2011年4月30日土曜日
もっこうバラ
2011年4月29日金曜日
信長の暗号 上・下
2011年4月24日日曜日
英国王のスピーチ
アカデミー賞作品「英国王のスピーチ」をかみさんと観る。震災でしばらく幕張シネプレックスは閉鎖だったために1月位遅れでの鑑賞となった。まだ、幕張海浜駅周辺は、液状化でまだ、ところどころ隆起をしている歩道があるようだ。
[E:movie]1936年の英国。国王ジョージ5世の後継として長男のエドワード8世が即位するが、離婚歴のある米国女性と結婚するために1年もしないうちに王座を捨ててしまう。ジョージ6世として王位に就くことになった弟のヨーク公は内気な性格に加え幼い頃から吃音症に悩み、公務でのスピーチは常に苦痛の種だった。そんな夫を優しく励ます妻のエリザベスは、オーストラリア人のスピーチ矯正専門家ローグを見つけ出すのだった。・・・・
身分と人種を越えての友情の物語としてこの映画をとらえたい。
スーパー晴れ男
今日は、久しぶりにゴルフ。前日から大雨の予想。朝からもどしゃぶり。今日一緒に周る宮崎で知り合ったTさん(4月に東京へ転勤)もさすがに、電話をしてきた。「やるんですか?」私「ええ、雨はあがります。降りませんから。とにかく来てください。」たぶん、あきれていただろう。家族も、「パパ!どしゃぶりだよ。」私「大丈夫。パパの周りだけ降らないから。」そう言い残して自宅から45分。ミルフィーユゴルフクラブというコースへでかけた。
雨は徐々に小ぶりに。晴れ間も少し見える。スタート時間。ほら止んだ。そう、スーパー晴れ男なのです。今日もその実力を発揮。しかしこんなことは何度も経験しているのだ。INコースからのスタート。全く雨はない。18番ホール。やっと降り始めるが、私がショットする時とパーターの時は止んでいる。グリーンで一度だけ傘をさしただけで終了。
食事時間に、横殴りの雨。しかし、スタートする時間になるとパタリと雨は止む。OUTコースも最終ホールで少しだけ雨が・・・しかしやっぱり私が打つ番になると止む。さすがに同伴者も脱帽。ここ5年間で、100ラウンド以上はこなしているが、3回くらいしか雨は降ってないのだ。帰りの車。どしゃぶり。・・・・今日も奇跡は起こった。
しかし、あいかわらずアイアンがさっぱり。49:44=93。むなしく撃沈!!スコアに奇跡は起こらなかった。
2011年4月23日土曜日
哄う合戦屋
2011年4月17日日曜日
高遠城址の桜
甲斐一の宮 浅間(あさま)神社
高遠から戻り、この日は富士山をご神体とする「浅間」神社巡りだ。昨年に総本山で富士宮市にある「富士山本宮浅間(せんげん)大社」へ参拝したが、今回は甲斐の国からいくつかの浅間神社をめぐることに。「浅間」は「せんげん」と読む神社と「あさま」と読む神社があるので気をつけたい。まずは、杖突峠を越えて、山梨へ戻る。この時期、甲府盆地は、桃の花が咲き乱れそれは美しい風景を見せてくれる。
「甲斐一之宮 浅間神社」へ到着。旧国幣中社にして延喜式 式内社名神大社である。国道沿いの見事な明神鳥居が目を引く。
ご祭神は、木花咲耶姫。神紋は「桜」。十六八重菊ばかりでなかなかみつからなかったが、ありました。拝殿内の神灯に。
境内には、綺麗なしだれ桜。
当神社のひとつの楽しみに、十二支巡りがあります。拝殿右奥へ向かうと、写真↓のような祓門があり
そこをくぐると、かわいい干支の石像が並んでいます。
もちろん、十二体。自分の干支の前で願い事を!!
拝殿は入母屋唐破風向拝造り銅板葺のようです。これにて37の一の宮を参拝。
「甲斐一之宮 浅間神社」へ到着。旧国幣中社にして延喜式 式内社名神大社である。国道沿いの見事な明神鳥居が目を引く。
ご祭神は、木花咲耶姫。神紋は「桜」。十六八重菊ばかりでなかなかみつからなかったが、ありました。拝殿内の神灯に。
境内には、綺麗なしだれ桜。
当神社のひとつの楽しみに、十二支巡りがあります。拝殿右奥へ向かうと、写真↓のような祓門があり
そこをくぐると、かわいい干支の石像が並んでいます。
もちろん、十二体。自分の干支の前で願い事を!!
拝殿は入母屋唐破風向拝造り銅板葺のようです。これにて37の一の宮を参拝。
河口浅間(せんげん)神社
富士御室浅間神社
北口本宮富士浅間神社
2011年4月16日土曜日
新三河物語 上・中・下
宮城谷昌光「新三河物語」を読了。天下のご意見番と俗に言われる大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか・幼名は平助)が生まれた桶狭間合戦の直後から始まり、今川からの独立戦、三河一向一揆との戦い、三方ヶ原合戦、甲信制圧、関が原、大阪の陣、さらには三代将軍家光時代までの約70年にわたる有名な出来事と、それにまつわる大久保一族の働き様が描かれている。大久保一族の苦悩と盛衰を描くなかで、時よりみせるアフォリズム。実にすばらしい作品であった。戦国時代に側面を知ると共に、武士(もののふといったほうがいいかもしれない)そのもののありよう。上に立つ者(リーダー)の有り様を、細かに書きこんでくれているのが良い。世の多くの経営者たちは是非読んでもらいたいものだ。家康ほども人間でも、最後は佞臣をまわりに置き、真の忠義をみることができず、公平な判断ができなくなってしまうのだ。
――人は徳にしか頭をさげない。というのは中国哲学であるが、強大な武力や権力に多くの人々は頭をさげてみせるが、それはうわべだけのことである、と元康はたれよりもよく知っていた。
ちかごろ司馬遷の「史記」を熟読している平助は、介子推というものの言葉をここで思った。――尤(とが)めて之にならうは罪これよりも甚だしき有り。他人を非難しておきながら、その人と同じようなことをすれば、これほど罪深いことは無い。
――人は徳にしか頭をさげない。というのは中国哲学であるが、強大な武力や権力に多くの人々は頭をさげてみせるが、それはうわべだけのことである、と元康はたれよりもよく知っていた。
ちかごろ司馬遷の「史記」を熟読している平助は、介子推というものの言葉をここで思った。――尤(とが)めて之にならうは罪これよりも甚だしき有り。他人を非難しておきながら、その人と同じようなことをすれば、これほど罪深いことは無い。
2011年4月10日日曜日
花見川の桜
子守神社・三代王神社(千葉)
昨日、子安神社へ参拝したので、今日はチャリンコにて「子守こまもり神社」「三代王神社」を参拝。
まずは、子守神社。
ご祭神は「稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴尊」。建久五年(1194)千葉常胤の四男、大須賀四郎胤信によって創建され、かつて素加天王神社と呼ばれていたらしい。神紋は、千葉氏の流れを受ける「九曜に月」紋。
本殿は見事な流造だった。
次に「三代王神社」へ足を延ばす。御祭神:天種子命。武石氏の祖、武石三郎胤盛(千葉介常胤の三男)が建仁二年(1202)に武石郷の守護神として建立したと伝えられています。
天種子命は、天児屋命(あめのこやねのみこと)の孫にあたり、中臣(なかとみ)氏の遠祖である。
やはりこちらも神紋は「九曜」紋です。
本殿は、なに造りかわからない構造でした。???
まずは、子守神社。
ご祭神は「稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴尊」。建久五年(1194)千葉常胤の四男、大須賀四郎胤信によって創建され、かつて素加天王神社と呼ばれていたらしい。神紋は、千葉氏の流れを受ける「九曜に月」紋。
本殿は見事な流造だった。
次に「三代王神社」へ足を延ばす。御祭神:天種子命。武石氏の祖、武石三郎胤盛(千葉介常胤の三男)が建仁二年(1202)に武石郷の守護神として建立したと伝えられています。
天種子命は、天児屋命(あめのこやねのみこと)の孫にあたり、中臣(なかとみ)氏の遠祖である。
やはりこちらも神紋は「九曜」紋です。
本殿は、なに造りかわからない構造でした。???
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