2015年1月26日月曜日

鋸南町 水仙と浜焼き


千葉県安房郡鋸南町。「水仙祭り」に来ました。今日は、一日暖かな陽気。南房総は快適な天気でした。水仙ロードがあるというので10時ごろから、かみさんと出かけてきました。

















道の傍らや斜面に、水仙が咲いております。鋸南町は、鋸山で有名ですが水仙も安政年間から江戸に運ばれていたそうで有名らしい。ひと足早い春の訪れを五感で実感することができる一日でした。







水仙見物の後は、腹ごしらえ。「ばんや」という港近くのお店で「浜焼き」食べ放題(60分:2500円)です。





サザエ、カキ、ハマグリ、ムール貝などふんだんに戴きました。







この地は、浮世絵師「菱川師宣」の生誕地らしく、記念館があります。





「見返り美人」が有名です。さすがに現物はありませんでしたが、いろんな浮世絵を鑑賞しました。





また、こちらは伊豆を逃れた頼朝の上陸地でもあり、日本武尊命の伝説もあります。







勝山漁港の目の前にある周囲約780mの無人島「浮島」。


東国平定を成し遂げた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の死後、父の景行天皇は皇子と同じ旅路をたどり、弟橘姫の供養も兼ね、浮島に着いた。


浮島がとても気に入った天皇は、しばらく滞在したと言われます。


この時、天皇に同行していた磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)が浜辺でとれた大きな蛤や、角で作った弓の先で釣り上げた堅魚(鰹)を料理して天皇に差し上げたところたいそう喜ばれ、以来、天皇家の料理番となりました。後に料理の神様としても祭られるようになったのです。


磐鹿六雁命は、南房総にある「高家神社」のご祭神です。


2015年1月25日日曜日

日本酒 味わい


昨晩は、六本木「ぬる燗佐藤」にて日本酒三昧。こちらは、46都道府県(鹿児島県だけ日本酒がない)の日本酒全てが戴けます。同僚とワイワイガヤガヤで久しぶりに飲み過ぎました。

まずは、石川「手取川」から始まり、宮城・新潟・山口・高知・・。いけいけドンドン。
美味しくていくらでもすすんでいきます。料理もまた格別。

結果、帰りの電車・・・六本木から新宿へ。ここまではOK。
総武線に乗り込む、折角座れたのに、寝ていて何故が「降りなきゃあ」と思い、降りたところは「新小岩駅」。寒風吹きすさぶ快速ホームで待つこと10分。やっと乗れた。
が、またしてもグッスリ。車掌に起こされたのは「千葉駅」。ここでも待つこと10分。
再び逆方向「新検見川」を目指すも、またしてオネム。2駅乗り越して「幕張本郷駅」。いつになったら帰れるのやら。こちらでは待つこと15分。寒い寒い・・・・。
やっとなんとかこのあたりで酔いも少し醒め、目的の駅「新検見川」で降車。着いた!!帰るのに2時間以上もかかってしまいました。反省・反省 <(_ _)>


2015年1月23日金曜日

悟浄出立


万城目学著「悟浄出立」を読了。こちらは、短編小説集。

俺はもう、誰かの脇役ではない。深化したマキメワールド、開幕! 砂漠の中、悟浄は隊列の一番後ろを歩いていた。どうして俺はいつも、他の奴らの活躍を横目で見ているだけなんだ? でもある出来事をきっかけに、彼の心がほんの少し動き始める――。
西遊記の「沙悟浄」、三国志の英雄「趙雲」、項羽の愛妾「虞姫」・司馬遷に見向きもされないその娘。秦の始皇帝暗殺を志した荊軻(けいか)と同音異字の京科という名の小役人など中国の古典に現れる脇役たちに焦点を当て、人生の見方まで変えてしまう連作集。

自分の人生を顧みて、「過程こそがいちばん苦し」くて、「そこに最も貴いものが宿ることもある」と悟る沙悟浄。脇役から主役へと哀しくも美しく変身する「虞姫」。などなど---どれもかなり面白かったです。


2015年1月17日土曜日

安禄山


塚本青史著「安禄山」読了。

国際色豊かな唐帝国の全盛期、玄宗皇帝の時代。遊牧民族の小競り合いが絶えない辺境の地で、ソグド人の父と突厥の母をもつロクシャンこと安禄山は謎の日本人・井真成と出会った。商才を磨きながら武人としての出世を重ねた安禄山は、豊かな経済力を背景に、ついに中央で皇帝と楊貴妃の寵臣に上りつめる。しかしそれは、飽くなき権力闘争の幕開けに過ぎなかった―。唐帝国を揺るがした男の生涯を描く、長編中国歴史小説。

本小説は、雑胡(ソグド人と突厥系の混血)の商人としての能力の高さに着目している。また義父に軍人として鍛えられ頭角を現す青年期から、突厥や契丹・渤海国・新羅など非漢民族系6ヶ国語を自在に操った外交手腕、持ち前の陽気さと太っていたにもかかわらず、修敏な舞踊家であったという、個人としての魅力の高さが、安禄山をして一大大出世を果たしたその群像を作り上げている。面白かったです。




ただ、安史の乱が残り20ページほどだったので、あまりにあっけなかったような。残念。


2015年1月12日月曜日

浅草神社




浅草神社参拝してきまいた。なんと初「浅草神社」です。

 


ご祭神は、土師真中知(はじのあたいなかとも)命・檜前浜成(ひのくまはまなり)命・檜前武成(ひのくまたけなり)命です。

 


推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。
兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。


その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。


土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。

 


明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称されました。




さすが三連休。浅草はかなりの人手。参拝もかなりの行列でした。






三社祭り(毎年5月)の神輿。豪華絢爛です。






神紋は「三つ網」紋。






本殿は、関東のお膝元だけに権現造です。




本殿右奥には「被官稲荷神社」がありました。被官稲荷神社正面の鳥居は新門辰五郎により奉納されたものだそうです。


浅草からのスカイツリー 色々




吾妻橋より






伝法院通りより






言問橋より






隅田公園より(言問橋とスカイツリー)






隅田公園より(アサヒビール本社に写るスカイツリー)






桟橋より(京成押上線・東武スカイツリーラインとスカイツリー)






桟橋より




2015年1月11日日曜日

香取神宮初詣(with摂社・末社)






下総国住人として恒例の香取神宮初詣。









10日ですが、流石に参拝客は多いです。









本殿の美しさは相変わらずです。

おみくじは「吉」。お守りは、災難除守「要石」のお守りを購入しました。





さて、今回の参拝は、境外摂社・末社の制覇です。2011年に「側高神社」「大戸神社」の参拝を済ませているので、その他を廻ってみました。

その前に、要石の参拝。






 



そして奥宮(経津主大神荒魂)を参拝。あれだけ多くの参拝者がいるのに誰一人いません。

皆さん勿体無い。







こちらのエネルギーは、半端ないです。







 


ここから、香取神宮の手前すぐそばにある「摂社 又見神社」へ。



 



こちらは、香取神宮 ご祭神 経津主大神の子神「天苗加命 あまのなえのますみのみこと」をお祀りしています。別名「若御子神社」。






本殿右横には石室があり「又見古墳」と呼ばれています。







































朱色でありながら厳かな流造の本殿でした。




続いて香取市津宮地区にある末社「忍男神社」「沖宮」「膽男(まもりお)神社」へ。







「忍男神社」は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)をお祀りしており、「東の宮」ともいわれています。古くはここで夏越の祓を行なったそうです。

 


すぐそばに「沖宮」があります。




自分の影が映ってしまいました。「沖宮」は、綿津見命をお祀りしています。海の神様です。

 


そして「膽男(まもりお)神社」。「西の宮」と呼ばれ、大名持命(おおなむちのみこと)をお祀りしています。








香島の海は、この三社によって守り鎮められ、また監視されているのでしょう。

 


この三社の北に「津宮浜の鳥居」があり、



経津主大神は、海路ここから上陸されたと伝えられ、往昔の表参道口でもあります。









こちらには与謝野晶子の石碑がありました。



かきつばた  香取の神の津の宮の  宿屋に上る板の仮端 


 



 



最後に、神宮のかなり西。大栄ICの方向に摂社「返田かやた神社」あります。ご祭神は軻遇突智神(かぐつちのかみ)、埴安姫神(はにやすひめのかみ)で、こちらでは、一万灯祭が有名だそうです。「江戸時代から続く祭りで、たくさんの灯籠に火を灯し、家内安全、五穀豊穣を祈願する神事が厳かに行われるようです。









参道両脇に諸国一の宮の石の祠が並んでいます。68か国+伊勢の皇大神宮(内宮)と・豊受大神宮(外宮)を加えて合計70基あります。




本殿は、美しい一間社流造でした。

 


これにて、本日の充実の初詣終了です。

 


2015年1月8日木曜日

峠越え


伊東潤著「峠越え」読了。

信長でも秀吉でもなく、家康こそが天下人たりえた理由とは―。幼き頃、師より凡庸の烙印を押された男は、いかにして戦国の世を生き抜き、のちに天下を覆すことになったのか?本能寺の変、信長死す―。家康の人生最悪の危機は、最大の転機でもあった。大胆不敵の大仕掛け、当代無双の本格歴史長編。

凡庸な家康像を、今川義元の人質に取られた幼少期から始まり、三方ヶ原の合戦や、長篠の戦など歴史的名場面を幾つも織り交ぜての奇想天外な展開に一気読みでした。

おすすめです。




2015年1月5日月曜日

太閤のレガリア


川村隆一朗著「太閤のレガリア」読了。

信長はなぜ、それほどまでに秀吉を重用したのか?そこには、それぞれの父・織田信秀と中村弥右衛門の時代、戦闘を一変させた新兵器との意外な繋がりが隠されていた。乱世終息のきっかけとなった安祥城、小豆坂の両合戦と豊臣秀吉の故郷に隠された秘密を新資料から掘り起こし、戦国ヒーローの実像を描く、渾身の歴史大河。

秀吉の父。確かに全く語られることがありません。その秘密に迫ります。中々、面白かったです。