2015年4月19日日曜日

幻の神器


篠綾子著「藤原定家●謎合秘帖 幻の神器」を読む。

鎌倉前期の高名な歌人・藤原定家はある日、父・俊成から三種の御題を解けば「古今伝授」を授けると言われるが、数ヶ月後、俊成は何者かに誘拐される。その目的は一体どこに?鍵を握るのは御題の暗号解読。美貌で毒舌の僧侶・長覚と、紀貫之と同じ紀氏の血を引く少年・潮丸と協力して、父・俊成の救出に奔走する定家。伝統的な和歌の修辞法と謎合わせをモチーフに公家社会の権力の闇に迫る、平安鎌倉ミステリシリーズ。

電子書籍でダウンロード。電車などの暇つぶしに良いかも。






2015年4月14日火曜日

失われたミカドの秘紋


加治将一著「失われたミカドの秘紋」を読む。

「天皇の真実を公表する」そう息巻いていた友人が死んだ。歴史作家・望月真司はその死に疑問を抱き、彼が知った事実を調べるため、支那大陸へ。そこで目にしたのは、キリスト教が中国で流行したことを示す石碑、そして古くからあるイスラム教の寺院。これらが望月の頭の中で結び付けられたとき、ヤマト民族の起源が浮上する!真の古代史を追求する、驚愕の歴史ロマン。


日本古代史をユーラシア大陸全体から政治(特に遊牧民族)や宗教(ユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教等の影響を受けた仏教) 更には 漢字の発生とその活用ともう一つ大きな枠組みから考えている点が素晴らしい。
小説といえるかどうかは疑問だが、非常に興味深い考察に「あっぱれ」をあげたい。


2015年4月13日月曜日

白石堤一目千本桜

単身赴任解除が、恒例となっている「春の桜を満喫しよう」ドライブ。2011年 高遠城。2012年 三春・会津鶴ヶ城 2013年 弘前城 2014年 角館 そして2015年は、「白石堤一目千本桜」です。

9時 就寝 2時起床。 3時に家を出発。軽快に走り、6時15分 白石蔵王ICに到着。ここから、東へ15分。大河原町から船岡までが千本桜の名所。

まずは、船岡城址の駐車場へ。おー すでに結構な観光客が。なんせ25万人が予想されている。早く来てよかった。まだ少し霧のかかった城址へ。










 


こちらの城は、伊達家の家臣「柴田家」「原田家」の居城。NHK大河で有名になった「樅ノ木は残った」<伊達騒動>の原田甲斐が有名です。


その樅の木の展望台から、白石堤千本桜を望みます。




圧巻!!遠くの蔵王連峰をバックに桜並木が続く。




展望台を下り、東北本線沿いを歩き、白石川の土手へ向かいます。








白石川に、逆さ千本桜・逆さ蔵王連峰が・・・。感動です。



 







 



 



船岡城址公園から歩いて約3Km。帰りは大河原町駅から船岡駅まで各駅電車で戻ります。









車窓からも桜並木を撮影。しかし減速してくれず、飛んでます。(時間によっては減速してくれるらしい)












船岡駅到着。こちらからは、船岡城址の桜が最高に美しいです。















 



天気も快晴で大満足の千本桜でした。船岡近辺、まだ9時だというのに大渋滞が起きています。たぶん年に一度の大渋滞。「早起きは三文の得」ですね。




白石城

お次は「白石城」を目指します。こちらも桜の名所。主として仙台藩伊達氏の支城として用いられ、片倉氏が代々居住していました。正宗の側近にして軍師役といわれた片倉小十郎(景綱)が有名です。





10時過ぎとあって、人はそんなに多くない。














と思いきや、天守前の公園は花見客で大勢でした。

しかし、お城と桜は本当にお似合いです。

折角なので天守閣にも登りました。













白石城 こちらも満足です。


すぐそばに「神明社」がありましたので、参拝させていただきました。












神紋は「丸に花菱」紋でした。






当然の「神明造」





 



二本松城(霞が城)

白石を後にして東北道を福島方面へ南下、二本松城、別名「霞が城」へ向かいます。霞が城は、日本さくら名所100選に選定されています。 室町幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が塩沢・殿地が岡に最初の居を構え、地名を二本松と改称し、畠山氏7代当主・二本松満泰が、1414年(応永21年)もしくは嘉吉年間(1441年 - 1443年)にこの地に二本松城を築いた。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城。そして、戊辰戦争に際し二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦い。7月29日、藩兵の大半が白河口に出向いている隙をつかれ、新政府軍が二本松城下に殺到し、僅か1日の戦闘において落城しました。手薄になった攻城戦においては「二本松少年隊」と呼ばれる少年兵も動員されたことは有名。








残念ながら天守閣はありません。











公園内には、ソメイヨシノをはじめとした大小約5000本の桜が咲き誇ります。




天守から安達太良山を望む






公園内の「笠松」







こちらは、高村光太郎の妻「千恵子」の生家があり、お城にも句碑がありました。


あの有名な「あれが阿多多羅山(あたたらやま)
あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)」(樹下の二人より)の句碑でした。













合戦場のしだれ桜

本日の締めは「合戦場のしだれ桜」二本松から東 浪江町に向かう途中にあります。「しだれ」はまだと思いましたが、三春へ抜けて磐越自動車から常磐-成田から自宅へ帰るので寄ってみました。














写真では、かなり咲いているように写っていますが実は「二分咲き」。でもその大きさは圧巻です。




八幡太郎義家と安倍貞任・宗任との合戦場と伝わる地に立つ2本のベニシダレザクラです。

「三春の滝桜」の孫桜と言われているそうです。




これにて、今年の桜ツアーは終了。なんと780kmのドライブでした。



2015年4月4日土曜日

北野天神社(所沢)



今日は、飯能市「武蔵丘ゴルフクラブ」にてゴルフのため、早出にて「武蔵国式内社」を4社参拝してきた。朝4:45出発。所沢を目指す。6時到着。

まずは、「北野天神社」へ。

こちらは、延喜式内社「物部天神社」であり延喜式内論社「国渭地祇神社」である。

「物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社」の総称として「北野天神社」と呼称されている。



ご祭神は、物部氏の祖と言われている「櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひ)」、八千矛命、菅原道真公です。



社伝によりますと景行天皇の御代に日本武尊が東征の折りこの地にニギハヤヒ・ヤチホコの二神を祀り、物部天神・国渭地祇神として尊称したと伝え、古来武藏国の延喜式内社入間郡五座の一つに数えられていました。

その後、長徳元年(995)に菅原道真五世の孫修成が武藏守となって武藏国に下向し、この地に京都の北野天満宮を祀ったので以後北野天神と称せられるようになったようです。



早朝の境内は、凛として緑も綺麗です。








一の鳥居の扁額には「北野宮」。二の鳥居は「北野天満宮」とありました。








境内は、桜が満開です。美しい。早朝なのでまだ灯篭には灯がともっていました。




ご神紋は「加賀梅鉢」紋。


前田利家公が、社殿を再興したからでしょう。







本殿は、古く1770年代の建築で向拝付の流造りです。










この季節ならではの「花見」を兼ねた参拝となりました。