2017年5月14日日曜日

京都ぶらり その2

地下鉄で七条へ。豊国神社新日吉神宮を参拝(クリックして神社ブログ参照)
また、実は京都に4年もいて初めてなのだが「三十三間堂」へ



地上16メートル、奥行き22メートル、南北120メートルの長大なお堂は、和様、入母屋造り本瓦葺きで、手前からはるか彼方へ一点透視的に漸減する眺めは、胸のすく壮快さ。

 内部は、撮影禁止。国宝のオンパレードは、圧巻・驚愕!!
ネットより
千寿観音坐像・風神・雷神を始め二十八部衆すべて国宝!!
そもそも本堂自体が国宝だ!
観覧できてよかった。

東山までバスで戻りカフェいっぷくしながらの2時までのコンサートの時間つぶしです。

町並みをパシャリ。


龍馬の結婚式場跡見つけてしまいました。

京都府立図書館の敷地に貴重なものがあります。


吉田松陰拝闕詩碑です。

これは松陰先生の勤王思想を表すとして著名な詩である。この詩は,その著『長崎紀行』によれば,江戸から長崎への途次,嘉永6(1853)年10月2日に京都御所を拝した時の作とのこと。

山河襟帯自然城東来無不日憶 神 京今朝盥嗽拝 鳳闕野人悲泣
不能行 上林零落非復昔空有山河無変更聞説 今皇聖明徳
敬天憐民発至誠鶏鳴乃起親斎戒祈掃妖氛致太平 従来 英皇不
世出悠々失機今公卿安得 天詔勅六師坐使 皇威被八紘人
生若萍無定在何日重拝 天日明 右
癸丑十月朔日奉拝 鳳闕粛然賦之時余将西走入海
 丙辰季夏
 二十一回藤寅手録


宮城を拝し申し上げる。山と河が襟と帯のような天然の城郭。江戸に来てからも、神の都のことを一日も思わない日はない。今朝、手を洗い口を漱ぎ清 めて宮城を拝すれども、一介の野人に過ぎない私は悲しみ泣いても宮城へ行くこともできない。朝廷は零落して再び昔の面影は無い。ただ山河のみが空しく昔に 変わらずに残されて在る。聞くところによると今上陛下の優れた御徳は、至誠をもって天を敬い民を憐れみ、鶏鳴と共に起きて自ら斎戒して身を清め、妖気を払 い清めて平和な世の中がもたらされむことを祈る。 もとより優れた帝は世に現れることはない。それなのにのどかに過ごして機会を失っている今の公卿たちに、軍師どもに皇勅を発して、帝の威光を全国に被わし めることがどうしてできようか。私の生涯は浮き草のようなもので定まったところもない。 いずれの日にか必ず再び太陽のように明澄なる天子様をお拝しすることが出来るだろうか。右の詩は癸丑の年(嘉永六年一八五三年十月一日)。御所を拝し申し 上げて、謹んで厳かにこの漢詩を賦した。時に私は将にこれから長崎に行き海外に出ようとしている。

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