玄関のアイスバークと庭の羽衣を誘引。手は血だらけ。
2005年12月31日土曜日
年の瀬
もうすぐ2005年も終わる。考えるとあわただしい1年であった。水戸→名古屋→東京と生活が変わって。まあでもこんな年もあるのかなって思う。以前、相田みつをの言葉を読んで、なるほどと思い、いつも心に印している言葉がある。「しあわせはいつも自分のこころがきめる」である。ちょっとでも大事にしたい言葉だ。こう思って来年も生きていければ最高ですかね。銀座に「相田みつを美術館」というのがあります。もうないかな?
2005年12月29日木曜日
札幌
2005年12月18日日曜日
ゴルフ練習
久しぶりにゴルフ練習場へ。11/23以来である。そういえば、11/23は、1ラウンドで初めて2バーディーを獲り、スコア85で、自己ベストまであと1つという絶好調であった。筋肉というのは、不思議なものでその時の感覚は全く記憶していない。どうやっていいショットを打ったのか全く覚えがないのだ。来週、久しぶりに水戸の仲間とラウンドするが、ちょっと心配である。
2005年12月12日月曜日
単身赴任解除
明日より東京に勤務することになった。ということで、たった5ヶ月という早い名古屋の生活を終え、本日、自宅へ。単身赴任生活は4年半で、とりあえずピリオド。家を建てて初めて家からの通勤が始まる。それにしても、まさに驚天動地の2週間であった。
2005年11月20日日曜日
全損の姿
2005年11月13日日曜日
再び BMW 購入
2005年10月16日日曜日
下天の内をくらぶれば
郷に入りては郷に従え では全くないのだが、名古屋へ行って最近「信長」ものを読んでしまっている。「覇王の夢-津本陽」「信長の棺-加藤廣」と立て続けに新刊が発売されたので読んでみた。以前、津本ものは、日経新聞に連載されていた「下天は夢か」や「信長と信玄」などを読んだ。また池宮彰一郎(盗作で話題になった)の「本能寺」、秋山駿の「信長」上田滋の「本能寺の変」なども書棚に並んでいる。信長は言わずもがなであるが、確かに人を惹きつけるカリスマ性がある。誰もが先見性と実行力そこに惹かれるのであろう。そして強運。彼を前にして信玄・謙信悉く死に至る。まさに天運。また、彼が生きれいれば歴史は・・・と誰もが想いを馳せるから余計に魅力が増すのであろう。
「敦盛」
思へばこの世は常の住み家にあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
仏教では,人間の輪廻する世界は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道となっており,また天は、下から六欲天・色界・無色界に別れている。下天とは,その六欲天の最下位に属し、四天王とその一族が住み,この下天の一昼夜は人間界の五十年に当たり、住人の寿命は五百歳である。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」とは,下天に比較すれば,人間の一生など夢幻のように短いということである。
2005年10月10日月曜日
アクシデント
2005年9月18日日曜日
奇跡のチップイン
今日のGOLFは久しぶりに満喫であった。スコアは47:43=90とまたしても90の壁に阻まれたが、ティーショットもかなり良くなり、あるロングホールでは、フォローの風に乗り、ハイドローで、290Y近くまで飛んでいた。しかし、なんといっても圧巻は最終ミドルホールである。ティーショットは右のバンカー。2打目 8Iでグリーン手前のクリークにポチャリ。ワンペナでドロップした残り50Yの4打目。 49°AWで放たれたボールは、グリーン奥のカップに見事に吸い込まれPAR。16番ショートで1mのバーディーパットがカップにけられ運なしと思われたが、天は見放さず。実に気分の良いあがりであった。エッジからのチップインは何度とあるが、今日のノーズロは実に小気味よい。そしてメンバーにも恵まれました。感謝 感謝!!
さて、前日登場のI氏 何と今日、84の自己ベストをマークした模様。調子わるかったんじゃあないのか。わざわざ携帯の留守電にいれてました。声は、祝い酒でしょうか、かなり酔っ払った声でした。(ちなみに私の自己ベストに並ばれてしまいました)シニアのように<実際はまだ45歳>2打目以降で3wを多用【1ラウンド15回の記録をもつ】し、グリーン周りで技を見せる熟練ゴルファーで、正直全くもって面白みにかけるが、まずはおめでとう といっておこう。
2005年9月17日土曜日
クラブセッティング
明日は、久しぶりに「水戸」でGOLFである。名古屋では、高麗グリーンばかりだったので、久しぶりのベントグリーンでパッティングが少々不安である。写真は、現在の私の愛するクラブたちである。キャディーバックは、転勤時に、水戸の部下2人に、藍ちゃん使用のパターは、いつも一緒に回っていた同僚のI氏・M氏から餞別にもらったものである。いずれも高価なもので本当に感謝している。持つべきものは、友と可愛い部下である。ゴルフの調子は今一つだが、久しぶりにお世話になったお客さんと回ることが出来るので楽しみである。豪快なサウスポーでカットびのティーショットが明日も見ることが出来るであろうか?さて、ツアープロのようなゴルフ三昧の休日を過ごしているI氏であるが、先日、東京の研修にてご一緒する機会があり、これまた久しぶりに杯を酌み交わした。相変わらずのゴルフ三昧らしい。この3連休は、1ラウンドハーフを3日間連続でプレーすると、嬉しいそうに話していたのが印象的だ。しかしである、こともあろうに、17、500円の飛距離Upパンツ(5月7日稿)を実家に帰りし折に紛失してしまったらしいのだ。すでに効果はなくなっているのは、前述のとおりだが、精神的ショックのおかげでかなり調子も落ちているとのこと。本人曰く、「もう一枚買うよ」まさに、覚醒剤のごときキネティックパンツ。I氏は、パンツなくしてGOLFが満喫できない体になってしまったのだ。いとあわれ。いとおかし。
アベレージゴルファーのクラブ・セッティング
Dr: Callaway ERC HOT
3w: Bridgestone Tourstage F-HT
UT: Callaway Big Bertha Heavenwood #2,#4
Iron: MacGregor Mactec Nv2-ix 5I~Pw
Aw: MacGregor Mactec Nv Alr 49°
Sw: Cleaveland 588 54°
Lw: Cleaveland 900 58°
Pat: Odyssey 2ball ホワイトスチール
キャディーバッグ:SRIXON プロモデル GGC-7043
2005年9月14日水曜日
愛・地球博と名古屋城
40日ぶりの我が家である。このPCに向かうのも久しぶりだ。8月は、弘季がママと名古屋に遊びに来て、愛・地球博と名古屋城に出かけた。弘チャンは、どうらや人ごみの地球博よりも名古屋城のシャチホコの方に興味が湧いたようだった。そして知らない間に夏休みも終わっていたのだ。相変わらず名古屋は蒸し暑い。仕事の関係で東京へ戻り19日まで自宅にいられるが、こんなに長い間自宅にいるのは本当に久しぶりかもしれない。台風のせいでかなり荒れているため休日はまた庭の手入れとなりそうだ。
豆知識:
金鯱について
雄と雌の2対で雄が2.57m雌が2.51m。寄木の粗彫に、鉛板を竹釘で張り、その上に鱗型の銅板を銅釘で止め、その銅板に薄い金の延板をかぶせ張りにしてつくられています。金鯱のシャチは伝説的な怪魚で、実在の魚類ではありません。俗にシャチと呼ばれている海にすむ動物は、鯨目、海豚科に属する哺乳動物で、金鯱の鯱とは無関係です。どうやら金の鯱を最初に天守閣にのせたのは、信長の安土城らしいです。他にも秀吉の大阪城、伏見城、家康の江戸城、駿府城などの天守閣には金鯱がのっていたようです。しかし、これらの天守閣は火災にあったり、破壊されたりしてしまい、江戸中期頃には名古屋城だけが金鯱をもつ城となりました。(名古屋城HPより)
2005年8月28日日曜日
梁甫吟
諸葛亮孔明が好んで口ずさんでいたとされる楽府詩である。
歩 出 斉 城 門 (歩みて斉の城門を出れば)
遥 望 蕩 陰 里 (遥か蕩陰の里を望む)
里 中 有 三 墳 (里中に三墳あり)
累 累 正 相 似 (累々として正に相い似たり)
問 是 誰 家 墓 (問う 是れ たれの墓ぞと)
田 疆 古 冶 子 (田疆と古冶子なり)
力 能 排 南 山 (力は能く南山を排し)
文 能 絶 地 紀 (文は能く地紀を絶つ)
一 朝 被 讒 言 (一朝にして 讒言を被り)
二 桃 殺 三 士 (二桃もて三士を殺す)
誰 能 為 此 謀 (誰か能く 此の謀を為すや)
国 相 斉 晏 子 (国相なる斉の晏子なり)
孔明は、草櫨にあって斉の名宰相「晏子」のように社稷を尊び天下国家の経営に参与したい思いがあったのであろう。さてこの「晏子」を知ったのは、10年くらい前である。宮城谷昌光の「晏子」という本である。司馬遷が御者にまでなりたいと言った程の名宰相である。それまでは、名宰相といえば「倉禀実ちて礼節を知り、衣食足って栄辱を知る」の名言で知られる管仲ぐらいであったが、三国志と宮城谷氏のおかげでいろいろ勉強したものである。この時期は、確か静岡に住んでいたはずだが、「重耳」「孟嘗君」などを長いなあと思いながらよく読んだものである。中国の歴史は本当にタメになるしおもしろい。昨年の4月に日露戦争の舞台である「旅順」「瀋陽」を訪問したが、これもまた言葉にしがたい感動を覚えたものである。まだまだ行きたい場所は数多くあるが 、今の日中関係ではそれもままならない。なんとも歯がゆいものである。
2005年8月7日日曜日
介子推
介子推(かいしすい)は、後の晋の文公「重耳」に仕えて、彼が諸国をさまよって飢えに苦しんでいた時にひそかに食糧を確保したり、刺客の凶刃から守ったりした人物です。重耳は19年という長い亡命生活を終えて晋へ帰国を果たして君主の座に着きます。そこで、これまで彼に従って来た臣下達に論功行賞を行いますが、帰国する直前に重耳とその重臣である咎犯(きゅはん)のやりとりを目撃するのです。咎犯は重耳に対して自分たちの手柄を誇るようなことを言い、重耳もそれを認めて絶大な報酬を与えることを約束します。介子推は重耳を助けたのは咎犯など重臣達だけではなく、重耳に付き従って苦労を共にしてきた者達すべてであると考えています。また、重耳は天によって守られてきたのであり、君主になるのも天の考えだと思っています。ですから個人が手柄を誇るのは間違っており、それを認めた重耳に失望してしまうのです。そして、重耳は自分の君主ではないと考え、母と共に山へ姿を消してしまいます。やがて、介子推の隠れた働きを知った重耳(文公)は、彼を大夫として賞し再び自分の配下になってくれるように彼を探します。しかし、介子推は、二度と山から姿を現すことはありませんでした。文公はどうしても介子推に会いたく、山に火をつけた。逃げ道を 1本だけ確保しその出口で待てば、そこから出てきた介子推に会えると。だが、それでも介子推は山を下りなかった。焼山からは母をしっかりと抱きしめた介子推の亡骸が見つかったという。文公はこれを恥じ、綿上山を介山と、改めかの地を介子推の地として立入禁止とした。そして、人々は介子推の死を悼み清明節の前日には火を使わず冷たい食事のみをとった(寒食節)と言う。寒食の日に火を用いない理由というのが中国全土で介子推を悼んでいるからなのだそうです。宮城谷氏の小説の中に、次のような場面がある。介推が重耳の住居に火を放った刺客を退けたのち、従者の慈英と話しているところです。
「わたしは籍沙さんが好きだ」
介推は少し声を高くした。
「わたしもですよ」
慈英はつぶやくようにいった。
「あの人の心は、くもりがない。そんな人がどうして重公子の暗殺に手を貸すのか」
「わかりませんが、わたしには籍沙さんが犯人におもえます」
「慈英よ。人を疑うと、ふたつのつらさをいだくことになる。その人が犯人でなかった場合、自分がみじめになる。また、その人が犯人であった場合、さらにみじめになる。それなら、人を疑わず、騙されつづけていたほうがよい。騙されるのは愚かであろうが、騙す不幸よりまさる。そうおもわぬか」
慈英はいちど深く首をたれてから、急に首をあげた。
「推さまのような人を仁人というのです」
「ずいぶんもちあげたな」
「どれほどもちあげてもよいのです。事実、そうなのですから」
「ふふ」
くすぐったそうに介推は笑った。
私は、こうした清廉潔白さを尊敬したい。
2005年8月6日土曜日
名古屋名物:あんかけスパゲッティー
庭が気になり帰宅です。先月、名古屋の夏は蒸し暑いと報告しました。今日なんか1分も歩けば、玉のような汗がでました。なんとかなりませんかネ。こちらへ戻ってもさすがに今日は暑いです。来週は、弘季の要望で、愛・地球博に行きますが、熱中症にだけはならないよう気をつけねばなりません。お盆休みで人出が思いやられます。さて、名古屋には、珍名物がたくさんありますが、最近、人気を呼んでいるのが、「ヨコイのあんかけスパゲティー」です。昨日、初めて食しましたが、懐かしい味で、なかなかいけます。4種類の野菜を炒め煮して裏ごししてからひと晩ねかせて、牛の挽肉とトマトペースト、トマトピューレを入れてさらに12時間かけて煮込むソースは、とろりとしていて舌にピリッとくる辛口。このソースに合わせて選んだ太さ2.2ミリの極太の麺は、短めにボイルしたあとラードで炒めたもので、コシがあ り歯ごたえも抜群の仕上がりです。是非、ご賞味を!!
2005年7月30日土曜日
体重減
なんとこの1ヶ月で2Kg体重が減っていました。引継ぎの送別会や歓迎会などで連日の飲み会が続いていたので、さすがに疲れかもしれません。ダイエットいらずでラッキーです。この体重を維持したいものです。さて今日は、朝から庭の雑草とり。ゴミ袋1袋分ありました。芝が伸びきっているので、もう一日くらいかかりそうです。また1ヶ月帰れないので、短めに刈っておくつもりです。
2005年7月17日日曜日
菜根譚
中国の古典「菜根譚」の中に、次のような言葉がある。
衰颯の景象はすなわち盛満の中に在り
発生の機緘はすなわち零落の内に在り
下り坂に向かう兆しは最盛期に現れ、新しいものの胎動は衰退の極みに生じる。という意味であろう。人生・社会の諸々はすべてかくの如し かな。
2005年7月16日土曜日
1ヶ月ぶりの帰宅
約1ヶ月ぶりに帰宅しました。名古屋に転勤になり、引越しや何らやでおちつかず、3連休を利用して久しぶりの我が家です。早速、弘季(9歳)と風呂に入りました。庭は、予想通りの荒れ放題で、明日は、庭仕事が待っています。表のモッコウバラのシュートが、異常に伸びてちょっと感激。また、メトロキャンドルも一番輝いて綺麗です。ただ、ばら達は結構ボロボロの状態です。やはり、1ヶ月のブランクは大きい。さて名古屋ですが、さすがに今日本で一番活気のある街です。交通インフラも様変わりしており、ビルも次々と造られています。先週、セントレア空港にも行ってきました。大変、立派な空港でした。住居は、閑静な住宅街にマンションを借りました。会社へ地下鉄で10分たらず。水戸時代の2倍以上の広さがあり結構快適です。ただ、名古屋は、蒸し暑い。これからが思いやられます。夜の街もさすがに都会だけあり充実してますが、ちょっと近寄りがたい場所もあります。早速、ゴルフ練習場も見つけました。茨城ほどではないですが、ゴルフ場もさほど高くなく数も多いので、自宅へ戻れない分、腕を磨けそうです。ただ、名古屋高速!750円は高すぎるぞ!!
2005年7月10日日曜日
世に棲む日日
司馬遼太郎の本に「世に棲む日日」というのがある。
私も世の親父サラリーマンと同様に司馬遼太郎が昔から大好きだ。「坂の上の雲」をはじめ、数々の本を読んだ。その中で、世の中でまず支持されるのは「竜馬がいく」であろうか。しかし、笑われるだろうが「竜馬がいく」だけは何故か読んでいない。竜馬が嫌いなわけではないが、今まで書店で何度も手にしながら結局買い求めずにいるのである。その理由は以下のとおりである。私が一番好きなのは、この「世に棲む日日」。たぶん、それ程知られていないかもしれないし、文学的評価はわからない。しかし、この本は、維新の主導的思想の原点に立った吉田松蔭と高杉晋作を描いているからである。
そうです私は、生粋の長州人なのです。
吉田松蔭の辞世の句は「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」である。 彼の遺言書である「留魂録」の冒頭に書かれていたのが上記の句です。この「留魂録」を受け取った飯田正伯が高杉晋作に宛てた手紙の中にこう書かれていました。
別紙留魂録を元書のまま差し送り候 間御一覧さるべく候。一言一句涙の種になりし候。
・・・と なるほどここから時代が動いた。
この本は、完成された思想家としての吉田松蔭ではなく、模索と蹉跌を重ね、打開を求めて行動し、焦心の中で問答する若者として、また詩人の激情を抑え切れぬまま、精神の純白を最後まで貫徹して、時代の前で自ら死を引き受けた青年として捉えています。松蔭の思想というものは、その死なくして語ることはできないでしょう。まさに注目すべきは、「死生観」であり、政治をする者が死と向き合う態度そのものです。時代と対決して生を剥奪される不条理との対峙であり、死と引き換えに思想の生を得るあり方なのだと思います。人を落涙させ、感動させ、人の心に残り、人を動かすとはどういうことなのだろうか。
それを考えさせてくれたのがこの一冊です。
松蔭がいなければ、明治維新は無かったでしょう。革命党派である松下村塾党の結束はなく、同志の屍を踏み越えて、革命の劫火の中に一身を突撃させる長州の怒涛のエネルギーは無かったのです。確かに長州藩閥が、それをシンボルとして神聖化して、やや誇張して政治利用している部分はあります。しかし、魂を留めて死んだ松蔭の事実は、自分の魂も同じように同志の心に留まることを若い長州志士たちに確信させたのが大きいのです。決死の覚悟が無ければ革命はできないと教えたのです。だからこそ松蔭先生は偉大なのだと思っています。まあ私が長州人だからなのですが・・・
この本はただし、私が一番好きな高杉晋作においては、今ひとつ希薄です。でも、それを知ったのは、高杉晋作をこの本でもっと知りたいと思った後からですからしょうがないですね。
・・・・・
2005年6月19日日曜日
転勤
今週の異動発表により「名古屋」へ転勤となりました。水戸→名古屋で徳川御三家つながりです。今、日本で一番活気があると言われているところなので一暴れしたいものです。ガーデニングは、月1になりますが、しかたありませんね。引越しめんどくさ~。今来週は引継ぎなどで大忙しになりそうです。今まで、高知→東京→静岡→東京→金沢→水戸そして名古屋と6回目の転勤ですが、どこも思い出深いです。日本全国で大変ですが、色々な人生の先輩の方々、良き同僚達、後輩達と知り合えあることは、ある意味幸せなのかもしれませんな。水戸は4年間でしたが、仕事も充実し、ゴルフもうまくなりましたし、最高でした。
2005年6月11日土曜日
夏姫春秋
春秋戦国時代、時代に翻弄され「妖婦」とみなされた絶世の美女がいた。鄭という国の公女「夏姫」である。この時代は、晋・楚が大国であり、その間の小国の政治は、術策を極めなければ生きられない。孔子が愛し尊敬して止まない子産もこの時代の鄭の宰相であり、同時代を生きた。傾国の美女うと謳われた越の贈り物「西施」もまた、自身の欲望や意志ではなく、その時代の権力者に弄ばれただけだが、夏姫もまた同様ではなかったろうか。中国には悪女は何人も歴史に登場するが、彼女もまたその部類ではないような気がした。宮城谷氏の「夏姫」救いの小説によって。三夫二君は、夏姫を手に入れると死んでしまう。しかし、その夏姫こそが薄幸なのではないだろうか。本書は、「風」を夏姫のイメージとして書き進んでいる。そもそもこの時代の小国が風に身を任せるしかなかったというイメージとダブル。おもしろかった。
2005年6月10日金曜日
入梅(つゆいり)
いよいよ入梅の季節。明日、東京で会議ということで、1日早く自宅へ帰ってきた。庭は、散ったバラの花びらでいっぱいである。土曜日は、庭の掃除&手入れとなりそうだ。かみさんは、大の掃除&片付け嫌い&べたである。(料理は上手だが)庭の管理は頼んでも到底無駄なのだ。なにしろサボテンも枯らす程の女である。つくづく私が綺麗好きでよかったと思う。さて、先週のゴルフコンペだが、残念ながらI氏の優勝はほど遠かった。それどころか、PWをなくし大騒ぎ、後輩のを借りてしばらくプレイ(本来なら失格ものだが)、誕生日に女性社員にプレゼントされたボールは前半だけでOBにてなくす。パンツ効果は洗濯のしすぎで薄れ飛距離も出ない始末。期待はずれであった。プレゼントのボールは、プライスレスなので大事に使って欲しかった。かくいう私もグリップがしっくりこず95の平凡なスコアで終わった。まあ幹事が優勝しなくてよかった(負け惜しみ)のである。今週の日曜日は、名門「大洗ゴルフクラブ」でプレイ(なんとメンバーなのだ)である。なんとかいいスコアで回りたいものである。
2005年5月30日月曜日
二週間の不在
これから赴任先へ出発です。来週は戻らないので2週間のご無沙汰となります。一通りバラの開花も拝む事ができたので今年は満足です。少しずつHomepageを訪れてくれる人がいて大変嬉しく思います。(現在28名)全くの自己満足のHPですが、やはりこんな小さな庭でもバラ作りを楽しめることを伝えたい気持ちもあります。カウンターが増えるのも楽しみの一つになりました。さて2週間しっかり仕事に励み、GOLFも頑張ってきましょう。
2005年5月29日日曜日
刮目(カツモク)
粛 蒙の背を拊ちて曰く「我 謂えらく大弟はただ武力あるのみと。今に至りて学識栄博にして、復た呉下の阿蒙にあらず」と。蒙曰く、「士 別れて三日なれば、すなわち更に刮目して相い待つべし」
三国志の中の好きな言葉の一つである。「士と称するものは、別れて三日もすれば思っている以上に成長しているものだ。よくよく目を凝らして見なければいけない。」という意味である。年をとるとどうしても若い者は駄目だとか、昔はこうじゃあなかったと批判じみてしまうけれど、そういう自分が時代に取り残されて、若い者はどんどん成長しているかもしれない。それを素直に受け入れ、気がつかないと恥をかくのは己かもしれない。と最近はこの言葉を受け取る。逆に若いころは、上に対して「今に見ておれ」とこの言葉を飲み込んでいたものである。変われば変わるものである。
そういえば、「論語」にも
子曰く、後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十、五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。
という言葉がある。若い者はどれほど伸びるかわからない可能性をもっているので決して侮ってはいけないというわけである。この年になり大いに考えさせられる。
女子プロトーナメント
明日は、女子プロゴルフトーナメント「廣済堂レディース」を見に行くつもりだった。ところが、宮里藍は欠場、横峯さくらは予選落ちである。ミーハーの私としては、せっかくの近場での開催なので楽しみにしていたが、甚だ残念である。不動や服部や米山ならTVでいいかな。
さて、来週土曜日は、会社のゴルフコンペである。前回はみごとバーディーフィニッシュで3打差をつけ(グロス92)優勝。そのため今回は幹事である。賞品もすでに用意済み。赴任以来3年、年間40ラウンド近くこなす「I氏」は未だ優勝がない。なんとか勝たせたいと考え、I氏得意のコースをチョイス。心遣いを察し、パンツ効果で是非とも優勝してもらいたいものだ。
2005年5月28日土曜日
ツルバラ満開宣言
1週間ぶりの帰宅です。すっかりツルバラも満開を迎えていました。今年は、色々な花木の育ちがとてもいいような気がします。昨年は咲かなかった「金宝樹」が咲き、「柏葉アジサイ」も順調です。11月に植えた千鳥草も咲いています。ブッシュのバラは、一番花が終わりを迎えようとしていますが、まだまだ、我が庭は賑やかです。明日の朝が楽しみになってきました。
2005年5月22日日曜日
エクスカリバー
1981年、大学時代に「エクスカリバー」という映画を観た。「地球上のすべてが混迷している時代。野望に燃えた豪勇たちの争いが続いていた。そんな中、魔法使いマーリンから王者の剣エクスカリバーを授かったウーサーは次々と豪族を平定し王として君臨する。しかし本当の悲劇はここから始まる。やがて誕生するウーサーの息子アーサーが背負う苦難と絶望とは。語り継がれるアーサー王の伝説を壮大なスケールで描いた、アース・ファンタジー。」である。
20年以上たった今でもはっきりと覚えている。それ程有名な大作でもないのだが。アーサーの死を見届けた後、円卓の騎士「パーシバル」が湖にエクスカリバーを投げ込むと女神の美しい手がその剣を掴み垂直に剣を湖に引き込んでゆくラストシーン。流れる音楽はワグナーの楽劇《ニーベルングの指環》 第3夜「神々のたそがれ」から【ジークフリートの葬送曲】。THIS IS WAGNER!!思わず叫びたくなるかっこよさ。今でも時々この曲を聴きながらそのシーンを思い浮かべる。この時以来、アーサー王伝説マニアは始まる。ハンドルネーム「ランスロット」は円卓の騎士(湖の騎士)の名を頂いた。
弘季 運動会
2005年5月8日日曜日
キネティック・パンツ
GOLFの醍醐味の一つに、ドライバーショットがある。
最近、「男は飛距離だ!」の宣伝文句のボールが新発売になっているが、やはりどこまでも飛んでいく自分のボールに憧れを持つのは、ゴルファーとしてのあくなき煩悩ともいえるだろう。
その「飛距離」を求めて、先輩「I氏」・・{右の写真}が、通信販売で 「キネティック・パンツ」なるものを購入した。彼は、練習はしないが、練習器具はよく購入するので有名だが、何を血迷ったかパンツにまで手を出すとは驚いた。そして値段を聞いて2度びっくり。17,800円。!!!高い。後輩で、支店No1の腕前を持つ「M原」君は、パンツでボールが飛ぶかぁ!と叫ぶ。しかし、しかしである。そのパンツをはいた「I氏」のボールは、今までに見たこともないような力強い弾道でぐんぐん飛んだのである。その時の「I氏」の嬉しそうな顔は一生忘れない。ありがとう「キネティック・パンツ」。でも、誰も追随して買いはしない・・・・だってやはりどう見ても高すぎると思う。●●●●円がいいところか。あとは宣伝費と粗利。でもいいじゃないか。彼に値段以上の大きな価値を与えたのだから・・・・。ただ洗濯をして少し効果は落ちているようだ??「飛距離=ゴルファーのロマン」だな。私もつい上記「男は飛距離だ!」のボール(スーパーニューイングiv330)を買ってしまった。ああ 煩悩!!でもこのボール飛びます。