2013年8月12日月曜日

豊功神社

2年ぶりに下関に帰省いたしました。親父の墓参りと高校の同期会がメインです。親父と母方の墓参りを済ませ、時間があったので散髪へ。そして最近まで全く知らなかった地元 長府にある美しい神社「豊功神社(とよとこ)」に参拝しました。



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豊功神社は 神話伝説の島として知られる満珠、干珠の二島を展望する絶景の此の地に鎮座する旧県社で、祭神は応神天皇・武内宿祢・穂田元清毛利秀元をはじめ長府藩歴代の藩公を祀る古くより櫛崎八幡宮の鎮座地であることが文書にも見えるが、慶長七年(1602)秀元公が当地に城を構えるにあたり、毛利氏の守護神、宮崎八幡宮を安芸国より勧請して中殿に祀り、左に櫛崎八幡宮を遷し、右に高良大明神を祀って宮崎八幡宮と称し、のちに松崎八幡宮と改称しました。
天保五年(1834)毛利秀元の霊祠に豊功大明神の称号が許され、慶応二年(1866)豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて豊功神社と名づけられ 明治十年豊功神社と改称されました。大正六年松崎神社と合祀し此の地に移遷 昭和四十四年火災により社殿焼失、仮社殿のまま今日に至ります。(由緒より)



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神紋は、毛利家の家紋「三ツ星一文字」のようです。豊功大明神は毛利秀元公ですからね。



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本殿は、神明造りでした。



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境内からは、瀬戸内に浮かぶ満珠・干珠のニ島が間近に見えます。



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日本書紀に



「仲哀2年の春、1月11日、仲哀天皇は息長足姫(おきながたらしひめ)を皇后としました。
秋7月5日に皇后は豊浦の津に着きました。この日、皇后は如意の珠を海の中から手に入れました。」の一文がありますが、これが満珠・干珠之伝説です。



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境内社「竜神社」がありますが、由緒には「豊浦の海は古来龍宮界との窓口になっている海域として知られています。神功皇后様もこの海で住吉三神から潮満潮干、二宝珠を授かり大陸から凱旋しました。それが眼前の満珠干珠の二神島です。当社はその龍宮のお使いである龍の御神徳を仰ぎ、千年前より地元を始め、遠近の人々に奉斎されております。正に豊功神社境内は龍宮に向かって開かれた神域として龍神の水徳発揚の聖域と申せましょう。」とありました。



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新羅討伐の凱旋の折、如意の珠を武内宿禰が海にお返しすると満珠・干珠のニ島ができたという伝説です。社殿右手にその絵図もありました。



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是非、長府に訪れた際は、ご参拝してみて下さい。





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