宮元健次著「聖徳太子 七の暗号」を読む。[E:book]聖徳太子(厩戸皇子)は、日本に仏教を広めるために数多くの寺院を建てた人物として知られている。本書は、一見、何の脈絡ももたない複数のキーワードを武器に、聖徳太子ゆかりの寺々の建てられた真の意図をあぶり出すことを目的としている。日本初の憲法十七条の制定、遣隋使の派遣など、華々しい事蹟で満ちている聖徳太子は、日本の歴史を代表する人物である。しかし、近年、「聖徳太子」はいなかったという説が注目を集め、太子虚構説がささやかれている。本書では、『日本書紀』などの史料を駆使し、悩み苦しんだ一人の人間としての聖徳太子にスポットをあて、日本史に描かれなかったその実像に迫る。
◆ 目 次
はじめに
序 章 殺人者の苦悩と悲しみ
第 一 章 四天王寺 ---- 守屋鎮魂のための最初の寺
第 二 章 善光寺 ---- 「七」による浄化の仕掛け
第 三 章 飛鳥寺 ---- 見え隠れする神道の呪術
第 四 章 法隆寺 ---- 死霊に対する恐怖
第 五 章 広隆寺と中宮寺 ---- 渡来人・秦氏の関与
第 六 章 橘寺・法輪寺・法起寺 ----共通する鎮魂の秘儀
終 章 物部守屋の正体
おわりに
法隆寺の建つ斑鳩は、もともとは物部守屋の領地だったが、守屋を滅ぼした後に厩戸皇子の領地となっている。そのため法隆寺には、守屋鎮魂の仕掛けが多数施されている。創建法隆寺も四天王寺や善光寺、飛鳥寺と同様に守屋の成仏を願う目的で建てられたのである。
「太子七か寺」に共通するのは、伽藍配置が四天王寺式配置であり、阿弥陀如来を本尊とする善光寺式一光三尊形式であり刀印をもつことである。ところが、仏像史ではこの点がほとんど触れられていないという。また、それぞれの寺院やゆかりの神社は「自然暦」を意識した位置関係にある。一定の場所から見て、夏至や冬至、春分、秋分の太陽が一定の山から出没するしくみを「自然暦」と呼び、農耕のための暦や祭祀として古来、各地で用いられてきたが、守屋の霊の鎮魂にも自然暦が使われているだ。