2012年3月17日土曜日

幽斎玄旨

Photo佐藤雅美著「幽斎玄旨」を読む。
[E:book]室町幕府に仕えていた細川藤孝は、十三代将軍義輝が三好・松永勢に殺されると、義輝の弟である義昭を盛り立て幕府再興を試みる。藤考を含めた幕臣達の働きと願いも虚しく、武力を持たない義昭一行は各地の有力者に頼る流浪を続けるしか出来なかった。京に近く兵力も充分な越前朝倉家に逗留する事になった一行は、早期の上洛を当主義景に促すが越前での平穏な暮らしを望む義景の腰は重く、思案した結果、義昭・藤孝主従は朝倉家を出て織田家に向かう。尾張・美濃を制した織田信長が藤孝の説得を受け、義昭を奉じての上洛を約束したのである。
義昭の家臣でありながら、信長に才能を買われた藤孝は織田家の侍大将として戦場に何度も出るという、二つの家に仕える状況にあった。徐々にではあるが織田家での地位を上げる藤孝に対し、信長の力で将軍の座に就いた義昭は、将軍でありながら信長の許しがないと何も命令も指示も出来ない事に不満を募らせていく。権力を持たない義昭は信長の傀儡としての立場に耐えられなくなり、怒りの矛先は信長に気に入れられている藤孝へ向けられる。
謀叛の疑いすらかけるまで憎まれた藤孝は、命を賭けて将軍の座に就けた義昭を哀しい気持ちで見るのであった。・・・

肥後の大大名細川家の基礎を築き、「神道歌道の国師」とも称された幽斎。足利将軍家二代を支え、それでいて信長、秀吉、家康のいずれからも厚遇を受けた。戦国動乱の興亡を如何に生き抜いたのか、その出処進退の鮮やかさと諸芸に通じた文人武将の生涯の物語。


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