2007年3月31日土曜日

疾風怒濤

Photo_7 久々にCDを購入。ハイドン 疾風怒涛期の交響曲集(第45.46.49)_トン・コープマン指揮:アムステルダム・バロック管弦楽団 <1000円>である。何故かこのところハイドンのCDに手が伸びる。さてコープマンはオランダ人。ハープシコード(チェンバロ)奏者、オルガン奏者でもある。グスタフ・レオンハルトの弟子である。コープマンの音には生気がある。もともとバロック音楽にどっぷり漬かっていたが、その後古典派音楽にも登場するようになったそうです。スーパーバリュー20シリーズ集めてみようかと思う。私はハイドンの交響曲は、番号後半のパリ交響曲シリーズやロンドン交響曲シリーズよりも、この疾風度怒涛期の方が、情熱的で好きである。当CDは、3曲とも短調である。疾風怒涛期の交響曲の中に短調の作品が6曲もある。100曲近いハイドンの交響曲で11曲しかないことを思うと、特別な時期であろうか。副題も44番「哀悼(悲しみ)」45番「告別」49番「受難」その他「嘆き」など悲劇的ものが多い。44番はハイドンが最も愛した交響曲で、自分の葬儀では、「3楽章のadagioを演奏して貰いたい」と語ったとされている。弱音器をつけたヴァイオリンが奏でる優しいメロディーが魅力だ。45番「告別」は、最終楽章で、出番が終わった奏者:第1オーボエ,第2ホルン,ファゴット,第2オーボエ,第1ホルン,コントラバス...順々に席を立って(譜面台の照明を消して)退出することになっている。終盤のコーダでは4部に分かれたヴァイオリン,ヴィオラ,チェロだけになる。チェロ,第2ヴァイオリン,ヴィオラという順にいなくなり,最後は第1ヴァイオリン2人だけになり,消えるように曲が終わるという面白いトリックが隠されている。そして49番「受難」。ため息と敬虔、悲しみと追われ、あぁ珠玉の1曲。天才モーツァルトが如何にハイドンの影響を受けていたのかわかる1枚ではなかろうか。この時期の短調の交響曲群とモーツァルトのト短調交響曲については、kenさんのブログ、ウィーン旅行後の交響曲〜小ト短調とハ長調が興味深いので最後に紹介させてください。それでは、交響曲第49番へ短調Hob.;49「受難」からの第1楽章 Adaigoをお聴きください。adagioーpassion (クリック) 



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2007年3月25日日曜日

留魂録 その6

三、続き



幕府の三尺、布衣、国を憂ふることを許さず。其の是非、吾れ曾て弁争せざるなり。聞く、薩の日下部伊三次は対吏の日、当今政治の欠失を歴詆して、「是くの如くにては往先三五年の無事も保し難し」と云ひて、鞠吏を激怒せしめ、乃ち曰く、「是を以て死罪を得ると雖も悔いざるなり」と。是れ吾れの及ばざる所なり。子遠の死を以て吾に責むるも、亦此の意なるべし。唐の段秀実<ダンジュウシツ>、郭曦<カクギ>に於ては、彼れが如くの誠悃<セイコン>、朱泚<シュセイ>に於ては彼れが如くの激烈、然らば則ち英雄自ら時措の宣しきあり。要は内に省みて疚しからざるにあり。抑々<ソモソモ>亦人を知り幾を見ることを尊ぶ。吾れの得失、当に蓋棺の後を待ちて議すべきのみ。



幕府の法によれば、庶民が国を憂うことを許していない。その是非について、私は弁じたり争ったしなかった。聞くところによると、薩摩藩士 日下部伊三次は、取調べ時に、現在の幕府の政治の欠陥を徹底的に論じ「このような有様では、幕府は三年か五年しかもたないであろう」と言ったため、幕吏は激怒したとのこと。しかもさらに「これで死罪となろうとも悔いることはない」言ってのけた。私などには遠く及ばないところだ。杉蔵が私に死を覚悟せよと言ったのはこの意味かもしれない。唐の段秀実は、郭曦には誠意を持ってあたり、朱泚には、激烈に対し殺された。英雄は、時と場所において、それにふさわしい態度で臨むものである。真に大事なことは、己を省みて疚しくない人格を持つということであろう。そしてまた、相手をよく知り、機を見るということを大事にしておかねばならない。私の人間としての有り様が良いか悪いかは、棺桶の蓋を覆った後、歴史の判断にゆだねるしかあるまい。



三尺とは、昔法律は竹の三尺ほどの簡に描かれたのでこう呼ばれた。また、布衣とは、、木綿や麻でつくられた庶民の服のことで、ここでは「庶民」そのものとして使われている。「布衣の交わり 」という言葉があるが、これは、身分の低いもの同士の交際。 または、お互いの身分地位を考慮に入れない心からのつきあい を意味する。



日下部 伊三次(くさかべ いそうじ)1814-1858 は薩摩藩士で、勤王の志士であった。水戸藩と薩摩藩との使者として暗躍し、朝廷に工作を行っていた。幕府や新撰組の追求から逃れるため深谷左吉、宮崎復太郎と名乗ることもあった。安政五年(1858)安政の大獄により梅田雲浜・橋本左内、頼三樹三郎らとともに獄死している。



段秀実は、唐の人、徳宗(9代目)の司農卿。顕官 郭子儀の子 郭晞が父の威を借りてやり放題だっだので、これを諭し改心させた。松陰先生の郭曦<カクギ>は、誤字であろう。また、朱泚<シュセイ>が謀反を企てた時、秀実に加担を誘ったが、彼は牙笏<ゲシャク>を奪って撃ち面罵したため、殺された。文天祥「正気の歌」に或為撃賊笏 或いは賊を撃つ笏と為りの句がある通り、忠義の人であった。いずれにせよ、松陰先生は、この詮議にあってあくまでも冷静に対処しようとしたことが伺える。



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赦しの音楽~モーツァルトを語る 第16弾

Mz5309 モーツァルトには、赦しの音楽があると思う。一番有名なのは、フィガロの結婚 第4幕 フィナーレの伯爵が夫人に向かって歌う「Contessa perdona」。映画『アマデウス』のこの場面を観たサリエリの「劇場中を"赦し"の音楽が満たした」という言葉が印象的だ。でも、オペラでなくても赦しの音楽が存在する。第16弾は「ヴァイオリン協奏曲 第5番 第二楽章 Adagio」。この曲は、日本でも数多く演奏されるヴァイオリン協奏曲だ。第1楽章は力強いソナタ形式。モーツァルト独特のあのジェットコースターを堪能できる。そしてなんといっても終盤のカデンツァ。そのすばらしい技巧が必要で聴くものを魅了する。第三楽章は{トルコ風}と名づけられて有名。コル・レーニョ(弓の木の部分で叩く奏法)の指定があるのも特徴だ。そして中間楽章の第二楽章はとてつもなく美しい。私にはここに「赦しの音楽」が聴こえる。ただ優しいだけじゃない。ただ美しいだけじゃない何か。終盤のカデンツァまで一瞬も途切れることなく続くのだ。それでは、グリュミオーのヴァイオリンでお楽しみください。



mozart_5_k.219 - (2) (クリック)。



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ゴルフコンペ

本日は、会社のゴルフコンペ。4組15名と少ないコンペであるが、現在の部門に来て2度目の開催。場所は、姉ヶ崎カントリー倶楽部。さすが春の陽気に皆誘われているのか、30分で到着するはずが、大渋滞で1時間もかかってしまった。というわけで練習も出来ずじまい。結果は、48・43の91。第4位(この順位は何ももらえない)。パットは少しハンドファースト気味に変えたのがよかったのか③パットなし。バディーもミドルで1つ。賞品は、いつものドラコン賞のみ。風と下り傾斜の相乗効果、会心の280y文句なしのドラコンであった。小さな飛ばし屋の面目躍如といったところ。ERCⅢは偉大なり。曇り空と時折の強い風というコンディションであったが、雨には振られずに済んだ。(パーティー中に豪雨到来)。今日は、なんといってもキャディーだ。仕事という点では疑問もあるが、とにかく可愛い(アイドルにしてもいい程)。そういう意味で少し気が散ったかもしれない。肝心なところで痛いミスが目立った。(ということにしておこう)。次は優勝だ!!



2007年3月22日木曜日

魏徴

Photo_17「隋唐演義」1~5巻 田中芳樹 を読み終えた。10年以上まえに安能務のものを読んだが、すっかり忘れていたので楽しく読むことが出来た。ある有名な言葉が、本書に登場せず残念に思うので書いておきたい。



魏徴 その人の名句である。魏徴は、字玄成は鉅鹿の人。
唐の太宗の諫言官として死を恐れず直諫し続け、貞観の治の佐けとなった。 そもそも魏徴は、唐の反対勢力 李密の部下であり、帰順後は太宗李世民が兄の隠太子と弟の元吉を玄武門のクーデターで殺した時に太子派の参謀長として死ぬはずだった。それが赦されて太宗皇帝の第一の側近となったばかりか、皇帝に対して敢えて反対意見を言う役目を仰せつかった。出世を思わず、死をも恐れなかった魏徴だが、その人を使いこなす天子がいてこその、この述懐である。



唐に帰順まもない時、高祖 李淵の絶対なる信頼に感激しての「述懐」である。



中原初逐鹿 中原、初めて鹿を逐い
投筆事戎軒 筆を投じて戎軒を事とす
縦横計不就 縦横の計はならざれども
慷慨志猶存 慷慨の志はなお存す
杖策謁天子 策によって天子に謁し
驅馬出関門 馬を駆って関門を出ず
請纓繋南粤 纓を請うて南粤を繋ぎ
憑軾下東藩 軾によって東藩を下さん
鬱紆陟高岫 鬱紆、高岫にのぼり
出没望平原 出没、平原を望む
古木鳴寒鳥 古木に寒鳥鳴き
空山啼夜猿 空山に夜猿啼く
既傷千里目 既に千里の目を傷ましめ
還驚九逝魂 還た九逝の魂を驚かす
豈不憚艱険 あに艱険を憚らざらんや
深懐國士恩 深く国士の恩をおもう
季布無二諾 季布に二諾無く
侯エイ重一言 侯エイは一言を重んず
人生感意気 人生、意気に感ず
功名誰復論 功名、誰か復た論ぜん



よく使われる 人生 意気に感ず とは、ここから出ている。



再びLeTAO

Letao_shokora 火曜日より1泊にて札幌へ出張。1/28にLeTAOのドゥーブルフロマージュを紹介したが、今回のお土産は「LeTAOのショコランジェ」。チョコレートの風味を最大限に引き出すために、スチームでしっとりと仕上げた「焼かないチョコレートケーキ」。シナモンの風味と、なめらかな口あたりが楽しめる。千歳空港にてGet。1050円。お試しあれ。



2007年3月19日月曜日

穏やかな日曜日~ベートーヴェン「春」

Gllh11 かみさんは、美術館へ。長男は倶楽部活動で大学へ。長女は、吹奏楽の練習へ。次男は、友達の家へ。というわけで、一人の日曜日(よくあることだが)。そして久しぶりに春晴れ。こんな日は、のだめカンタービレで一躍有名になった「ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ 第5番 ヘ長調 Op.24 春」でも聴こうか。やっぱりグリュミオーの音色で・・・。beethoven_violin_sonata_no_5_spring_fdur_op_24_grumiaux. (クリック)。



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2007年3月17日土曜日

ホルン独壇場~モーツァルトを語る 第15弾

Photo_5 モーツァルトは、4つのホルン協奏曲を書いているが、第15弾はそれとは違います。ホルン協奏曲も大好きなのでいずれ登場しますが、第15弾は、「ディヴェルティメント 第2番 ニ長調 K131」です。その後のK136.137.138のおかげで、あまり有名ではありませんが、個人的にはこちらをよく聴きます。この曲はなんとヴァイオリン2、ヴィオラ2、バス、フルート、オーボエ、ファゴット、そしてホルン4つという変わった編成です。ホルンの独壇場は、2つ目のMenuetto(第5楽章)。最初のトリオでホルンが高らかにそして牧歌的な響きでメロディーを歌い上げます。続く第2トリオはフルートが優しく優雅に囁き、第3トリオは、弦がしなやかに。演奏会などでは、1つ目のMenuetto(第3楽章)がよくとりあげられるでしょうか。あえて、今日は第5楽章を聴いてください。短い曲です。k.131 - 5. Menuetto (クリック)。それではお楽しみください。おっと、やはりこの曲を紹介するならAdagioもとりあげないと、K131ファンに怒られますね。と書いてる本人が一番納得しません。「This is Mozart」とも云うべき美しさと優しさに溢れた旋律。このAdagioには木管は登場しません。弦楽四重奏です。そしてウォルフガング旋律美の王様「イ長調」。哀愁もロマンも悲しみもたぶんありません。でもただただ美しいのです。生きる喜びに感謝する、自然に抱かれているのを感謝する、そんな旋律です。お聴きください。k.131 - 2. Adagio(クリック)。





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卒業式

Sotugyouski 今日は、次男(右)の小学校の卒業式だった。休暇と重なったので、3人目にして始めて出席した。観測史上一番遅い初雪が舞う寒い一日だった。体育館の冷え込みが心配されたが、ストーブの傍の席をGet。122人の卒業生だ。この小学校からは、たった一人だけ大学の附属中学へ入学するので、今のお友達とは本当に最期となる。来週は、皆でディズニーランドへ行くらしい。(オーそんな年になったか)わんぱくで怒られながらの学校生活だったようだが、親としては、随分大きくなったものだとつくづく感慨深い。新しい中学校へ行ってもすぐに仲間が 出来るはずだ。頑張れ 弘季!!



2007年3月16日金曜日

クロッカス

Dscf0903 Dscf0900 Dscf0898 このところ急に寒さが戻り、開花が遅れた我が庭の「クロッカス」。やっと咲いてくれました。三色あって、どれも可愛らしい。こんなことなら10月にもっと沢山植えておけばよかったと後悔する今日この頃である。和室側の「ハナズオウ」の蕾も膨らんできました。君子蘭も、あの鋭い葉の間から花芽が覗いています。当然、薔薇も初春特有の赤味がかった芽がいくつもいくつも出始めて、暖かくなるのを今や遅しと待ち構えています。初春の庭は、まだ寂しい限りですが、1日1日と変化してゆく様が楽しいです。



2007年3月15日木曜日

留魂録 その5

三、



吾が性激烈駑罵に短し、務めて時勢に従ひ、人情に適するを主とす。是を以て吏に対して幕府違勅の已むを得ざるを陳じ、然る後当今的当の処置に及ぶ。其の説常に講究する所にして、具(ツブサ)に対策に載するが如し。是を以て幕吏と雖も甚だ駑罵すること能はず、直に曰く、「汝陳白する所悉く的当とも思はれず、且つ卑賤の身にして国家の大事を議すること不届なり。」余亦深く抗せず、「是を以て罪を獲るは万万辞せる所なり」と云ひて已みぬ。



私は性格が激しく、罵られると忽ちのうちに怒りを発するのを自覚していたので、日頃より務めて時流に従って、人々の感情に適応するように心がけてきた。幕吏に対してもそのように臨み、幕府が朝廷の意思に背いているのも、それなりの已む得ぬ事情があったとだと認めた上で、これからとるべき適当な処置は何であるかを論じたのである。私の説こうとすることは、常日頃より講究していることで、すでに、「対策一道」に書いたとおりである。そうした私の論に幕吏といえども、さすがに駑罵することができず、ただちに次のようなことを言った。「お前の陳述することが、すべて正しいとは思われない。かつ卑しい身分の分際で国家の大事を語るなど不届き千万である。」私は、それでも強く抗弁もせず、「私の意見を述べることが罪となるのであれば、あえてそれを避けようなどとは思わない」とだけはっきりと言っておいた。



**********



松蔭先生は、尊大な態度をとる幕吏たちに対しても相当の怒りと不快感を抱きながらも、その気持ちを抑えて謹厳実直にそして温和に対応していたことが伺える。それは、ここに至って自らの意見を正々堂々と述べたいという気持ちの現われではなかったろうか。「対策一道」は安政5年5月12日に毛利慶親公(藩主)に上書されている。幕府とハリスとの条約を朝廷が拒否を示し幕府と朝廷に亀裂が生じた時期である。この時期の松陰先生の論は、単純な攘夷論ではない。「墨夷(アメリカ)は絶たざるべからず」と断言しており、一見攘夷論に見えるが、3年間国富に勤め、しかる後に通商条約を結ぶべきであると説いている。以下 その論文である。



「凡そ皇国の士民たる者、公武に拘らず、貴賤を問はず、推薦抜擢して軍帥(一軍の大将)舶司(大鑑の司令官)と為し、大艦を打造して船軍を習練し、東北にしては蝦夷(北海道)・唐太、西南にしては琉球・対馬、憧々(往来の絶えない様子)往来して虚日あることなく、通漕捕鯨(海上運送と鯨をとること)以て操舟を習ひ海勢を暁り、然る後往いて朝鮮・満州・及び清国を問ひ、然る後広東・咬留(ジャカルタ)・喜望峰・豪斯多辣理(オーストラリア)、皆館を設け将士(将校と兵士)を置き、以て四方の事を探聴し、且つ互市(貿易)の利を征る。此の事三年を過ぎずして略ぼ弁ぜん。然る後往いて加里蒲爾尼亜を問ひ、以て前年の使いに報い、以て和親の約を締ぶ。果して能く是くの如くならば、国威奮興(国家の威力を奮い起こす)、材俊振起(優秀な人材を奮い立たせる)決して国体を失ふに至らず、又空言以て驕虜を懲するの不可なるに至らざるなり。然れども前の論は以て墨夷を却くべし、…」



幕吏は、松陰先生の意見を正すことが出来ないと見るや、卑賤の身で国家を語るのは不届きとなじる。そこでも先生は、じっと耐えているのである。  つづく



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2007年3月12日月曜日

癖になる音

2/10に美しいメロディーの代表としてボロディンの弦楽四重奏曲第二番第3楽章「ノクターン」を紹介した。この曲は、このまま終わってもいい、いや終わるべきだと思うのだが、実はその後に一種独特のフモールとも言うべき第4楽章{フィナーレ~アンダンテ・ヴィヴァーチェ}がある。kenさんのブログ2/20「音は自然に寄り添うものだ」でアンサンブルの妙が紹介されているのでご覧いただきたい。正直に述べると、「なんじゃあこりゃあ」という怪しい音で始まる。しかし、その後に出てくる自由闊達な足音のような流れるテンポの中で、弦が一糸乱れず蠢くので話は変わる。半音階の4部音符と全音階の8分音符の違った動機が不思議と合うのだ。鬱なチェロと躁のヴィオラと言ったところか。確かにkenさんが書いているように、もし下手な演奏家のアンサンブルなら聴けたもんじゃないだろう。それこそ「なんじゃこりゃあ」で終わってしまう。しかし、聴けば聴くほど癖になるのだ。このボロディンの第4楽章は。それではボロディン四重奏団でお聴きください。borodin_2_4 (クリック)。



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姉ヶ崎カントリー倶楽部 東コース



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今日は最悪の天気の中、姉ヶ崎カントリー倶楽部でプレーをした。前半は、7ホール目まで大雨。風も強い。もっと早くやむかと思われた雨が中々しぶとい。ぬかるんだフェアウェイで最初アイアンがダフリ気味でどうなることかと思われたが、4ホール目(No。13)でチップインバーディーを決めて流れを掴む。ティーショットは雨で滑ってOB2発と冴えなかったが、アプローチ、パットで何とかしのいで今年4度目でやっと80台(89)が出た。晴れ男であるが久しぶりの雨に祟られスタート前は嫌な気分だったが、バーディーもあったし、昔若かりし頃一緒に仕事をした先輩とのゴルフで非常に楽しめた。キャディーさんも雨の中大変一生懸命サポートしてくれ、距離や風も計算してくれる優秀なキャディーさんで非常に満足な一日であった。



2007年3月10日土曜日

天上の音楽~モーツァルトを語る 第14弾

第14弾は「ディヴェルトメント 変ホ長調 K.563」。まさに天上の音楽。私は、朝いつも通勤電車で、この曲を聴きながら新聞や本を読んでいます。なんという贅沢。混雑している周りを気にすることなく自分の世界に入り込めます。アインシュタインは、「この世で耳にする中で最も完璧で最も繊細な曲である」と絶賛しています。6楽章からなる曲は、弦楽三重奏で、一見小さい編成だが、だからこそ難しい編成であるにもかかわらず、見事な和音や技巧で、美しいメロディーを作り出しています。ケッヘル番号でわかるとおり、かなり後期の曲です。1988年、あのジュピターの1ヵ月後に作曲されました。モーツァルト自身も2度ほど演奏しているみたいです。パートは、ヴィオラ。多分この曲でキーを握っている楽器だからでしょうか。モーツァルトファンにお勧め作品ベスト10を選んでもらうと、必ず入ってくる曲だと私は思っています。全てをアップしたいのですが、いずれまた。今日は、第一楽章をお聴きください。コメントもよろしく。k.563 - 01 (クリック)してください。



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帰宅

本日、札幌より4日ぶりに帰宅。やはり、札幌は寒かった。朝などは、凛とした空気が身にしみて心地よいくらいだ。東京はつくづく暖かい。



2007年3月7日水曜日

荀彧

Isbn9784569667959 PHP文庫から出ている「荀彧」という本を読んだ。荀彧なくして曹操なしと謳われた魏の名軍師である。最期は、曹操と距離ができ、もはや不必要とされていると感じ、毒を仰ぎ死んだというのが定説(空の壷の話)であるが、本書は、そのように終わらせていない。また、漢室を重んじていたとされる説をも覆がえしている。むしろ、曹操に早く、漢四百年の重みを飛び越えよと箴言する姿がそこにある。正統三国志ファンには眉をひそめそうな展開だが、そういう作者独特の解読もおもしろい。さて、本書とは少し関係ないが、荀彧で一番の軍師としての名場面は、なんといっても曹操へ勇気づけの場面であろうか。



彧則見太祖。太祖乃以紹書示彧、曰、今将討不義而力不敵、如何。



彧曰、古之成敗者、誠有其才、雖弱必強。荀非其人、雖強易弱。



劉・項之存亡、足以観矣。



彧すなわち太祖に見まう。太祖すなわち紹の書を以て彧に示して曰く、



「今、不義を討たんとするも、力、敵せず、如何せん」彧曰く、



「古の成敗は、誠の其の才有れば、弱と雖も必ず強く、荀しくも其の人に



非されば、強と雖も弱め易し。劉・項の存亡、以て観るに足る矣。



昔から勝敗は人しだい。トップに其れだけの力(力量)があれば、弱くても必ず強大になる。逆にトップに人を得ていなければ、いかに強くても最期は弱くなる。これは、劉邦と項羽を見ればわかることだと、袁紹と曹操の人を比較して、袁紹は曹操の敵ではないと、弱音を吐く曹操を勇気づける。この言葉を得て、曹操は袁紹との対決を決意するにいたる。誠に王佐のすぐれた直言といえよう。





2007年3月5日月曜日

暖かな一日

今日は、本当に暖かな一日であった。19度を記録している。あちらこちらの梅の花がきれいだ。水戸の偕楽園の梅も今頃は満開であろうか。わが庭の水仙も、まもなく咲きそうである。薔薇は15度を超えたあたりから本格的に活動し始めるので、芽も一週間で見違えるほど出始めている。クレマチスも枯れ枝の節目から緑の芽がいくつも覗きはじめている。久しぶりに近くのフラワーショップで、一年草を数種買ってきて、カーポートの傍を飾った。しかし、今週は、火曜日から金曜日まで札幌である。天気予報を見てみると、雪、気温最低が-7度や-5度。またまだ北の大地は寒さが厳しそうだ。せっかく風邪も回復したので、温暖の差で体調を崩さぬよう気をつけたい。



2007年3月4日日曜日

オルガン~モーツァルトを語る 第13弾

Photo_3 第13弾は、「教会ソナタ 第1番 変ホ短調 K.67」「教会ソナタ 第17番 ハ長調 K.336」の2曲です。コロレド大司教の下、宮廷お抱え音楽家であったモーツァルトにとって、教会のミサのための音楽を作曲することは、重要な仕事でした。ザルツブルグでの当時のミサに用いられる音楽の中に「ソナタ・アレピストラ」という曲が含まれていおり、モーツァルトが残した17曲の教会ソナタはこの部類に属します。すべてが、1楽章形式で短いものです。編成は、ほとんどがヴァイオリン1、2、バス、オルガンです。中には、モーツァルトが大嫌いなトランペットその他オーボエ、ティンパニー、ホルン、チェロが加わっている曲もあります。(14番や15番)。そして17番だけは「オルガン協奏曲」とも呼べるソナタ形式で描かれています。初版は、1780年にオッフエンバッハのアンドレ社より「オルガン、またはピアノのためのソナタ」として出版されました。当時は、モーツァルト自身がオルガンを弾いていたと思われます。さて1番ですが、10歳の時に作曲されたものです。信じられません。まさに奇跡のメロディーーーーーー。どこか優しさに溢れています。それでは、お聴きください。17_k.336(クリック)01_k67(クリック)。演奏は、Chorzempa, Deutsche Bachsolisten, Winschermann  です。



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2007年3月3日土曜日

留魂録 その4

ニ、



七月九日、初めて評定所呼出しあり、三奉行出座、尋鞠の件両条あり。一に曰く、梅田源次郎長門下向の節、面会したる由、何の密議をなせしや。二に曰く、御所内に落文あり、其の手跡汝に似たりと、源次郎其の外申立つる者あり、覚ありや。此の二条のみ。夫れ梅田は素より奸骨あれば、余与に志を語ることを欲せざる所なり、何の密議をなさんや。吾が性公明正大なることを好む、豈に落文なんど曖昧の事をなさんや。余、是に於て六年間幽因中の苦心する所を陳じ、終に大原公の西下を請ひ、鯖江候を要する等の事を自首す。鯖江候の事に因りて終に下獄とはなれり。



7月9日に初めて評定所から呼出があった。三奉行が出座して次の二点について私を尋問した。まず一つは、梅田源次郎(雲浜)が長州に行ったとき面会したというが、如何なる密議をしたのか。今一つは、御所内に落し文があったが、その筆跡は、お前の筆によく似ていると源次郎その他は言っているが、覚えがあるかということであった。梅田は、元来より奸智にたけており、共に志を語るに足らぬ男と思っていた私が、何で密議を交わすことがあろうか。私は、もとより公明正大に行動することは信条としている。落し文などという隠れた陰湿なことなど決してするものではない。私は、此のことをきちんと明らかにしておいて、6年間の幽因生活中に、あれこれと苦心したことを陳述し、ついに大原公の西下を誘い、鯖江候要撃計画のことなどを自供したのである。鯖江候自供の件により、ついに獄に投じられることとなったのである。



**********



三奉行とは、寺社奉行 松平伯耆守/町奉行 石谷(イシガヤ)因幡守/勘定奉行 池田播磨守の三名である。他に、大目付 久貝因幡守も同席していた。梅田雲浜は元若狭藩士で尊皇攘夷派の志士である。安政の大獄で2番目に逮捕され、獄中死している。上方と長州の物産交易に従事していたが、松陰先生は、雲浜は志士ではなく商人だと見ていたので、好きではなかったようだ。よって密議など有ろうはずがない。もし、自ら老中鯖江候(間部詮勝)暗殺の件を自白しなければ、遠島くらいで済んだかもしれない。遡ること1年10ヶ月、安政5年1月6日、「狂夫の言」を松陰先生は、提出している。大まかは、藩政改革案であるが、そこには、日本国への危機感(通商条約の締結を強要している米国の策謀を警戒もしている)が綴られている。有名な言葉がある。



天下の大患は、其の大患たる所以を知らざるに在り。
苟も大患の大患たる所以を知らば、寧んぞ之れが計を為さざるを得んや。



【訳】
世の中の大いに憂うべきことは、国家が大いに憂慮すべき状態にある理由を知らないことにある。 仮にもその憂慮すべき事態になる理由を知れば、どうしてその対応策を立てないでいられようか。 立てるべきである。



幕府は保身に走り、無策でいる。此の大事に、命を懸けて日本を護ろうするものがいない。それが、松蔭先生には、腹立たしかったのであろう。激烈な松陰先生は、この時期からであった。この章で出てくる自白は、この後の志士達の決起を促す死を覚悟のことであったでろう。