2009年10月27日火曜日

韓国宇豆峯神社

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カーナビのない車で、なおかつ地図もなし、パソコンで見たマップを記憶をたよりに捜すがなかなか見つからない。とにかく韓国岳の方向だということと、鳥居をたよりに20分うろうろ。ありました。ご祭神は「五十猛命」。式内社でたぶん五十猛をお祀りする最南端の神社のはずだ。
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ちょっと寂れた感じが悲しい。子供たちがおにごっこをして遊んでいたのがすくいだ。豊前から辛島氏すなわち新羅系の人たちが祀ったものであろう。ご神紋は「五七の桐」のようだ。
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2009年10月26日月曜日

新田神社

朝6時に、温泉でくつろぎ、久しぶりのごはん・みそしるの朝飯を頂き、7時半にホテルを後にした。向かうは、川内市にある旧国幣中社にして現・別表神社「新田神社」。薩摩の国一之宮だ。先月参拝した、枚聞神社と薩摩の国には一之宮が二つある。004



ご祭神は、天津彦彦火瓊瓊杵尊。神紋は十六八重菊。しかし、以前は八幡宮であったらしい。新田神社は、神亀山という小さな山の上に鎮座している。そして、神社の奥には「可愛山稜(エノ)」という、ニニギノミコトの御陵がある。社殿までは、思ったよりも多くの階段を登っていかなくてはいけない。しんど・・・



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枚聞神社と同様の拝殿の前に勅使殿のある鹿児島地方独特の建築様式で、社殿全体は、左右の末社が回廊で結ばれており、中央は、勅使殿ー舞殿ー拝殿ー本殿と並んでいるのだ。さながら「山」の形となっているようだ。左は、武内神社、右は四所宮。四所宮には、彦火火出見命 玉依姫命 彦波瀲武鵜鵜草葺不合尊 豐玉姫命が祀られている。勅使殿の彫刻は見事なものであった。



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さて上の写真が「可愛山陵」である。神社の社務所前を通り、50mほど裏手を歩くと到着する。そばには樟の大樹が聳えている。勿論、宮内庁管理です。



これで、九州の一之宮はあらかた参拝することができた。<残りは、肥前の與止日女(よどひめ)神社、そして行く機会のないであろう壱岐対馬の2神社>



神柱宮

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宮崎への帰路、途中に都城に鎮座する別表神社「神柱宮」に立ち寄り参拝。大鳥居は、25mの高さを持ち、現在第6位の高さを誇る。ご祭神は、伊勢神宮内宮・外宮と同じく天照皇大神と豊受姫大神であり、島津荘(しまずのしょう)の開拓のために大宰府より移住した平季基が、万寿3年(1026年)、天照大神の神託を受けて伊勢神宮より勧請したのに始まると伝えられる。神紋は、「五七の桐」のようだ。いたるところに配されていた。



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*雑学~大鳥居高さランキング



1、熊野本宮大社(大斎原) 33.9M



2、大神神社           32.2M



3、弥彦神社          30.16M



4、最上稲荷          27.5M



5、鹿嶋神社(兵庫;高砂)  26M



6、靖国神社・神柱宮     25M



8、古峯神社          24.622M



9、平安神宮・豊国神社    24.2M





2009年10月25日日曜日

ゴルフと温泉

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今週は、同業者の交流会で、霧島ゴルフクラブにてミニコンペ。宮崎市内より車で1時間半かけ、別荘と温泉の町’霧島’へ。鹿児島の名門「霧島ゴルフクラブ」で2度目のプレー。曇り空だが、遠くには微かに桜島を望む。特にこの日は、ドライバーもアイアンも好調ではなかったが、大崩れするホールもなく、チャンスでは確実にパーを拾うことができ、44:44=88でプレー。これで10月は、3連続で80台をマーク。おまけにベスグロもいただいた。プレー後は、近くの霧島国際ホテルに宿泊。到着後そのまま大浴場へ。やはり温泉は最高だ。蒸し風呂、茶風呂などを堪能。夜は、ささやかな食事会。十分、休暇を楽しんだ。



2009年10月19日月曜日

神々の遺品

Photo 今野敏著「神々の遺品」を読む。



アメリカで超常現象研究チーム『セクションO』が忽然と姿を消し、日本では著名なUFOライターが殺された。事件の鍵を握るのは、オーパーツと呼ばれる摩訶不思議な太古の文明の足跡だった。神話、宗教、古代遺跡…。宇宙と人類の歴史を紐解く、超伝奇ミステリーの黄金傑作。



2009年10月18日日曜日

フェニックス 2度目

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今日は、フェニックスカントリーにて地元のコンペ(21名)に参加。日南ー住吉コースを廻る。日南では、チップインが2つも決まる(1つはバーディー)という幸運に恵まれ、他のアプローチもうまくゆき、11パットの42だった。後半は、既に男子プロツアー「ダンロップ・フェニックス」に備えラフを深くし始めている住吉。案の定、出だし,サービスホールの(パー5)にもかかわらず、ラフを渡り歩き、ダボ発進。前半よかったアプローチもグリーン周りのラフが手ごわく寄らずに、グリーンも早く、苦戦で3パットが3つ。しかし、ドライバーが結構飛んでくれたおかげで、何とか46であがることができた。フェニックスでは2度目の80台。惜しくも1打差でベスグロは逃し、順位も4位(ボギーが多く、ダブルペリアに不利でした)だったが、快晴の上、清清しい気温で、美しいフェニックスでのラウンドに大満足であった。2週間前のハイビスカスでも42:42の84が出ており、このところいい感じだが、いつもこれが長続きしないのは知っている。残念ながらゴルフは本当にみずものなのだ。



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(写真は、メンバーのロッカールーム。優勝者のプレートが、第1回から各ロッカーに付けられているのだが、これは2005年優勝のT.Woodsのロッカー。タイガーは、2回優勝しているので、もう一つプレートがついたロッカーがある。)



2009年10月14日水曜日

針の眼

Photo_2 あの「大聖堂」の著者ケン・フォレットの処女作「針の眼」をやっと見つけた。昔、ハヤカワから出ていたらしいが、創元推理文庫から、2月に出ていたらしい。スパイ・サスペンスの金字塔 といわれただけある。あっというまに読み終えた。



上陸地点はカレーかノルマンディか。英国内で活動していたドイツの情報将校ヘンリー(暗号名;ディー・ナーデル すなわち針)は、連合軍のヨーロッパ進攻に関する重大機密を入手、直接アドルフ・ヒトラーに報告するため祖国を目指す。



事実、英国情報部が血眼になって探しても唯一摘発を逃れたドイツのスパイ グウィン・エバンス 暗号名ドナルドという人物がいた。彼がモデルとなっている。



物語は、3つの事象が同時進行してゆく。ディ・ナーデルの動きと彼を追う大学教授にして、英国情報部Mi5のゴドリマンの追跡とそして一見何の脈絡もないスコットランド沖の孤島に隠生している元パイロット・デービットと彼の妻ルーシーの生活。この3つが、終末に向けた一つに結びつく時・・・・



是非お勧めです。



2009年10月13日火曜日

龍馬を殺したのは誰か

Photo 幕末最大のミステリというべき龍馬殺害事件に焦点を絞り、フィクションを排して、土佐藩関係者、京都見廻組、新選組隊士の証言などを徹底検証し、さまざまな角度から事件の真相に迫る歴史推理ドキュメントです。



2009年10月12日月曜日

上海旅行 最終日 ~ 朱家角

最終日は、17時のフライトの為、14時に宿泊のホテルにて待ち合わせ。午前の時間を使って、上海郊外で一番近い水郷の町「朱家角」へ出かけた。上海中心部のホテルから、1時間あまり。街は9つの長い町並みが河沿いに伸びて千棟以上の明、清時代の建物が並び、て古い石橋が36個ある。



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ここでは、ゴンドラならぬ小船で遊覧を楽しんだ。(ここは中国のベニスといわれている)



203 1999年、揚州出身の江沢民国家主席がこの地を訪れた折り朱家角の街並みにいたく感動され北京政府にそのまま残すよう指示したため、そのまま保存され生活が営まれているらしいです。細い路地には、たくさんの地元の土産屋さんが並んでいます。







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明・清代の街並みと現在に受け継がれる古鎮での人々の生活を垣間見る事ができた。お土産もここでいくつかGETし、昼に上海中心地<淮海中路>・・銀座のような所 へ戻り、昼食。



蘇州ラーメンを食べようと、「滄浪亭ツァンランテイ」という人気の麺専門店へ。



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メニューは、中国式簡略漢字だけで読めねー。しかたなく二人ともガイドブックに掲載の小海老を蟹味噌ベースで炒めたもの(蝦蟹面)をトッピングするラーメンを注文。いやーあっさりでうまい。こちらも満足 満足。



その後、タクシーでホテルへ。時間まで、上海のミスタードーナツで時間つぶし。日本にはない種類を一つずつ食べながら最後の時間を過ごした。



あっというまのスケジュール満載の4日間だったが、楽しい旅行であった。



自分の土産は、28元=420円の本のしおり(金属製)、かみさんは、Duty Free で、フェラゴガモの財布と香水=48000円。あれっ 100倍以上・・・・・・



2009年10月11日日曜日

上海旅行 3日目 ~ 蘇州

3日目は、朝から「蘇州」へ向かう。高速道路を利用して1時間半あまりだ。この日は、もう一組の二人連れと一緒。(一人は、コブクロ黒田のような大きなおっさん、歳は55くらいか、連れは何故か上海の中国人の女の子。どういう関係や!!)まあ、それは無視して、観光にいそしむ。まずは「留園」。



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中国四大名園の一つだ。ちなみにあとの3つは、同じ蘇州の「拙政園」・北京の頤和園・河北省承徳市の避暑山荘。



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それから、臨済宗仏教寺院、唐代の詩人張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の石碑で名高い「寒山寺」へ。



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度重なる火災に遭い、現在の建物は清代に再建されたものらしい



3つ目は、「虎丘」へ。呉の夫差が、父 闔廬(コウリョウ)の為に建てた陵墓である。夫差とは、「臥薪嘗胆」の臥薪で有名、越王 勾践と戦い最後は敗れた呉王である。傾城の美女<西施>が越の策で夫差に贈られたことも有名だ。闔廬が剣が大好きだったことで、3千本の剣が埋められたとも言われている。



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そして、丘の上には、中国のピサの斜塔とも言われている虎丘塔が聳えている。



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確かに少し右へ傾いていました。



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この日も、お腹いっぱい中華料理を食べ、夜にはマッサージへ出かけた。ガイドブックに載っており、ガイドの石さんもお勧めの南京東路にある『桃源郷』という店へ。私は足ツボ、ママは、全身オイルマッサージを頼んだ。結局、私は、肩・首を追加、かみさんも頭皮マッサージを追加した。しかし、かなり気持ちよく、疲れがとれました。



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2009年10月10日土曜日

上海旅行 2日目(其の三)

夕食は、黄浦江沿い浦東側のレストランで、海鮮料理をいただく。



100  兎に角、ずっと二人での中華料理なので量が半端じゃない。青島ビールを飲みながら、お腹を押さえながら、チャーハン、青梗菜などをほうばる。まだ2日目だが、明らかな旅行後は1kgは太ってしまうだろう。旅行の間は、歩いて調整するしかない。さて、ナイトクルーズは、20時半のスタート。JTBの貸切なので、100人乗りほどの船。しかし、折からの台風の影響なのか、お客は、我々2人と北京から上海へ来た、岡山からのおばちゃま3人衆の5名。非常に贅沢なナイトクルーズとなった。(乗組員の方が、断然人数が多いのだから)





船からの両岸の夜景は、すばらしいの一言に付きました。



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↑ 浦東側の夜景(東方明珠タワーをはじめ陸家嘴金融・貿易開発区の高層ビル群)



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↑ 外灘側の夜景(左:上海浦東開発銀行・右:上海海関)



2日目も充実の一日でした。



上海旅行 2日目(其の二)

2日目、昼食は、「飲茶」の店へ移動。最後のでてきたスイーツは可愛くおいしかった。



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午後は、「上海博物館」からスタート。



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2時間の時間をもらったが、とてもとてもゆっくり全部を見て廻ることはできない。足早に各カテゴリーをこなした。紀元前3000年まえ清朝までの銭・印・剣・甕・壺・書・絵画・像など見所はいっぱい。



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めざまし「大塚さん」似の仏像もあったりして、すでに歩きすぎで足にきながらも堪能した。その後、「」という場所へ。ここは、さながら青山といった雰囲気だった。(青山にほとんどいったことはないが)ここでは、カフェで休憩。そして、愈々お楽しみのナイトクルーズへ。



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上海旅行 2日目(其の一)

2日目は、上海市内観光。まずは、租界時代の上海の中心地「外灘」(ワイタン)へ。1907年に造られたという外白渡橋から写真を撮る。「外灘」界隈は残念ながら、道路工事に真っ最中で、散策は叶わなかった。ここは、近代的な上海の風景と違い、欧米様式の古い建物が立ち並んでおり、不思議な感覚にとらわれます。





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次に向かったのは、名園「豫園(ヨエン)」。ここは、江南式庭園で、約400年前、明の時代に18年かけて造られたものだ。豫園の「豫」は「愉」に通じ、「楽しい園」という意味らしい。また豫園周辺の豫園商城は、多くの商店が軒を並べる地域であり、中国各地からやってきた観光客でごった返していた。(下の写真は豫園商城)



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豫園は贅を尽くした建物、家具もさることながら、太湖石という石灰岩が水や波の浸食で穴が空いた珍しい石や龍で形作られた壁が珍しく目を見張った。



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途中で、お茶を楽しむ。もちろん、ツアーならではの、提携店での休憩だ。鉄観音、ジャスミン、カテキン茶などを戴く。お土産にお茶を買ったついでに、紫砂で作られた「きゅうす」を購入。これが、15000円した。これをしようするとお茶は、3日間は、そのままの状態で変質せず、保温性も高い優れものらしい。まんまと買わされた。でも本当にいいものらしい。豫園を見学した後は、近くの上海老街を散策。ここは、上海の浅草のような場所。





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2009年10月9日金曜日

上海旅行 1日目

夫婦でのハネムーン以来の海外旅行に。台風18号を横目に、成田から上海へ3時間。やはり意外と近いものだ。台風の影響もあり、現地添乗員(パルピン出身の石さん)一人に、我々2人という贅沢な旅行の始まりだ。上海 浦東(プードン)空港から街までは、リニアモーターカーで7分半。時速は、最高431kmまで出ていた。さすがに速い!!



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↑写真は、400km超えで撮影。そこからまず、東方明珠塔(ドンファンミンジューター)へ。テレビ塔としては世界第三位、アジアでは第一位の高さを誇る、468mのテレビ塔だ。球体部分が展望台となっており、どの展望台からも周囲360度がぐるりと見渡せる。



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2000万都市「上海」を一望。大いにその眺めを堪能した。



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1日目の観光は、とりあえずここだけで、早めにホテルで一休み。ホテルは、「ルロイヤル・メリディアン上海」。部屋はグレードアップし、スイートにしたので広くて快適だった。



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ホテルは、南京路歩行街という場所(渋谷のような街)の近くにあり、夕食まで時間があったので散策し「一茶一坐」というスイーツ&カフェで喉を潤した。かみさんの注文した「タピオカ入りミルクティー」はうまかった。



夕食は、当然の上海料理。そして、この日の最後のお楽しみは、上海雑技団鑑賞。



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伝統的な衣装と雑技のレベルが高いことで有名な「白玉蘭劇場」という所。この日は、一度のミスもなく演目をこなしてくれたのには、感激した。写真が撮れなかったのは残念だ。空中から吊られた紐に絡まって男女二人が踊る演技とバイクを使ったアクロバットには驚嘆させられた。ブラボー!!白玉蘭。 ちなみに白玉蘭とは、ハクモクレンで上海の市の花です。



2009年10月4日日曜日

始皇帝

Photo_2 塚本青史著「始皇帝」を読む。暴君、そして英傑!血筋という運命、乱世に飛び交う謀略、三度の暗殺未遂を乗り越え中華を制したファースト・エンペラーの生涯を描ききる、畢生の書き下ろし。



中国の事をChina(チャイナ)と言うが、これは「秦」の事である。話はそれるが、何故 日本人は、かの国を、「中国」と呼ぶのだろう。はたまた呼ばされているのか。周囲の国々を蔑視する中華意識を意味するのが中国という言葉だ。それならば、チャイナでいいではないか。漢字にすれば「支那」だ。これが、世界共通語である。しかし「支那」という漢字は、何故だが、蔑称的なイメージがつきまとうので、やはり「チャイナ」でいこう。



話を戻そう。本書は、「始皇帝」(政)が人質として、趙に幽閉されていた時代から始まり、不老長寿へ憧れ暗愚の暴君へ変貌するまでを描く。とりたてて変わった話はない。本書の面白いのは、時代から取り残され消えていった墨家の姿を何気なく滑り込ませているところだろう。