ドライバー買ってしまいました。Callaway ERCⅢ です。先週のコンペで突然、ERC HOT (使用 1年2ヶ月)のフェイスの中心が割れてしまい思い切って買い換えました。実は、欲しいなと思っていたので、背中を押してくれて感じです。グリップが細めなため、それでなくてもかぶりやすい癖があるので、二木ゴルフですぐに太めにしてもらいました。HOTのようなキーンという馬鹿でかい金属音もなく、すーっと飛んでゆく感じです。やはりここ一番のあたりはHOTの方が断然飛ぶようですが、Ⅲは、安心感があります。弾道もそれほど吹き上がる感じがしない、ランも出そうで、これからの季節はいいかもしれません。ちょっと早い自分の誕生日プレゼントとなりました。
2006年11月5日日曜日
ERCⅢ
2006年11月3日金曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第4弾
第四弾は、「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」である。モーツァルトには、短調のピアノ協奏曲が2曲しかない。20番と24番だ。どちらも名曲である。この曲は、低音域で蠢く悲劇的な音で始まる。悲しみを奏でるピアノは圧巻。弦楽器のシンコペーションは重苦しく、哀願するピアノはカデンツァまで一瞬の緩みもなく続く。心を突き刺すようなファルテシモは、暗闇に出会った死神への驚きのようで恐怖がつきまとう。つづく第二楽章は、ロマンスと呼ばれている。変ロ長調による陽だまりのような甘美なメロディーで始まるが、突如として中間部のト短調では、嵐のような激情につつまれる。また、変ロ長調に戻り安らぎを迎える。第三楽章は、明るいリズムでハッピーエンドのようなエンディングを迎える。何故、この時代(宮廷音楽花盛り)にこのような曲が書けるのか?天才としか言い表せない。さて1984年アカデミー賞作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門の受賞に輝いた「アマデウス」に、この第一楽章と第二楽章が使われている。第一楽章は、サリエリが、父レオポルドに扮するためにマスクを買い、モーツァルトに鎮魂ミサ曲を依頼する場面で使われ、第二楽章は、ラストのサリエリが車椅子で去ってゆくエンディング、エンドロールに使われている。とにかくブラボー、アマデウス!!
それでは、第二楽章k_466_2 (クリック)をお楽しみください。
2006年10月27日金曜日
松蔭先生 命日
吾 今 國の爲に死す,
死して 君親に 背(そむ)かず。
悠悠たり 天地の事,
鑑照 明神に 在り。
私は、今、国のために命を捧げようとしている。死んでも決して君主と親とに忠考を尽くすことに背きはしない。遥かにかぎりない天地間のことは、すべて神様が照らし見ているので、今更自分の心事をかれこれいうことはない。
松蔭先生、刑死直前に大声して読みし、五言絶句である。
松陰先生のこのような心境に至って死につくことの「すごみ」を思わずにはいられない。
2006年10月23日月曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第3弾
第三弾は、「弦楽四重奏曲第14番「春」ト長調K387」である。14番から19番は、ハイドンセットと呼ばれている。モーツァルト はハイドンの「ロシア・セット」に啓発され、6曲の弦楽四重奏曲(第14番~第19番)を作曲した。その1曲目がこの「春」で、第15番ニ短調 (K421)、第17番「狩」(K458)、第19番「不協和音」(K465)と、名曲ぞろいで、彼の弦楽四重奏曲全作品の中で頂点をなしている。この6曲に、まる2年間をかけているが、筆の速い彼としては、異例の時間のかけようである。そこには尊敬するハイドンに捧げるために、全力を尽くす姿が見えてく る。さて、モーツァルトといえば、耳障りの良い肩のこらない曲ばかりが流布され、それがモーツァルトだと思われている。しかしモーツァルトがそうした肩のこらない曲ばかりしか作らなかったとしたら彼の名は現在のように音楽史に燦然と輝く存在とはならなかったである。4つの楽章からなるこの曲は、溌剌とした明るい第1楽章から始まり、第2楽章のメヌエット(ハイドン風に)、第3楽章のアンダンテ・カンタービレと続く。しかしなんといってもこの曲のすごいところは第4楽章モルト・アレグロである。簡単に言うと、5分足らずの中に技巧の粋が詰め込まれている。半音階の多用(モーツァルト・クロマティシズム)、そしてフーガとソナタ形式の統合(前人未到のホモフォニーとポリフォニーの統合)は、かの「ジュピター」に先立ちこの曲で見事に完成されていたのである。フーガによるポリフォニックな構成で始まり、第17小節後半より突然古典派特有のホモフォニックな和声が響いてくる。そしてまた第31小節より今度はまたポリフォニックな構成となる。ここは、バロック時代に確立された係留音が伴う。第39小節よりまた今度はホモフォニックな新たな楽句があらわれ、第50小節まで続く。天才モーツァルトを印象付ける一曲である。ブラボー アマデウス!!
それではMolto Allegro.mp3 (クリック)をお聴きください。
2006年10月20日金曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第2弾
第ニ弾は、「弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K516」である。この曲の出だし(画像クリック)を知らないで「モーツァルトが好き」といってる人は真っ赤な偽者である。モーツァルトとト短調という調性は切っても切り離せない「宿命の調性」といわれている。交響曲25番、40番。クラヴィーア四重奏曲。そしてこの曲。「疾走する悲しみ」と言われたこの曲を聴かずして決してモーツァルトは語れない。心をえぐる という言葉がぴったりくるかもしれない。小林秀雄が有名にした冒頭の第一主題の半音階は、一種独特の情緒を持つ。第二主題は、休止符が絶妙で声の出ない嗚咽のようでもある。第ニ楽章のメヌエットは、あまりに悲しいのだ。下降音階と鋭い和音が悲愴感を込みあがらせる。もし後に続くトリオでのヴァイオリンが明るく振舞ってくれなければ、何処までも落ち込んでしまうだろう。つかのまの安息だ。そしてこの曲の最終楽章(第4楽章)は、悲しいト短調(アダージョ)の調べから突如 ト長調(アレグロ)へ移行する。しかし手放しで明るいものではなく、どこかそこはかとない寂しさの痕跡をなおも引きずっている。「慰めなき長調」と呼ばれるこの音を聴いて初めて天才モーツァルトを知るであろう。ブラボー アマデウス!!
それでは、第一楽章allegro(クリック)をお聴きください。
2006年10月19日木曜日
背教者 ユリアヌス
先日、すーさん先輩と久しぶりに飲む機会があった。すーさんも大の読書家だ。私のように凝り性ではないので、いろんな書籍を読む。前述の「大聖堂」もとっくに読んでいた。そんな、すーさんの好きな本が「背教者 ユリアヌス」 辻邦生 著である。 本棚をさぐって久しぶりにぱらぱらとめくってみる。小説冒頭「かの人を我に語れ、ムーサよ」で始まるこの小説は、「なんという地上の美しさであろう」というユリアヌスの最後の言葉で終わる。背教者という蔑称でキリスト教徒から呼ばれているために、あまり知られていない皇帝だ。在位も非常に短い。当然、ほとんどの日本人は、この辻邦生の小説でその存在を知る。しかし彼がもっと長く生きていたら今のキリスト教世界は大きく変わっていたかもしれない。そしてこの当時の宮廷政治は今の腐った官僚政治にも通じ、非常に見苦しいものだ。その為ユリアヌスの純粋な情熱だけが余計輝いてみえる。皇帝になってからも、学塾での学友たちとの親交が続き、庶民の心をもったまま傲慢にならずに、学んだ哲学の理想を現実に実現しようと労苦した皇帝ユリアヌスの姿は、何らかの蛮行を治世の間に行ってきた従来のローマ皇帝のイメージを一変させる。だから読んでいていつのまにかユリアヌスを一生懸命応援してしまうのだ。この本を読んだのは、20代の頃だと思うが、キリスト教徒のことを、同じように「ガラリヤ人がぁ」と呼んでいたのを思い出す。(すぐに感化される)まるで大河ドラマのような小説である。上中下と長い本が、私もお勧めである。
2006年10月8日日曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第1弾
芸術の秋を迎えて「モーツァルト」を語りたい。第一弾は、「ピアノ協奏曲第17番ト長調K453」である。モーツァルトの中で一番好きな曲は、Hpにも書いたが「ピアノ協奏曲第23番」である。でも最近この17番が何故かお気に入りである。優雅な形式の中で虹のような色調の変化に身をゆだねてゆくうちに、「やさしさ」が、いつしか心いっばいにしみ渡ってくる。木管楽器を効果的に使い弦と管、オーケストラとピアノの掛け合いが洗練された色彩豊かな響きを生み出している。第1楽章は、ロンド風の踊り跳ねまわるような第1主題に始まり、転調を何度も何度も繰り返す。音という個々の素材が、様々に組み合わされていくとき、一つのメロディーとなる。展開部はまさにその真骨頂で、素材は単なる分散和音に過ぎない。それがこのような世界を作り上げるのだからすごい。第2楽章は、なんと美しいのであろうと思う。荘重なテーマに始まり、長調と短調との間をさまよいながら、抑えきれなくなった感情が徐々に溢れ出してくる。変則的なロンド形式だが、幻想曲と呼ぶのが最も良い気がする。短調に転調したところなどは、ショパンでも聴いているかのようだ。 第3楽章は楽しく軽快に、そしてまたさわやかに流れていく。モーツァルトが飼っていたムクドリがこの楽章の第1主題を歌うことができたというエピソードはよく知られているが、確かに小鳥が歌うにふさわしい旋律ではないだろうか。私たちも社会の喧騒から離れて、鳥のさえずりに耳を傾ける時のように、心を澄ましてモーツァルトの音楽に耳を傾ければ、生命の中にもともとあったものが響きを始めるのであろう。 ブラボー アマデウス!!それでは、聴いて下さい。mozart_17_k.453(クリック)
2006年10月4日水曜日
大聖堂
ケン・フォレンット著 「大聖堂 上中下」を読んだ。中世ヨーロッパものを読むのは久しぶりかもしれない。以前、塩野七生が好きで、「コンスタンチノープルの陥落」から始まる三部作や、「海の都の物語」 「神の代理人」「わが友マキャベリ」など立て続けに読んでいた時期があった。ケン・フォレンットはスパイ小説家なので見落としていた。3巻2000ページにも及ぶ物語は圧巻であった。プロローグからフィナーレまでおよそ半世紀にまたがり物語は進行して行くのだが、全く飽きさせることなくその中に引き込んでくれたのには驚きだ。登場人物はそれぞれに個性があり、人間の弱さ・悪・良心など様々な面を演じてくれる。権謀術数や欲望、愛憎そして夢・こだわり・強い意志すべてが繰り返し繰り返し流れる。幸福は悲劇への序章であり、また悲劇は、幸福への道しるべとなる。題名となっている大聖堂の建設の描写もきめ細かく、さすがだ。久しぶりに読み応えがあり良い作品に出会えた気がする。
2006年10月2日月曜日
ノースショアカントリー倶楽部
2006年9月21日木曜日
安倍晋三
安倍晋三君が、臨時国会が召集される26日の衆参両院本会議で、第90代、57人目の首相に指名され、同日中に新内閣を発足させる見通しだ。山口県出身でなんと8人目の総理大臣である。東京都出身が同じ8人であるが、他の県に比べると圧倒的である。さすが長州藩である。あの鹿児島県ですらたった3人で、岩手県の4人よりも少ない。過去の7人は伊藤博文、山形有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作である。昭和40年代、まだ小学生だったころ故郷 山口県は、周りの県に比べて妙に道路がきれいだったなと記憶している。新幹線の駅もなにもない県の割には5つもある。さすが、宰相の県は違うなと思っていた。だからどうということはないのだが、お国自慢ではある。
2006年9月17日日曜日
立野クラッシックゴルフ倶楽部
2006年9月11日月曜日
キャプマーカー
2006年9月10日日曜日
ハンチング
ゴルフの時はいつも「ハンチング帽」をかぶる。すーさんという先輩の真似で始めたが、最近やけに気に入って何種類か買ってしまっている。季節とウェアーに合わせてその日の帽子を決める。元は狩猟用で日本語では鳥打帽という。ハンチングにも色々な種類があります。トップが一枚天井で円に近いものは少しレトロな印象ですが、これが正統派です。同じ一枚天井でも幅が狭く楕円形なのはアイビーといい、後ろまでつながっているものはモナコと呼ばれます。現在主流はサイドや後ろに調節がついているものです。また、ベレーに似た形で型入れをして形作っているものは プロムナードと呼ばれています。ちょっと気取った感じですが、ゴルフがうまそうに見えるので是非お試しを。帽子といえば、水戸時代のI氏。夏によく麦わら帽をかぶってました。酒焼けした顔と相まって、どうみても「タイ人」にしか見えなかったです。そんなI氏と来週久しぶりにゴルフをします。最近元気がないみたいなので、一つ励ますとしましょう。
2006年9月5日火曜日
サッカー 日本VSサウジ
何故 日本は、アウェイの戦い方をしないのだろう。昨夜は完全に戦術のミスだ。あんな酷暑の中で、ホームと同じような攻撃スタイル。アジアレベルでは、サウジといえどもアウェイでは逆に攻めさせてカウンターで十分なのに。結局、消耗していつものようにミスを連発。つまらない点のとられ方で敗退。日本の失点には、必ず不用意な横パスがあることを忘れてはならない。昨日もサントスから遠藤へのパスをカットされてところから点が入っている。4年前、日韓W杯が始まる前から、中田(浩)の不用意な横パスで日本は負けると予言していたが、トルコ戦で案の定やってくれた。まあ過去の話は置いといて、日本の戦い方の根本はやはり「Jリーグ」にある。Jリーグでは、ホームアドバンテージがあまりない。だからアウェイでの絶対的戦術が生まれてこないのだ。どこでやっても同じ戦い方をする。攻められないのは、相手が格上の時だけ。守って守って1点をとる戦い方をしらない。パラグアイのような戦い方が時には必要だと思う。パラグアイは南米で、攻めまくるブラジル・アルゼンチンをいつも相手にしないといけないから、ああした戦術を国として持っている。日本は見習うべきではない。ギリシャが、2004年欧州選手権を制した時から、世界のサッカーは変わったんだと私は思っている。今回のワールドカップがそれを証明している。ブラジル、アルゼンチンの華麗な攻めでは世界を獲れなかった。守って守って1点をとる戦いが、決勝トーナメントで見えたではないか。確かに観る者はつまらない。しかしそれが現実なのだ。アジアレベルでも中東での試合はそうすべきだと私は強く思う。
2006年9月3日日曜日
コンペ優勝
今日は、北海道の千歳(新千歳カントリー)にて会社のゴルフコンペでした。前回の悪いスコアのハンディーが功を奏して見事優勝でした。前半は、12パットと絶好調の42。バーディーも1つ。後半は、いつものように体力負けで47。しかしやっと今年念願の80台がでました。この所、91までで何度も跳ね返されていたので非常にまんぞくの一日でした。気温は、17℃~22℃、快晴と最高のコンディション。やっぱり夏のゴルフは”北海道”に限ります。 汗一つかかず、清清しい陽気。白樺は美しく、心も洗われます。北海道は、スルーが基本です。18ホール終わって、パーティー。込んでいないのでストレスもなく回れました。今年の内にもう一度プレーしたいものです。
2006年8月16日水曜日
靖国
春秋左氏伝に「吾以靖国也」(吾以つて国を靖んずるなり)の言葉がある。明治天皇は、戊辰戦争で戦死した長州人を慰霊するために東京招魂社を創建されたが、これが今の靖国神社である。後に先の言葉を典拠とし「靖国神社」と変名した。なお日本最初の招魂社は、山口県下関市にある現桜山神社で、高杉晋作が殉国の志士の神霊を祀るために創建した。ということで、長州人である安倍晋三は、これからも参拝するね。当然。
2006年8月15日火曜日
西施
最近、「小説 孫子の兵法・・・鄭 飛石」というのを読んだ。勿論、呉越の争いを孫武と伍子胥を中心に描いている。作家は、韓国人だ。その中で登場する「傾国の美女 西施」について書きたい。呼び名は「沈魚美人」。魚が、西施を見てその美しさに泳ぐことを忘れてしまい沈んだということからきているらしい。
中国古代四代美人の一人だ。他の三名は、まず言わずと知れた「楊貴妃」。唐時代700年代。唐の六代皇帝・玄宗がその美貌にほれて18人目の息子の嫁を召し上げて自分の妃にした。玄宗皇帝61歳、楊貴妃は21歳。時に当時世界で最大の都市だった長安は牡丹の花が盛りだったと言う。呼び名を「落花美人」という。花が、楊貴妃の前では、その美しさに敵わず恥ずかさのあまり花びらを落としてしまうということらしい。玄宗皇帝が安録山の乱に敗れた時、楊貴妃は密かに中国を脱出して日本に漂流したといわれる。山口県油谷町に楊貴妃の墓がある。
次は、三国志に登場する「貂嬋」。三国時代180年ごろ。あの三国志演義を彩る美女歌姫。正史にはその名を見つけることが出来ない。後漢の大官・王允(おういん)を助けようと横暴を尽くす二人の武将・薫卓とその養子・呂布(りょうふ)の間に入り三角関係をつくらせる。これを”連環の計”という。この計略で貂嬋の虜になった呂布は薫卓を殺してしまう。使命を果たした後、自分の命を絶つ。別名「閉月美人」。月が、恥ずかしさのあまり雲に隠れてしまうことらしい。三番目は、「王昭君」。前漢朝末期紀元前30年ごろ。召し上げられるの嫌い似顔絵師に偽って「醜女」のように描かせた。皇帝は匈奴との和睦のために一番醜女を差し出すこととし、似顔絵から王昭君を選ぶ。皇帝は匈奴の王に与える前に王昭君に初めて対面するが彼女は後宮一の美女だった。しかしもうどうすることも出来ず、悔しがって匈奴の妃として与えたという。呼び名は「落雁美人」。雁がその美しさに見とれて落ちてしまったことからきている。
そして、悲劇の美女、私がもっともお気に入りなのが「西施」。紀元前の人。その美貌度、知名度は中国ではあの楊貴妃をしのぐ。越王・句践(こうせん)は歌舞音曲を教えこみ、呉王・夫差に献上として嫁がす。好色で快楽的な夫差はその美貌におぼれ、ついに国を滅ぼす。芭蕉は奥の細道で「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠っている。また、中国に「西湖」という美しい湖があるが、北宋の詩人蘇東波がこの湖をこよなく愛し、その詩の中で中国古代の美女西施にたとえて「西子湖」と詠んだことから、西湖と呼ばれるようになった。国を滅ぶす美女は中国には多く登場する。妹喜(ばっき),妲己(だっき),褒[女以](ほうじ),驪姫(りき)などは己の美貌をもって君主に取り入り,ふるまったために国を傾けた悪女である。つまり傾国=悪女とみてとることができるが,西施は呉王夫差を堕落させるための句践,范蠡の計略の道具として利用されていたと言える。その点で自らの意思で傾国させたのではないところが,彼女を悪女というイメージから遠ざけ,生きる目的のない悲愁さえ誘うように思える 。それ故、哀れな最期をむかえたことと,男に利用された薄幸の美女としての西施に同情を禁じえない。
李白は「蘇台覧古」という詩を書いています。
旧苑荒台楊柳新 旧苑(キュウエン)荒台(コウダイ) 楊柳新(アラタ)なり
菱歌清唱不勝春 菱歌(リョウカ)清唱 春に勝(タ)えず
只今惟有江西月 只今惟有り 江西(コウセイ)の月
曾照呉王宮裏人 曾つて照らす呉王宮裏の人
(意味) 旧い庭園、荒れた楼台には、楊柳が芽を吹いている。菱の実を採る娘達の清らかな歌声が傷春の思いをかきたてる。今も変わらぬものは川の西空に輝く月だけ。この月こそ、その昔呉王の宮殿の内の人、西施を照らした月なのだ。
2006年8月12日土曜日
銀山温泉
2006年8月11日金曜日
家族旅行~山形1泊
カエサルを撃て
佐藤賢一「カエサルを撃て」を読んだ。本書の舞台となるのは、8年に渡るカエサルのガリア戦役のほぼ終局期に勃発したガリアの総蜂起。ガリア側にたった戦記としての物語の展開。定説にとらわれない想像力を駆動させて、全ガリアの命運を決するこの一大決戦をウェルトキンゲトリスクとカエサルとの一個の人間同士の争いとして描きだしている。ガリア制覇の緒から対ポンペイウス戦役を征するまでのあいだ、ほぼ負けるということを知らなかった常勝カエサルに地を舐めさせた稀有の好敵手ウェルトキンゲトリスクとは、いったいどんな人物だったのか。彗星のごとく現れ、文字通り全ガリアの期待の星となったこの青年に大きく軸足を置きながら、佐藤賢一版「ガリア戦記」は展開する。中年となったカエサルと青年ウェルトキンゲトリスクの攻防。ハラハラしながら一機に読み終えた。過去の栄光を持つカエサルが、目の前にある「戦闘」に目覚めたときから、突然に面白くなります。お勧めです。