県指定文化財の木造阿弥陀如来座像、市指定文化財の来迎図板碑などがあります。また、境内には、親鸞が猿島地方の教化の折に植えられた「親鸞お手植えの松」がありましたが、現在の松はその二世となります。
その松の近くに鐘楼があり、ここに釣られていた鐘には「泣き鐘」伝説があります。『その昔、平将門の率いる兵卒集団が、この寺の境内にあった釣鐘を持ち出して陣鐘にしました。ある日、兵卒のひとりが、この鐘をつき鳴らすと、不思議なことにその鐘が、「辺田村恋し、辺田村恋し」と泣くように響きわたり、兵卒たちは、気味悪がって士気が上がらない。将門は腹を立てて、寺へ返した。』と伝えられています。
最後は、将門公銅塚のある延命院へ。延命院は、新義真言宗に属し、神田山如意輪寺延命院といい、また篠越山延命院観音寺ともいいます。
胴塚の西側には、昭和50年に東京都大手町の将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆が建てられています。
胴塚
首は藤原秀郷によって京都に送られ、東市にさらされたといわれています。
残された将門の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝えられています。この地は、相馬御厨の神領だったことからあばかれることなく、今におよんでいるといわれています。 その胴塚を抱くように大きなかやの木が立っています。
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