2014年1月16日木曜日

業政駈ける

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火坂雅志著「業政駈ける」を読む。
[E:book]西上野の地侍たちから盟主と仰がれ、信義あふれる心で上杉謙信をも動かした知将、箕輪城主・長野業政。一切の利欲を捨て、国を豊かにし、民の暮らしを守る―。滅亡の危機に瀕しながらも、その鬼謀と胆力をもって武田軍の侵攻を退け続けた男は、関東をただす義の戦におのれの最後を賭す。河越夜戦で逝った息子への誓いと上州侍の誇りを胸に、戦国乱世を疾駆し、強大な者の理不尽に敢然と立ち向かった気骨の生涯を描く!









業政を有名にしているのは、西上州を甲斐武田軍の手から守り抜き、独立不羈を維持し続けたという事です。



野心に燃える武田晴信の軍勢を五度(四度とも六度とも)にわたり跳ね返し、晴信をして「業政が上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と言わしめる程。


心底武田ファンな人の中には「武田信玄が長野業政に勝てなかったのは捏造」という人もいるようですが、講談本であるとか軍記物であるとかだと、少なくとも以下の四つの戦いは「確定」しているようです。


(1)弘治三年、いわゆる「瓶尻(みかじり)の戦い」
武田太郎義信を総大将とした一万の兵が碓氷峠を越えて西上州に進出。
長野業政は西上州の姻戚関係にある諸将を結集し二万の兵を集める瓶尻にて応戦。
当初は上州勢が優勢に進めるも諸将の足並みがそろわず撤退するも箕輪城で篭城し、武田軍を撤退させる事に成功。


(2)永禄元年
前年の敗退を受け、今度は晴信自らが二万の兵を率いて碓氷峠を越えて武田軍が来襲。
業政軍は夜討ち・朝駆けを駆使して散々に武田軍を悩ませた後に火攻めにより武田軍の兵糧を焼き討ち、武田軍を撤退させた。


(3)永禄二年
懲りない晴信は今度は西上州の諸将の連携を断つべく各個撃破に出るべく旗下の勇将に安中城・倉賀野城・和田城等を攻めさせます。
箕輪城から援兵を率いて駆けつけた業政は晴信本陣を奇襲し、さらに追ってくる武田軍を伏兵にて蹴散らして損害が大になった武田軍は撤退しました。


(4)永禄三年
またも西上州に攻め込んだ武田軍。業政は今度は最初から篭城策を取り長対陣なのか季節が悪かったのかはわかりませんが、武田軍は飢えと寒さに苦しんだそうです。
そんな中、安中城主安中忠政が武田軍の補給路を襲撃し、混乱の最中に業政が城中から出撃し総攻撃。被害甚大のため武田軍撤退。




判官びいきの日本人にとって「痛快!!」な人物といえるでしょう。ましてやその年齢。信玄もさぞや、「あのくそ爺め!」と罵っていたことでしょう。この小説では、業政のいくさ上手だけでなく、小さな地侍の民を思う心根にも触れており、人間臭い「業政」の一面も見せてくれます。


ご一読を!


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