2011年4月16日土曜日

新三河物語 上・中・下

123宮城谷昌光「新三河物語」を読了。天下のご意見番と俗に言われる大久保彦左衛門忠教(おおくぼひこざえもんただたか・幼名は平助)が生まれた桶狭間合戦の直後から始まり、今川からの独立戦、三河一向一揆との戦い、三方ヶ原合戦、甲信制圧、関が原、大阪の陣、さらには三代将軍家光時代までの約70年にわたる有名な出来事と、それにまつわる大久保一族の働き様が描かれている。大久保一族の苦悩と盛衰を描くなかで、時よりみせるアフォリズム。実にすばらしい作品であった。戦国時代に側面を知ると共に、武士(もののふといったほうがいいかもしれない)そのもののありよう。上に立つ者(リーダー)の有り様を、細かに書きこんでくれているのが良い。世の多くの経営者たちは是非読んでもらいたいものだ。家康ほども人間でも、最後は佞臣をまわりに置き、真の忠義をみることができず、公平な判断ができなくなってしまうのだ。


――人は徳にしか頭をさげない。というのは中国哲学であるが、強大な武力や権力に多くの人々は頭をさげてみせるが、それはうわべだけのことである、と元康はたれよりもよく知っていた。

ちかごろ司馬遷の「史記」を熟読している平助は、介子推というものの言葉をここで思った。――尤(とが)めて之にならうは罪これよりも甚だしき有り。他人を非難しておきながら、その人と同じようなことをすれば、これほど罪深いことは無い。








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