日であることを一言書き添えておく。
2007年10月26日金曜日
渾身の調性 ~ モーツァルトを語る 第35弾
第35弾は、ウィーン四重奏曲第6番目の曲「弦楽四重奏曲第13番 ニ短調 K173」である。先に紹介した15番と同じ調性である。ト短調は、モーツァルトにとって「宿命の調性」と謂われる。ニ短調は、勝手に「渾身の調性」と呼びたい。このK173に始まり、K341(キリエ)、K421(弦楽四重奏曲 第15番)、K466(ピアノ協奏曲第20番)、K621(レクイエム)がそれだ。さてK173だが、1773年の作品であるが、これ以降10年弱、彼は「弦楽四重奏曲」を封印しているのも興味深い。少年モーツァルトは、未だ我がフーガ、ハイドンの域に達せずと封印したのだろうか??さて第一楽章は、アマデウスのテーマとも言うべき三度の装飾音を伴う下降音で始まる、そしてオクターブ上のシンコペーションで我々は、モーツァルトの内面の悲しみを知る。その後に続く力強い反転上昇。そこに若きモーツァルトの悲しみを打ち破る強い意志を覗きみる。(ちなみに最初の4小節、これは「魔法の笛」のパミーナのアリア で見つけることができる。)まさに「渾身」。しかしこれだけでは終らない。第4楽章のフーガがまた魅力的だ。チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンが半音で下降しながら順番に登場し絡み合う。そして最後はなんとニ長調の和音で終るのだ。さして複雑ではないこのフーガの恰好よさのため一度聴くといつも何度も何度も繰り返して聴いてしまう私がそこにいるのです。それでは、お聴きください。
mozart_13_k.173 (クリック)。
2007年10月22日月曜日
2007年10月21日日曜日
2回目のゴルフコンペ
2007年10月19日金曜日
おぐら~チキン南蛮
2007年10月16日火曜日
島津奔る
池宮彰一郎「島津奔る」を読む。数年前、上巻のみを購入。読み終えて、下巻を買おうとするが、どこの書店にも置いていない。なんと盗作で回収されていたのだ。関が原の戦いの描写が、司馬遼太郎の「関が原」に似ているというのだ。おかげで途中で終っていた。先月、お客様の事務所へ訪問した折に、書棚で見つけ、事情を話し貸してもらった。感謝である。下巻は一気に読み終えた。主役は、島津義弘。関が原の敗戦直後に、適中突破を秘め、家康本陣を目指しわずか600名にて激走し、家康の目の前で方向転換し逃亡するシーンは迫力そのものだった。
「では言う。後へ退るのは愚である。相手の意表を衝く。前に突き進む」
一同は,呑まれたように聞き入った。
「薩摩島津の退却は,前に進むことしかない。内府の本陣の前を突っ切って,烏頭坂を降る」
「そん後は……?」
「後は,出たとこ勝負じゃ」
この激走が島津百年の計を決した。
しかしこの本で私が一番面白かったのは、官僚然とした石田光成の描き方だった。官僚はいつの時代も、危機管理能力、大局観に欠け、後手に回った時の対応力がないものである。
2007年10月15日月曜日
フェニックスカントリークラブ
今日は、お客さんと「フェニックス・カントリー」にてプレー。コースは歩きだ。大洗に似ている。もうすぐダンロップということで、ラフの芝を伸ばし始めていた。4時ぐらいからボールが捜せなくなるということで、スタッフがラフに数人入って待っていた。グリーンもかなり速い。とても手ごわい。コースは、日南・住吉を廻る。ダンロップでは、OUTが高千穂、INが住吉になる。宮崎にいる間はメンバーとなるが、ビジターの料金は、かなり高いので頻繁には来れないだろう。結果は、46・52=98。ラフに入れると全く駄目。このコースは曲がる私には難しい。パットも速いグリーンに随分てこずった。1mのくだりをはずして2mのパットが残るホールも。しかしフカフカのフェアウェイ、コースを分ける松林には誰もが満足するだろう。住吉・高千穂は、タイガーのティーショットの位置にプレートがある。驚きの飛距離だ。ここでプレーできることはアマチュアゴルファーとしては満足なことです。次はもっと良いスコアで。
2007年10月12日金曜日
道誉なり
北方謙三「南北朝シリーズ」も、とうとう五冊目。あとは、「陽炎の旗」のみ<水曜日に東京にて購入済>。バサラ大名として名をはせた佐々木道誉と足利尊氏に焦点を絞った作品だ。楠木正成・赤松円心・北畠顕家・菊池武光・大塔宮などこの時代、後醍醐天皇にかかわった男たちは、北方謙三により、見事に男の魅力を見せ付けた。今回の道誉と尊氏もおもしろい。バサラ・狡猾・策略家といわれながら終始、尊氏を支えた道誉の心意気は捨てがたい。そして尊氏いてこそ、道誉も輝く。また、ここでは脇役である足利尊氏の心理・生き方が特に巧く描かれており、おもしろかった。しかしそれにしてもこの時代は、複雑怪奇で知られていないことが多く、北方シリーズは、知識欲を十分に刺激してくれた。感謝・感謝。
2007年10月11日木曜日
第2ヴァイオリンだって ~ モーツァルトを語る 第34弾
第34弾はウィーン四重奏曲から「弦楽四重奏曲 第10番 ハ長調 K.170」をとりあげよう。敬愛するKenさんも好きな曲だ。第1楽章に変奏曲が使われている珍しい曲だ。モーツァルトが崇拝する、かのハイドン先生の影響をもろに受けているといわれているこの時代のモーツァルトの四重奏曲の3曲目の曲です。私が好きなのは、第3楽章(Un poco Adagio)だ。冒頭の第1ヴァイオリンはなんて美しいのだろう。そしてそれにもまして、提示部から展開部へのヴィオラと第2ヴァイオリンのソロ。そして再び第1ヴァイオリンへ引き継がれる哀愁を帯びたメロディーライン。伴奏へ移った第2ヴァイオリンの何気ない1回だけの3度のハモリ(36・37小節目)。もう降参です。
それでは、聴いてください。
_k.170 (ウィーン四重奏曲3).mp3(クリック)
2007年10月7日日曜日
優雅に ~モーツァルトを語る 第33弾
結構披露宴に参加したので、そんな場面にピッタリ曲を第33弾に選ぼう。「セレナーデ 第6番 ニ長調 K239 セレナータ・ノットゥルナ」である。モーツァルト二十歳の時の作品である。この曲は、バロック時代の合奏協奏曲のようで、3つの楽章からなる。ティンパニーの登場が特徴的だ。アインシュタインも「音の響きと旋律の点で、モーツァルト初期の作品中最も魅惑的な曲である」とやはり高く評価している。約12分と短い曲であるが、今日は、その中で最も祝宴にあいそうな第二楽章を紹介する。それでは聴いてください。
_k.239 'Serenata Notturna' 2. Menuetto - Trio(クリック)