2015年4月13日月曜日

二本松城(霞が城)

白石を後にして東北道を福島方面へ南下、二本松城、別名「霞が城」へ向かいます。霞が城は、日本さくら名所100選に選定されています。 室町幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が塩沢・殿地が岡に最初の居を構え、地名を二本松と改称し、畠山氏7代当主・二本松満泰が、1414年(応永21年)もしくは嘉吉年間(1441年 - 1443年)にこの地に二本松城を築いた。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城。そして、戊辰戦争に際し二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦い。7月29日、藩兵の大半が白河口に出向いている隙をつかれ、新政府軍が二本松城下に殺到し、僅か1日の戦闘において落城しました。手薄になった攻城戦においては「二本松少年隊」と呼ばれる少年兵も動員されたことは有名。








残念ながら天守閣はありません。











公園内には、ソメイヨシノをはじめとした大小約5000本の桜が咲き誇ります。




天守から安達太良山を望む






公園内の「笠松」







こちらは、高村光太郎の妻「千恵子」の生家があり、お城にも句碑がありました。


あの有名な「あれが阿多多羅山(あたたらやま)
あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)」(樹下の二人より)の句碑でした。













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