2010年4月5日月曜日

東京大神宮

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飯田橋のそばにある「東京大神宮」を参拝。明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建されたそうです。「東京のお伊勢さま」と称されている。御祭神は、もちろん天照皇大神、豊受大神。それほど広くない境内だが、近年の縁結びの御利益からか、若い女性がたくさん参拝していた。神前の結婚式を初めて行った神社としても有名。もとは、日比谷の大隈重信邸にあったそうだ。それにしても見事な千木・鰹木だ。
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ご神紋は「十六菊に花菱」のようです。
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2010年3月29日月曜日

最初の週末

東京へ戻ってからの最初の週末は、かみさんとショッピング。家のソファーが古くなったので買いに出かけた。「ニトリ」「イケア」と廻って「東京インテリア」で購入。兼ねてより欲しかったカウチソファに決めた。色決めなどして輸入ものなのでお目見えは6月の中旬になる。楽しみだ。ついでに、性能がかなり落ちている掃除機・炊飯器も購入。やはり、家を建てて9年もたつと色んなものを替えないといけなくなる。大学生2人、高校生1人とやたらと金入りの時期なのに、こういうことも重なってくる。



2010年3月28日日曜日

時宗

Photo_2高橋克彦「時宗」全4巻、完読。NHK大河ドラマ[北条時宗]の題でこちらも放送された。物語は、時宗の父である五代執権・北条頼時の時代から始まる。時頼は蒙古が宋と高麗を圧迫し、やがては日本に来寇するであろうことに心を悩ませていたが、国内は朝廷と幕府の反目、幕府内部の御家
人同士の疑心暗鬼、北条一族内での内紛に忙殺された。蒙古に対抗するためには国内の権力争いを早急に収めなければならない。しかし半生を武家統一政府の樹
立に費やして頼時は没する。そして跡を継いだのが嫡男・時宗であった。時宗は全国の武士を率い、卓抜な戦略で元を迎え討つ。この小説の面白さは、時宗の兄 時輔を死なせずに働かせたことであろう。一気に読み終えてしまいました。



2010年3月21日日曜日

ラストゴルフ IN 宮崎

今日は、ハイビスカスGCで、宮崎最後のゴルフである。地元の方々に送別で誘っていただいた。先週もこのコースで会社の仲間とプレー。その時は88と好調。しかし、今日は、朝から猛烈な風!!まるで、台風のような勢いで20M以上はありそうだ。スコアはどうやら期待できない。(案の定 94とふがいない成績) しかし、最後の18番ロングで見事、3オン1パットのバーディーでの締めくくりとなり、大満足。そのままクラブは、自宅へ宅配にしてもらい、これにてお別れ!!うーん 淋しい!!



2010年3月12日金曜日

炎立つ

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  高橋克彦「炎立つ」5巻完読。奥州シリーズ物もこれで最後だ。NHK大河ドラマにもなったので、著作は有名。平安時代末期、みちのくで黄金の王国を夢見た男たちの野望とは。安倍氏対源氏、存亡をかけた宿命の闘いから舞台は始まる。そして安倍氏から奥州藤原氏へと続く系譜の百五十年にわたる興亡を描く。アテルイから続く俘囚(蝦夷とも :
異文化を持ち、かつて朝廷支配を拒んだ奥州以北の人々)と蔑まれてきたみちのくの人々。安倍氏~清原氏~奥州藤原氏にとって、差別を振り払うことは悲願であったのだ。さすがに読み応えがありました。○



2010年3月8日月曜日

転勤

宮崎から東京への転勤が決まる。2年9カ月ぶりに自宅通勤へ。のんびりの宮崎から東京へ。暫くは、慣れるのに時間がかかり、疲れそうだ。



2010年3月1日月曜日

御朱印帳

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御朱印帳 8冊となりました。左上 全国一ノ宮御朱印帳(一ノ宮専用)、左下 素盞嗚尊を訪ねて御朱印帳(素盞嗚尊 主祭神専用)、真ん中上 鵜戸神宮・明治神宮(天孫族 天皇家専用) 真ん中下 大神神社・熱田神宮(出雲系及び国津神専用) 右上 太宰府天満宮(天神専用)、右下 神田神社(別格官幣社及び功績人物専用)






2010年2月20日土曜日

天を衝く~秀吉に喧嘩を売った男



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またまた、高橋克彦の作品を読む。『天を衝く』は戦国中末期の東北・南部の武将・九戸正実(くのへまさざね)を描いたものだ。優れた軍略で勝てる戦(いくさ)しかしないという九戸正実。相手の裏を読んだ緻密な戦略で、数々の戦いを制していく。作者は、時代と地勢が許せば、彼は信長と対等に争うことができた男と見ている。しかし南部家との内部の抗争が彼の出番を空しくする。そして、最後には豊臣の軍門に下った主家南部家に見切りつけ、東北平定
を目指す豊臣軍に負けを覚悟の悲壮な篭城戦を挑むのだ。作品を通じての正実兄弟を中心にした九戸党の結束の強さと武士としての潔さが強く印象に残る。かなりお勧めです。



2010年2月15日月曜日

検見川神社

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思いっきり地元の「検見川神社」を個人的公式参拝。(わたくし的には、ご朱印帳とデジカメを持参しているのが、公式参拝)ご祭神は素戔嗚尊。そして、東に宇迦之御魂神、西に伊弉冉尊を祀っている。もちろん本殿もそのため3つある。そして、神紋らしきものが三つ。
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中央「五瓜に唐花」東「焔宝珠」。ここまでは、納得。しかし西「九曜」。たぶんこれだけは、地元 千葉氏家紋からきてるのだろう。ちょっと違和感が。
しかし、本当の神紋は「三つ巴」とみた。拝殿に・・・
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見事な「三つ巴」紋。
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本殿は残念ながら、場所的に撮影が難しかった。
 



2010年2月14日日曜日

火怨 北の燿星アテルイ

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高橋克彦著「火怨 北の燿星アテルイ」を読む。古代蝦夷の阿弖流為(アテルイ)を描く渾身の大作!辺境と蔑まれ、それゆえに朝廷の興味から遠ざけられ、平和に暮らしていた陸奥の民。8世紀、黄金を求めて支配せんとする朝廷の大軍に、蝦夷の若きリー
ダー・阿弖流為は遊撃戦を開始した。北の将たちの熱い思いと民の希望を担って。古代東北の英雄の生涯を空前のスケールで描く、吉川英治文学賞受賞の傑作。



これは、蝦夷版水滸伝のようだ。歴史小説の中で男たちを輝かせる能力がすばらしい。この時代は、教科書では単に坂上田村麻呂が蝦夷を討伐したとしか教えられない。しかし、やはりそこには、「人にあらず」「俘囚」と蔑まされた蝦夷たちの男としてのりっぱな闘いがあったのだ。感動!!



2010年2月13日土曜日

赤坂氷川神社

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赤坂氷川神社を参拝。ご存じ、ご祭神は「素戔嗚尊」。奇稲田姫命、大己貴命(大国主命)が配祀されている。
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朱色でありながら、黒がきいているのか拝殿は、おごそかなたたずまい。
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ご神紋は「三つ巴」でした。




2010年2月7日日曜日

QED 御霊 将門

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高田崇史著 QEDシリーズ「御霊 将門」を読む。



靖國神社を皮切りに、築土神社、神田明神、首塚、兜(かぶと)神社、烏森神社、稲荷鬼王神社、鎧神社、さらには成田山新勝寺へ。お花見に出かけたはずの棚旗姉妹と桑原崇だったが、いつしか将門ゆかりの地を巡る小旅行に。日本を代表する大怨霊、将門の真の姿とは、朝廷からの理不尽な要求をはね除けた救世主だった!?のか。


 
 



2010年1月24日日曜日

星封陣

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高橋克彦著「星封陣」を読む。SF物だ。

東北の一村がいま奇怪な勢力に狙われる!古代、蘇我氏に敗れた物部氏一族が東北にとてつもない秘宝を封じ込んだという。それを守る物部の末裔に対し、秘宝
奪取に権力と暴力を使える巨大組織が襲いかかる。村人の主緋星幸丸(あかぼしさいわいまる)は自分が秘宝の鍵を握ると自覚、仲間と共に絶望的戦闘に決起す
る!伝奇超大作。




2010年1月23日土曜日

聖肺の暗号

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帚木蓬生/著 「聖灰の暗号」を読む。
13世紀、カタリ派の異端弾圧をテーマにサスペンスを交えながら物語りは展開する。しかし、一種歴史書のようでもある。弾圧の詳細を古文書に置き換えて語らせる。面白くて一気に読んでしまった。



南フランス、トゥルーズの図書館に、その古文書は眠っていた……。謎めいた文字が躍る二葉の羊皮紙、行間に滲む火
刑審問、押し殺した叫び。真実を語る「手稿」が、七百年の眠りから目を覚ます時、ヴァチカンの闇が動き出す。歴史学者の須貝につきまとう影、監視の眼、図
書館長の死。声なき声を甦らせ、人間の救済を問う歴史大作。



2010年1月11日月曜日

風は山河より

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2006年に宮城谷氏が日本物を書いた。やっと文庫本になったので読んでみた。全6巻。宮城谷氏は、三河生まれだけに、選んだ地は「三河」であった。我々にはなじみのない奥三河の菅沼家三代が主人公。しかし、あまりの面白さにあっというまに読み終えた。家康の祖父の時代から始まり、長篠の合戦を終えるまでを描くが、こうした誰もわからない所にこれだけの光を当てるのだからさすがだ。また、架空の人物 四郎と布佐という人物に、この物語の根底に流れる宮城谷氏自身の歴史観,リーダー像、生き様を語らせている所が良かった。かなりお勧めです。



2010年1月3日日曜日

御朱印

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あけましておめでとうございます。
昨年より、神社巡りをはじめたが、欠かせないのが「御朱印帳」だ。よくある男の収集ぐせというものだ。(まあ、子供のポケモンカード集めに似ていないでもないが)一之宮専用、日向天孫系専用、出雲系及び国津神系専用、素盞嗚尊専用など御朱印帳を分けて参拝の印に頂いて歩いた。御朱印は、社務所などで戴くが、料金は気持ちだ。相場としては300円というのがお納め料となる。(小銭がないと気持ちをお納めくださいと言われてお釣りをもらいにくいので気をつけよう)墨字は、見事な達筆なもの、そうでないものと様々だが致し方なし。めんどくさそうにされた上に字が下手だと頭にくるが、ぐっと堪えて有難くいただこう。
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現在、所有の御朱印帳は、「全国一ノ宮専用」「大神神社(終了)」「鵜戸神宮(終了)」「熱田神宮」「素盞嗚尊を訪ねて」の5冊、近々あと二冊購入の予定。(太宰府天満宮と明治神宮)



2010年1月2日土曜日

敢国神社(あへくに)

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今年の初詣は、かみさんの実家 伊賀上野に鎮座する「敢国神社」へ参拝。伊賀国一之宮にして旧国幣中社、式内社、別表神社である。ご祭神は、大彦命で、 少彦名命 ・金山媛命を配祀している。赤い両部鳥居(本体の柱を支える形で稚児柱(稚児鳥居)があり、その笠木の上に屋根があるもの)が印象的だ。大彦命は、第八代孝元天皇の第一皇子にして「四道将軍(武渟川別命・吉備津彦命・丹波道主命・大彦命)」のひとりで、阿部氏の祖である。
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東には、南宮山があり、元は、少名彦命は、この山頂に祀られていたらしい。その遷座により、美濃の南宮大社から金山媛命を勧請したらしい。この「南宮」により、信濃の国の諏訪下社、美濃の国の南宮神社と深い繋がりを持っているようだ。『梁塵秘抄』には、当社を「をさなきちごの宮」と記されており、やはり、少名彦命が本来のご祭神ではないだろうか。ご神紋は見ての通り「流れ巴」だし。
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陽夫多神社

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敢国神社参拝の後、阿山にある伊賀の国 式内社「陽夫多神社」を参拝。珍しい平屋造りの拝殿。その後方に聳える二本の大杉(ご神木)も驚きだ。
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ご祭神は「スサノオ尊」。当然のごとく、ご神紋は「左三つ巴」と「五瓜に唐花」。
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本殿は美しい「流造り」であった。



2010年1月1日金曜日

終わり(尾張)詣で

今年の正月は、かみさんの実家(三重県)へ。そのため、朝早く宮崎よりセントレア中部国際空港へ向かう。家族は千葉から夕方名古屋で合流。さてそれまでの6時間は、2009年大晦日、今年最後の参拝へ。目的は、熱田神宮、熱田神宮境外摂社高坐結御子神社、尾張一宮 真清田神社、そして、「須佐之男尊は即ち皇国の本主なり。故に日本の総社と崇め給いしなり」として日本総社の号を奉られている 津島神社まさに終り(尾張)詣でだ。



津島神社

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大同五(810)年正月、嵯峨天皇は津島神社に、「須佐之男尊は即ち皇国の本主なり。故に日本の総社と崇め給いしなり」として、日本総社の号を奉られている。また、一条天皇(寛和二(986)~長元九(1036)年)は、津島神
社に天王社の号を贈られた。



素戔嗚尊を祀る天王社は全国に3000社ともいわれているが、その総本山が「津島神社」である。社殿はもちろん「尾張造り」であでやかだ。
*尾張造り・・・本殿は丹塗の流造で、祭文殿・廻廊・拝殿と釣殿が左右対称に配置。
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境内は明日の、初詣に備えて準備で忙しそうだ。大晦日に参拝する人はそんなにはいないのだろう。ご朱印の巫女さんも迷惑そうだ。ここでは、「素戔嗚尊を訪ねて」というご朱印帳を購入し、一番に朱印をしてもらった。
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楼門も風格がただよう。そして、スサノオの印「五瓜に唐花」の神紋がいたるところに。
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織田信長は、当社を氏神と仰いで造営その他に協力し、秀吉を始め豊臣一門は信長に引き続き、秀吉は天正十九年(西暦1591)楼門(重要文化財)を寄進し、
慶長三年(西暦1598)には、秀頼が秀吉の病気平癒を祈願して南門(県文化財)を寄進した他、社領等を寄進造営し尊信したらしい。



誰が、古代日本の王であったかを知っていたのだろう。納得。